エルフの森 二
声の方向をたどり、急ぎ足で木々の間をくぐり抜ける。
すると、大きな羽根を持つ獣と一人の少女を囲う人の姿が見えた。
『ナイア様!』
一番最初に目に飛び込んだのは、全裸じゃないかと見間違える半裸姿で悪魔のような容姿を持つ魔王。
『お! クウガではないか! 久しいな。それとララノアの従者か』
ラエルはナイアの言葉を聞いてその場で跪く。
『はっ。ラエルにございます』
ナイアとラエルは顔見知りだけど、ラエルの名は知らないようだった。
それから、褐色の肌のエルフ──リウの姿。
『嗚呼、クウガ。大きくなったね。でも、今はそれどころじゃないんだ』
彼女も身体の線を強調する艶めかしい装い。メリハリのあるプロポーションの良さが相乗して、多感の若者の心への刺激が強い。
そんなリウの全身を舐めるように上から下へ視線を移すと、彼女の足元でミル皇女がニコアを介抱していた。
「ミル皇女殿下。ニコア……」
俺は思わずニコアの傍に近寄ると、ミル皇女が俺の顔を見て言う。
「クウガ……久し振りと言いたいけど、それどころじゃないの。ニコアが……ニコアが──」
今にも泣きそうな顔のミル皇女。ニコアをよく見ると左足が酷く黒ずんで、そこからツタのように身体を蝕む黒い茨が体中を這っているように見えた。
『どうやらこの装飾具は魔道具のようで、ある条件で発動し、ニコアに呪いをかけてしまったようじゃ』
ナイアがニコアを見下ろしている。
ニコアはただ、痛そうに呻いているだけで言葉らしい言葉は全く発しない。
それにしても呪いって……と、良く見てみたら、ニコアの足に巻き付いているのは、領民学校の最後──セルム湖畔での野営実習でニコアと拾った母さんのアンクレットだった。
あれ以来、そのアンクレットを見てないと思っていたら、足に付けて隠していたのか。
『このアンクレットが原因みたいだけど……』
アンクレットからは異質な魔力を感じる。どことなく俺がおまもりにつけている護符と似てるけど微妙に違う。
『思い当たるフシはあるんじゃが、呪いとして発動してしまってはワシには何もできんし、これでは森のエルフの郷に入ることができないじゃろう』
『どうにかならないんですか?』
『あるとすればある……じゃが──』
ナイアはそこまで言って俺の顔を見ると一呼吸を置く。
『──ここで殺すか、それとも、聖女の恩恵を持つ者に解呪を頼むしかない』
聖女──ということは結凪が解呪できるということか。
『聖女と言えばユイナ・シラハという異世界人の女性が聖女の恩恵を持っていると聞いてるけど……』
俺がそう返したら、ラエルが何か言いたそうにしていた。
きっと俺が言ったことを言いたかったのだろう。でも、彼女はナイアを前に顔を伏せていて意見を口にするのが憚られる様子。
『クウガよ。その聖女で良いのじゃ。ミルに伝えておくれ。ニコアは助かる──と』
ナイアの言葉に従い、俺はニコアが助かるかもしれないとミル皇女に伝える。
その横でナイアはリウとラエルに、
『リウとラエルはミルと一緒にグリフォンで来るが良い。場所はラエルが知っておるじゃろう?』
と、指示を送っていた。
「ニコアは助かるのね?」
「はい。ナイア様が助かると言ってくれてます」
「ならば、信じましょう。クウガ、ニコアのことお願いできるかしら?」
ニコアを抱き上げてお姫様抱っこする。彼女の身体はドス黒く変色し始めていて一刻の猶予を争いそうな状態に見えた。
彼女の身体もとても熱い。目は虚ろで息は荒い。何かを言いたそうに口を動かしているけど声にならないよう。
『クウガ、グリフォンに乗るようにとミルに言ってくれ』
ナイアから指示を受けて俺はミル皇女に
「ミル皇女はグリフォンに乗ってくださいということらしいです。場所はラエルさんが知ってるので大丈夫だと思います。言葉が分からなくて辛いかもしれませんがご容赦ください」
ニコアを抱えたまま、ミル皇女にそう伝えた。
「わかったわ。ナイア様がグリフォンに乗るように仰ったのね」
ミル皇女はそう言ってラエルに続いてグリフォンの背中に昇る。
グリフォンの操縦はリウがするようだ。
リウが手綱のようなものを握るとグリフォンは翼を羽ばたかせて上空に浮上した。
『では、ワシらも行くぞ。この移動方法は他人に使わせると魔力の消費量がえげつないんじゃ。あとで対価は戴くからな。さあ、ワシの手に行く先を念じるのじゃ』
ナイアは俺に向かってそう言うと、俺の肩に左手を置き、右手を何もない空間に向かって掲げる。
彼女の言葉に従い、俺はガラン=アドゥナの入口を脳裏に描く。
周辺の景色やファルタ川を望む風景を思い浮かべると、ナイアが
『んむ。この辺じゃな』
と、小さく口にすると、かざした手の先に黒い渦が現れた。
『ワシから離れるなよ』
ナイアはそう言って俺の背中を黒い渦に押し込んだ。
離れた空間をつなぐ魔法──のようだけど、真似ができそうにない。どうやらナイア固有の技能らしい。
そして、俺から接続先を割り出してふたりの異物を一緒に運ぶというのも相当な魔力を要するよう。
ナイアの表情から生気が少し失われていた。
『凄い……こんなに簡単に一瞬で移動できるなんて……』
目の前の景色はガラン=アドゥナの入口。
『簡単ではないぞ。クウガの念を使うのだけでも相当の魔力を使うんじゃ。それにワシだけならたいしたことなかったんじゃが……さすがに今回はちと厳しい』
ナイアは俺の肩にふたたび手をかけて俺を引き寄せると『口を貸せ』と言って顔を寄せてきた。
長い口吻のあと、ナイアは言う。
『クウガは随分と成長したようじゃな。これほどまで底が知れない魔力を持っておるとは──じゃが、これだけでは足りぬわ』
魔力を吸われる感覚はあった。
アルダート・リリーが俺の夢に現れて精を奪っていくような感覚に近いかもしれない。
『さあ、聖女のもとへ案内するのじゃ』
表情に少し生気が戻ったナイアはニコアを慮って結凪の元へ連れて行けと急かした。
ニコアを抱いてナイアと集落に入ると父さんたちに出会す。
「クウガはエルフの森に行ったって聞いてたけど、もう帰ってきたのかい?」
父さんは俺を見るなりそう言って、俺の斜め後ろにいるナイアに目線が吸い寄せられていた。
うん。わかりやすい。俺もきっと父さんの立ち位置なら間違いなくナイアに目が引き寄せられるだろう。
「エルフの森には行ったけど入る前にこの子が倒れているところを見つけてしまって、ナイア様にここまで連れてきてもらったんだよ」
そう言っても後ろにいるのは魔王ナイア。
彼女の姿を知っているものが当然居る。
「魔王! 貴様、死んでなかったのか!!」
大きな声を張り上げて腰に下げる剣を抜く一条栞里。
一条は殺意を剥き出しにして父さんの前に出てきた。
そんな黒髪の異世界人に俺は腹立たしい思いがふつふつと湧き上がる。
──この人たちはどうして自分たちの都合でしか物事を考えないんだ!!
ニコアが一刻を争う事態だと言うのに、一条は明らかに危うい状態のニコアの姿を一瞥もしない。
「やめてください! 急いでるんです!!」
殺意には殺意で返す。これ以上迫ってくるようなら魔法で──。
すると、一条はビクビクと震えて、みるみるうちに顔が青褪めた。
父さんの後ろにいる異世界人の女性たちはその場でへたり込んで尻もちをつき、ララノアとアルニアはナイアに向かって跪いて頭を下げる。
俺は家に急ぐと、ナイアは父さんとララノアをちらっと姿を見てからついてきた。
「ただいま」
家に帰り、リビングに入るとスイレンとレイナの姿が見えた。
「クウガくん!?」
「クウガさん!!」
一昨日に出たばかりで帰ってきたから驚いた様子。
「クウガくん。それって、ニコア? ニコアだよね? どうしたの?」
ニコアは体中に黒い茨のような模様が蝕んでいて肌の色も黒ずみ元の姿がわからないほど──だけど、レイナはそれがニコアだと気が付いた。
「説明は後でします。あの──ユイナ様は……聖女様はどこに?」
「私、知ってます! ユイナ様を急いで連れてきますね」
スイレンはニコアの様子から尋常でない状況だと察して走って家を出て行き、レイナは自分の部屋からシーツを持ってきて三人掛けのソファーにかけると
「ニコアをここに寝かせて」
と、ニコアを寝かせて落ち着かせるように俺に言う。
「ありがとう。レイナさん」
ニコアをソファーに横たわらせて、改めてニコアの全身を見て確認。
左足に巻き付いたアンクレット付近が真っ黒で、ニコアのこの状況は明らかにアンクレットが原因にしか思えない。
ニコアを寝かせてまもなく、スイレンが息を切らせて帰ってきた。
「クウガさん! ユイナ様を連れてきました」
スイレンに続いて、結凪だけでなく母さんやリルム、メル皇女とニム皇女、柊までいる。
ナイアの姿に気が付いた結凪と柊は一瞬、驚いたようだったが、ふたりはそれよりも目の前で苦しんでいるニコアに目を向けた。
「クウガくん。この子は?」
結凪が訊くとレイナが「この子は私の姪でニコア。たった今、クウガくんが連れてきたのよ」と答える。
母さんはニコアの足に気が付いたようで、
「クウガ、そのアンクレットって私の?」
と、アンクレットに顔を近付けて確認していた。
「野外実習の日にニコアと一緒に探して見つけてさ。ああいうことがあったからきっと返しそびれたんだと思うけど……」
俺と母さんがアンクレットについて話していたら、スイレンが気になったようでアンクレットを鑑定を使い、アンクレットとニコアについて気が付いたよう。
「どうやらこのアンクレットの呪いのようですが、アンクレットそのものは単なる魔道具で森のエルフの……スクルドさんという方に連なる血族であれば正しく発動するそうです。血縁がないから呪いとして発動したみたいです」
「解呪したらどうなるかわかる?」
結凪がニコアの左足に手を触れながら、スイレンの言葉に質問。
スイレンはおずおずと結凪に
「解呪で解けるのは呪いだけで、発動中の呪いは継続するようです。あ……あの、きっと──」
と、答えを返したが、何かを伝えようとして言葉を詰まらせた。
言おうか言うまいか悩んでいるよう。それでも、一刻を争う状況だから意を決して言葉にする。
「ラナさんとクウガさん、リルムさん、クレイくんが触れたら呪いは停止します。なので、ラナさんたちの誰かがアンクレットに触れて魔力を流しながら結凪様が解呪されるとこのお方の呪いは解けます」
「わかった。ありがとう。クウガくん。頼める?」
スイレンの鑑定はこういうことにも使えるのか。良い恩恵だ。
結凪はスイレンの言葉を聞き入れて俺に手伝いを頼んできた。
俺の後ろでは母さんがスイレンと何やら話し始めていたけど、結凪が解呪のために魔力を高め神力へと昇華する。
俺はニコアの左足首をきつく締め付けているアンクレットに触れて魔力を流し込む。
──何だか耳がムズムズしてきた。
というのはさておいて、黒く染まったアンクレットは白金の輝きを取り戻し、きつく締め付けていた状態から緩み、ニコアの足首から取り外すことができた。
続いて、結凪の解呪が施されて茨模様は呪力を失ったように見える。
「呪いは解かれたようです。お体が戻るには時間を要しますが、休んでいれば治ります」
スイレンは鑑定した結果を言葉にした。
俺はニコアから取り外したアンクレットを母さんに手渡すと、
「このアンクレットは私が孤児院に預けられたときに一緒に手渡されたものなの。記憶が朧気であまり良く覚えてないけど。それが私のお母さんらしくて、いつか迎えに来てくれるんじゃないかって夢に見てたんだ。でも、そうはならなくて、私が三人の子どもお母さんになっちゃったけどさ」
と、言って俺にアンクレットを返して言葉を続ける。
「これはクウガが持ってて。きっと、私のお母さんはこのアンクレットが私の子どもに、更にその子の子どもにって、受け継がれるのを期待したんだろうなーって、そう思うんだ」
つまり、俺の子どもを作れということか?
こんなときになんてことを言うんだろう。それに俺にはまだ早い。
母さんは何故かレイナのほうを見て、レイナは俺と母さんから目を逸らした。
その目線のやり取りに一体何の意味があるんだろう。
「そういうことならまだ早いよ」
母さんにアンクレットを返そうとしたら、スイレンが言葉を挟む。
「そのアンクレットがないと森のエルフの郷に入れないみたいなので、また行かれるようでしたら持っていたほうが良いと思います」
スイレンの鑑定は何をしたら良いのかも教えてくれるよう。
森のエルフのお茶を手に入れるには森のエルフの郷に入る必要がある。そのための魔道具が──このアンクレットなのだろう。
母さんは俺の手をとってアンクレットを握らせるところを見ていたナイアは俺と母さんに言う。
『そのうちリウがここに来るじゃろう。ワシらも森のエルフに用がある故、そこのスクルドの末裔の娘とクウガのふたり。ワシらと来るが良かろう』
リウはミル皇女とラエルをグリフォンに乗せてここに向かってるところ。
数時間後には彼女たちがここに到着するはず。
グリフォンを待つために家の外に出ると、父さんと一条が武器を手にして俺たちを待ち受けていた。




