北ファルタ 八
北ファルタからずっと東に離れた郊外──。
ここはもう北ファルタとは言い難いけど、少しだけ開けた場所で俺たちは立ち止まった。
当初は旧交の温めるつもりでファルタ時代の知り合いが多いスラムに住もうと考えたけど、貴い身分の女性たちが多く、旧交を深めるどころか委縮させて迷惑になりそうだということで、そこは通り過ぎ、適度に離れた場所で探すことにした。
そうしてたどり着いた先は俺がニコアとミローデ様と一緒に北ファルタを出て最初に野営を張った場所。母さんたちが最後に野営をした場所でもあるここに足を止める。
「ここは少し拓けているし、ちょっとした家を作るにはちょうどいいんじゃない?」
母さんは言った。
「でも、ここだと川が近いから少し北側に家を立てたほうが良さそうね」
河川は氾濫するかもしれない──と、異世界人の女性の一人が言う。
父さんたちも既に合流していて、父さんは一条と何やら会話らしきものを交わしていた。
母さんはそれを横目に見ながら小さくため息をついて諦めたような表情にうつろう。
「ため息をつくと幸せが逃げるよ」
母さんの背中に手を置いた結凪。前の世界ではよく聞く言葉だけど、こっちの世界では聞いたことがなかった。
「ため息をつかなくても、ああだからね。とっくに幸せなんて逃げちゃったよ」
「幸せね……私から言っておいてなんだけど、私は望んだ幸せが手の届かない場所に行っちゃったから……」
白羽が目を伏せて少し俯く。
「ユイナちゃん──」
「もう何年も前のことで、元には戻れないってわかってるけど、それでもね……望みすぎて手遅れになったら元も子もないからね──って言ってもあの子たちにも言えるのかしれないけど」
「できることなら協力してあげたいけど──いや、特に咎めるつもりはなかったの。でもね、アレじゃあね……」
「それはとーってもよくわかるッ! せめて声掛けひとつくらいしてもいいのにね。まったく男ってやつは──」
コレオ帝国の平民の結婚観は前世の世界とはかなり異なる。
父さんが異世界人の女性たちに言い寄られて気に入らない部分は母さんにはあるものの、それを止めようとは思っていなかったよう。
異世界人の多くは爵位を与えられていて皇族に近い──公爵と同等の身分だから、俺や母さんみたいに平民では彼女たちの行動を咎めることは不敬にあたる。
異世界人である彼女たちは強力な恩恵持ちでもあるから、きっと、リルムとクレイ、レイナのことも考えて父さんに言い寄る彼女たちを許しているんじゃないか。
とはいえ、父さんのみならず、クレイに近付くのはいくらなんでも──と、思うところが母さんにはあるようで。
父さんとの子どもが欲しいというのはまだしも、クレイはまだ子どもを作れないからそこは理解できないんじゃないか。
それでいて、父さんはそれを止めるどころかクレイと一緒にデレデレしてるのが腑に落ちない──母さんの視線の先を見て、そう思わざるを得なかった。
それもそうだけど、結凪がぷんすかと怒っていることに驚いた。そんな子だったっけ? と、思ったけど、中学生になってからの彼女のことを俺は知らない。
前世の記憶や価値観は今生の年齢を重ねる毎に薄れているし、今も昔も俺は結凪と関わりがない。
「それにしてもクウガくんは良い子だね。人を選ばないし、すごく優しいし──」
結凪から俺の名前が唐突に出てきた。
「あ、あとラナちゃんに似てるよね」
「クウガはこんな小さいときから──」
母さんは嬉しそうに手のひらを下にして「家のことを手伝ってくれてね。私には出来すぎた子を産んじゃったなってくらいだったんだ」と結凪を見る。
俺は雪をかき分けながら川から離れた北側に向かって歩くことに集中する。
このあたりは木々が少なく緩やかな登り勾配だけど、雪車の重さが苦にならない。
しばらく歩いて緩い上り坂を登りきると平坦な広場に出た。
「あら、ここなんかは良さそうね」
母さんが周りを見渡して言う。
「野営しやすそう」
柊が三角帽子を取って周囲を確認。
微細な魔力が柊から漂っているのを感じる。
「ここなら家を建てやすそうね。川も近いし、食糧にも困らなさそうだわ」
メル皇女は雪上に残った足跡を見ていた。
大型の獣のような足の跡だが、食べられるようだったら食事には困らなさそうだ。
南に一時間程度歩けばファルタ側で川魚を調達できるし、俺が帆曳船を北ファルタから移動させれば海水魚もとれるようになるだろう。
ちなみに父さんたちとはまた距離が離れていて、まだ追いついて来ない。
俺は周囲を再び確認していくつかのテントを張る広さを確保することにした。
「じゃあ、ここの雪を溶かしますね」
火属性と風属性の魔法を準備する。
雪を溶かして広場を作る。イメージを描き、知識と経験で実現方法を探る。それからどの属性をどれくらいの強さで用いるのか。
頭の中で思い描いた景色を目の前の現実に描写する。
「いっきにやっちゃいますから、下がっててください」
母さんたちは初めて見るんじゃないか。メル皇女とニム皇女は慣れたように一歩下がって俺を見ていた。
空気の壁を作って温度がこちらに伝わらないように。
それから緩やかな風を起こして空気を熱した。
みるみるうちに雪が融け、地面が表出。
融けた雪が水になり、熱で水気を失った空気が地面から水を吸い上げる。
十分な広さを確保して、俺は魔法を解いた。
ほんのりと暖かくなった風が体を撫でるように流れる。
体内で練り上げた魔力を地面に流して土を均す。
土中に石がないからか数センチメートルほど地面が下がった。
「半年見ない間に上達したね」
母さんが腕を組んで見ている。
「すご……火、風、土を組み合わせて、しかも、ラナちゃんと同じで詠唱してない……」
柊がボソボソと独り言ちる。
「回数を重ねて熟れたようだけど、まだまだ大雑把ね。でも私が使えない属性も使ってるし、私の息子ながら将来が楽しみになるよ」
柊の独り言を拾った母さんが頷いてるのが見えた。
その傍で目を丸くする結凪。
「魔法の才能もラナちゃん譲りだね……」
「ええ。私のクウガくんだもの。これくらいは当然よ」
結凪が魔法に感動している横で、レイナは何故か自分のことにように誇らしく胸を張る。
「お兄ちゃん、かっこいい……」
リルムはなにかを拗らせてるような──そう思わせる声音が聞こえた。
そんな感じで父さんたちはまだ来ないし、女性陣は魔法に目が釘付け。
誰一人動こうとしないからか、メル皇女とニム皇女が雪車の幌を捲りテントを引っ張り出し始めた。
ふたりとも魔王城を出てから率先して野営の設置に関わってきたからもう手慣れたもの。
エルフのラエルも魔法を見ていたが、ふたりの皇女がテントを立て始めたことに気が付いて──
『手伝おう』
と、エルフ語で話しかけた。
何を言っているのかわからない皇女たちだが、雰囲気で手を貸してくれるのだと察したよう。
「お願いします」
俺の魔法が収束して出来上がったまっ平らな地面にふたりの皇女とラエルがテントの設置作業を進める。
我に返った母さんたちは慌ててテントの設置を手伝ってくれたけど結凪と柊はその様子を見守るだけだった。
父さんたちが合流したのはテントの設置が済んでから。
全部で四つのテントを設営し、その中央に火を焚べる簡易的な竈を土魔法で作った。
寝食ができるような支度が終わった頃、これまで言葉を少なく、俺や皇女たちを手伝ってくれたエルフのラエルは優しい笑みを浮かべながら俺に話しかける。
『魔法がとても上達したね。見違えた』
彼女はゆっくりとした動作で俺の頭に手を置き、褒めてくれた。
『旅続きだったのでそれで魔法を使う機会が増えたんです』
『そうか。クウガの魔法は私たちと旅をしていたときもとても素晴らしかった。特に風魔法はエルフのわたくしたちよりも上手く扱えている。郷で風の精霊にクウガと一緒に祈りを捧げたくなるほどだ』
『それは、どうも……』
彼女の顔を見ると風に流れる白銀色のショートボブヘアがキラキラと輝くよう。
あまりマジマジと見たことがなかったラエルだったが、こうして近くにしてみるととても綺麗。
ラエルとは初めて会った日から今までそれほど会話をしていなかった。
ミローデ様とニコアと一緒だったときは俺とラエルが交替で夜の見張りをしていて、交替するときに簡単に言葉を交えた程度。それ以外では二人で話す機会がなかったように記憶している。
ふと、俺は、荷物の中にナイアの腹心でダークエルフのリウからもらったエルフの茶があることを思い出した。
この後、食事の前にエルフのお茶を淹れてあげよう。
父さんは俺に声をかけてくれなかった。
クレイとふたりして、異世界人に囲まれて父さんはなかなか離してもらえないというのはなんとなくわからなくもないけれど、何もクレイまで──と、そう思わざるを得ない。
母さんも半ば呆れた顔で父さんとクレイを見ていた。
特にクレイは異世界人の女性にチヤホヤされてとても楽しそうにしている。
その様子はリルムにとっても面白くないようで、母さんの服の裾をぎゅっと強く握っていた。
俺はそんな状況に目を配りながら、お茶を淹れて皆に配る。
「これは魔王ナイア様の配下でダークエルフのリウという方からいただいたエルフの森のお茶です」
最初に母さんたちのグループにカップを配ってお茶を注いだ。
『リウが……魔王軍の幹部に──?』
ラエルが俺に訊く。
『はい。魔都に入れなくて困っていたところをリウさんに助けてもらったんです』
『それにしてもリウがダークエルフって……魔人族の強力な瘴気に肌を染められたのか』
『そんなようなことを言っていた覚えがありますね』
『ふ……リウはエルフ族に似つかわしくない体型だったが、褐色のエルフとなればさぞかし映えることだろうね』
ラエルの言葉の通り、リウはとてもおっぱいが大きくてスタイルが抜群だった。
魔王の側近になってダークエルフになったらしいから、その前はラエルと同じ肌の色であの体型ということか……。
それはそれで見てみたかった。
『クウガからリウのことが聞けて良かった。クウガの様子でリウは元気にしてるだろうこともわかったからね。姫様にもリウのことを教えてあげてほしい』
ラエルはそう言って俺が注いだお茶に口をつける。
『嗚呼……美味しい……。心に沁みる懐かしい味だよ。ありがとうクウガ』
美形のエルフの凛とした笑顔に心臓が高鳴った。
「ラエルさんって綺麗だよね」
結凪が俺に言う。
ラエルの笑顔に見とれていたのがバレたようだ。
「こちらをどうぞ……」
誤魔化すようにお茶を差し出した。
「ありがとう──良い匂い」
そう言ってカップに口をつけた結凪。
「ンん……美味しい……」
結凪も満面の笑みだ。
「嗚呼、本当に心に沁みる……レイナちゃんが〝この一杯のために生きてる〟って言うのがよく分かる。私もクウガくんのお茶のために生きたいと思えるくらいだよ」
「お褒めに与り光栄です」
結凪に褒められたが、こうして近くにしてみると、彼女は大人になったんだなと実感する。
「でしょう? 私、クウガくんさえ居たら他には何もいらないわ──そのくらいクウガくんのお茶と料理は美味しいの。私だけのクウガくんにしたいくらいだから」
レイナは笑顔で早く私に淹れてと媚びた目線で催促する。
彼女は貴族のご令嬢で綺麗な顔立ちで品のある表情を──と、言いたいところだけど多感な少年を刺激する女豹のような眼差しを俺に向けた。
はしたなく見えるかもしれないけど、セルムで生活をしていた頃と変わらない振る舞いでレイナが母さんやリルムに余計な気を遣わせないようにするためにそうしてるのだろう。
「クウガはあげないよ! まだ子どもなんだから」
「お兄ちゃんはわたしのなの!」
こんなやり取りが懐かしく感じられるほど、離れ離れだった時間は長く、そして、あの日々は返って来ないのだと痛感する。
でも、久し振りに家族との日常のように思えて、心が和む。
そんな益体のないやりとりを見て、柊がケラケラと笑った。
「ラナちゃんとリルムちゃんってクウガくんが絡むとそんな感じなんだ。もう、可愛いなぁ」
そんな柊も「うわ! 何これ! なんか身体の隅々まで沁みわたるようだわ」とエルフのお茶に感動したようだったが──
「あー、これは確かに。私もクウガくんから絶対に離れたくないって思っちゃうわ」
そう言ってカップのお茶の味に浸っていた。
母さんグループにお茶を配り終えたら次は父さんグループ。
こっちはお茶とか料理とかよりも父さんとの交流が主体だった。
ララノアもこのグループにいるけど、俺をチラ見してから父さんたちと言葉を交えている。それも人間の──コレオ帝国の言葉で。
「ララノア様は帝国語がかなり上達したんですね」
「ん。ロインと話すために頑張ったよ」
ここはまるで夢魔族に魅了されたかのような女性たちが父さんとクレイを囲っている。俺にはそう見えた。
お茶を注いだカップに口をつけたララノアの返事もそれはとても蛋白で、ここでの俺は空気でしかない。
父さんは俺を一瞥してなにか言いたげだったけど、俺と言葉を交える隙がなかった。
クレイは父さんの囲いからあぶれた女性たちにイジラレて嬉しそうにしてる。
まあ、楽しいだろう。母さんやレイナ以外の女性に構われるなんてことはなかっただろうから。
異世界人は身分が高い。
それに、コレオ帝国の平民には結婚という概念がない。
一緒にいたいから傍にいる。だからといって子どもを蔑ろにしても良いという価値観でないから、そういうことをするときは、しばらくそこから離れないということを意味している。
母さんが父さんから離れないのは父さんとの間に俺とリルムとクレイがいるからだし、父さんが母さんを気にかけているのもそういうところがあるから。
異世界人はそういった俺たちの──平民の社会を知らないから土足で踏み入って好き勝手してる。
元の世界の価値観を持ち込んでいるはずなのに。
異世界人の女性たち──前世の俺のクラスメイトたちではあるけど──俺としてはここで殺してしまっても良い。でも、そうしたら、父さんと母さんに怒られるし、クレイには恨まれそう。それに家族一人残らず処されることになるかもしれない。
殺すのを我慢したとして、それから強引に父さんとクレイを引き離したとしたらどうだろう。
今の彼女たちは死に物狂いで追いかけるだろうし、俺だけじゃなく、母さんやリルムに報復をするかもしれない。
彼女たちは強力な〝恩恵〟を得た異世界人。戦闘系の恩恵持ちに今の俺では敵わない。
そう考えたら俺は耐えるしかなかった。




