北ファルタ 五
「シキさん! お久し振りです。元気にしてました?」
ラナが一歩前に出て女性に挨拶を返した。
「何年ぶりかしらね。ずっと心配していたのよ」
「シキさん──っていうか、みんなこっちにいるの?」
「ええ。そうよ。クウガくんが──」
シキと呼ばれた女性はこれまでのことを話した。
ファルタ──今は南ファルタと呼ばれる小さな町は帝国軍の急襲から逃れるためにクウガを中心に対岸のこの場所に平民を渡したこと。
それからすぐにクウガが領主の母──ミローデと領主の長女のニコアと三人でこのファルタを出て魔王城を目指すために出たこと。
「──クウガがそんなことを……」
「ええ。とっても立派な子に育って。さすがロインさんとラナさんの子だよ」
「あはは。それはどうも──それよりここって結構大きい?」
「町のことかい? それなら以前のファルタとは比べ物にならないわ。私たちはファルタでもスラムの平民だから中心街のことはよくわからないけど、ここから半日ほど歩いてようやっと着くくらいの距離みたいよ」
「……そんなに。それじゃ、まるで外に追いやられてるみたいじゃない……。でも、みんな無事みたいで良かったよ」
「ええ。こうして命があるのはクウガくんのおかげ。私たちは中心地に住んでるお貴族様のような人たちとは縁が無いから今のこの状況には満足してるの。だから私たちスラムの住人は感謝してるのよ」
シキはそう言ってラナに感謝を示した。彼女の言葉は本心からのようで、ラナは「それは、どうも」と返すと、
「さすが、ロインさんとラナさんの子だね。本当に立派だったよ」
と、シキは嬉しそうに口にする。
クウガがシキに褒められて誇らしいラナはシキに聞く。
「私たち、クウガを探してるの。クウガの姿を見たり、最近なにか変わったことはなかった?」
「んー……。特に変わったことはなかったわ。ああ……でも、最近、朝早くに珍しい船が川を下ってきたと漁をしてる人たちの間で話してたのを聞いたわね」
「ありがとう。シキさん。その船のことが気になってたの。私、その船のことを聞いてみる」
シキと別れてラナたちは北ファルタの中心部を目指すことに。
「その船。やっぱり怪しいよね」
久しぶりにロインと並んで歩くラナは先程までシキとの会話をラナの後ろで見守っていたロインに言った。
「もしかしたら船にクウガが乗ってるかもしれないね」
「そうだよね? 急ごう!」
居ても立っても居られない。
ラナは愛しい我が子のために歩く足を早める。
北ファルタは中心街に近付けば近付くほど、身なりの良い人間が目につく。
シキと出会った北ファルタの東端部はもともとのファルタの住民で構成されているが、かつてのファルタのように、身分の低い平民が住む真新しく見えるが急拵えの粗末な建物ばかり。
「こっちのほうは最近になって出来たみたいね」
道すがらレイナは言う。
「そうみたい。でも、私がこの町に住むことになったらこっち側かな。見覚えのある人が多いからどこかから追いやられたみたいね」
レイナの声にラナが答える。
まあ、そうなったらレイナともここでお別れだけどね。
ラナは声に出さずに独り言ちた。
旧ファルタのスラム住人が住む集落をすぎると少し開けた場所に抜ける。
区画が整理されていて何かを建てる予定でもあるかのように雪原でもわかりやすく木の杭が打ち付けられていた。
さらに歩き続けて、午後に差し掛かる頃になると再び建物が軒を連ねるのが見える。
歩いている内に次第に近付くと簡素な塀が並び、入り口らしき門に衛兵のような姿をした兵士が立っていた。
「何者であるか」
兵士に話しかけられたラナたちだが、それに答えたのは黒髪の聖女、白羽結凪。
「私はユイナ・シラハです。訳合ってこちらに訪ねてまいりました。町へ入る許可を願います」
「その黒い髪は間違いない──後ろにいらっしゃる方も……」
兵士は結凪の後ろに五人の異世界人の女性の姿を視認。
一条栞里、柊遙、久喜恵、此花奏、多々良華魅。
彼女たちと同行する金髪碧眼の男女と銀髪、銀眼の見慣れないエルフ族の女性。
ロイン、ラナ、リルム、クレイ、ララノア、ラエル。
そして──
「私はレイナ・イル・セア。今は前領主──と言ったほうが良いかしら? ゴンドの妹よ」
レイナはそう言って衣服から取り出した一枚の短刀を衛兵に見せた。
「これはこれは──私はシグルンド子爵のものです。ゴンド様にお目にかかったことがある程度でしたが」
「そう。兄を知っているのであれば話が早いわね。私からも町に入る許可をいただきたいわ。よろしくて?」
「はっ! どうぞ。ただいま、メル皇女殿下、ニム皇女殿下がお訪ねに参られておりまして、それによってこの町の警備等強化しておりました。セア家のお方でしたら、きっと、ラプス様も喜んでお会いになられることでしょう」
「ラプス? ラプスって、ラプス・イル・ジノ様のことかしら?」
「はっ。ただいまこの北ファルタはラプス様がこの地の執政を担っておりまして」
「そうなの。もしよろしかったらご案内をお願いいただいても?」
いつもと違う口調のレイナにリルムとクレイは違和感を抱く。
兵士はラナとロイン、リルムとクレイを一瞥して眉を顰めたがレイナの声に従うことにした。
「それでは私がご案内いたしましょう」
「ええ。お願いしますわ」
そうしてチラチラとレイナの表情を伺いながら兵士が先導。
道すがら、ラナは「レイナはああ見えてとても偉い貴族様だからね。いつもはそんなふうに振る舞わないけどさ」とリルムとクレイに言っていた。
兵士の先導でジノ家の館に着き応接間に通されて──ジノと対面でレイナが話し始める。
「これはこれはレイナ様。ご無事で何よりです」
ラプスは胸に手を当てて頭を下げる。
「ジノ様もお元気そうで何よりです。こちらはファルタからの避難民だと伺っておりましたが、かなり大きな規模のようですね」
レイナはズボンをつまんでカーテシーを披露。
「ええ。帝国軍の侵攻によってセア領の領民の多くがファルタの漁師の助けでここに避難してまいりました。私たちはゴンド様の助けで対岸へと渡ったのですが、異世界人の武器でゴンド様を含め多くの貴き命が失われましたのです」
「そうでしたか。それは大変だったわね。ここに来る前にファルタの村人が集まる集落に立ち寄ったわ」
「ファルタのもののうちスラムに住んでいた平民は我らに反抗した故にここから離れた場所に隔離させていただきました」
「隔離って──何か問題がございましたの?」
「はい。彼らは私たちが避難する前に、ゴンド様の命令を無視したものたちでして、我らとは相容れないという意見が多く彼らにはここから離れていただきました。ミローデ様にもそう仰せつかっておりましたので」
「お母様もここに避難できたんでしたね。お母様とは魔王城でお会いいたしました。今はニコアと一緒にカゼミール公爵家に匿われているわ」
「無事に魔王城にたどり着けたのですね。安心いたしました。レイナ様もお目にすることができて私は嬉しく思います。して──」
立ち話が続き、ジノは一旦話を区切った。
「メル皇女殿下とニム皇女殿下が参られまして、現在弊館に滞在していただいております。お会いになられますか?」
「メル殿下とニム殿下がいらっしゃるの?」
「はい。つい、先日、獣人族の街──バッデルというところから帆を立てた小舟でファルタ川を下って参られたそうで……」
「こんなところに皇族が?」
レイナは一瞬、言葉を失った。
ラナの顔を見て表情を伺い──もしかして……と、ある種の期待が胸に湧く。
「お話させていただけるのであれば是非、お会いさせていただきたいわ」
「ええ、ですが、その前に後ろの皆様を紹介いただけませんと、殿下のところでお通しするわけには参りません」
「それもそうね。では、私から紹介させていただくわ」
レイナはジノにラナとロインとその子たち、異世界人の女性たち、そして、二人のエルフの女性を紹介。
ジノは平民とエルフを見ると怪訝な顔をしたが、レイナは紹介の中で釘を刺す。
「わ、わかりました。それでは、皇女殿下をお連れいたししょう。少しお待ち下さい」
ジノはそう言って立ち上がって後ろに控える従者にヒソヒソと指示を伝えた。
それからメル皇女とニム皇女が応接間に入室。
「まあ、レイナ様。お久し振りです。お元気そうな様子で──」
「メル、ニム、久し振りね。ニムは随分と背が伸びたわね」
レイナはそう言って応接間に入ってきたニムの頭を撫でる。
「レイナ様。擽ったいです」
ニムはメルの後ろに隠れた。
「メルも大きなったね」
レイナの視線はメルの胸に向けられている。
「レイナ様が帝都を出られてかなり経ちました。私だって成長するんです」
メルは胸を張ってレイナに見せつけるように強調した──レイナの後ろに見えた人の姿に「あ……」と声を漏らして姿勢を正す。
「え……と、ユイナ様にシオリ様、ハルカ様まで……」
「あ、説明させてもらうわ。異世界人の女性たちとこちらの方々とここまで旅をしてきたの。いろいろあって──」
そうして座るのを忘れて彼女たちは話し込んだ。
セア辺境伯領の領都セルムから逃れて魔都パンデモネイオスにたどり着いたこと。
セルムで逸れたロインとラナの息子のクウガを探してここやってきたこと。
「クウガは私たちと一緒にこっちに来てるわ。今日は私とニムが所用でジノ家を訪ねたの」
メルの言葉に反応を示したラナだったが相手が皇族とあっては声を上げることができず。
ここに来てるんだ──と、ひとまず安心。だったらもうすぐで会えるはず。
ラナのそういった心情を知り、自らもクウガを強く憂うレイナはクウガがこの血に居ると知り、気が逸った。
「そのクウガって子、こちらの夫婦の息子なの。あの日の朝まで私たちは一緒だったから。クウガくんはどうしてるの?」
「クウガは孤児院で子どもたちを見たりドワーフのモルグさんと過ごしてるわ。もしよろしければ皆さんもこの後ご一緒に孤児院に参りましょうか? 私とニムは今、孤児院でお世話になっているの」
「孤児院でお世話になっている──って、ジノ家に滞在しているんじゃなかったのね」
「そうよ。以前の私の身分から考えたら、帝国貴族の世話になるのはやぶさかでないけれど、コレオ帝国は勇者に奪われ、私たちは皇族を追われた身ですから。それで孤児院──教会に身を寄せさせていただいているの。ここでの用は済んでいるからこの後、一緒に教会に参りましょうか?」
そっと手を差し出したメル皇女。
レイナはその手を取ろうとしたが、その前にラナの顔を見た。
ラナは真っ直ぐにメル皇女を見据えていている。
言葉を発さず唇は真一文字に結ばれていた。
「お姉さま。クウガくんに会いに孤児院に行きましょう」
レイナの言葉にラナは「ありがとう」と小さく口を動かす。
ラナを見たのはメル皇女も同様。
──この女性が、かつての爆炎の魔法少女ラナ……。お年を召されているでしょうに、それなのに、なんて美しい方なのかしら。
その姿はクウガと重なる。
お姉様が憧れるのも当然でしょう──メル皇女は彼女の佇まいに一人、心の中で納得。
「ラナ様──それから、ロイン様……」
メル皇女は二人の名を口にした。
ロインは目を伏せて顔を見ないようにしながら片膝をついている。
ラナは真っ直ぐに立ってメル皇女を見据えているというのに。
メル皇女はそんなロインを一瞥してから「面を上げて立ち上がっていただいてもよろしくてよ」と声をかけた。
ロインが立ち上がるのを待ってから再びメル皇女はクウガについて話し始める。
「クウガくんからお二人のことは伺っています。クウガくんと一緒にここまで来ましたし、今もクウガくんと行動を共にしているの。今日はこちらであなた達のことを探そうとしていたのですが、これもまた、めぐり合わせなのでしょうね。ラプス様にご挨拶をしたら教会に戻りますので、ご一緒しましょう」
そう言って無自覚に微笑むメル皇女。
たゆんと揺れる胸にロインは思わず目が動いたが、横からラナに小突かれて我に返った。
「お願いいたします」
ラナは小さく会釈をして、メル皇女に言葉を返す。
それから二人の皇女とと共にロインとラナと二人の子ども、二人のエルフ、そして、異世界人の女性たちと北ファルタの東にある郊外に向かった。
そのすがら、ラナに興味津々のメル皇女。
「こうして見ると、ラナ様はクウガくんとよく似てるわ」
「クウガだけなのよね。うちの子で私に似てるって言われるのは」
「そちらのお二人はクウガくんの妹様と弟様ですよね?」
「ええ。そう──」
隣を歩くメル皇女に「こっちがリルムで──こっちがクレイ」と頭に手を置いてリルムとクレイを紹介する。
「リルムはメル皇女殿下が皇族だからちょっと怖がってるみたいね。こっちはちょっと違うみたいだけど」
と、ラナは面白がるように笑ってみせた。
リルムは畏敬に近い感情をメル皇女に向けていて、圧倒されていたし、クレイはメル皇女が歩くたびに揺れる大きな乳房に目が釘付け。
女性の胸がこんなに大きいだなんて──クレイはラナのそれと見比べるように視線を動かしていた。
「ふふふ。男性は幼くてもやはり男性なのですね」
「ええ、本当に……」
ラナは肩を竦めて呆れ顔をしてみせる。
メル皇女の隣を歩くニム皇女はメル皇女の服の裾を掴んで震えていた。その尋常でない様子にラナは
「どうしたのかな?」
と、聞いた。
「…………」
ニム皇女は目をぎゅっと閉じて何かを振り払うようにぶんぶんと頭を振る。
「ごめんなさい。帝都でいろいろあって、私と違ってこの子はまだ幼いから心の傷も深いみたいなの」
メル皇女の言葉にラナはニム皇女に声をかけるのを止めた。
帝城から追われた二人の皇女。帝都では勇者と異世界人が皇帝の座について皇族を殺害したという。
今、目の前にいる二人の皇女。帝都から逃れてきたのだとしたら何があってもおかしくはない。それこそ、男たちに下卑た扱いを受けていたのかもしれない。
メル皇女の表情からもそれは伺うことができた。
「こちらこそ。申し訳ありません。聞き過ぎてしまったみたいだわ」
ラナが謝ると、ニム皇女が声を振り絞るように──
「私こそ、ごめんなさい。あの……目が怖くて──」
と言った。
直接自分に向けられた視線ではなくても、女性を値踏みするように舐める目の動きがニム皇女は怖かった。
「あー、それはロインとクレイが悪い。キツく言っておくからね」
「い、いいえ……大丈夫です。頑張りますから。クウガのお母様にご迷惑をおかけするわけには参りません」
「怒って良いことだから。メル殿下も遠慮なく怒っていただいてよろしいので」
ラナはそう言ってロインとクレイにキツい視線を送る。
バツが悪そうに目をそらすロインと何が何だかわからない様子のクレイだった。
ジノ家の屋敷を出て西に歩くことしばらく──。
丘の上の建物が見え始めた。
近付くに連れて大きくなる子どもが燥ぐ声。
「あれが、教会の建物です。あの向こうに孤児院と修道院があるんですが、きっと今頃は中の広場で子どもたちと遊んでいることでしょう」
メル皇女は柔らかく微笑んでラナと目を合わせる。
遠くから聞こえる子どもの声に混じって、聞き覚えのある声にラナの胸は高鳴った。