それから ニ
──数日後。
俺はモルグとサイリスの三人で北ファルタの孤児院を訪ねた。
モルグがサイリスの引き取り手続きをするために。
「ルーサさん、こんにちは」
「いらっしゃい。クウガくん」
「さ、こちらへどうぞ」
孤児院に到着するとルーサは俺たちを客間に通してくれた。
「では、本日はサイリスくんを養子に迎えるということで、こちらの内容を確認していただいて、記名をお願いいたします」
ルーサがモルグに差し出した一枚の紙。
それは養子縁組を結ぶ一種の契約書だった。
孤児院から引き取るために、こうした記録を残しているのだろう。
責任を持ってちゃんと育ててください的な、そんなことが中心の文面。
書面の内容をモルグに伝えて、記名をしてもらった。
「それではサイリスくんのこと、よろしくお願いします」
『ああ、悪いようにはしねぇ。一人前の鍛冶師になるまでしっかりと面倒を見させてもらうぞい!』
モルグはルーサに向けて二カッと笑って大きな胸板をどんと叩く。
俺に任せておけといわんばかりに。
サイリスを引き取ったモルグと教会を出ようとしたときだった。
「あの、待ってください」
今にも消え入りそうな可愛らしい小さな声が俺を呼び止める。
立ち止まると俺の視界に入ってきた少し背が低いふくよかな女の子。
サイリスの鑑定をしてくれたスイレンだった。
オドオドしていてうつむきがちだけどふっくらした紅色のほっぺとくるくるよく動く円らな瞳が印象的。
「わたしも──クウガさんのお側にお仕えしたくて、もし、良かったら連れて行ってくれませんか?」
要するに俺が今住んでいる場所で働きたいということだろう。
突然の言葉に言葉が出なかったけど、ルーサがスイレンに答えてくれた。
「スイレンは、クウガくんのところに働きに出たい──ということで間違いないかしら?」
「は……はい。今まで面倒を見てくれたお母さんには申し訳ないです。でも、クウガさんのところで働きたくなったんです。きっとそのほうがお母さんとここのためになると思ったので……」
スイレンはどことなくオドオドとした様子で俺とルーサの表情を確かめるように目線を動かしている。
「スイレンは去年、十三歳になったわね」
「はい」
「ウチは──いや、ウチのような孤児院の子は十三歳で外に働きに出ててもおかしくないのよ」
ルーサはそこまでしか言葉にしなかった。
孤児院が十三歳くらいまでは面倒を見てくれるというのは俺の両親から聞いている。
スイレンは年下かと思ったけど、どうやら俺よりも誕生日が早い同じ年の女の子だったらしい。
だから、もう自由にしろ──と、ルーサはスイレンに伝えているのだろう。
「わかりました──」
スイレンはルーサに返事を返すと俺の顔を見上げて言葉を続けた。
「クウガさん。ついて行ってもいいですか?」
上目遣いで目がうるうるしてるスイレン。
小動物のように見えて庇護欲を刺激するタイプか──これは断りにくい……。
「良いと思いますけど……。ルーサさん、本当に良いんですか?」
俺は受け入れるしかないので、スイレンがついてくることに同意を示してからルーサに確認を取った。
「私は構わないよ。むしろ、孤児院から巣立って幸せにしてもらったほうが嬉しいわ。ロインのようにね」
ここで父さんの名前を出すのはズルいなぁと思ったけど、断りにくいタイミングで頼んできたスイレンもズルいのだ。
「それでは、スイレンさんを連れていくことにします。ここで待ってますから準備をお願いします」
俺がそう言ったら、スイレンは「ありがとうございます」と深く頭を下げて物陰から荷物を取り出した。
断られない前提で準備を済ませていたらしい──けど、着替えが少しだけある程度。
「それで大丈夫?」
「はい。わたしの荷物はこれしかありませんので」
スイレンが俺の斜め後ろに立つと、ルーサは、
「スイレンのことも頼んだわね。落ち着いたら顔を出しにいらっしゃい」
と、嬉しそうに送り出した。
それから孤児院を出て北ファルタの船着き場に停めてある帆曳船に向かう。
帆曳船はモルグがバッデルの漁師から買った中古の船。
この船で風をうまく捉えることができれば、ゆったりと流れるファルタ川なら、流れに逆らって船を進めることができる。
食糧事情が良くない現状。この船があれば──というかこの船を動かすだけで漁ができる。
『この船は俺が投資としてクウガに買ったんだ。お前なら良い使い方ができるだろ。期待してるぞい』
というモルグの言葉の通り、帆曳船はしばらく預かることになっていて、その間、俺が自由に使っても良い。
実質、モルグに譲ってもらったようなものだし、有効活用させてもらうつもり。
そうして帆曳船に乗って野営地に戻った。
サイリスが正式にモルグの養子になり、スイレンを連れ帰ると──。
「その子はどうしたの?」
母さんが俺に聞く。
「孤児院から出てここで働きたいって彼女の希望で連れてきたんだよ」
俺がそう答えると、スイレンが母さんに頭を下げて挨拶をする。
「スイレンです。勝手ながらクウガさんについていきたいとわがままで、ここまで来てしまいました。ご迷惑をおかけしないようにしますので、お願いします」
俺の目の前には母さんとレイナ、それとメル皇女とニム皇女が並んでいる。
「もしかしてお姉さまに仕えることを考えてくださったのかしら?」
メル皇女は以前、鑑定ができるスイレンをミル皇女の従者として加えたがったが、良い答えをもらえていない。
「そういうわけではありませんが、わたしがここに住むことでみんなのお役に立てそうな気がしたんです」
「そう。それは残念だわ。でも、ここで働きたいというのなら、それはそれで歓迎するわ」
ミル皇女に仕える気がなさそうに言うスイレンに、メル皇女が気を揉むのかと思ってたけど、メル皇女は言葉にしたほど残念がってる様子はなかった。
「孤児院で育ったということは家事全般は既に身についていらっしゃるわよね?」
「あ、はい。一通りは……」
「でしたら、私と一緒に働きましょう。私とニムだけではわからなかったり手が回らないことがあるからお願いするわね。ラナ様、よろしいかしら?」
父さんと母さんと異世界人が集まるこの野営地で、料理がするのは俺以外だと母さんとメル皇女とニム皇女だけ。
リルムとエルフのラエルが手伝ったりしてくれるけど、できることは多くない。
母さんは柊さんに捕まって魔道具を作ろうとしたりしてるから手が空くことが減っている。
父さんとその取り巻きの異世界人の中では一条が少しだけ料理ができるといった程度。
そんな状況だから孤児院で生活するための知識と技術を身に着けているスイレンはここではありがたいことだろう。
掃除や洗濯などとなるとできる人間が極端に減るし。
「そうね。女手が足りないものね。ここは女ばかりだというのに」
母さんはそう言って父さんの方に目線を向けた。
言いたいことはわかる。けど、やらない人間に声をかけても仕方がない。
母さんはメルダ領から異世界人たちと一緒にいて、長い付き合いらしいけど、その間、彼女たちが料理をしていたとかそういうことはなかったらしい。
当初は父さんと母さんに協力的だった異世界人たちだったけど、野営の設置や食事など、彼女たちでは出来なかったようだった。
母さんは思うところがいろいろとありそうだけど。
「では、スイレンは私たちが預かるわ」
メル皇女は母さんにそう言うと「スイレン、いらっしゃい。私たちの部屋に案内するわ。その荷物を置きに行くわよ」とメル皇女とニム皇女の部屋へと連れて行った。
それから、しばらく──。
大きな掘っ立て小屋に床が出来てようやっと生活ができるようになったころ。
スイレンはすっかり野営地に慣れて、メル皇女とニム皇女と三人で家の雑事が回るようになり、ぼちぼちと、ここに移り住みたいという人間が現れるようになった。
次第に周囲に人間が──なかには獣人も──そうして、雪が解けてまもなく春という季節。
まだ名前のない集落──野営地から北に延びる道が完成した。
「魔族領って凄いんだね。こんなに大きな道があるなんて知らなかったわ」
母さんが一仕事したと言わんばかりに腰に手を当ててベレグレン大街道を見渡す。
最初は俺とモルグで馬車がすれ違える道幅に森を切り開いていたけど、途中から母さんが手伝ってくれた。
母さんのおかげで予定よりもずっと早く開通したわけだけど、母さんの魔法には驚かされる一方。母さんが昔、いろんな女性の憧れになるほどの冒険者だったということを知る良い機会になった。
強力な魔法なのに魔力の展開が異様に速くて、それなのに、丁寧で細やかに制御する。
母さんの息子だって息巻いたことがあったけど、今の俺では足元にすら及ばない──ただの道路工事なのに俺の実力の低さを痛感させられた。
こうして予定を前倒しつつも無事に道路が開通し、以前、歩んだベレグレン大街道を望む。
狐人族の郷からバッデルに向かったときは雪に覆われて真っ白だった。春になるこの季節は道の端々に残雪が見受けられるけど。真っ平らに踏み固められた砂利道。道の向こうには森の境界。
コレオ帝国では目にしたことのない壮大な景色。この街道を歩いたのはほんの数ヶ月前のことなのに懐かしい。
「ここではないけど、魔王城からバッデルに向かった時にこの道を通ったんだよ」
「へぇ。こんなに広くて整備された道路なら安全そうね」
「いや。それがそうでもなくて──」
母さんにこの道で野盗の獣人族に襲われたときのことを話した。
『あのときは間に合って良かったぞい。この街道は多くの種族が行き交うが、危険性もそれだけ高いんだ。特に弱小種族にとってはな』
モルグの言葉の通りで、稀にとんでもない強者と出くわすこともあるようで。
「そうなの? まるで私が冒険者だったころの冒険者組合みたいな感じなのね」
モルグの言葉を訳して伝えたら、何だか嬉しそうな顔をする母さん。
野営地を開拓して、道路工事を手伝ってもらって、これまで知らなかった母さんを知ることが出来たような気がする。
親のことってあまり良くわからないもので、母さんが実は好戦的な一面の持ち主だということを最近知ったばかり。
目が爛々としているのがその証拠。冒険者の世界は魔族領と似てるのか。
「冒険者ってそんなに危険な人の集まりなの?」
「危険っていうか冒険者って粗暴で無骨な人が多いんだよ。何も考えなくても依頼さえやれば食べていけるからね」
「母さんはもう冒険者をやらないの?」
「私はもう引退したからさ。今さら冒険者っていう年でもないしね」
何だか勿体ない──母さんの顔は冒険者だったころの自分を懐かしんでいるようだけど、また冒険者をやるという気持ちは無さそうだった。
「まあ、でも、冒険者でなくても開拓したり道を作ったりしたこの数ヶ月は新鮮で楽しかったかな」
そう言って微笑む母さんは美少女のようにとても可愛らしい。
胸は平らだけど──。
「イテ──ッ!」
後頭部をスパンと叩かれた。
「母さん! 痛いよ」
「他人のおっぱいを見て失礼なことを考えちゃダメよ?」
なるべく優しい顔をして注意しようとしているけれど目はガチで怒っているよう。
怖い……。あれ? 俺、母さんにこうやって怒られたことはあったかな?
俺の後ろではモルグが堪えきれずに「ガッハッハ」と笑っていた。
「ごめんなさい」
「まあ、良いわ。クウガもすっかり男の子だね。悪いことじゃないんだけどさ」
今度は俺の頭をくしゃくしゃと撫でてきた。
もう俺のほうが背が高くて、母さんは少し俺を見上げて。
俺と母さんのやり取りを微笑ましく見てたモルグが木槌を肩に担いで言った。
『おしっ。んじゃあ、後片付けをして帰るぞい』
モルグの声で俺たちは道具の数々を荷車に積み込んで、数日かけて家に帰る。
なお、今回、リルムはお留守番。スイレンが来たことでいろんなことがスムーズに回るようになった。
スイレンがいるからリルムが留守番に応じることができるくらいスイレンに親しんでいるし、ミル皇女やニム皇女と周囲の間を取り持てるスイレンのおかげで何故か異世界人や父さんたちとの関係も円滑になったほど。
彼女はとてもオドオドとしてて、そういうのが苦手そうに見えたんだけど、人の見た目は当てにならない。
いろんなひとの世話を焼くから覚えが良くて、ぽっちゃりした体型だからか、挙動不審でも愛くるしくて親しみやすい雰囲気の持ち主。
そんな彼女が食事の時間に質問を投げかけた。
「この集落は何て呼んだら良いんでしょうか?」
当初は野営地。今は徐々に人が増えている。
村の名前か……その日の生活で精一杯だったからなのか、この場の誰もが考えたことがなかったことだった。




