13.アランの帰宅(4)
どれくらい父を想っていただろう、シンシアがそっと目を開けると、向かいのアイスブルーの瞳が自分を見つめていた。
そこにいつもの冷たさはなく、珍しく不安気に揺れている。
「すみません、お時間がないと聞いていたのに」
「構いません。人が一人亡くなったのですから」
アランは気にするなと言うように首を振った。
「ありがとうごさいます」
何も言わずにそっと見守っていてくれた事はとてもありがたかった。お陰で随分冷静に父の死と向き合える。
「もしかして、父の自死で昨夜は帰れなかったのですか?」
「結果的にはそうなりますね。現場を確認しなければなりませんでしたし、念のために使用人も一人一人調査をしました。当初の目的の脱税と密輸の関係資料も全て家捜しする事になりました」
「父が最期までお手間をお掛けしました」
「いえ……」
沈黙が2人を包む。
シンシアにはアランが気を遣ってくれているのが分かった。
これからまた子爵家の事で城に戻らなくてはならないのに、急かすような素振りは一切ない。
ただ黙って待ってくれている。
優しい人なんだわ、とシンシアは思う。
分かりやすい言葉や態度はないけれど、アランの気遣いと優しさを感じた。
やがて、とても言いにくそうにアランが口を開いた。
「子爵が亡くなり、ヨハンソン家の行っていた脱税と密輸の取り調べがあなたに対して行われる事になります。もちろん、罪人としてではありません。重要参考人としてです。
出来るだけ、城の騎士団の建物ではなく侯爵邸でそれを行うように手は回しますが」
「その必要はありません。きちんと騎士団に出向きます。元より、そのつもりです」
シンシアの言葉にアランが目を見開く。
「今回の事件は注目を浴びています。ヨハンソン子爵令嬢が城に行けば、見せ物のようになります」
「構いません」
「構いません? 構ってください。好奇の目に晒され、憐れまれるんですよ?」
「それだけの事をしましたし」
「違う、あなたがそんな目に遭うのは、どう考えても理不尽だろう」
アランの言葉遣いが変わって、声色が切羽詰まる。
シンシアは驚いてアランを見た。
「……申し訳ない」
「いえ、心配していただき、ありがとうございます。ですが、本当に構わないんです。罪に問われないのはとてもありがたいのですが、自分のした事から逃げるつもりはありません。家門の罪にきちんと向き合い、調査の手助けが出来る事は今の私にとってむしろ必要な事だと思います」
そうする事で、この罪悪感が少しは軽くなる気がした。
「そうですか……分かりました」
アランは小さく同意してから黙ってしまう。
親身になって心配してくれたようなのに、突っぱねる形になってしまった。話題を変えようとシンシアは継母とリディアの事を聞いた。
「継母と妹のリディアはどうしていますか?あの2人はおそらく何も知らなかったはずなのです」
「2人は今、騎士団の牢に居ます。貴賓牢ではあるので大きな不自由はないでしょう。夫人と妹御は脱税と密輸への関与はなさそうですが、気付けなかった罪はあります。身分は剥奪され、財産は没収されます」
「それなら私も同じです。私だけ侯爵邸で保護されるのは―」
「何度でも言いますが、あなたは被害者で使役されていた側です。いいですか?13才から成人となる16才までのあなたに行われていた事は子供の虐待にもあたるんです。その罪に問われるべきは家長ですが、夫人にはそれを容認していた罪もある。彼らとあなたは決して同じではありません」
シンシアの言葉を遮ってアランは口調を強くした。
「それに妹御はともかく夫人は自ら子爵との離縁と妹御の除籍を望んでいます。『自分は平民上がりであるし夫が罪を犯して亡くなった今、しがみついていても仕方ない』と仰っていました。あっさりしたものですね」
「継母が?」
「妹御よりはよっぽど話が通じる方です。貴族の家のごたごたに巻き込まれたくないという意図もあるのでしょう」
それを聞いて、確かに継母ならそうするかもしれないとシンシアは思った。
まともに話した事はほぼないが、打算的で狡猾な雰囲気がある人で意思も強そうだった。
父は強めの女性が好みだったのかな、などと考えてしまう。
「そうですか」
継母の実家は平民だが裕福だと聞いている。
子爵家でしていたような贅沢は出来ないが、路頭に迷うことはないだろう。ましてや継母が進んで選択をしたならそれもいいかと思った。
シンシアは聖人ではない。
シンシアとハリーを離れに閉じ込めていいように使ったのは父だが、継母とリディアには虐められたし、2人はハリーに意地悪もしていた。
なので、2人の幸せなんかは願わない。不幸も願わないが。
彼らはきっと実家では肩身の狭い思いをするだろうし、贅沢に慣れた体にはいろいろきついだろう。
いい気味だとまでは思わないが、あまり心は痛まなかった。
自分はどうやらけっこう図太く、性格も少し悪いみたいだ。
「でも妹は荒れているのでは?」
継母はともかく妹のリディアが納得しているとは思えずそう聞くと、アランの顔がげんなりした。
「そうですね。妹御は私を見てはずっと激昂されています」
シンシアにはリディアが荒れ狂っている所が容易に想像できた。金切り声で思い付く限りの罵詈雑言を延々と叫んでいる様子が。
「大変ではないですか?」
「大変ですが、こればかりは彼女を利用した私の罪です。夫人が離縁を望んでいますし、関与なしと確認でき次第出ていってもらうのであと数日の辛抱です」
「何から何まですみません。私とハリーの事も。私達もハリーの体調が落ち着けば出ていきます。あと数日お世話になってよいでしょうか?もちろん、タダでとは言いません。ハリーは難しいですが、私は下働きも出来ます」
継母と異母妹の無事を知った今、ここが落とし所だろうとシンシアは思う。明日にはハリーの熱は落ち着くだろうし、あと一日ほど様子をみてここを出よう。
「は?」
「え?」
アランの表情が今度は一気に険しくなった。
「聞いていましたか?キリンジ侯爵家はヨハンソン子爵令嬢の後見になったのです。数日で放り出す訳がないでしょう」
「でも」
「子爵家の件は貴族会議の議題にあがり、処分は会議で決定されます。子爵邸で押収した証拠をまとめて、脱税と密輸の利益を確定させてから議題にあがるので、決定まで数ヶ月はかかるでしょう。少なくともその間はあなたとご子息の身柄はきちんと保護しますし、その後も無責任な真似はしないつもりです」
「私は罪を犯したんです。そんなに長くお世話になる訳には参りません」
「あなたは罪には問われない」
「問われる問われないの問題ではないんです」
「どういう問題かは関係ありません。ここを出ていくのは、私が許しません」
ぞっとするような冷たい声でアランは言った。
有無を言わせぬ強い口調と、力のある者が使う威圧的な態度。
シンシアは、びくりと震えた。息が上手く出来ない。これが高位の貴族の迫力なのだと思う。
それでも、怯みながらもシンシアはアランを睨んだ。
きっとアランには侯爵家のメンツがあるのだ。子爵家で襤褸を着て働いていたシンシアを見ているし、ひどく同情しているのかもしれない。
でも、シンシアにだって誇りはある。
罪を犯したのに、のうのうと甘やかされるのは嫌だった。ちっぽけな誇りだという事も自己満足だという事も分かっている。ハリーの為を思うなら、このちっぽけな誇りを曲げるべきだというのも分かっているが、素直に頷けない。
「侯爵邸を出ても、行く宛はないのでしょう?」
嵩にかかるようにアランが聞いてくる。
その通りだ。何も言い返せない自分が悔しいし、的を射た指摘をしてくるアランが恨めしい。
「…………」
シンシアは唇を噛んで黙った。
アランを睨む目にうっすらと涙の膜が張るが、こんな場面で絶対に泣きたくはない。睨みながら目を瞬いて涙を逃がした。
アランの気配が揺れる。
威圧的な雰囲気が緩んだ。
「頑なにならないでください。…………くそっ、あなたを貶めたり困らせたい訳ではないんだ、俺は、あなたに穏やかな時を過ごして欲しいだけなんです。侯爵邸で保護される事は受け入れてください」
「同情ですか?」
「同情な訳がない、雨の中のあなたは美しく、力強かった」
「うつく、え?」
突然の“美しい”にシンシアは動揺し、動揺するシンシアにアランは畳み掛けた。
「子爵家の処分が決まるまでは、こちらに身を寄せる事に納得してください。これはお願いです」
今やアランの声は熱っぽく、アイスブルーの瞳が自信なさげに揺れていた。その必死な様子にシンシアの心が打たれる。
「あなたは重要参考人として騎士団に呼び出されるんです。街中に居てはいろいろ言う人もいるでしょうし、悪意を持たれる可能性もあります。立場があやふやなまま、幼い息子さんと市井で暮らすのは危険です」
危険だとまで言われると、我を押し通すのは気が引けた。
「…………」
シンシアは渋々納得する事にした。
「分かりました。あくまでも重要参考人として、子爵家の処分が決まるまではお世話になります」
詭弁かもしれないが、事件の被害者ではなく重要参考人故なのだと思えば心苦しさは随分と軽い。
「…………よかった」
アランが安堵の顔でほっと息を吐く。
何だか変な感じだった。なぜ、自分ではなくアランがほっとしているのだろう。
先ほどまで、シンシアを冷たく的確に追い詰めていたくせに、ほっとしている銀髪の美形がおかしくて、シンシアは口元が緩みそうになり、きゅっとそれを引き締める。
「あの、お世話になるにあたって一ついいですか?」
「どうぞ」
「先ほどから私の事を“ヨハンソン子爵令嬢”とお呼びいただいていますが、私は一度その家名を捨てています。家門に処分が下れば爵位の剥奪は免れないでしょうし、ただシンシアとお呼びください」
「ヨハンソン家の爵位はまだ保留となっています。どうなるかは分かりませんし、保留な以上、あなたは子爵令嬢です」
「お心遣いは無用です。これだけの事をして、剥奪されない訳がありません。なので、シンシアと」
これについては一歩も引く気はない。シンシアが強くアランを見つめると、アランは気まずそうに視線を外した。
しばらく逡巡してからアランが口を開く。
「…………では、シンシア。あなたも私の事を“キリンジ侯爵令息”と呼ぶのを止めてください。侯爵家には子息が3人もいます。今屋敷にいるのは私だけですが、誰かが帰宅した時にややこしくなるので、アランと呼んでください」
「分かりました、アラン様」
シンシアがそう呼ぶとアランは片手で顔を覆って、ため息を吐いた。
それから「こんなはずでは……侯爵邸に留める以外何も力になれてない……おまけに名前呼び…… 浮わついてどうする……いや、でも、爵位の話はしないつもりで……そもそも俺は」と何やらぶつぶつ言っているが、よく聞き取れない。
「アラン様?」
「はあ…………あなたは、頑固者ですね」
「呆れましたか?」
「いいえ、むしろ認識を新たにしました。そして自分には呆れています。私はあなたを綺麗な人形のように扱おうとしていたんだな、と」
「人形?」
「忘れてください」
そうしてアランは、ふらふらと立ち上がると「騎士団に呼ばれるのは、証拠品の整理が終わってからになります。それまでは侯爵邸でゆっくり過ごしてください」と言って出ていった。
認識を新たにしました→惚れ直しました
と意訳してお読みください。




