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北ファルタ 四

 粉雪が舞う中、彼女たちは新雪に足を取られながらゆっくりと歩みを進めていた。

 歩みを進めるたびに深い雪に足が埋まり、それを鬱陶しいと感じたラナはボソッと呟く。


「獣道の雪景色って歩き難いったらありゃしない。いっそ、魔法で吹き飛ばしちゃおうかしら」

「それは良い案だけど、キリがなさそう……」


 ラナと彼女の隣を歩く白羽結凪もこんなに雪が深くなければとラナの言葉に賛同しそうになったが、視界はあたり一面が厚い雪に覆われた森の中。いちいち雪を飛ばしてたら魔力の底があっという間に尽きそうだと辟易した表情を見せる。

 そんなふたりの後ろには白銀色の髪と長い耳の持ち主──ラエルが軽やかに歩いていた。

 木々の隙間から時折見えるファルタ川に目を向けて、彼女はエルフ語で言葉を発した。


『そう言えば、夜中に帆を立てた小さな船が一隻、川を下っていたのを見た』


 ラエルは本当なら主である森のエルフの王族──ララノアの傍で仕えているべきなのだろうが、彼女は今、主と距離をおいて歩いている。

 ララノアはラナの夫──ロインに首ったけでどうにかして仲良しになれないかと日々画策。

 ロインと話すためにニンゲンの言葉を学ぼうと頑張る姿は褒めたいところだが同じエルフとしてニンゲンの男性にそこまで執着するのは理解し難い。

 とはいえ、ラエルはロインとラナの息子、クウガを好ましく思っていて、いつか彼が成長した姿を見たら、わたくしもララノア様のことを言えなくなるのかもしれない──と、そう思うと、ララノアのことを責める資格はないのだろうと心の中で納得する。

 話は戻り、ラエルは昨晩の見張りで川を下る一隻の船を見た。その話をラナと結凪に伝えることに。

 ラエルが発したエルフ語を理解できる異世界人の結凪。


『この辺は船をよく見るけど──帆がある船なんてあった?』

『いいや。私は見てないな』


 結凪はラエルの言葉を訳してラナに伝える。


「小さな帆がある船だったらバッデルで見たわ。クウガが砂金を掘ったっていう河岸で私たちも砂金掘りしたじゃない? そのときに川下の船着き場に何隻があったの」


 ラナはどこかにクウガがいるのかもしれないと、絶えず周囲の様子を気にしていた。

 こういうことはロインのほうが優れているだろう。だが、ロインよりもラナのほうがクウガへの気持ちが強かった。

 そのために、周囲に目をやり、少しの変化も見逃さないように気を張っている。

 これまで通過したいくつかの獣人族の集落でもそう。

 ラナはクウガの情報をささいなものでも求め、結凪に通訳を頼んで聞き取りもした。


「それが本当だったらバッデルから下ってきたみたいだよね」

『これまで立ち寄った集落では新しく出来た人間の町と交易があると聞いた──確かそうだったはず。だとしたらバッデルと北ファルタとやらで行き来があっても不思議ではないんじゃないか?』


 結凪の言葉にラエルがエルフ語を挟む。


「そうよね……」


 クウガかもしれない。

 ラナは期待したがそうじゃないかもしれないと思うと落胆して肩を落とす。


「あと数日もしたら北ファルタに着くみたいだから、きっと手がかりが見つかるよ」

「そうだったら良いんだけど……」


 ラナは娘のリルムと繋ぐ手に力が入ると


「お母さん……痛いよ」


 と、可愛らしい声で訴える。


「あ、ごめんね」

「んーん。大丈夫。お兄ちゃん、きっと先に着いてると思うよ」


 リルムはお兄ちゃんが大好きっ子。

 美味しいお茶を淹れてくれて、いろんな魔法を教えてくれた。

 ラナのもうひとりの息子。クレイは夫のロインと一緒。

 そこで異世界人の女性たちとエルフの王族──ララノアに囲まれてデレデレと過ごしている。

 最近はラナがロインとコミュニケーションを図りたくても思ったように会話ができないでいた。

 コレオ帝国の平民は厳密な結婚制度はなく乱婚のような状態。

 ある程度の理解は示しているがロインを独占し続けたい気持ちは変わらない。

 こんなときにこそ、支えて欲しい。そう思ってもロインもクレイも頼りにならない。


「お姉さま!」


 後ろから走ってラナの後ろについたのはレイナ・イル・セア。


「ごめんね。レイナを使っちゃって」

「それは良いの。お姉さまのお役に立てるなんてこれほど喜ばしいことはないわ」

「それはどうも……あっちの様子はどうだった? 食糧は足りそう?」

「もって明日というところかしら。こっちはあと数日は大丈夫なんでしょう?」

「そうね。でも、向こうの食糧が足りないようだったら、こっちのを少し分けるよ」

「向こうはそれで喜びそうだけど、食糧が足りないことを心配してなさそうだったし、この状況は良くないわね」

「私じゃどうしようもないもの。こうして食べ物の心配するだけで精一杯。せめてクレイがこっちに来てくれたら良いんだけど、異世界人とララノア様に懐いてるしね」

「本当。クレイくんがこっちにいたらもう少し食事に気を使ってって言えるのに」


 ラナたちには重大な懸念があった。

 バッデルを出てからしばらくしてわかった北ファルタまでの距離感。

 獣人族の集落をいくつか経て北ファルタの情報を得てわかったことだった。


「本当にごめんなさい。私たち異世界人はそういった知識に乏しくて、ご迷惑をおかけしてます」


 結凪はそういう話が出るたびに、ラナに頭が上がらない思い。

 バッデルを出てしばらくして、パーティーが完全に二分した今、こっちの食糧、あっちの食糧と様々なものが分断されている。

 こういった食糧事情を銀級冒険者として活躍したラナは当然のように把握。

 ロインが役に立たない状態の今、ラナがこの旅の生命線になっていた。


「こっちこそ。ごめんね。ユイナちゃん。ところでハルカちゃんは?」

「食べ物ゲットするんだって狩りをしに急いで先に走ったけど、粘ってそう……」


 柊遥は異世界人で魔女の恩恵を持つ魔法使い。

 彼女は進行方向を先に行って食糧となりそうな獣を狩りに一人で出ていた。


『やはり、詠唱が必要な魔道士では狩りは難しいか』


 ラナとレイナにラエルが続く。


「ねえ、お母さん」


 リルムがラナの手を引いた。


「わたしも狩りに行ってみたい」

「え、リルム。一人じゃダメだよ。私は後ろを気にしないといけないから離れられないし」

「でも、ハルカが心配なんでしょ?」

「ま、そりゃあ気にはなるけど……」


 リルムは戻ってこない柊を心配して様子を見に行きたい。

 だが、十一歳の子どもが単独で行動するのは、バッデルから川沿いのけもの道を下るルートは比較的安全とは言え危険であることに変わりない。


『狩猟ならわたくしも行こう。それなら安心して行かせられるだろう?』


 ラエルがリルムとの同行を申し出るとラナはひとまず安心して


「そういうことなら仕方ないね。リルムが初めて自分で行きたいって言い出したんだもの。親としては送り出してあげないとね」


 と、リルムの背中をラナは押した。


 リルムはラナから離れてラエルと二人、前方へと走る。


『ありがとう。ラエルさん』


 道すがら、リルムは拙いエルフ語でラエルに言う。


『クウガにはとても世話になったからな。今はこんなことでしか恩を返せないが、クウガは家族のことをとても大切にしていたようだからね。ならば、わたくしも、クウガの家族を大事にしようと思ったまでだよ』


 難しい言葉はリルムには伝わらない。

 それでも、兄が築いたラエルたちとの縁がリルムを守ってくれる。

 半年近くも逸れているクウガをリルムは身近に感じていた。


「お兄ちゃん……」


 小さく呟くリルム。

 柊を探すそのすがら、リルムは遠くの兄へと想いを馳せた。


 柊はすぐに見つかった。


『あそこにハルカがいるぞ』

『あ、本当だね。行ってみよう』


 ラエルが持ち前の索敵能力で柊を察知。

 リルムとラエルはすぐに柊の傍に向かった。


「やあ、リルムちゃん。今日も可愛い!」


 雪に尻をつく柊の姿。

 濃紺のローブに身を包み、まるで悪い魔女のような装い。

 柊が異世界に転移してから変わらぬ厨ニ心がそのまま歩いているよう。

 柊はリルムの姿の他に、銀髪のエルフの姿を視認。


『それにラエルさんまで。どうしたんです?』


 柊も異世界人だからか、エルフの言葉が通じる。


『リルムとわたくしでハルカを探してた。随分と先に行って戻ってこないから心配したんだ』

『心配かけてごめんなさい。このとおり、魔力が切れてヘバッてました』

『それで、成果はなし……か……』

『そう! 一匹もゲットできませんでした』

『この辺りは獣が多くないし、気配を察しやすそうだ。詠唱が必要なニンゲンの魔道士では難しいだろう』

『あははは。ラナさんみたいにかっこよく──ってつもりだったんだけど……』


 柊は狩りに失敗して一匹たりとも捕らえることができなかった。

 笑う声は力がなく。無力さを嘆くよう。

 リルムはハルカの様子に心痛。


「ハルカ、大丈夫?」

「私は大丈夫だよ。ありがとう。リルムちゃん」


 そう言って柊は「よっこらせ」と声を出して立ち上がる。


「それにしても、一匹も獲れなかったのは残念だよ。詠唱しないと魔法が使えないっていうのは本当に不便だよね」

「詠唱は声が出るから、使い所が難しいってお兄ちゃんが言ってた」

「クウガくんだっけ? お兄ちゃんもラナさんみたいに詠唱しないで魔法を使うんでしょう? すごいよね」

「うん。領民学校では魔法を教わっても詠唱魔法だけだったし、適性がないと発動しないから。学校ではお兄ちゃん凄いねってみんなに褒められてたんだよ」

「リルムちゃんのお兄ちゃん。私も早く会ってみたいな」

「きっとハルカならお兄ちゃんのこと気に入るよ」

「レイナちゃんも気に入ってるクウガくんと会うのが楽しみなんだよね」

「ハルカの期待を裏切らないと思う! わたしの自慢のお兄ちゃんだから!」


 パンパンと尻を両手で叩いて雪を払う柊と、彼女を見上げるリルム。

 二人は言葉を交わし、ひとまずの安心。


『向こうにスノウバイソンの群れがいる』


 ラエルの声でリルムと柊は目の色を変える。

 特に柊は「牛肉……」と日本語で小さく呟いていた。

 ラエルは矢筒から矢を一本、引っ張り出して弓に屋を番える。


『行くよ。ハルカは魔法を控えて、リルムはいつでも魔法を撃てるよう準備をしておいてくれ』


 そう言って先陣を切るラエル。

 ゆっくりと気配を殺して群れに近付き、一頭のスノウバイソンに狙いを定めた。


『仕留めそこなったらリルムの魔法で動きを封じてくれ』


 ラエルの言葉にリルムは小さく「はい」と頷く。

 リルムにもスノウバイソンの姿が視認できた瞬間に、ラエルは矢を放った。

 エルフ族固有とも言える魔力が乗った矢は勢いよく飛んでいきスノウバイソンの眉間に突き刺さる。


──mooooooooooo!!


 スノウバイソンはけたたましく鳴き、矢が放たれた方向──ラエルに向かって走り始めた。

 雪を舞い上げやり返さんとばかりに白い鼻息が勢いよく流れる。

 矢が突き立ったスノウバイソン以外は逃げ遂せ、すでに姿を見ることができない。


『リルム──ッ!』


 ラエルが叫ぶと、リルムは魔法を放った。

 風属性魔法。風の刃をスノウバイソンの首に目掛けて。

 だが、それでもスノウバイソンは止まらない。

 リルムの魔法はスノウバイソンの首を斬り付けたが、致命傷には至らず、一瞬、動きを止めることが出来た程度だった。


「ごめんなさいッ!」


 スノウバイソンを仕留めるほどの威力が出なかったことにリルムはラエルと柊に謝る。


「一瞬でも止められたんだから上出来だよ──ッ! いっけー!」


 小さく詠唱を重ねていた柊は最後の発動を待っていた。

 スノウバイソンがリルムの魔法で足を止めた瞬間に「風刃壊(ソニック・ブレイク)!」と声を張り上げ、スノウバイソンを標的に発動させる。

 魔法はスノウバイソンの足元から真空の刃が音速の速さでせり上がり、その首を刎ね上げた。


『随分と派手な魔法だね』


 と、ラエルが言えば


『どんなもんだい! これが異世界人の魔女の魔法ってやつよ!』


 と、柊は調子に乗る。


「ごめんなさい。わたしの魔法、威力が足りなくて……」


 リルムは下を向くが、ラエルと柊は二人してリルムの頭を撫でた。


『いや、良い魔法だった。私の弓が浅かったが、リルムは足を止めることができたんだよ。一番良い仕事をした』

「リルムちゃんの魔法がなかったら、あれ、撃てないから。ラエルさんの言う通りでさ、リルムちゃんが一番いい仕事したんだよ。そこは誇って自信を持ちなよ」


 二人が褒めてくれたことでリルムは救われる思い。


『血が回る前に、血抜きをしよう。手伝ってくれ』


 せっかく狩ったスノウバイソンを美味しく戴きたいということでラエルはすぐさま放血しはじめる。

 ラナたちが追いついたのはラエルがスノウバイソンを解体し始めてしばらくしてから。ロインたちが追いついたのはスノウバイソンの解体が終わる頃だった。


 この日を境に食糧事情が一変。

 これまで我慢がちだった食事が、美味しい肉が毎回食べられるようになった。

 味付けは塩だけなのに、異世界人の女性たちはあまりの美味しさに、食事が待ち遠しくなるほど。

 数日の旅程で最後は肉しか残らなかったが、それでも飢えることなく北ファルタに到着。


「こんなところに──」


 ロインが思わず声を漏らした。

 どこどなく懐かしい雰囲気。

 珍しくロインが先頭に立って足を踏み入れる。


「嗚呼、ロインさん、ラナさん……。お久し振りです。覚えていらっしゃいますか?」


 雪が積もっているが道らしき道に差し掛かると見覚えのある人影。

 その一人がロインとラナに話しかけてきた。

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