それから 一
十三歳の誕生日が過ぎて年が明けた頃。
孤児院に留まっていたモルグと、モルグが引き取ったサイリスという少年が俺の野営地に来た。
モルグの娘のアルニアは何故か父さんの近くにいるけれど──。
『お前ら、仲が悪いのか?』
モルグが心配になるほど、ここは真っ二つに人が分かれていて、両者の間でコミュケーションらしいやり取りがほとんどない。
『それを言ったらアルニアさんだって同じじゃないですか?』
『見込みのある男なんだろうよ。俺たちゃドワーフの女は強く威厳のある男を好むからな』
ドワーフ族は女性が極端に少ないからか、男女の間柄においては女性が強いのだとか。選択権は常に女性側が有していて、ドワーフらしい価値観のもとに女性が男性を選ぶという。
妻を持てるドワーフは少ないと言うのに、恩恵なしのモルグは何故か結婚していて妻がいる。
ふたりの子どもがいてその一人がここにいるアルニア。
アルニアは父さんに一目惚れして、今はつきまとっている。
父さんを囲って何もしないあちら側を気にしながら、モルグとサイリスが作る大工道具を使って俺たちは住居を建てていた。
『ところでよ。家が出来たらどうすんだ?』
手が空くとモルグが聞いてきた。
『北に道路を伸ばしてベレグレン大街道に出られるようにしたいと思ってるんですが、許可を貰う必要がありますよね?』
『そんなものはねぇぞい。大街道に出るくらいなら問題ない。狭くしたり壊したりしなければな』
モルグの言う通りで開通してしまえばこっちのもの。
というか土地の所有権とか、魔族領には関係がない。強いものが勝ち取る。ただそれだけなのだ。
道路も作れば勝ち──みたいなものなんだろう。あれこれ悩む必要はない。
『勝手に道を作って良いなら、気にせずに作ることにします。食糧が心許ないですし、大街道に出られれば狐人族の郷にも行きやすくなるので──』
『狐人族か。俺には関係ねぇ話だな。なら、俺はその時にサイリスを連れてエスガロスに帰るぞい。お前ならすぐに道を作るだろうし、手こずっても俺が手伝えるからな。ここが大街道と繋がれば通いやすくなるってもんだ。そうなったら安心してアルニアを置いていける』
モルグは恩恵を持っていないけど、恩恵に頼らずに自力で技術を身に着けている。それでも、恩恵持ちに比べると劣ると思っているようで、サイリスを育てようとしているのもその現れのように思えた。
娘さん──アルニアにおいては父さんの傍から離れようとしないので、このまま置いていくつもりらしい。
『そうですか。寂しくなります』
『がっはっはっは。また、すぐに来るさ。だから、ちゃんと稼いでおけよ』
『ははは……頑張ります』
貴重な男手のモルグ。サイリスは恩恵の力で次々と大工道具を作っている。
サイリスが作ったノコギリのメンテナンスが終わり、俺は再び仕事に戻った。
──俺の母さん。
前世の俺の母さんは優しくて綺麗な人だった。
でも、今生の俺の母さんも前世の母さんに負けず劣らずの優しさと愛情深さを持ってる。
時々、その愛情が重く感じることがあるけれど、それは俺を大事にしてるからこそ──と、そう思うことにしていた。
そんな俺の母さんは、周囲の木々を大きな斧で次々と切り倒している。
「あ、クウガくぅん」
俺の名前を呼んだのはレイナだった。
防寒着のローブの上からでもわかる大きなものをゆさゆさと揺らしながら俺に駆け寄ってくる。
レイナの後ろにも可愛らしい少女が、
「おにいちゃーーん」
と、レイナに負けない速さで走ってた。
「レイナさん、リルム。ドワーフのところでノコギリとかもらってきたよ」
サイリスとモルグに作ってもらった縦挽き鋸をレイナとリルムに見せる。
「おっきい! あのドワーフのおじちゃん。凄いよね」
リルムが大きな鋸に感動し、レイナはこういうものを見たことがなかったのか不思議そうにしてた。
「それでお姉さまが切った木から柱を作るのかしら?」
「うん。そうだけど……母さんの方は順調?」
「お姉さま、少し張り切りすぎてて……そろそろ止めてくれる人がいたらと思ってたところ」
レイナの言葉を聞いて木を切っているはずの母さんの方向に目を向ける。
すると、さっきまで生えてた大きな木々が綺麗さっぱり見えなくなっていた。
母さんは何をしてるのか。
レイナとリルムといっしょに母さんのところに向かった。
母さんは木を切っている。
それも尋常じゃない速さで木をなぎ倒し、枝を落として皮を剥ぐ。
「母さん……」
目の前には何十本もの大木が切り倒されていた。
「クウガ、遅かったね。だいぶ切ったよ」
そう言ってニコッと笑う母さん。
三十路を超えてもとても綺麗で可愛らしくて誇らしく思うけど、母さんは膨大な魔力を体内に巡らせているように見えた。
「母さん、やりすぎじゃないかな?」
「やー、久し振りに身体を動かしたら楽しくなっちゃってさ。夢中で切っちゃってたよ」
母さんはそう言って体内の魔力を凝縮して丸太をひょいと持ち上げる。
身体強化か……母さんの身体強化は初めて見たけど、父さんと特訓してたときの父さんの身体強化は比べ物にならない魔力を母さんから感じた。
「その丸太、大きいけど重たくないの?」
「え? 私、魔法使いじゃない? このくらい簡単よ。ファルタの家だって私が頑張ったんだから」
肩に丸太を担ぐ母さんの姿は見た目の可愛らしさとミスマッチ過ぎて違和感が半端ない。
右手に持つハンドアックスには強烈な魔力の残滓が揺らめいていた。
「その斧にも魔力を流してるの?」
ハンドアックスに宿った魔力があまりにも濃い。
俺が聞くと母さんは右手の手斧を持ち上げて、
「ああ、これ? ちょっと魔力を流すと切れ味が良くなるの。やりすぎちゃうと壊れちゃうから、ゆっくり魔力を馴染ませながら加減してるけどね」
と言う。
そして、母さんの近くにいたラエルに「ラエルちゃんもできるもんね?」と言葉を続けた。
「わたくしの弓は確かに魔力を流しているけど……」
ラエルはそれ以上、口にしなかった。
かわりに、エルフ語で独り言のように『ラナほど見事な魔力の制御はエルフでも見たことがないんだがね』と口を動かす。
「さ、その鋸。私に貸して」
いつの間にか俺の前に来て手を伸ばす母さん。
斧を俺に手渡すと、今度は鋸を俺から奪った。
「これで柱と板をとれば良いんだね? 私、こういうの得意なの」
知らなかった。丸太を担ぎながら縦挽き鋸をマジマジと見て「これ、凄い。魔力の通りが滑らか」と小さく独り言ちる。
「じゃ、クウガはそっちを頼むね」
母さんは木を切り倒すのに飽きたようで、今度は丸太を鋸で切り始めるようだ。
手斧を渡された俺は木を切り倒すわけだけど、俺には母さんのように器用に魔力を流せない。
俺は負けた気分になりながら魔法で木を切り倒すことにした。
──夜ご飯。
異世界人も現地人も派閥が綺麗に真っ二つ。
父さん派、母さん派といった感じで。
父さん派には父さんとクレイ、母さん派にはモルグと俺、それとサイリスが男性として所属していることになっているらしい。
俺もモルグもそんなことを考えたことはないけれど。
で、日々の食事も父さん派と母さん派に分かれていた。
父さん派は肉類が多く主食も肉。母さん派は俺とメル皇女、ニム皇女が中心になって料理をしていて狐人族の郷でいただいた野菜を少しずつ使いながら肉類といっしょに食べている。
そして、今日は俺と母さんで雑に建てた掘っ立て小屋の中で調理と食事ができるようになり、俺はその記念にとっておきの食材を用意。
雪を溶かした水を使い白米を研ぎ──手を動かす俺を横から見ていた一条さんが俺に話しかけてきた。
「クウガくん、それは何?」
俺にとっては前世の俺が慣れ親しんだ主食。
彼女にとっては昔懐かしい白い米──とはいっても、前世では白米はカッコワルイ的なところもあってパン食を好む女子が多かったように記憶してる。
俺には関わりのないことだったからどうでも良かったけど。
「これは狐人族の郷に行った時に戴いたんです。調理法もその時に教わりまして……」
もちろん、そんなことはなくて、白米をもらったけど炊き方は知ってる。
俺には前世の記憶がある。今ではすっかり朧気だけど。
鍋で米を研いでいると、彼女がじっと俺の手元を眺めている。
「…………」
一条さんの視線に熱がこもっているよう。
「良かったら、お分けしましょうか? たくさんありますし」
彼女の熱い眼差しに俺は耐えられなかった。
「良いのか? やったっ! 白いご飯が食べられる!!」
嬉しそうに燥ぐ一条さん。
こうして見ると、外見は変わっても、JKだったころの彼女から何も変わっていないように見えた。と言ってもあまり知らないけど。
「良かったら味噌汁というのもレシピを教わったので作るつもりですが、それもお分けしましょうか?」
「お味噌まであるのかッ!! ま、マジか……凄い……今日は何て日だ……」
こころなしか彼女の目に涙が浮かんでいるように見えた。
白い米と味噌汁くらいで大げさな。
その日の夜ご飯は父さん派閥の皆さんにも俺の料理を振る舞うことになった。
「白いご飯……」
結凪は目の前に出された炊きたてのご飯と味噌汁に感動して声を出ず。
『おおおお! この世界でも日本食を食べられるとは』
柊も感動して我を忘れ、日本語で感動を声にする。
通じていることはバレないようにしなければならない。彼女の言葉は俺にはわからない──ということに。
『これは狐人族の食べ物だね。郷に住んでいた頃に何度か食べたことがある』
『ダージャさんから聞きました。お茶や狐人族の郷の出入りを閉じる魔道具なんかはエルフ族から教わった──だったかな』
『それは知らなかった。お茶を卸しているというのは知っていたが、わたくしが生まれた頃には既に狐人族の郷との交易があるようだった。久し振りの味だから楽しみだよ』
ラエルは食べたことがあるようだった。
ここには箸がないのでナイフとフォークで食べるけれど、ラエルは箸を知らない。
結凪と柊にも箸ではなくナイフとフォークを置いている。
「ちょっと変わった匂いだけど悪くなさそう。クウガ、冷める前に食べよう」
「私も早く食べてみたい」
「味が気になるわ」
母さんとリルム、レイナはおなかを空かせているようだった。
「狐人族の郷以来ね。私は好きだったわ」
「私も、美味しかった。また、食べることができて、嬉しい」
メル皇女とニム皇女はつい数週間前のことだというのに鮮明に覚えていたよう。
少し離れたところで父さんたちも白いご飯を食べ始めようとしていた。
あちらの異世界人の女性たちは十数年ぶりの日本食に涙を流している。
白米の他には、油揚げと豆腐の味噌汁、それとご飯のおかずに野菜のおひたしと鶏の味噌焼き。
「懐かしい味……」
「マジで美味い! ご飯が進む味噌焼きがまじで最高。日本人の食を分かってるねー」
あっちもこっちも今日の料理は好評だった。
竈に冷たい風が当たらなくなったから作れるようになった料理である。
こんなに喜んでもらえて良かった。これで、父さんと母さんの間にある溝が少しでも縮んでくれたら最高だった。
「クウガくん、ありがとう。今日のご飯は最高に美味しかったよ」
食事の後に結凪が俺に話しかけてきた。
前世の俺だったら気分が舞い上がってドギマギしたかもしれない。
「美味しく食べてもらえて良かったです」
冷静に答えられたのは何故か動じるものがなかったからだった。
「美味しかったー。ね、今日の料理ってどこで覚えたの?」
レイナが距離を詰めてきた。
当たってるんだけど!?
柔らかい感触にドキッとして後退ると、背中にまた、柔らかい感触。
「クウガ、今日の料理は良かったわ。また、ダージャ様のところにお訪ねしたいわね」
メル皇女だった。
彼女からはとても甘美な香りが漂ってくる。
顔の熱が上がるのが分かった。
「そうですね。落ち着いたら狐人族の郷にいくつもりです」
「その時は誘ってくださる?」
「はい。もちろんです」
「楽しみにしてるわ。それでは、後片付けは私がするわね」
メル皇女からレイナに俺の意識は戻されて──。
「むぅッ──」
何故か、結凪が面白くなさそうな顔をしていた。
「ゆ、結凪様。何かございましたか?」
恐る恐る訪ねてみると、彼女は平静を装おうとしてため息を一つ。
「いえ。何故かふと、面白くない気持ちになったの。どうしてかな?」
腕を組んで頭を横に傾げる結凪。
なにか誤魔化すときはいつもそうやっていた。と言っても彼女が小学生のときくらいのことだけど。
「はぁ〜、おなかいっぱい。たくさんたべたぁ〜」
ローブの前を開けておなかをぽんぽんと叩く柊さん。
真正面から彼女の姿を見たのは初めてだけどご飯を何杯もおかわりして膨らんだおなかの上にはなかなか立派なものを二つ──いや、三つ?──抱えているようだった。
お腹の山はずいぶんとたいらげて溜め込んだものだろう。美味しく食べてくれて嬉しい限り。
それよりもそこから上に巨大な二峰──ローブで良くわからなかったけど、これが隠れ巨乳というやつか。
そんなことを考えていたら俺の視界を遮る影。
「ねえ、クウガくん。もしかしてなにかやらしいこと、考えてない?」
どうして結凪が俺の視界を遮るのか。
俺にはその理由がよくわからなかった。




