プロローグ
異世界人の勇者、如月勇太がコレオ帝国の皇帝の座について数年。
コレオ帝国は疲弊しつつあった。
帝都コレッタは数年前まで人口百万にも届かんとするほどの大都市だったが、現在はその半分以下。
帝国は平民に対し重税を課し、さらには、働き手を徴兵するといったことを繰り返したため、裕福な平民は帝国に見切りをつけて隣国へと逃げた。
逃げることができない者たちは徴兵に応じるしかなく、残された家族は重い税が負担となり、スラム街へと追いやられ、帝都の治安は悪化する一方。
そのスラム街で、少年と少女──ジンとジーナが昨今、平民の間で広まるコレオ帝国から逃れる方法について悩んでいた。
「お兄ちゃん……帝都を出たらご飯が食べられるって本当なの?」
「うん。本当みたい……でも……」
ジンとジーナは帝都の北側の城壁の外で生活をしている。
金がなく食料を買えないため、帝都を出た貴族が捨てた愛玩動物や家ネズミなどを捕らえて日々の食事にしているほど生活は困窮。
コレオ帝国で生きる術がない子どもたちは、隣国に逃げることができれば飢えとは無縁の生活を営めるという話を聞き、藁にも縋る思いで帝都からの脱出を、帝国からの出国を模索する。
「お金がいるみたいなんだ。それで、これを入手したから行けるかもしれないって──」
そう言って懐に大事にしまっていた装飾品──鮮やかな赤いブローチをジンはジーナに見せた。
「わ、綺麗……」
「だろ? これ、きっといい値段がつくはずなんだ。国境でこれを渡せば行かせてもらえるかもしれないってね」
「お金になるの?」
「たぶん……お貴族様が落としていったのを拾ったからさ。金になるはず」
ジンは大事そうに赤いブローチを皮の袋にしまい込んで懐に隠す。
このブローチは貴族の女性が帝都から出るときに落としたもの。
それをジンが拾った。
「でもそれって、お金にできるの?」
「帝都じゃ危ないみたいだし、お貴族様はみんな北に行くから俺たちは南に逃げるんだよ」
「南──って遠いんでしょ?」
「みんなが言うには一か月くらい歩くって聞いたよ。関所には兵士がいるかもしれないけどお金や宝石を渡したら通してくれるって」
「本当に?」
「うん。本当らしいよ」
帝都では貴族の離反が続出。最小限の財産と大量の食糧を持ち出して帝都から逃げるように出奔。
それは城壁を守る門番も同じで、いつからか、空き家となった貴族の家に盗みに入るために通してもらい、その見返りに金品を渡すといったことが蔓延っていた。
ロマリー公爵家の配下の憲兵に見つかれば命はないが、帝国を出て生き延びるためという必要性に駆られ、平民は命をかけて空き巣を図る──といっても、残された金品は盗まれても良いと貴族が置いていったもので直接的な被害者はいない。
そんなわけで、ジンは貴族が落とした金品を拾ったから帝国を出る決意をした。
「お父さんの帰りは良いの?」
「お父さんはもう帰ってこないよ。騎士に連れて行かれてからもう二年経って帰ってこないんだよ。きっと死んじゃったんだよ」
「そうかもしれないけど……でも……」
「ジーナがお父さんの帰りを待ちたいのはわかるけど、お母さんだって死んじゃったんだよ。帝国を出たら汚れたネズミや虫を食べなくて済むんだよ」
ジンの説得にジーナは折れる。
もう虫を食べたくない──いくら魔法で焼いて食べたとしても、やはり、家族四人で家に住んでいた頃のようにちゃんとした肉と野菜とパンを食べたい。
「わかったよ。でも、歩いてる間のご飯はどうするの?」
「俺が狩りながら行くよ」
ジンは見様見真似で覚えた弓術でこれまでも何とか食事を調達できたことがある。
小刀を使って解体もできる。大型の野獣は仕留められないが小型、或るいは、中型になろうかという獣なら仕留められるだろう。ジンは自信を持っていた。
それに道中は似たような境遇の平民や同じ年くらいの子どもたちがいる。
今なら子どもだけでも比較的安全で、隣国のひとつ──エリニス王国軍とロマリー公爵領軍の衝突に巻き込まれなければ身の危険を感じることなく進める。
ジンとジーナは着の身着のままで帝都を出た。
南西を目指して、その後、西の海岸沿いを南下する。
兄妹はバレオン大陸の南西の国──フェトラ王国を目指した。
◆◆◆
ところ変わり──。
フェトラ王国の北西部。海岸沿いの小さな町カレス。
そのカレスの町の外れにポツンとひっそり存在する一軒家。
「りさ様。おかえりなさいませ」
丁寧に主人を迎え入れるメイド姿の女性はゆっくりとカーテシーをしてみせる。
「ただいま。オリビア。アリスは元気にしてたかい?」
「ええ。それはもう」
りさは玄関で靴を脱ぎ家に上がると、居間から子どもが飛び出した。
「ママ! おかえりなさい!」
アリスはりさに抱き着いた。
「ただいま」
りさはアリスの手を解いて屈むとアリスを再び抱き直す。
頬に頬を擦り付けて無事を確かめると、
「ねえ、ママ? 王都はどうだったの?」
と、アリスは聞く。
「そだね。兵隊さんがいっぱいいたかな。もうすぐこっちに来るみたいだけど、ここは大丈夫だよ」
りさはオリビアにも聞こえるように言う。
「りさ様──もしかして、戦争……ですか?」
「するんだって。それであたし、王城に呼ばれたんだよ。一人一人鑑定させられてさ。疲れたよ」
「そうですか……それは、お疲れ様でございました。王国軍が出陣するということは近いうちにこちらに──」
「うん。二、三週間で出るってさ。アーリシェンス子爵にも会ってきてオリビアは元気にしてるよって伝えてきたよ」
「お父様にも会ってくださったんですね。ありがとうございます」
「もちろんだよ。オリビアをもらって心配かけたら悪いしね。さ、疲れたよ。ご飯できてる?」
「ご用意できておりますので、ダイニングでどうぞ」
「オリビア。できる子だね! ありがとう」
りさは立ち上がってアリスの手を取る。
「ご飯のあとは一緒にお風呂に入ろうね」
アリスはりさの言葉が嬉しくて「うん!」と元気に返事をした。
アリスが寝静まり、リビングにはりさとオリビアがふたり。
「ありがとうね。アリスのこと見てくれて」
りさはオリビアと向かい合ってエールを飲む。
「アリスちゃんのことを見るのは楽しいですから」
オリビアはりさよりも若いが出戻りの女性。
五年ほどの結婚生活を送り、子どもができなかったため離縁を言い渡された。
そんな折に、オリビアはりさに出会い、使用人として雇われることに。
「楽しいんなら良いんだけどさ。子どもの面倒を見るって大変じゃない?」
「そんなことはないですよ。私、子どもができない身体ですから、こんな私に子育ての機会を与えていただけて感謝してるくらいです」
「そう言ってもらえるのはありがたいんだけどさ。オリビアは本当に子どもが好きだよね」
ぐいっと一気にジョッキを傾けるりさ。彼女と対比するかのようにジョッキを口につけてちびちびとエールを口に運ぶオリビア。
「はい。それに、ここの生活はとても気に入ってるんです」
「まあ、ここは人里離れてるから人目を気にしなくて良い──っていうか、あたしの恩恵で隠れてるようなもんだし、カレスは食べ物が豊富で困らないもんね」
「その点はとても感謝してます。だって私、出戻りですから家に戻ってから居心地が悪くて、だから連れ出してもらえたこと嬉しく思っております」
「ほんと、この世界っておかしいよ。ちょっと子どもができないからってすぐに捨てちゃったりしてさ。オリビアに子どもができないってことは絶対にないはずなのに。考えられない!」
りさはこの世界の──この国の男性に不信感を持っている。
この世界にクラスメイトたちとともに召喚されて、戦地に行ったは良いが、斥候としてたった一人で敵陣に行かされて、何の命の保証もないのに勝手なことばかり言う皇女や貴族に嫌気がさしてコレオ帝国からひっそりと離脱。
南方の国に逃れたは良いけれどこの大陸では珍しい黒髪と黒い瞳。悪目立ちしたことで逃亡先でフェトラ王国の憲兵に捕らえられたりさは、その後、フェトラ王国の客人となり当初は王都ルストに滞在。
そこで何人かの男性と関係を持ったが、ある時に、とある高貴な身分の人間と交わって、子を宿した。
その時にできた子どもが椎名りさの娘、椎名アリス。
この世の男に辟易して、復讐心からヤったことでできてしまった我が子だったが、それはそれで愛おしく。
りさは王都を離れて暮らすことを選んだ。その時に雇ったのがアーリシェンスの長女のオリビア。
「子どもができなければ領民にご迷惑ですし……私に子どもができなかったのは事実ですから」
「そんなさー、子ども産めなかったからって卑下する必要なんてないんだよ。でも、子どもが産めたら自信が持てるっていうなら、あたしがいい男を見つけてくるよ」
「それはそれで、申し訳ないですし、私、アリスちゃんのこと好きですし、だから今のままでも幸せですから……」
「いーや。あたし、決めた。アリスもそろそろ手がかからなくなってきたし、オリビアの手伝いだってするようになったでしょ?」
「はい。アリスちゃん、本当に良い子で私のこともたくさん気遣ってくれるんです」
「だったら良いでしょ。男、探しに行こう」
りさとオリビアは酔った勢いもあった。
アリスが熟睡していることを確認して、家を出る。
このとき、カレスの町は夜の帳が下りた頃。
りさは恩恵として授かった隠者による権能を──スキルを活かして女ふたりで練り歩く。
ちょっとつまむのに手頃な男はいないのか──と。
目的のものはすぐに見つかった……かもしれなかった。
りさは人の気配を追いかけて近寄るとふたりの子どものような人影を見つけて声をかける。
「ね、ぼく? 子どもふたりで何してるの?」
突然現れたふたりの大人の女性に、その子どもは驚いて転び、尻もちをついた。
「お……俺、い……い……妹と一緒に、コレオ帝国から逃げてきたんです。どうかご容赦を」
真夜中に高貴な衣装の黒髪の女性と、メイド服の女性。
特に黒髪は異世界人か悪魔。兄妹は身を寄せ合い、りさとオリビアに怯えで後退る。
「やー、そんな酷いことしないよ。あたし、そんな女に見える?」
りさは両手を腰に当てて一歩近付くと、少年と少女が一歩、後ろに下がる。
少年は首を横にふるふると振って否定してみせるが態度は逆だった。
「椎名りさ様は異世界から召喚されたお方で我がフェトラ王国に住んでおられます。私はオリビア・フェイ・アーリシェンス。フェトラ王国アーリシェンス子爵家の娘にございます」
オリビアは怯える子どもに安心してもらおうと主人と自身の名を名乗ってカーテシーを披露。
少年から見ると、オリビアの後ろには月明かりが逆光となって照らされていて、その姿はマントを広げた吸血鬼のように見えた。
「ひっ……」
背中に冷たいものが走るよう──。
「もうっ──」
話が進まないことに苛立つりさは「怯えるのはもう仕方ないにしてもさ。こっちは名を名乗ったんだから、そっちも名前くらい教えてよ」と荒い声で少年に問いかけた。
「お……俺、ジン。こ……こ…こ……ここここっちは、ジーナ」
ブルブルと震えるジンとジーナ。
ふたりの声と反応にりさは「あたし、そんなに怖いかなー」とため息をつく。
「んで、キミたちは帝国から逃げてきたっていうけど、親はどうしたの?」
「お父さんは戦争に行って帰ってきませんでした。お母さんは二ヶ月前に死んじゃって……食べ物に困って──それに、俺が戦争に駆り出されるとジーナを一人にしちゃうから帝国から逃げてきたんです」
「そ。ほんとかどうか、ちょっと見させてもらうね──」
りさはジンの返答を聞かず、隠者の恩恵によるスキル──鑑定眼を発動。
言葉の真偽、出身、スキルなどなど様々なものをりさは見るだけで識る。
「うっわ。マジかよ──」
「どうされました?」
りさは鑑定眼を発動してすぐ思わず声が漏れた。それにオリビアが反応。
「ちょっと、オリビア。この子たち、うちに連れて帰るけど良い? 食事とお風呂の用意もできる?」
「りさ様がそうおっしゃるのでしたら私は何なりと──」
「ありがと。ごめんね。男を持ち帰るつもりだったのに」
りさはオリビアに謝るが、オリビアは男性を持ち帰るつもりだったのかと──しかし、この少年も男であることは間違いないわけで、オリビアは「可愛らしい男性を持ち帰られるんですよね?」と笑った。
「ああ、それもそうね。うん。それは悪くない。悪くないね」
下卑た笑みを浮かべたりさ。
すぐに切り替えてりさはジンとジーナに目を配る。
「キミたち、ご飯とかちゃんと食べてないんでしょ? うちでご飯食べさせてあげるし、お風呂にも入れてあげる。だから、あたしたち──お姉ちゃんたちと一緒に来ない?」
りさはニヤつきを隠しきれていない笑顔をジンに向けて「さ、おいで」と手を伸ばす。
「酷いことはしないですよね?」
「そんなことするわけないじゃん。あたしたちは優しいお姉ちゃんだよ。美味しいご飯もあるからさ」
コレオ帝国を出てフェトラ王国に入ったは良いものの食べ物の調達に苦労していて空腹に苦しんでいた。
手を取れば、空腹を凌げる。
ジンは妹の──ジーナのためにりさの手を取った。




