北ファルタ 二
ルーサの長い話を聞いたメル皇女は「そうですか……」とため息交じりで声を漏らした。
「この町は今、ラプス・イル・ジノ伯爵によって治められております。私のほうから話を通しておきましょう。それで、差支えが無ければ皇族であることを証明するものがあればお見せいただけますでしょうか?」
無礼じゃないかと思ったけど皇族を証明できるものがなければ伯爵家に紹介できないというのは当然か。
メル皇女もそれを知ってるから嫌な顔をせずに首元に下げているネックレスを取り出した。
ネックレスには大きな宝石が飾られ、宝石の奥に帝国の紋章が刻まれていた。
「今、身分を証明できるものはこのコレオ帝国建国時に作られたという、このネックレスのみです。特殊な魔力が施されているようですが私にはわかりません」
そう言ってメル皇女はネックレスから宝飾品を外してテーブルの上に置く。
それを見たルーサは後ろの奥に向かい──
「スイレン。ちょっと来てもらえるかしら」
と、大きな声を投げかけた。
「はーい。今行きまーす」
可愛らしい声が返ってきた。
トントントンと小気味よいリズム感の足音が近付いてきて、スイレンと呼ばれた女の子がやってきた。
「スイレン。私の隣に座って、この宝石を見てもらえるかい?」
「はい。わかりました」
スイレンはルーサの言葉を聞いてルーサの隣に腰を下ろした。
すこしばかりふっくらした体型だけど俺と同じくらいの年齢のよう。
肩より短い髪は金髪というには少し淡い色をしているし、瞳は同じ碧眼という割に少し独特な色合いをしている。
そんな彼女が座るときに控えめには見えない胸がたゆんと揺れた。
それからまもなく彼女はメル皇女の装飾品をじっと見つめる。
『ん? 魔力!?』
敏感に反応をみせたのはアルダート・リリーだった。
俺にも感じられた微かな魔力の揺らぎ。
モルグとアルニアにはこの魔力の微動がわからないらしい。
もちろん人間のメル皇女とニム皇女も「鑑定かしら?」なんて言葉を発したのみ。
俺には幾重にも重なる魔法陣のようなものが幾何学的に描かれて作動しているようにも見えている。
そんな俺の様子を察したのか、アルダート・リリーが俺に視線を向けていた。
ゆっくりと規則的に蠢く魔法陣が動きを止めて魔力の揺らぎが収まるとそこにあった魔法陣は霧散。
どうやら、これは何かしらの恩恵によるスキルなのだろう。
スイレンの魔力が収まると彼女はゆっくりと口を動かした。
「どうやらこちらは伝説の幻獣カーバンクルの額にあったアルマンディンのようです」
スイレンの言葉にメル皇女は目を見開く。
「建国史に書かれていたのは本当だったのね……」
領民学校でも教わったコレオ帝国の建国史。
御伽噺のような話で現実にあった話だとは俄かに信じられないものだったけど、その建国史に書かれていたのが初代コレオ帝国の皇帝が赤い魔宝石によって無類の強さを身に着け大陸統一の礎を築いたとされている。
俺が生まれたころには大陸統一の跡形もなかったし、再び帝国主義を抱えて異世界人を召喚し、周辺の国家を併合していく戦いの話ばっかりだったと領民学校の授業で先生から聞いたことがあった。
メル皇女なら俺よりもずっと詳しく知ってることだろう。
「ありがとう。スイレン。もう、行って良いわ」
スイレンの鑑定が済んでルーサが帰そうとしたが、それをメル皇女が「お待ちください」と引き留めた。
「スイレンは鑑定を使えるようですが、私──いいえ、お姉さまに仕えることはできるかしら?」
メル皇女はスイレンを勧誘した。
平民の俺は鑑定を使える人間を知らないけれど、おそらく、王侯貴族の間でも鑑定スキルを有するものを傍に置きたいのか。
貴重な人材なのは間違いない。
しかし──
「申し訳ございません。私は見習いとは言えニューイット様にお仕えさせていただく身でございます。主たるニューイット様以外の誰にもお仕えするわけには参りませんので……」
と、スイレンは目を伏せた。
「それは残念だわ。でも、気が変わったら私に話してちょうだい」
「はい。その時はよろしくお願いします」
「今日は鑑定してくださってありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ。貴重な品を鑑定させていただいて光栄に思います」
互いに目を伏せ合って頭は下げない。
俺のような平民と違ってルーサのように神職についている者、スイレンのように神職につくべく修行に励む人間は身分の扱いが違うようだ。
それは俺だけじゃなく、このやり取りを見ていたアルダート・リリーが不思議そうにしていた。
「このバレオン大陸には主神であられる女神ニューイット様を信仰する教会が各地にあるの。その教会で働く人間は国の管理下にございません。それでそれぞれの国の身分は適用されず、互いに頭を下げるなどの必要もありません。もちろん、ヒトと接するわけですから最低限の礼儀は当然、必要だけれど」
メル皇女は俺にそう言って、アルダート・リリーに伝えるようにと仕草を見せる。
『俺たちの国の神父と同じだぞい』
アルダート・リリーより先にモルグが言葉を発した。
魔族領にも似たようなものがあるが、魔族領を統べる魔王は女神の恩寵を授かった君主。
つまり、魔族の神職においては最高職ということでもあるらしい。
面白いもので魔族も人間も同じ神を信仰しているのに、人間から見た魔族の神は邪神だという。
魔族領では神職に携わる者はプリーストと呼ばれ教会では男性が就くことが多いようだ。人間は魔族のプリーストをイヴィル・プリーストと称している。
コレオ帝国の教会では男女で半々。司祭や司教と言った地位に女性が就くことも珍しくない。
なお、ドワーフの国では神職は男性のみ。女性は貴重なため神に身を捧げるという神職に就くことは許されないのだとか。
種族によって神職につけるものはそれぞれだけど、共通しているのは身分の保障。
アルダート・リリーは『ウチらでは神職ってほどのものじゃないだけどさ』と俺に返すと──
『こっちはシビラ様がそっかなー』
と、言った。
シビラと言えば脳天までしびれそうになるほどの魅力の持ち主。
強烈な魔力と固有と言える魅了の魔眼で心が強烈に揺さぶられたほど。
いや、魔眼は耐えられたけど、人間の男としての本能に抗えなかったんだろう。
女性としてとても魅力的なスタイルと色っぽい貌。今でも鮮明に思い出せるほど。
俺、こと、クウガはああいった外観の女性に惹かれるようだ。
狐人族のダージャもそう。俺の隣にいるメル皇女もそう。
前世の俺もきっとそうだったんじゃないかとさえ思えるくらいだ。
そんなことを考えていたら、左から「うふふ」とにこやかな笑みをするメル皇女と、何やら不服そうに俺の服の右袖を握る手に力を込めるニム皇女──ふたりに現実の世界に引き戻された。
俺はふたりの皇女たちにモルグとアルダート・リリーがドワーフや魔族にも神職のようなものが存在すると伝える。
おそらくエルフ族もそう。
一緒に旅をしたララノアも女神がどうとか言ってたし。
「話はもう良いかしら?」
話が一段落するとルーサが口を開く。
「メル皇女殿下をお試ししたことはお詫びします。ラプス様との話ができるよう私のほうで調整いたしましょう」
「ありがとうございます」
ルーサたちと皇女たちの会話はスムーズに進む。
身分を気にしないためか余分な言葉や動作が全くない。
「いいえ。ロインの息子をここまで届けてくださったんですから。クウガくんは私には孫も同然。感謝してもしきれないくらいよ。だからラプス様との会談をするまではこちらでお過ごしください」
ルーサはそういうと「スイレン、レッカと二人でお客様のお部屋を用意してもらえる?」と隣に座る少女に言った。
スイレンは「はい。かしこまりました」と笑顔で応じて立ち上がると、綺麗な所作を見せて後ろに下がる。
「重ね重ね、ありがとうございます。ですが食事のお世話に与ってよろしかったのでしょうか?」
「ええ、南ファルタのころよりも、こちらのほうが土地が豊かで庭の作物が良く育つのです。食事には不自由ありませんから」
それからしばらく、ルーサとメル皇女の会話が続いた。
ルーサの話には年齢のことも含まれていて、どうやら、父さんがルーサの下着をくすねたりといった悪戯をしていた、今から二十年近くも前の話にまで及んだよう。なお、当時のルーサは四十歳ほどだったとか。
今は六十歳となり、実年齢より随分と若く見られるようだが、ちょっとした動作でもたゆんと揺する大きな乳房と細い腰つきが多感な少年の情操を刺激したのだろう。
かくいう俺も、前世の記憶があるわけで、修道女という言葉の響きには濃厚な甘美さを感じさせる魔力が宿っていることを知っている。
できれば若かりし頃のルーサを見てみたかった。そう思えるほどの美貌を今も保っている。
この修道院は教会と孤児院も兼ねており、老齢に差し掛かるルーサは後継を養っているという。
そして自らの仕事は徐々に引き継いで、少しずつ、次代に任せているのだとか。それで時間に少しゆとりがあるからなのか、
「準備ができるまで時間があるから中を案内いたしましょう」
と、ルーサはそう言って修道院や孤児院を見せてくれることになった。
モルグとアルニアも一緒に見て回り──アルニアは武器や防具、それと付け髭を外して──人間の子どもたちの姿に目を細める。
孤児院にはおよそ三十名近くの子どもたちが過ごしていた。
この時間はお昼ご飯の準備をしたり、手が空いている子は外で畑作業をしたりしている。
中には作業道具の手入れをしている器用な子もいてモルグも子どもたちに興味を持ったようだった。
『お父さん、すっごく賑やかだね』
『ああ、ニンゲンの子も元気なもんだ』
ドワーフの言葉で二人は言葉を交わす。
『ね、あの子、凄く上手じゃない?』
『俺より上手いな。恩恵持ちか?』
『ニンゲンにも鍛冶の恩恵を持ってる子がいるんだね』
『そうみたいだな』
少し色が濃い金髪の少年の手元に二人は感心。
その少年がふと手を休めて顔を上げると、何やらこっちを見て顔を赤らめた。
彼の目線の先には──。
『お、少年。目が合ったね』
アルダート・リリーの姿が……。
全裸に近い半裸の幼女姿で彼女は「二ヒヒ」と笑う。
「あ、あ、あ……」
少年は言葉を失った。
「あら、同じ年くらいに見えたから気になったのね」
少年の様子に気が付いたルーサ。
彼女は彼の名前を教えてくれた。
「この子はサイリス。かわいい子でしょ?」
「たしかに可愛い。でも、ウチを相手にするには早いんじゃない?」
ルーサの言葉にアルダート・リリーが片言の帝国語で返す。
「あら、魔族のようだけど私たちの言葉が分かるのね」
「ん。メルとニムが教えてくれたんだよ」
「あら、そう。北ファルタに来てから人間以外の種族を見るようになったけれど、こうして実際にいろんな姿の子がいて新鮮だわ」
アルダート・リリーには難しい言葉は分からないらしく俺に通訳を頼むと、
『昔はちょくちょくこっちに来てたんだけどねー。ここ数百年は争いごとばっかりで全く交流しなくなっちゃったし』
と、アルダート・リリーが言う。
幼女のような彼女でも立派な夢魔族の成人らしく、本人は千年は超えてるという時間を生きていると主張してる。
俺がアルダート・リリーの言葉をルーサに伝えようとしたが、途中で少年──サイリスに遮られた。
「あ、あ……あの、ぼく、サイリス。キミは?」
彼はこちらに近寄ってきていて、アルダート・リリーに声をかける。
二人が向かい合う姿は同じくらいの年の子が話しているようにしか見えない。
「ウチ?」
と、アルダート・リリーが答えるとサイリスがうんと頷き、アルダート・リリーはこう言った。
「ウチはリリーだよ」
「じゃあ、リリーって呼んで良い?」
「良いよ」
「やった! ね、リリー遊ぼ」
サイリスはアルダート・リリーの手を引っ張って孤児院の仲間たちのところに走る。
アルダート・リリーは一瞬イヤそうにしていたけど、振りほどくのはやめたようだ。
「リリーさん、ごめんなさいね」
「良いよ。たまにはこういうのも悪くないかも」
ルーサが謝ったが、アルダート・リリーはサイリスが「ね、新しいお友達を連れてきたよ」とそのまま子どもたちの輪の中に入っていく。