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1.間諜(1)


異母妹に微笑みかける、銀髪の美形。

肩の少し下まである真っ直ぐな銀髪を緩くまとめた洗練された身なりの男。


冷たいアイスブルーの瞳の涼やかな目元に輪郭は細く、顔立ちは少し中性的で美しい。

表情があまり動かないのと、所作に隙がないので、髪色と瞳の色も相まって冷たい印象を受ける。

そんな冷たい美形は、シンシアの異母妹であるリディアに愛を囁いているらしいのだが。


あれは、どう見ても間諜じゃない。


シンシアは冷たい美形、アラン・キリンジ侯爵令息をうっとりと見つめる妹に呆れた。

アランのリディアを見つめる瞳はどこまでも冷めていて、笑顔は完全に作り笑いだ。


どこが、甘い眼差しと蕩ける笑顔、よ。

そのように自慢していた妹を、心底阿呆だと思う。



最近、シンシアの暮らすヨハンソン子爵家のタウンハウスに出入りするようになった冷たい美形は、シンシアにもすぐに目に付いた。

テラスでリディアと過ごすアランを初めて見た時、明らかにリディアを愛する振りをするその様子を不審に思ってリディアに聞くと、妹はとても得意気に、夜会で知り合った恋人だ、と言った。


いやいや、あれは、恋人の振りをしている怪しい男よ?

すでにアランに骨抜きにされているらしいリディアに、それとなくアランには気を付けるように言うと、リディアは何を勘違いしたのか、シンシアがアランに横恋慕したと思ったようだ。


「あらあ、お姉様、羨ましいの?」

愛らしい外見だが意地の悪い異母妹は、ニタア、と外では絶対に見せてはならない不気味な笑みを浮かべた。

そこからリディアは、おそらく嫌がらせで逐一アランとの手紙やデートの内容、屋敷に来る予定などを話してくれるようになり、シンシアはますますアランを警戒した。


リディアによると、見目麗しいアランはキリンジ侯爵家の次男で24才。キリンジ侯爵の持つ商団では幹部として働き、大きな取引を幾つか成功させている才能溢れる青年だった。

侯爵家はアランの兄が継ぐ予定なので、未来の侯爵という訳ではないが、王太子の幼馴染みでもあり、補佐役として城へも登城しているらしく、出世は間違いない。


かたや、シンシアの異母妹のリディアはヨハンソン子爵家の次女。

外見は愛らしいが落ち着いた美しさはなく、その愛らしさは17才という若さ限定のものだ。

リディアの母は平民で長くシンシアの父の愛人だった人で、シンシアの母、前子爵夫人が亡くなってから後妻として嫁いできたので、リディアは12才までは平民として暮らしていた。


平民暮らしのせいなのか、本人の性質によるものなのか、リディアの所作やマナーにはかなり粗がある。

性格も良いとはいえない。下の者には見下した態度を取り、己を高めようという意欲は皆無だ。

ドレスや宝石は大好きだが、それらのお金がどこから払われているかには無頓着で、貴族としての矜持は一切ない。


アランが顔だけで中身のない阿呆令息ならともかく、その立ち振舞いを見るに、彼はとても阿呆とは思えない。冷たいアイスブルーの瞳は思慮に富んでいて、リディアが見せびらかしてきた手紙の文章は美しく、その筆も流麗だった。リディアが自慢する通りの男のようだ。

そんなアランがリディアに惚れる理由は見当たらない。


何よりも、アランのリディアへの目付きを見れば分かる。

あれは、恋に浮かされた目ではない。

何かを狡猾に狙っている目だ。


お父様もリディアもどうして気付かないのかしら。貴族の作り笑顔を知らないのかしら。


シンシアは途方に暮れた。


シンシアの父、ヨハンソン子爵は脱税と密輸をしているのだ。シンシアはその裏帳簿をつけさせられているので全貌を把握している。


アランの目的はその断罪だろうと考えられた。


そうなると、間違いなく父の首は飛ぶ。

おそらく、関与していて戸籍上は娘であるシンシアの首もだ。



今も昼下がりの庭の東屋で、リディアに心底冷たい目を向けるアランを見てシンシアはぶるりと震える。


お父様にお伝えした方がいいかしら……いえ、きっと無駄ね。信じる訳はないわ。それに、

シンシアは、小さなため息を吐く。


それに、いい加減、これを終わりにしたい。


脱税と密輸、どちらも大罪だ。

特に一年ほど前から父が手を出した密輸は、何やら規模が大きく、随分ときな臭い。何度も手を引いて欲しいと懇願したのだが、聞き入れてもらえなかった。


これ以上、罪が大きくなる前に、誰かに止めて欲しかった。裏帳簿をつける度に、大きくなっていく金額が恐ろしかった。


だから、よい機会かもしれない。

私も言い逃れはできないけれど。


シンシアに選択肢はなかったとはいえ、父の悪事を手伝ってきたのは事実だ。

自分にも責任はある。

あの冷たい目の男なら、しっかりと終わりにしてくれるだろう。容赦なく子爵家を取り潰して、父とシンシアを断罪するだろう。


そうなったら、せめて貴族らしく、全てを受け入れて、私は……


ぼんやりとそう考えながらシンシアは、子爵家の敷地の隅にひっそりと建つ離れの扉を開けた。この5年の間、シンシア達の家となっている離れだ。

外壁は薄汚れ、手入れのされていない草木と蔦が囲っているせいで昼も薄暗い荒んだ様子の離れだが、中はせっせと掃除をしているので、外見よりはずっとさっぱりとしていて過ごしやすくはなっている。


「あーねうえ!」

我が家に足を踏み入れると、明るく幼い声が響いてシンシアは、はっとした。


私は、今、何を、


「ハリーはどーこだ!」

動揺するシンシアには構わず声は続く。


離れは小さな玄関から直接ダイニングに繋がっている。窓を覆う蔦のせいで薄暗いそこに声は響いているが、その主は見えない。

でも、声は近い。声の主である可愛い天使はこの部屋のどこかにいるのだ。


「あれれぇ、ハリーの声はするのに、ハリーがいないなあ」

シンシアがわざと大きな声で呟くと、クスクス笑いが聞こえてくる。笑い声はダイニングにある戸棚からだ。


簡単に潜伏先を特定したシンシアはまず、わざと戸棚から離れて、「さてはカーテンね!」とカーテンをさっと捲り、「あれえ、いないわ。なら、テーブルの下ねっ!」とテーブルを覗いた後、「おかしいわねえ」と足音を大きく立てて戸棚へ近づいてやった。

戸棚の中ではもう、キャーッと悲鳴のような笑い声がしていて天使は大興奮のようだ。

「さては、」

「キャー」

「戸棚ねっ!」

ばんっと戸棚を開けると、そこには丸まったまま「キャアアアアッ」と奇声を上げる天使ハリーがいた。


戸棚に隠れていたのは、癖のあるプラチナブロンドにシンシアと揃いの深緑の瞳の父である子爵にそっくりの女の子のような可愛い男の子。

シンシアより12コ年下の6才の弟だ。


「お帰りなさい、あねうえー」

ハリーがぱっと飛び出してシンシアにしがみつく。


ああ、私はなんて事を、

ハリーを抱きしめながらシンシアはついさっき考えてしまった覚悟を深く後悔する。


この天使の為には死ぬ訳にはいかないのに。


自分が死んだら幼い弟は路頭に迷う。

そもそも、子爵家が断罪されればハリーだって、ただでは済まない。今は存在しない事になっているが、ハリーは歴とした子爵家の長男だ。そして父である子爵は絶対にシンシアとハリーを道連れにするだろう。

父は自分達を憎んでいるのだから。


でもシンシアは無力だ。笑ってしまうくらい無力だ。父の悪事に手を貸すしかなかったし、暴くことも出来なかった。

アランを止める事もシンシアには不可能だ。


断罪を待つ?

そうして、ダメ元でハリーの無事だけでも懇願する?


いいえ、何とかしてやるわ。

シンシアはハリーの頭にスリスリしながら、自分の胸に炎が灯るのを感じた。


これはチャンスかもしれない。

この緩やかな地獄から抜け出すための。





***


シンシアとハリーにとって、ヨハンソン子爵家が緩やかな地獄になったのは、今から5年前のこと、シンシアが13才、ハリーが1才の時だった。

シンシアの母である前子爵夫人が亡くなったのだ。母はハリーを産んだ後の産後の肥立ちが悪く、1年間伏したままだったのだが、そのまま亡くなった。

そうして、屋敷を空けて平民の愛人の所に入り浸っていた父が帰ってきた。愛人とシンシアより一つ年下の妹を連れて。


父であるヨハンソン子爵は婿養子だ。

シンシアの母は子爵家の一人娘で、男爵家の息子だった父に一方的に惚れて、当時の父の恋人との仲を割いてまでして父を手に入れた。母は厳しく気高い人だったが、父に関してのみ狭量だった。


父は母を恨んでいたし、母の産んだシンシアとハリーも憎んでいた。屋敷に連れてきた愛人は、若い頃に母によって引き裂かれた恋人で、妹のリディアは2人の愛の結晶。

子爵家の使用人は総入替えされ、シンシアは分かりやすく虐げられた。


離れに入れられ、食事は堅いパンと冷めたスープ。下女として働かされ、義母とリディアから蔑まれる辛い日々が始まる。途方に暮れる中、シンシアは自分の事よりも、父によって引き離されたハリーの身が何よりも心配だった。


生活が一変して1ヶ月が経った頃、シンシアは何とかしてハリーを救おうと意を決して屋敷を逃げだす。町の警邏の詰所へと駆け込み、窮状を訴えた。

しかし、誰も下女の格好のシンシアを相手にはしてくれなかった。

程なくシンシアは父に捕まる。


怒り狂った父に折檻され、シンシアはハリーの出生届が出されてない事を父に告げられた。


「あいつはいない人間だ、どうなろうと誰も何も気にしない」

ニヤニヤと父が告げる。

そうして父はハリーが、母に媚薬を盛られて無理矢理に行為をさせられた末の子供なのだと憎々しげに吐き捨てた。


ああ、ハリーは死んだのだ。

シンシアは絶望して泣いた。


そんなシンシアに父は畳みかける。

「弟が大切か?」

もちろん、大切だ。

生まれた時、シンシアは12才でハリーの小ささに驚嘆したし、一生大切にしようと誓った。初めて、シンシアの指をその小さな手できゅっと握ってきた時の感動は今も忘れていない。


シンシアが泣きながら頷くと、父は笑った。

浅ましく意地汚い笑顔。

そこに母が夢中になった儚げな美青年の面影はない。これが父の本性だったのだろうか、それとも母の押し付けた愛によって歪んだのだろうか。

シンシアは呆然と父を見た。


「シンシア、俺に協力しろ。お前は帳簿管理に領地経営の手伝いも出来るとお前の母は自慢していた。その能力を俺に使え。お前が俺に従順なら、離れにあのおぞましい息子と共に置いてやる」


シンシアは承知した。

承知するとすぐに、元気はないが怪我も病気もしていないハリーと会えて、離れで2人で暮らす事を許された。食事は最低限が用意され、ハリーが離れから出る事とシンシアが子爵家の敷地から出る事を禁じられた。


シンシアは下女を止めて、父の領地経営と脱税の手伝いをするようになる。

父の子爵は脱税をしていたのだ。

母に厳しく貴族として育てられたシンシアからすると、脱税など到底許される事ではなかったが、シンシアが逆らえば幼いハリーが酷い目に遭う。

シンシアは歯を食い縛って父の手伝いをした。



そうして5年の月日が流れたのだ。



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