12.アランの帰宅(3)
死の描写があります。苦手な方は避けて下さい。
部屋の扉がノックされて「アラン・キリンジです」と名乗られ、シンシアはすぐに扉を開けた。
「不躾で申し訳ない。本来なら私室を訪ねるのではなく、応接室か喫茶室で場を設けるべきなのですが、また城に戻らなければならなくて、あまり時間がないんです」
扉の向こうに立っていた銀髪の美形はまずそう言った。
「いえ、この客間はキリンジ侯爵令息様のご厚意で使わせていただいているものですし、私はどこでも結構です。もしかして帰宅後すぐに来ていただいたのではないですか?申し訳ありません、急がせるつもりはなかったのですが」
アランは昨日子爵邸に踏み込んだ時のままの服装で、顔には明らかに疲れが見える。
へとへとで帰ってきたのだろうに、一番に自分の所へ来てくれた様子にシンシアは驚く。
(再三、サムエルさんと侍女の方に帰宅の予定を聞いたのはまずかったかしら。また仕事に行くようだし申し訳なかったのでは)
少し気まずい思いでシンシアはアランを見上げた。
「本来なら昨日の間にあなたに事情をお伝えするべきだったのに遅くなりました。不安にさせたでしょう」
「私の事はお気になさらないで下さい、過分な待遇をいただき、息子のハリー共々恐縮しております。中へどうぞ、きっと廊下でするお話ではないですよね」
シンシアは扉を大きく開けて身を引き、アランを招き入れた。
アランが歴とした紳士である事は分かっているし、自分はもう罪人なのだ。男性と2人きりで部屋にいる事を気にするような令嬢ではない。
「非常に心苦しいのですが、扉を閉めていただいても?」
アランの言葉に頷いて扉を閉める。
これからされる話はヨハンソン子爵家とシンシアの罪の話だという事は分かっていた。侍女達に聞かれるのは避けるべきだ。
シンシアの緊張が高まってくる。
外はもうすぐ日が暮れる。こんな時間から騎士団に引き渡される事はないように思うが、もしそうだとしても拒否は出来ない。
(ハリーに会わせてもらえるよう頼まないと。そしてハリーをどうするつもりなのかも聞いておかないと)
そう思いながら扉を閉めて部屋の中のアランに向き直ると、アランは少しぽかんとしたような顔でシンシアを見ていた。
「あの……?」
そんな顔のアランを見たのは初めてで、戸惑いながら声をかけるとアランがはっとなる。
「失礼、扉ごしでよく見えていなくて、その、用意したドレスがよくお似合いです」
「え?あ、ありがとうごさいます。お借りしております」
シンシアはしどろもどろで返答した。
アランはきっと決まりきったお世辞を言ったのだと分かったが、社交界デビューもしていないシンシアはお世辞に慣れていない。少し胸がざわめいた。
改めて自分を見下ろしてみる。今日はくすんだ水色の普段用のドレスを借りていた。襟と袖口は白色で胸元に少しレースがあるだけの大人しいものだが、相変わらず肌触りが良くて着心地もいい。
「こんな良いものを私が着るなんて、本当に申し訳ないです」
「侯爵家はヨハンソン子爵令嬢の後見人になったのですから、これくらいは当然です」
「え?後見人、ですか?」
思いもよらない単語が出てきた。
「はい。立ち話でする話ではないので、座ってください」
アランに促されて部屋のソファに座る。シンシアの向かいにアランも座った。
「まず最初に、ヨハンソン子爵令嬢は今回の子爵家の件で罪に問われる事はありません。あなたは被害者で保護すべき対象です。あなたが未成年の頃から無理矢理に父親の悪事を手伝わされていた事は確認出来ています」
「被害者で保護……」
全く予想もしていなかった第一声にシンシアは驚く。真っ先に思ったのは、ハリーと一緒に居てあげられる、という事だった。
『姉上は捕まる?』
とても不安そうだったハリーの顔が過る。
あの顔がこれ以上曇る事はないのだ。
「罪を償わなくてよいと?」
また、あの天使の笑顔が見れる。
じんわりと広がる安堵。
しかし、罪悪感も同時に湧きあがった。
「13才の時に一度、警邏隊に助けを求めて駆け込んでいますよね。その後連れ戻されて働かされていたのでしょう?」
「そうですが、でも、裏帳簿までつけていたのです」
湧き上がった罪悪感が膨らむ。
「対価があったとは思えません。あなたは手伝っていたのではない、使役されていたんです」
「私は子爵家の長子でした、告発すべき義務があったわ」
シンシアの声が大きくなってしまう。
脱税は5年間、密輸は1年間、行われていたのだ。身内で罪を知っていたなら当然止めるべきだった。
「すみません、つい」
「いえ、気にしていません。あなたのその気持ちは分かりますが、告発が可能な環境ではなかったでしょう。ご子息は人質のようなものだったのでは?」
ハリーの存在が持ち出されてシンシアの心臓が跳ねる。
「構えなくて大丈夫です。あなたとご子息はキリンジ侯爵家が保護することで手続きも済んでいます。後見人は私です。
今回、私は侯爵家の領地のためとはいえ、子爵家の罪を暴く目的であなたの妹に近付きました。あなたはそれを知りながらも私の行動を黙認し、裏帳簿の在処まで教えてくれた。そのご恩を返したいだけです」
そこでアランは今回子爵家を探る事になった経緯と、子爵家でシンシアを見てその境遇に気付き、シンシアについても調査した事を簡単に話した。
「お話は分かりました。昨日と今日のお心遣いには非常に感謝しております。後見も非常にありがたいのですが、」
そこでシンシアは言いよどむ。
後見と保護はありがたい。でも、罪を償う覚悟を決めていたシンシアとしては、はい、そうですか、と簡単に受けられるものでもなかった。
不本意とはいえ、シンシアはしっかりと悪事に加担していたのだ。
シンシアの事情を汲んで罪人扱いしないのは受け入れられるが、ここまでの厚遇は納得出来なかった。
だが、ハリーの後見と保護はお願いしたい。
そして、ハリーの為には自分が側に居た方がいいのも分かっている。
(この状況に納得できないのは、もはや自己満足なのかしら?)
何とも言えない気持ちでシンシアは一度話題を変えた。
「父と継母と妹はどうなりますか?」
「それなんですが……まず、お父上であるヨハンソン子爵は昨日亡くなりました」
「えっ!?」
頭が真っ白になる。
「…………」
「お父上は昨日、亡くなっておられます」
呆然とするシンシアにアランがゆっくりと繰り返す。
「どうして……」
「あなたのようなレディが聞くのはショックが大きいかもしれませんが、聞きますか?」
「聞かせてください。聞く義務があります」
父が死んだという事実はまだ頭に入ってこないが、その最期は長子として聞くべきだ。
「執務室で短剣で胸を突いておられました」
「短剣で、」
シンシアは父親の胸に刃物が刺さっている様子を想像して血の気が引いた。
手や足の先がざあっと冷たくなる。
「大丈夫ですか?すみません、言い方がむきつけでした。何か飲み物を」
「いえ、大丈夫です!」
アランが慌てて腰を浮かせたので、シンシアはそれを止めた。
「しかし」
「大丈夫です、断罪されると分かった時から父と私の命はないものだと思っていましたから」
それにしてもその死は、覚悟を決めてから訪れるものなのだと思っていた。
シンシアは震えだした両手を組んで握り、何度か深く息を吸って吐く。
「…………自死でしょうか」
あの父が自死をするのには違和感があるが、タイミング的にはそれしかないのだろう。
「はっきりとは分かりません。まだ調査中でもあります。ただ、状況からはおそらくそうかと、争った跡もありませんでした」
「そうですか」
シンシアはそっと目を閉じて父の冥福を祈る。
亡くなったと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、この5年の浅ましい笑いを浮かべる父ではなく、幼い頃、まだ屋敷に母と父とシンシアで暮らしていた時の父だった。
気弱な様子で娘のシンシアにも低い物腰で接していた父。母との仲はまだ悪くはなかった。
でも時々悔しそうな顔で母の執務室の前で佇んでもいた。当時は領地の事は母が仕切っていたのだ。
父は母に認められたかったのだろうか。
今なら、そうだったのかもと思ってしまう。
両親の結婚を母が無理矢理進めたというのは、全て父や継母から聞いた事だ。ひょっとすると言い寄ったのは母からだとしてもそれなりに惹かれ合って結婚したのかもしれない。
母は強い人だった。
シンシアに向けられていたのは、“母”としての部分だけだっただろうが、強く気高く愛もある人で、シンシアは母を愛していたしその気持ちは今も変わらない。
対する父は意思の弱い人だったように思う。
昔の父は困ったような笑みをよく浮かべていた。
異母妹のリディアはシンシアの一つ下、母がシンシアを妊娠中に父が浮気した事は明白で、誘惑に勝てない人で優柔不断でもあったのだ。
父が優柔不断で弱いだけの人なら良かったのだが、この5年、父の悪事を手伝って分かったのは、父は母に及ばないながらも、何とか領地経営が出来る程度の能力はある人だという事だった。その手腕には粗も見られたし大きな功績はなかったが、現状を保つ事は出来ていた。プライドもあったに違いない。
父と母の夫婦の関係は緩やかに拗れていったのかもしれない。
男女が逆だったなら上手くいったのだろうか。
とにかく父は家を空けるようになった。
そんな状態でも、父が母に何らかの気持ちを残していたのなら、最終的に媚薬を盛られて種馬のように扱われたのはかなり傷付き、屈辱的な事だったはずだ。
長年の想いは全て憎しみに変わっただろう。
だからと言って、ハリーへの仕打ちは到底許される事ではないが。
幼い頃の父はシンシアによそよそしかったし、その後は家にいない事が多かったので馴染みは薄い。更にこの5年の仕打ちで、父に対してはどうしても肉親の情だけでなく絶望や怒りが込み上げてしまうので、死んだと聞いてショックはあるが、嘆きはない。
嘆きはないが死んでしまった今、父に寄り添うようにいろいろ考えてしまう。全て仮定の話だし、シンシアの母への愛も変わりはしないが、父にも言い分はあったのかもしれないと思う。
母が亡くなった時のように深く激しい悲しみは感じない。込み上げる感情は同情や憐れみなのかもしれないが、シンシアは静かに父を想った。




