山のエルフの里
山のエルフの長老──アラノロンはマソルよりも背は低いものの長身の美丈夫。
長い耳とダークエルフとまではないものの、日に焼けた褐色の肌が特徴的だった。
城丸は跪いて頭を下げたまま。
『ワシらにはニンゲンの作法は不要じゃての。そこの円座に座れ』
アラノロンの声で城丸はアラノロンの真正面にある円座に移動して座った。
『ショータとか言ったの。なぜ、この地に足を踏み入れたか説明してくれないじゃろうか?』
城丸が円座に座るのをアラノロンは待ってから質問をする。
穏やかに微笑んでいるが、その奥底には苛烈さが感じられた。
二十万人近い難民だけに、万にも満たない山のエルフの地を荒らしに来たのではないかと警戒を強めているようにも城丸は思う。
『私たちはコレオ帝国から逃れて魔王城を目指している難民でございます。この場所にこのようなヒトが住む里があるとは知らずに通り過ぎようとしていました』
『通り過ぎるだけかのぉ? ニンゲンが魔王城に攻めたとき、黒い髪のニンゲンを中心とする帝国軍が民間人に対して暴虐非道の限りを尽くして多くの命が犠牲になったと聞いておる』
数年前に、勇者・如月勇太を旗印に魔王城へ攻め込んだ時のことをアラノロンは知っていた。
異世界人を中心にコレオ帝国の騎士たちは魔都では目についた魔族や獣人を下等生物と罵り、殺害し、或いは、犯し、強奪し、蹂躙の限りを尽くしている。
そうした悪辣非道な行いに及んだニンゲンをエルフが警戒しないはずがない。ましてやそのニンゲンが二十万人といるのだから。
魔族領は弱肉強食。強者が正義とされるが、それが通じぬ種族も存在する。山のエルフ、森のエルフ、そして、ドワーフなど。
城丸は初めて会話する異種族に内心、ヒヤヒヤする想いである。ここで殺されてもおかしくない。とはいえ、最初から命をかけたリスクがこの針路には存在している。
──俺の命一つで皆が救われるなら喜んで差し出そう。
そう覚悟を決めたら自然と緊張の糸が解れた。
『私たちは基本的に非戦闘民で構成された難民です。一部、冒険者やカゼミール領兵などの戦闘行為ができるものもおりますが、それほど多くはありません。私たちはただ、魔王城を目指して山間のルートを使い、時に翼竜や地竜などを狩って飢えを凌いできました。私たちはこの里の人々に如何なる危害を加えないことを約束いたしましょう。どうか通行の許可をいただけないでしょうか?』
城丸は円座に正座し、深々と頭を下げる。
難民の多くは戦う術を持たない一般人。少なからず武器を持つ冒険者もいるのだが。
それにカゼミール領兵や合流した貴族の兵士たちなどある程度揃っているが難民の世話で手が回らず。
この難民の冒険者や兵士は今を生きることだけで精一杯で他のことをする余裕がない。そして、この難民たちではエルフのように強力な魔法を駆使するような種族に太刀打ちができない。
最初から安全に通行するには何もしない以外の選択肢がなかった。
『通るのは良いじゃろう。だが、ただで──とは言わぬ。貴様らは食糧があるだろう? その三分の一を我らに融通するならば考えようではないか。さすれば我ら一同、ニンゲンの通行を快く受け入れられるというもの。どうじゃ?』
アラノロンは城丸に食糧を要求した。
三分の一というのはとてつもない量だ。それを寄越せというのだ。
この里から魔王城が見えるとは言え、山を一つ越えた霞む先でとてつもなく遠くに思える。
ここで食糧を手放して、どこで調達できるのか。
『三分の一は我々では──』
『ふぉっふぉっふぉ。ならばこの話はなかったことになるが良いじゃろうか? 何も無茶を強いておるわけじゃない。この里を北東に進めば海岸じゃ。お主らが目指す魔王城は海岸伝いに西に行けば、パンデモネイオスの東門につく。このまま山道を進むよりずっと早く着くしニンゲンが食べるような食糧の調達も容易じゃろうて』
そうは言っても、三分の一の食糧を手放すのはかなり厳しい。
残りの旅程がどれほどかもわからない。
城丸は答えに困り、言い淀む。言葉を発せずにいるとアラノロンが言葉を続けた。
『ワシらはこういう生活をしてるでのぅ。自給自足は出来ておるが種類が少なくいつも同じ食べ物ばかりじゃ。同じ食生活を何百年と繰り返してるからすっかり飽きてしまってのぉ。それに、ここから先の吊り橋を渡ってしまえば一旦東に進んで山を下りるとパンデモネイオスはワシらの足で一月半ほど。魔王城が見えるからと西の山を越えようとすると三ヶ月以上かかるのじゃ。大勢ならもっとかかるじゃろう?』
アラノロンから具体的な数字が出てきて、城丸は考える。
さきほど、一時間半ほど歩いたが、山エルフの歩く速度は城丸より少し早い程度。それから残り一ヶ月半という期間から二十万人弱の移動速度を比較。
──あとニヶ月と少しでパンデモネイオスに入れるのか……。
先が見えない旅だったから食糧の確保は最優先事項だったが、終わりがわかるなら少し余裕があれば問題ない。
三分の一と言わず半分でも処分できればもう少し進行速度が早くなるかもしれない。
難所はおそらく吊り橋だろう。重量に制限があるだろうから重い食糧を分散して持ち歩く必要がある。
城丸は考えをまとめた。
『わかりました。私たちが旅のすがら調達した翼竜と地竜の肉と素材を半分ほどお譲りさせていただきましょう。それでよろしいでしょうか?』
『そんなにいただいて良いのじゃろうか? 食べ物が足りなくなったりせんか?』
『はい。問題有りません』
『ならば良かろう。ワシら山の民はニンゲンの通行を許可しよう。今日のところは安全なところで休むが良い。明日の朝にワシのところに来い。使いを寄越そう』
山のエルフとの交渉がまとまり、城丸は解放。
ふたりのエルフの男に挟まれてマソルの先導で城丸は難民の列に戻った。
翌日、山のエルフの里から使者が来て譲渡する食糧などをまとめる作業が始まる。
さすがに一日ではまとまらないことから難民は山のエルフの里の近くに一時的なキャンプを敷いた。
食糧の引き渡しに数日がかかり、ようやっと出発というころ。
アラノロンはマソルと数人のエルフをつれて城丸と会話をしていた。
『では、私たちはアラノロン様に教わったルートで魔王城を目指そうと思います』
『長い事引き止めて済まなかったのぉ』
『いいえ。私たちもこれだけの人数ですから安全に進めるだけで助かります』
『そうじゃ。ショータには大量の食糧を融通してもらったのでな。こちらからも少しばかりお返しをと思って用意させていただいたものがあるのじゃ』
アラノロンは後ろを向いて合図を送ると、後ろから牛のような動物が手綱に引かれて前に出る。
『コルディラ・ヤクを用意した。翼竜や地竜と比べたら釣り合わないかもしれないが荷運びにも使えるでの』
山のエルフたちは十頭ほどのヤクをニンゲンの難民に提供。翼竜や地竜の肉や素材が想定より多かったため、もともと食肉にする予定だったヤクを供与。
翼竜などを多めに差し出したおかげで、これまでの旅程で馬や牛を食糧として消費して荷物は難民が手ずから運んでいたため、荷物を運べるヤクはありがたい。
城丸は山のエルフたちに頭を下げて感謝した。
『ありがとうございます。これまで荷物を運べる牛や馬がいなかったのでとても助かります』
『それは何よりじゃ。こんなにもらって何も返さないのは流石に気が引けてのぉ。しかし、難民というのは大変そうじゃな』
『なにせこの規模ですから、最初の頃は本当に苦労しました。それこそ荷物を運んだり乗るための馬や牛を消費せざるを得ませんでした』
ヤクを受け取った城丸はカゼミール領兵にヤクを預けて、可能な限り荷物をヤクに背負わせるよう指示をする。
それから城丸はエルフたちに一礼をして、里を出発した。
山のエルフの長老・アラノロンが言っていたように、里を出発してから数週間ほど進むと細長い吊り橋が見えてきた。
深い渓谷を横切る吊り橋。
「この吊り橋は……怖いな」
百メートル以上はあろうかという長く細い吊り橋を目にして思わず声が漏れ出る城丸。
背が高い主塔と横風に煽られないように橋を支える太いロープ以外にもいくつものロープが伸びていた。
それでも、二十万人の難民とヤクを渡すには、あまりに心許ない。
「安全に渡るとなると重量や強度を確認しながらじゃないと難しそうだ。場合によっては改修や補強も必要か……」
城丸のつぶやきを聞いていたクレフ・イル・ポプラが続く。
「職人を探して頼んでみるか──」
「でしたら、私が探してきましょうか」
城丸の近くにいたソニアが言葉を挟む。彼女は妻の妹で嫁に出ずに幼い頃に読んだ爆炎の魔法少女の物語に憧れて冒険者を志して家を出た女傑。
ここまでの長い旅でも冒険者として名を馳せる彼女は大活躍だった。
「ソニア様。とても助かります」
「これも私たちが生き延びるためですから、皆が手を取り合って進むしかありません」
ソニアは「いってまいります」と言葉を残して最前列の城丸たちから離れて難民の列の後方に向かう。
何人かの冒険者を見繕って職人を募るために。
深い渓谷を横切る長い吊り橋を二十万人弱の難民が渡り切ったのはそれから一ヵ月ほど過ぎてからだった。
ソニアが集めた職人たちと城丸は難民が吊り橋を渡るまで留まり、最後に橋を渡ると再び難民の列の先頭に戻る。
そして、さらに数週間後。
「海だ……」
山を越え、開けた先に見えた景色は壮観だった。
海の先には薄っすらと陸地が見えていて、左手には海岸が続く。海岸の先には魔王城と魔都パンデモネイオスの姿が陽炎のように揺らめいていた。
「あれが魔王城──」
山のエルフの里に至る山道で見た小さな魔王城の姿ではなく、初めて見るものがほとんどであろう雄大な海と、地平線上に浮かぶように見える黒く輝く魔都パンデモネイオスと剛健な巨城の姿。初めて見る者がほとんど。
難民たちは口々に、帝国では見られない景色に感嘆の声を漏らす。
これまで重苦しい足取りの旅だった難民たちは北に眺める海と、西に見える魔王城に、希望が見えて明るさを取り戻し始めた。
会話の声が大きくなり、笑顔が見える。
──あと、もう少し……。
心が軽くなると足取りも軽くなった。疲労の色が濃かった面々も、目的地が見えれば高ぶる気持ちで急かされるよう。
数日後には魔都の東門付近に到着し、そこに一時キャンプを作成した。カゼミール領の領都で冒険者組合の受付嬢だった平民のフィオナに冒険者の取り纏めを頼み、指揮に当たらせた。そうして難民の管理をすることに。城丸を始めとしたカゼミール家やポプラ家などの貴族とその家族たちは魔都に入ることを許され、魔王城に急ごしらえで作られた謁見の間に通される。
「ブラント・イル・カゼミールから伺っております。ここまで民を率いて参られて本当に大変でございましたでしょう。心より深く感謝いたします」
「ミル皇女殿下のお褒めに与り、恐悦至極に存じます」
城丸は深々と頭を下げた。
『ほぉ。ただの〝執事〟がこれほどのスキルを有しておるのか。やはり異世界召喚というのはただならない魔法じゃな』
玉座のほうから聞こえるミル皇女のものとは違う声、異なる言語。
城丸はさらに頭を深く下げることにした。
「彼女は魔王ナイア。今回の戦では協力関係にございます」
ミル皇女はそう言って立ち上がり、眼下で頭を下げる貴族たちに「面を上げなさい」と声をかける。
「来てそうそうで申し訳ないけれど、難民の身分や職の構成を確認させていただけるかしら? 難民からも協力者を集めさせていただきたいの。今後のことも相談させていただくわ」
城丸はミル皇女の先導で謁見の間からスティギア評議室という会議をするための部屋──スティギア評議室に移動。
評議室に入るとブラントが会議の準備をしていた。
「ブラント様。遅くなりまして大変恐縮です。ただいま戻りました」
「よく戻ってきた。無事で何よりだ。妻と再会できたことも感謝する」
ブラントは城丸の手を握って抱き寄せた。背中をとんとんと叩いて無事を労う。
「世話をかけたな。去年よりずいぶんとたくましい体つきになった」
「とても過酷な旅でしたが、何とか領民をここまで連れてくることができました」
「だが、カゼミールに残った領民もいただろう? あちらの戦況はあまり良いとは言えないが、辛うじて我が領としての体を保っている。全て領民と領兵のおかげだ。そうしてくれたのは紛れもなく城丸の手柄である」
「閣下にお褒めいただき嬉しく思いますが、褒めすぎです」
「いいや、これでも褒めたりないくらいだ。この戦が終わればショータは叙爵されることだろう。そうなれば我が国に根を下ろせるだろう」
「ありがとうございます」
ブラントと城丸は言葉を交わし、体を離すと、視界にかつての級友の姿が目に入る。
「城丸! 久しぶりだな」
城丸が声を発するよりも早く彼は話しかけた。
「時庭か! 久しぶりだね」
互いに手を差し出し、肩を軽く叩き合う。
「すぐに分かったよ。お前、変わらないな」
「十何年振り? 時庭も変わってないよ」
時庭と城丸は城丸がカゼミール家に引き取られてから顔を合わせたことがない。
時庭は城丸が帝城を出てからすぐに城を出たし、それからは平民として生活をしていた。
だから交錯する機会が全くないまま今日の再会を迎えている。
「募る話はあるけど、それはあとにしよう」
城丸は冷静を取り戻して時庭から離れ、席についた。




