狐人族 三
俺が淹れたお茶が微妙な空気を生んだ。
『クウガくんの夢に入ったことはあるけど、普通のニンゲンって感じだったよ』
ダージャの疑問にアルダート・リリーが答えた。
『でも、次の日にクウガくんってウチの夢に入ってきて好き放題していったよね?』
アルダート・リリーの言葉がさらなる疑問を呼ぶ。
『それは普通のニンゲンができることなの?』
『やー、出来ないんじゃない?』
『でしょ? そもそも狐人族の茶は狐人族の間でしか伝わってないからニンゲンが知ることはないからさ』
もし、この日本茶の淹れ方がこの世界で狐人族にしか伝わっていないのなら、怪しむのは当然。
さらに俺はアルダート・リリーのマネをしてアルダート・リリーの夢の中に侵入できたことがあった。
睡眠欲を刺激して深い眠りに誘う。アルダート・リリーの夢に侵入できたのは偶然だっただろうけど、俺の直感ができると教えてくれていた。
幼少期に母さんのマネをしたときみたいに、魔が差したことがアルダート・リリーとダージャの疑問をより深めている。
やっちまった。
そう思っても時は既に遅し。
ファルタで修道女さんから聞いた父さんのように──魔が差してルーサという名のおっぱいが大きいお姉さんの下着を盗んだように──俺も魔が差してしまったんだ。
どうやって言い訳しよう……。
前世の記憶があることだけ誤魔化せれば良いんじゃないか。
そうこう考えていたらダージャが俺に訊いてきた。
『クウガはどうしてアタシらのお茶の淹れ方を知ってたの?』
答えないとダメだよね……。
『な……なんとく、こう淹れたら良いんじゃないかって思ったんです』
苦しい言い逃れだ。でも、他に答えようがない。
『そう……』
ダージャは一呼吸着いてお茶を啜る。
物憂げな表情で『はぁ……おいし』と小さく声を漏らすと、アルダート・リリーも続いて湯のみに口を付ける。
ダージャとアルダート・リリーはこの件の追求はこれ以上してこなかった。
それからダージャの家人が呼びに来るまで俺とダージャとアルダート・リリーの三人で過ごす。
ダージャからは狐人族という種族について教えてもらい、この村のことを語った。
『昔、アタシが九尾を継ぐ直前のことさ──』
まだ、ニンゲンと魔族の間に交流があった時代。
狐人族の村は今も昔も変わらず幻術によって外界から訪れるものを拒絶していた。
数千年の間、他種族との交流を拒絶し、滅多なことでは世に出ず独自の文化を築いていたそうだ。
それでも、魔王ナイアとその幹部たちとの交流があり、また、エルフ族との交易も細々と繋いでいたらしい。
そんなある日、一人のニンゲンがエルフの女性と一緒に迷い込んできた。
魔族とニンゲンの交流があった時代でもエルフ族は極めて閉鎖的でニンゲンとの交流は全く結んでいなかった。
しかし、そのエルフ族の女性は魔族領内での旅の途中にニンゲンの男を拾う。
このニンゲンの男は魔族領を旅する最中、獣人族の野党に襲われ大怪我をしていたところ旅のエルフに救われて狐人族の村に迷い込んだ。
狐人族の村はエルフを拒絶しない。
なぜならエルフ族の幻術と狐人族の幻術は同じ原理のもの。古の時代から交流があり、どちらも郷を幻術で隠すということをする。
エルフ族が棲む森は迷いの森と呼ばれ、狐人族の棲む郷は桃源郷とも言われることがあった。
狐人族は生物の精を糧とする。
ダージャはそのニンゲンの精を食わせてもらえないかエルフの女に話を持ちかけたそうだ。
だが、女はそれを拒否し、ダージャは諦めた。
エルフの女が匿ったニンゲンは怪我が癒えるまでエルフの女と共に滞在し、それぞれの故郷に戻ったらしいとダージャは言う。
『ニンゲンはその時に見たっきりさ』
ダージャは懐かしそうに言い『こんなことならいただいておけば良かった』と思ったそうだ。
後悔があるから記憶に強く焼き付いている。
『そういうことだから、アタシはクウガの精が欲しいのさ』
口元が妖艶に釣り上がり、思春期を迎えたばかりの俺の性欲を刺激する。
ダージャの魔力が膨れ上がっていく。
『まったく。ダージャ。それ以上はやめておきな。ナイア様にバレたら大変だよ』
アルダート・リリーがダージャを引き止めて注意する。
ダージャの魔力は萎むように弱まり、不服そうにアルダート・リリーのほうを向く。
『あら、良いじゃない。アルちゃんだって食べようとしたんでしょ?』
『そうだけどさー。ウチ、クウガくんに返り討ちにされて敵わないってなったばっかりだよ』
『それはアルちゃんがクウガの夢に入ったからクウガの仕返しにあったというだけでしょう? アタシは物理だから。男の子と有り余る精のおこぼれでも良いんだよ。アルちゃんも物理で行ってみる?』
『や、ナイア様が怖いからムリ……』
『危害を加えなければ良いじゃない。クウガの魔力ならアタシとアルちゃんに精を与えたところで何の影響もないんじゃないかな。きっと排泄物みたいに垂れ流すだけのものだろう?』
『そうかもしれないけどさー』
どうやら俺は獲物のようだ。
精を食う──それも物理で──というからアレのことだと思うけど。
目の前のダージャはナイアの側近のシビラに匹敵する魔力量の持ち主だと感じられる。
本気で魅了をしてきたら抗うのは難しいだろう。
シビラに魅入られそうになったときもそうだった。
ましてや俺は性に目覚めたばかりの思春期。
こんなに綺麗で色っぽいお姉さんに言い寄られたら断りきれないだろう。
『ほら、クウガだって満更でもないみたい』
いたたまれない気持ちの俺を見たダージャはそう言った。
近頃は誘惑がとても多い。
ニコアとミローデ様と別れてから周りの人がとても優しくて、気持ちに余裕が出来たことも影響してる。
やたらとベタベタしてくるメル皇女とニム皇女に対してもそうだ。
幼児体型のアルダート・リリーとニム皇女にはうんともすんとも言わないものは目の前のダージャやメル皇女にはしっかりと反応を示す。
ダージャの色香に当てられた俺に気がついたアルダート・リリーが揶揄いはじめる。
ふたりともおそらくそういった匂いに敏感なんだろう。
ゆっくりと甘ったるい香りを漂わせながら俺の近くに躙り寄る──が……。
アルダート・リリーがダージャを俺の視界から隠したことで俺は平静を取り戻した。
『ん? アルちゃん。そうでもなかったみたい。勘違いだったかなー』
ダージャは俺の顔を覗き込もうとアルダート・リリーの横から顔を見せる。
彼女はとても美麗な造形で見るものを圧倒させるものがあった。
バッデルで見た獣人族と違い洗練された美しさを感じさせる。
それに人間に近い容姿のせいか綺麗なお姉さんのように思えるダージャに見詰められると気恥ずかしく。
思わず目を逸らすと『ん?』とダージャが声を発した。
『アタシとアルちゃんの魅了には耐性があるみたいね。でも……』
ダージャはそう言ってアルダート・リリーの横に移動する。
気崩れた和服から胸の谷間が──とても柔らかそうで思わず目が釘付けに。
『あ、クウガくん、おっぱい好きなの?』
俺の視線に気が付いたアルダート・リリー。
ダージャも当然気が付いているようで。胸元に手をかけてわざと見せつけてこようとする。
すると、そのタイミングで『お客様が参られました』と襖の外から女性の声がした。
『あら、残念ね』
ダージャは柔らかく笑み『通して良いよ』と襖の外の家人に返す。
「皆様、揃っていらしゃったのね」
家人が引いた襖から敷居を跨いで部屋に入ってきたのはメル皇女とニム皇女。
──助かった……。
異性の精を獲物とする二人の魔族の攻勢から引き離されて安堵。
しかし、よく見るとメル皇女とニム皇女はダージャと同じ着物姿。
幼児体型のニム皇女は置いておいて、メル皇女の和服姿はダージャに負けず劣らずの魅力を醸し出していた。
「おふたりともとてもお似合いですね」
思わず漏れる褒め言葉。
おふたりともと言いつつ俺の目はメル皇女に向いていた。
「ありがとう。家の方が湯浴みを手伝ってくれて着替えをご用意してくださったの。変わったものだからどうかと思ったけどクウガに褒めていただけて嬉しいわ」
桃色の頬はどうやら温かい湯に浸かったからのようだ。
メル皇女は胸元に手を添えて褒められたことを喜んでくれたようだった。
それはニム皇女も同じで嬉しそうにしている。
「こちらのお風呂。素晴らしかったわ。メルお姉様とご一緒したけど、クウガともご一緒したかった」
どうやらバスタブのようなお風呂ではなく、何人も入ることのできる浴室があるようだ。
ふたりの皇女は魔人語は少しずつ理解し始めているが獣人語は全く通じていない。
喋ることができないから俺に会いに来たのだろう。
彼女たちは俺を介さないと狐人族たちとの意思の疎通がはかれない。
それでも言葉が通じないなりに家人とどうにかやりとりをして風呂の使い方を教わったり、着物の着付けをしてもらったりしたようだ。
それにしても、一緒に風呂だなんて皇女が言ってはいけないような気がする。
『この館の風呂は温泉を引いているからね。気に入ってもらえたようで何より。それにしてもふたりとも着物がよく似合ってるねぇ』
ダージャは俺から視線を外してメル皇女たちのほうを向いた。
ようやっと解放され、ホッと一息。
『湯を張り替えが終わったらアタシがクウガに風呂の案内をしよう』
どうやらひとりで風呂に入れないらしい。
彼女たちの中ではニンゲンは広い浴槽の使い方をしらない種族と認定されているようだ。
話を聞くと魔王城にはこの九尾の館よりもずっと大きな浴槽を収めた浴室があったが先の勇者との戦いで破壊され、魔王城で寝食を過ごす貴族たちは桶を作って湯浴みをしていたのだとか。
それでアルダート・リリーはニンゲンは浴槽に浸かるという文化がないと思っていた。
まあ、実際、大きな浴槽に浸かるということは今生ではなかった。
異世界人たちは風呂というものを持ち込んだりしなかったのかと。
しかし、どうやら彼らたちはシャワーが主で風呂に浸かる派は少なかったようだ。
それで帝都にはシャワーが存在するが風呂は湯浴みができる程度の大きな桶で済ませていたらしい。
そんなようなことをメル皇女が言っていた。
異世界人──俺の前世のクラスメイトたちはこの世界に召喚されて、この世界に存在しないものをいくつか、この世界に知識を持ち込んだと言うけど、風呂や水洗トイレ、上下水道みたいなものを普及させることができなかった。
考えてみたら元の世界での知識は高校一年生レベルだからたかが知れてる。
それでも、男子にありがちな自動車や電車、銃などのマニアや手先が器用でモノ作りが好きな者たちがこの世界に齎したものもあるそうだ。
特に銃は俺の日常を奪った。それをもたらした異世界人を許すことはできない。
特に帝国を乗っ取った勇者たちには必ず復讐する。
思い出しただけでドス黒い怒りの炎が胸のうちから巻き上がり──。
「クウガ、怖い顔してる……」
ニム皇女の声で我に返った。
「……すみません」
いたたまれない気持ちで謝るとニム皇女は「大丈夫」と笑ってくれる。
皇族だけあって幼いながら綺麗な顔立ちの美少女。
そんな彼女の微笑みは気持ちを和ませるものがあった。
「もしかして異世界人のことを思い出してた?」
ニム皇女は俺と同じ年齢。
俺より半年ほど先に生まれてるけど。
彼女は兄や弟を殺されたことを憎んでいる。
純潔を奪われ手足に杭を打たれて四肢が腐れ落ちていく痛みや苦しみよりも、親兄弟の命を摘んだことに対する復讐心のほうがニム皇女の中では強い。
俺が初めて見たニム皇女の姿は酷い有様で生きているのが不思議なほどだったし、そのことを恨んでも仕方ないとさえ思えるのに、彼女は奪われた家族の命の償いを勇者たちに求めていた。
ニム皇女もふとした瞬間に異世界人の姿が脳裏に浮かび、復讐心が駆り立てられるという。
しかし、彼女を助け出したのは異世界人の時庭と木曽谷。
メル皇女と同様に、異世界人への復讐心を皇帝の座を簒奪した異世界人の勇者たちに向け直している。
俺と似た境遇なのかもしれない。
だから、こういう感情の動きを悟られることが多々あった。
「すみません……」
「謝らなくて良いの。私も異世界人のことは許せないから」
ニム皇女はそう言って俺の服の裾を掴んで手をギュッと強く握る。
俺が思い出したことでニム皇女の記憶を掘り起こしてしまった。
申し訳なく思った俺は、再びお茶を淹れる。




