18.穏やかな日々(5)
翌日、シンシアは淡いピンク色のドレスを纏った。ローテーションしていた三着よりも生地がふんわりと軽くレースも華やかな一枚だ。
何より色がピンク。
水色、紺色、深緑色、のローテーションに飽きていた侍女達のテンションが華やかな一枚に一気に上がる。
気合いが入った侍女達は、髪の毛をいつものリボン結びではなく華やかなアップにしようと提案してくれた。
「編み込んでアップにしましょう!」
「このドレスはデコルテも見えますし、後ろも少し抜きがあるので絶対にアップがいいです!」
鼻息も荒く迫る侍女達。
「で、でしたら、今日だけ」
シンシアとしても、昨日の寝る前にまで「明日のシンシアはお姫さまだね!」と念押ししていたハリーの期待を裏切る訳にはいかない。
侍女達の気迫にまごつきながらも、本日はきちんと髪の毛を整えてもらい、頬紅も明るくしてもらった。
「出来ましたよ!」
嬉しそうな侍女達によって鏡を見せられ、そこに映った自分は髪型のせいか、纏うドレスのせいか、自分じゃないみたいだ。
侯爵家侍女の手腕に依ったので、変ではないと思うが、見慣れないので落ち着かない。
(これ、大丈夫かしら。浮いてないかしら)
気恥ずかしい思いで朝食の席へと着くと、ハリーは目をキラキラさせた。
「お姫さまみたいだよ!」
大興奮で、椅子から降りるとシンシアの周りをぴょんぴょんしだす。
「ありがとう、ハリー」
よかった、期待は裏切らなかったようだ。
ほっとしながらアランを見ると、アランは絶句した後、絞り出すように「よくお似合いです」と言ってくれた。こちらは無理に褒めさせてしまったようで、何だか申し訳ない。
シンシアは身を小さくして朝食を食べた。
朝食後、シンシアはハリーとハリーの部屋へと向かう。こんな淡い色のドレスで掃除洗濯には励めないので、本日はみっちりとハリーの読み書きを見るつもりだ。
お絵描きも取り入れつつハリーにせっせと綴りを教えていると、ケイティが「ハリー坊っちゃんは4才にしては、しっかり読めるし書けますねえ」と感心してくれたが、ハリーは本当は6才なのでシンシアはちょっと複雑な気分になる。
子爵家の嫡男のハリーは、本来ならきちんと家庭教師が付き、6才の今頃はもっと流暢に読み書き出来ていてもおかしくはない。
もっと自分がよく見てあげれていれば、もう少し出来ただろうか、とも思ってしまう。
でも、過ぎた事にくよくよしても仕方ない。これからを考えよう。
侯爵邸でお世話になる間は時間もあるし、絵本もたくさんあるのだ。
家への処分が決まり、シンシアとハリーが平民となれば、読み書き出来るのは大きな強みになる。今の内に、ハリーにはたくさん字に触れてもらおう。
シンシアは気合いを入れ直してハリーに向き直った。
***
その午後、外遊びをしなかったせいかハリーの昼寝は夕方にずれ込んだ。
シンシアと2人で絨毯に座って絵本を読みながら、ハリーがうとうととシンシアの膝で眠りだす。
絵本をそっと閉じたその時、コンコンコン、と部屋の扉がノックされた。
ケイティだろうか、ハリーをベッドに移動させたかったので丁度よかった。
侯爵邸にお世話になって二週間ほど経つが、ハリーは日に日に重たくなっている。しっかり食べて動いているからだろう、体つきがしっかりしてきて、シンシア一人では抱えるのが難しくなってきていた。
眠ってしまったハリーをケイティと2人で運ぼうと思っていると、扉の外で「アランです」と名乗られる。
(えっ、アラン様?)
シンシアは驚きながらも、ハリーを起こさないように、外に聞こえるギリギリの声量で「どうぞ」と答えた。
シンシアのか細い、どうぞ、にアランは何かを察したようで、扉がそろりと開けられる。
「すみません、お昼寝中でしたね。起こしてないといいんですが」
アランは足音を立てないように部屋に入ってきた。ハリーを見ながら申し訳なさそうだ。
「大丈夫です。しっかり寝ています」
「ふふ、本当だ。ベッドに移しましょうか」
アランはシンシアの正面にかがんで、ハリーに手を伸ばしたのだが、そこでぴたりと固まった。
「……?」
どうしたのだろうと思っているシンシアの前で、アランの耳が赤くなっていく。
銀髪の冷たい美形が耳を赤くしているのに、シンシアは少し驚いた。
この人も照れたりするんだな、ハリーの寝顔があまりに天使だからきゅんとしているのかしら、などと姉馬鹿ぶりを全開にしながら考えていると、アランは非常に歯切れ悪くこう言った。
「その……膝を、どかしていただいても?」
シンシアは、はっとする。ハリーの頭はシンシアの膝の上にあるので、アランがこのままハリーを抱えようとすれば必然的にシンシアの足に触る事になってしまう。
なるほど、照れる訳だ。
のんきな自分が恥ずかしい。
「すみません、気づかなくて」
そっとハリーの頭を持ち上げて、自身の膝を抜く。アランは耳を赤くしたままハリーを軽々と抱き上げると、ベッドに運んでくれた。
重たくなってきた弟を危なげなく抱える様子に改めて、男の人なんだな、と感心する。
自分達の周りに、優しくしてくれる大人の男性が居るのは初めてで、何やらとても安心してしまう。
このままでは、アランに頼ってしまいそうで少し怖いな、とシンシアは思った。
シンシアはやがてここを出て、ハリーと2人で暮らしていかなくてはならないのだ。
甘えるような事はしないようにしないと、とシンシアは自分を戒めた。
「子爵家の脱税と密輸の証拠の整理が終わりました。担当する文官も決まりましたので、あなたへの聞き取りも開始されます」
アランがそう切り出したのは、ハリーに布団をかけ、自身の耳の赤みが完全に引いてからだった。
どうやら、この事をシンシアに伝えに来たようだ。
「分かりました」
「最初の呼び出しは4日後です。本当に城まで出向きますか? あなたの事は随分と話題になっているんです。おそらくあなたを見ようとわざわざやって来る輩もいます」
「えっ、わざわざですか?」
「関係ない侍女や文官まで、盛り上がっていますから」
憎々しげにアランは言った。
「……はあ」
盛り上がっているのはきっと、誇張された悲劇と美人の噂のせいなのだろう。
「皆さん一度見てこんなものか、となれば興味も失くされると思います。最初だけでしょう」
「それはどうでしょうか。とにかく初日は出来るだけ地味にしてください」
アランの声色はイライラとしていた。
「それはもちろん、そうします。自分の立場は弁えております」
そんな風に言われるまでもなく、目立つつもりは毛頭なかったので、シンシアは少し強めに答えた。
「そう……してください。すみません、余計な一言でした。あなたが礼儀正しく、節度ある方だという事は分かっています」
アランが項垂れる。
項垂れたまま、ぽつりと続ける。
「それでも、注目はされてしまうでしょう。あなたはきっと、どんな姿でも美しい」
「…………」
ぱちくり、とシンシアは瞬く。
少し前から思っていたのだが、アランの中でシンシアの外見への評価がかなり高い。何度か“美しい”と言われたのは空耳じゃなかったのね、と再確認する。
そして同時に、前に言われた『美しくて、困ります』の意味がやっと分かった、とシンシアは思う。
アランは、取り調べで城に出向くシンシアが必要以上に注目されては困ると言いたかったようだ。
あの、『困ります』はシンシアを心配しての言葉だったのだ。
(雨の中、濡れ鼠でハリーを背負っていたから庇護欲をそそられたのかしら)
そして、心配するあまりシンシアを注目されるような美人だと勘違いしているのでは。
「あの、アラン様、大丈夫ですよ。うんと地味にしますから」
シンシアはアランを元気づけるように微笑み、そう言った。




