森のエルフの郷 一
唐突に、一条はナイアに向かって斬り掛かる。
「邪悪な魔王め! シねぇーーーッ!!」
目で追うのがやっとの速さで突進する一条だったが、ナイアはさらに速かった。
一条が振り上げた剣はナイアが一条の腕をつかんだことで振り下ろされず、硬直状態となる。
『血の気が多すぎじゃ。これではケモノと変わらんではないか』
『戯言を!! 我らの村を襲うとは許すまじ!!』
一条は左足で回し蹴りを入れたが、ナイアは微動だにせず。
「シオリ──ッ!!」
父さんが一条さんをナイアから引き離そうとして、ナイアに向かって数本の短刀を投げ、間合いを詰める。
俺が背中の小刀に手をかけて抜刀しようとするとナイアが『良い』と俺を制止させた。
父さんが投げた短刀はナイアに届かず直前で地面に落ちる。
そして、風属性の魔法で父さんをすっ転ばせた。
『その血脈を持ってその程度か……』
ナイアはそう言って一条を父さんの傍に投げつける。
『ワシは今、争うつもりはない。そっちが戦いたいのなら別じゃがな』
圧倒的な力の差を体感させられた父さんと一条。
ふたりはその場からナイアを睨むだけで精一杯だった。
これで落ち着いたか──と、静まり始めたところ、母さんが魔力を揺らめかせながらゆっくりと父さんの方に向かって歩いてきた。
「ねえ、ロイン。あなた、何をしてるの? クウガが連れてきたお客さんに傷をつけようとして。一体、何のつもり?」
母さんはとても怒っていた。母さんは声のトーンを下げ、ゆっくりと言う。
「シオリさんもだよ。話を聞こうとしないで殺そうとするだなんて──それに、クウガにも殺気を向けていたよね?」
魔力が爆ぜた──と、その瞬間。一条が手にしていた剣が、母さんの魔法で砕け散る。
「────ッ!」
剣の柄から先がなくなった一条の剣。弾けた衝撃で痛みが走ったのか右手を左手で庇っている。
「これでもう戦えないよね? それとも、まだヤる?」
一条が母さんを睨みつけるから、母さんは右手をくるくると回しながら瞬く間に魔力を練り上げる──が、父さんが何かを言いたさそうにしていた。
父さんの弁明を聞くために、母さんは魔力の放出をいったん止める。
「俺はラナやクウガが魔王に唆されて洗脳されたと聞いたんだ。だからキミたちを取り戻したかったんだ」
父さんの言葉に母さんは呆れた顔をして、
「はんっ。私がなにかに洗脳されるわけないじゃん。クウガだって正気よ」
と言って腕を組む。
それもそうだろう。父さんは何故、息子の俺の話ではなく、一条たちの言葉を信じて行動に及んだのか。
まあ、おそらくは、ナイアが俺と一緒に転移した直後、魔力を補うためにナイアが俺の唇を奪った場面でも見て、吹聴したのかもしれない。
ともあれ、推測で物事を考えたら何だって起こせる。事実、ついさっきまで一条の殺気を浴びていたからね。
父さんたちは俺や母さんたちへの関心が薄いから、ナイアがここに来た理由を知る由もなく、一条──じゃないかもしれないけど──の話を真に受けたら危害を加えに来たと思ってしまったことも理解できなくはない。
武器を収めた父さんは落ち着きを取り戻して母さんと向き合った。
「じゃ、一体何でここに魔王が来たんだ?」
「色ボケしてるからわからないんだよ。クウガはエルフの森におつかいに行ってて倒れたニコアを助けるためにナイアと一緒に帰ってきただけだよ」
「ニコア? だって魔王とクウガだけだったじゃないか──ってまさかクウガが持ってたあの真っ黒なものが……?」
「あれ、ニコアだったの。いろいろ事情があったの。でも、ロインはクウガから話を聞こうとしなかったそうね」
父さんは俺がお姫様抱っこしてた黒ずんで何者かわからない物体よりも、異形とは言えおっぱいが大きくて半裸のナイアに目が行ってたからね。
気持ちはわかるよ。俺も初めてナイアを見たときがそうだった。
その時──小さな小屋で初めて彼女たちを見た時──はナイアだけじゃなくてリウやシビラもいて目移りしまくってるし。
とは言っても、俺の話しを全く聞かず、一条から聞いた話を鵜呑みにして、玄関口で争おうとするのはちょっと違う。
「……すまない。父親としてクウガの話は聞いておくべきだったね」
「それは当然。でも、だからこそ、ロインを唆して戦いに持ち込んだあなたは許さない」
母さんの怒りの矛先は一条に向けられた。
武器を砕かれた一条は盾を構えて母さんに備える。
「ひぃぃぃぃいいいい──ッ」
怒れる母さんに怯えて盾に隠れながら後退る一条。
母さんは眉を顰めると「クソが……」と舌打ちをして今度は一条の盾を火属性の魔法で砕いた。
「私は話が通じないモノには容赦しないタチでね──何も言えないっていうならここで処しても良いんだけど?」
こんな母さんは初めて見た──怖い……怖すぎる。
盾まで砕かれた一条は怯えた顔で母さんから逃れようと必死にもがいてる。
どうやら腰が抜けているようで逃げることができずにいた。
「ひぃいい──うあ……うわぁ………」
母さんは一条の足元にちょっとした爆発を発生させる。
──バンッ!!
たいした爆発じゃない。でも、一条にはそれで充分だったようで。
母さんの魔法でできた窪みに一条は黄色い液体を流しながら、その場で仰向けに仰け反って気絶した。
この世界には──この大陸には──前世とは価値観が異なる部分が多い。
そのひとつが社会のルールと言うべきか。身分によって違うけど、俺たち平民の間にも当然のように暗黙の了解というものが存在する。
平民の間には結婚制度というものがなく伴侶が特定の男女とは限らない。
そういった社会としての事情があるから自分の子どもに対する責任を負うべきという考え方があり、互いに互いの子どもに対する尊重が必要ともされている。
それで一条が父さんと戦ったという事実は母さんにとってとても重いものになった。
子どもの父親としての責任を果たそうとしている人間を阻害することは許してはならない──これは男親と女親が反対でも同じで。
俺が連れてきた客人に手をかけようと──一条は俺に対しても殺気をこめた刃を向けていたし。相手が魔王だから、魔王と親しいから、そんな理由で何をしても良いというのは平民の俺たちには通用しない。
だから、母さんの怒りの矛先が父さんと一条に──特に一条には〝許さない〟と言わせるほどの憤りを抱かせた。
父さんは謝り、一条は謝らなかった。この差も当然ある。それでも、殺さなかったのは母さんの温情だった。
『これはワシでも勝てるかどうか怪しいものじゃ……』
ナイアのひっそりとした小さな独り言が風に乗って俺の耳に届いた。
父さんの向こうからも「うっわ……えげつな……」という声がチラホラ。
そして、俺の後ろからは白羽が「はぁ……」とため息をつく音と、母さんの魔法を見られたことを柊が嬉しそうに燥ぐ声が聞こえていた。
しばらくして、上空からグリフォンが降りてきた。
もう魔物だからと攻撃する人間はいない──が、強烈な魔力を纏う魔物に慄くものは少なくない。
地上に下りたグリフォンからラエルに抱えられたミル皇女が降りてきて、それから、リウがトンと軽やかな音で飛び降りてきた。
『速かったな』
『追い風で思ったよりも速く着いた。それにエルフの森からここは真南にあって思った以上に近い』
ナイアが褐色の肌のエルフ──リウに話しかけると、リウはグリフォンの首を撫でながら言葉を返す。
ラエルに抱えられていたミル皇女はラエルから離れて俺に寄りかかってきた。
「ニコアのことありがとう」
俺の耳元で囁くようにミル皇女は言う。
「もう大丈夫だそうですが回復まで少し日数を要するそうです」
「嗚呼、良かった……」
ミル皇女は安堵した声音を俺に聞かせてそのまま気を失った。
『このお姫様はグリフォンで空を飛ぶのが苦手だったようで、もう限界だったそうだよ。私も初めてだったけどね』
ラエルはグリフォンでの空の旅を楽しんだようで──でも、ミル皇女はとても苦手だったらしい。
「お姉様」
「ミル姉様」
俺とミル皇女に駆け寄ってきたメル皇女とニム皇女。
彼女たちは二年近くも会っていなかったから募る話もあっただろう。でも、ミル皇女は限界だ。
「ミル皇女殿下がお休みできる部屋にお連れいたします」
ミル皇女を抱き直してお姫様抱っこすると、
「では私はお姉様がお休みする準備をしましょう」
「私もミル姉様のお召し物を用意します」
と、メル皇女とニム皇女は揃って先に家に入っていった。
『では、ワシも少し休ませてもらいたい』
ナイアは俺とニコアを転移させたときの消耗が激しく疲労が色濃く、表情が優れないよう。
彼女の希望もあり、俺の部屋で休ませることとなった。
翌朝──。
気怠い身体を起こそうとするといつものようにリルムが俺に巻き付いていた。
昨夜は遅かったし、そのときはまだリルムは居なかったのに……いったいいつここに来たんだろう。
そんなことを考えながらリルムを起こさないように、そっと手足を退かして起き上がった。
何故か朝食の準備をせず、お茶を淹れることすらせずに俺はグリフォンに乗らされた。
四人乗りのグリフォン。俺の後ろに舵をとるリウ。右には母さん。前にはミル皇女。
ミル皇女はガクガクブルブルと震えていてグリフォンの飛行による最高高度に達するころには気絶して顔がこっちを向いていた。
「とっても良い景色! 空を飛ぶって気持ちが良いね」
と、燥ぐのは母さん。
リルムとクレイを置いていくことが憚られていたけどメル皇女とニム皇女が「リルムちゃんとクレイくんのことは任せて」と母さんを送り出した。
「ベレグレン大街道って湿地帯をぐるっと回ってるんだ……」
右手にはベレグレン大街道が見えていて上空からでもその道幅の広さを実感できる。
丘陵続きのベレグレン大街道とその左──西側は広い森林と大小の山があって、それと広い沼地や湿地が広がっていた。
ナイアはグリフォンの横を飛んでいて──飛翔魔法というらしいけど、仕組みや魔力の使い方は何となく分かっても、その真似は出来なさそうだ。グリフォンも魔法で飛んでいるらしいけど、真似をするならこっちかな。
空の旅は二時間弱。再びエルフの森に到着した。
既にナイアは待っていて、俺は尊きお方の涎にまみれた顔を拭ってからミル皇女を抱えてグリフォンを下りる。
風向きの所為なのか母さんは綺麗なままなのが羨ましい。
『全員、揃ったの。では、参ろう。クウガたちは良いか?』
ナイアはひとりひとりに目を配って確認した。
『私は何もせずとも郷に入れるが、伝承が本当なら、そのアンクレットがあれば入り口が開き、全員で森に入ることができるだろう』
リウの言葉を母さんに伝える。俺はお姫様を抱っこしてるので両手が塞がっているから、アンクレットを母さんに使ってもらうことにした。
母さんは俺の胸ポケットからアンクレットを取り出して、手に取ったアンクレットに魔力を込める。
すると空間が裂けて道が現れた。
「凄いね。こんなことってあるの……?」
目の前の光景に母さんは驚きを隠せないよう。俺は狐人族の村で似たようなものを見てるから驚きはしなかったけど、不思議な感覚があった。
『森のエルフはワシですら拒むからな……こうして労せず足を踏み入れられる魔道具を持つという意味は非常に重いのう』
現れた空間の裂け目の境界を跨ぎ、森のエルフの郷に足を踏み入れる。
特に何か変わったところは何もなく。ただ、森の道を進んだだけのように思えた。
後ろを振り返っても、空間の裂け目のようなものは存在していないし、景色も今まで歩いてきた道と変わらない。
狐人族の郷に入ったときと全く同じよう。
『魔道具で入り口を隠してるだけなのか』
『そうだよ。クウガは狐人族の村に行ったことあるって聞いたけど、そこと同じだよ』
俺の独り言にリウが反応して言葉を返した。
リウの先導で森の奥へと進む。
小一時間ほど歩くと小さく開けた場所に着いた。
一本の大木を中心に背の低い木々が茂り、その木々の隙間の高い場所に家が見える。
空は狭いのに不自然に太陽光が入り込んで優しい光で集落を照らしていた。
『ここが森のエルフの郷だよ』
リウがエルフ語で言う。
更に集落の入り口と思しき場所に着くと、ぞろぞろとエルフが家から出て地上に降りてきた。
道を塞ぐように俺たちの前に立ちはだかるエルフたち。
その中から一人、人間で言う壮年くらいの年齢に見える長身のエルフが前に出てきた。
そして、アンクレットを手に持つ母さんに優しい視線を向ける。
『ようこそ。そして、おかえりなさい。我らが娘、スクルドの末裔よ』
エルフの言葉がわからない母さんは何を言われてるのか理解できず目を丸くしていた。
母さんに、彼の言葉を伝えたら、
「ならクウガもそうでしょ? でも、娘ってどういうこと?」
と、母さんは反応。
『エルフの子は誰の子であろうと等しく我が子のようなものなんだよ。子が少ないからね』
リウが教えてくれた。俺がリウに伝えた母さんの言葉は彼にも聞こえていたようで、俺が母さんの息子と知り、俺にも生温かい視線を送る。
『久しいなガネル殿。息災で何よりじゃ』
『ナイア様もそのお美しい姿はお変わりなく、相見えて光栄に存じます』
リウがエルフのことについて少し話している間、ナイアとエルフの男性と知り合いのようでいくつかの言葉を交わしていた。
それから、男性が今度は俺に向かって話しかける。
『私はガネル。この郷の長老を務める者です。さあ、奥へ案内しましょう』
背の高いガネルを先頭に、郷の奥──郷の中央の大木の近傍に連れて行かれた。
道を塞いでいたエルフたちは、俺たちを囲んで大木付近の広場までついてきている。
『では、ここで──』
ガネルが立ち止まったその先には、母さんとそっくりな姿のエルフの女性がにこやかに母さんと俺を待っているようだった。




