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狐人族 二

 居間に近づくと畳の匂いがする。

 まるで日本に戻ってきたかのような感覚に陥った。

 十三年ぶりの和室。

 転生前の日本では和室はそれほど流行ってなかったけど、前世の俺の部屋は和室で畳の匂いがとても好きだった。

 天羽(あもう)空翔(くうが)の記憶が鮮やかに蘇ってくるよう。

 居間の上座にはひときわ鮮やかな座布団が見えた。

 真っ赤な漆塗りの肘置きがあり、そこがダージャの席なんだろう。

 居間に入るとダージャが家人に指示を出してた。

 席の用意をさせるんだろう。

 急に寄ったから準備なんてできてないだろうしね。


『席の用意をさせてる。クウガはこの家の造りに興味があるみたいだね』


 懐かしくて室内をあちこち見ていたことに気がついていたダージャ。

 彼女は俺の顔を見て嬉しそうにしながら『障子を開けて』と声を出すと、家人がさっと四枚扉の障子を開いた。

 窓から見えた見事な庭。

 冬囲いはしているものの、それでも、雪で真っ白な庭に俺だけじゃなく、メル皇女とニム皇女も声をあげた。


『九尾の館の庭は凄いよね』


 アルダート・リリーの目も九尾の館というこの家の庭の景色が美しく映っているようだ。


『アルちゃんは何度か来たことあるでしょう?』

『何度かって言っても二回くらいだよー。それも何十年も前のことだしさー。前に来たときはこんなに木が生えてなかったよ?』

『そりゃそうよ。木は育つのが早いんだから』


 こういった会話は長命種だからか。

 まるで木の成長が彼女たちよりもずっと早いみたいな言葉が続く。


『アタシの庭。クウガにはどう映ってるの?』


 ダージャが俺に話を振った。

 庭の感想を聞かれたんだと思って『本当に綺麗な庭ですね』と率直に答える。


『本当にアタシの言葉、完璧に理解してるんだね。とてもニンゲンとは思えない』

『何ヶ月か前にバッデルに少し居たんです。そのときに覚えました』

『や、それでもニンゲンが獣人語を自然に話せるんだから、クウガが凄いんだね』

『それはどうも……』


 ダージャは俺が獣人語を話すことを褒めてくれたけど、何か疑っているようにも思える。


『ほーんとだよねー。魔人語も完璧に喋るんだよー。マジ、ヤバい』


 そういうアルダート・リリーも魔人語と獣人語を普通に話してるし、ニンゲンの言葉とやらも理解し始めてる。

 そっちのほうが凄いと思うんだけど。

 ダージャの家人たちの動きが一段落すると、ダージャが


『席の準備が出来たよ』


 と、俺たちを座席に案内。


『適当に寛いで。今、お茶を用意させてるから』


 ダージャはそう言って自ら座布団に腰を下ろして足を崩すと、続いてアルダート・リリーが彼女の右前に座った。

 アルダート・リリーの左にメル皇女が座り、ダージャの右前にニム皇女。

 俺はニム皇女の右に腰を下ろして正座。

 すると、ダージャは俺を見て目を丸め眉を動かした。


『んん? クウガは正座してるの? アタシら以外で正座するなんて初めて見たわ。足は崩して良いんだよ。長旅で疲れてるんでしょう?』


 どうやら、俺が正座するとは思っていなかったようだ。

 ここに来て前世の意識が強まったからか、畏まった感じで正座をしてしまったことにダージャは驚いていた。

 狐人族の習慣は何故か日本に通じるものがあるらしい。

 かたっ苦しいことを嫌う様子が伺えるダージャは旅で疲れているだろうという理由で楽にしろと俺に言っているようだ。


『お気遣いありがとうございます。それではお言葉に甘えて……』


 ダージャが足を崩して良いというので俺は胡座をかく。


『そういうのは良いから、自分の家だと思って気軽にしてよ』


 ダージャは俺にそう言って最後に笑顔を見せてくれた。

 それがとても妖艶に見えて、少年の心を擽る。


『ここは九尾の館って言ってこの村の長が住む家なんだけど、ウチとは昔からの仲でさ。ウチの前だからダージャは余計な気を遣いたくないんだよね。ま、そこは、ウチもそうだから』


 アルダート・リリーが獣人の言葉で言う。

 どんな会話をしているのかをメル皇女とニム皇女に伝えつつ、すると、彼女たちも更に足を崩して楽な姿勢を取った。


『そ。それで良いの。そこのお姫様にも伝えてくれてありがとね』


 金色に輝く九つの尻尾をゆらゆらと揺らすダージャ。

 肘掛けに肘を付き、伸ばした脚と着物が少し開けて見える太腿は艶かしく、それでいてとても優雅で目を瞠る。

 バッデルで見た獣人族はもっと無骨で、どちらかというとファルタに住んでいた平民たちに雰囲気が近かった。

 けど、ダージャはどちらかというと貴族的で艶やかさに溢れてる。まるでレイナのようで。

 胸元から覗く胸の谷間も、レイナを彷彿とさせるものがあった。

 そうやってダージャに見惚れていたら、アルダート・リリーが言った。


『狐人族って温厚な性格で家庭を大事にする種族だけど、本来は他種族の異性の精を食べるんだよ。きっとダージャも美味しそうって思ってるよ』


 え? アルダート・リリーと同じってこと?

 と思っていたら


『食わせてもらえるなら食べるけどー。良いの?』


 ダージャがケラケラと笑い始める。


『ウチは夢魔だから直接食べるなんてことはめったにしないけど、狐狸精の類はね』

『くーっ。否定できないッ! 目の前に美味しそうなごちそうがあったら我慢できないでしょ?』


 同意を求めるダージャにアルダート・リリーもケラケラと笑った。


『ウチ、そう思ってクウガの夢に入ったら次の日に返り討ちにあってさー』


 俺の夢に入ってきて淫らな行為に及ぼうとしたときのことだろう。

 アルダート・リリーはそのときのことをダージャに言う。

 あの日の翌日にアルダート・リリーにされたことをイメージしてみたらなんとなく出来てしまった。


『ニンゲンがそんなことできるの? 夢魔の夢に入ってさ』

『ウチもびっくり。急に眠気が来たと思ったらクウガくんが夢に出てきてあれやこれやと遊ばれちゃった』

『本当だったら凄いことじゃない? だって夢に巣食うなんて夢魔じゃなきゃ出来ないじゃない?』

『そうだよね。やっぱなんかおかしいよ。気になるから調べさせてみる』

『そうしなよ。アタシも気になる。だってクウガの魔力、とんでもないよ?』


 ダージャは俺がアルダート・リリーの夢に入れたことが気になったようだ。

 それは俺もとても気になる。

 それがわかったら、見たものや聞いたもの、あれをやってみたいって思ったときに閃くアレが何なのかわかるのかもしれない。


『ということなんで、クウガのことこっちで調べさせてもらって良いよね?』


 ダージャは左手に持つ扇子をさっと開いて胸元を隠して言う。

 その行動に何の意味があるのかよく分からないけど隠されてしまったことが残念で少し寿命が縮んだかもしれない

 ともあれ、俺のことを調べるって言われても、俺はただの平民。


『俺はただの平民でロインとラナの息子でしかありませんよ』


 そう返したらダージャが


『ニンゲンって短命でしょ? クウガのことがわかっていても親がどうかだなんてわからないじゃない?』


 と言って俺に艶めかしい笑みをする。

 父さんも母さんも冒険者で母さんは特に有名な人だったということくらいは知ってる。けど、父さんも母さんも孤児院で育ち生まれがどうというのは全くわからない。

 それって調べられるのか?

 疑問に思うところだけど。


『そだね。少し時間がかかると思うけどナイア様に聞いてみるよ』


 と、アルダート・リリーが言うあたり、ナイアに頼めば何かしらの方法で調べられるのかもしれない。

 わかるんですか? と、聞きたいところだけど、あえて聞かず。

 アルダート・リリーは『ま、ナイア様もきっと調べてると思うけど……』と小さく独り言ちたのが俺の耳に届いた。


 話が一区切りするとダージャはメル皇女とニム皇女を交互に見る。


『アタシが最後にニンゲンを目にしたのはもう何百年も前だけど、あなた達の歴史には私たちのような存在は伝わってる?』


 ダージャの言葉を俺が皇女たちに伝えると、メル皇女は言う。


「魔族については一部の者にしか伝わっておりません。私たち人間の国は数百年という年月で多くの勃興を繰り返していますから……」


 メル皇女は言葉を発したが、俺の左に座るニム皇女は口を噤む。


『メル・イル・コレットって言ってたね。コレオ帝国の皇女で今はこの地に逃れてきた』

「恥ずかしながら……」

『コレットねぇ……』


 ダージャは口元を緩めて意味深な表情をする。


「何かございまして?」

『いいえ。何も。でも、これも何かの縁なんだろうねぇ。アタシはあなた達を歓迎するよ』


 ダージャはそう言って襖を開いた家人が『九尾様。お部屋の準備が整いました』と正座をして頭を下げた。

 家人も狐人族。

 ダージャと違って尻尾は一つ。家人の女性の後ろでゆらりと揺れていた。

 彼女に『ありがとう』と労うと視線を俺に向け『部屋の準備が整ったから案内するよ』と言う。

 なぜ、俺に言うのか。アルダート・リリーがいるし、俺より身分の高いメル皇女とニム皇女だっているのに。


「メル皇女殿下、ニム皇女殿下。お部屋を準備いただいたそうです」


 公の場だと思って敬称をつけて呼んだというのにふたりとも一瞬、嫌そうな顔を見せた。


『さ、いこ』


 アルダート・リリーが立ち上がり、俺、メル皇女、ニム皇女と続き、ダージャが『ついておいで』と先頭を切って居間を出た。

 ダージャは俺たちをいくつかある客間のうち俺と、メル皇女、ニム皇女を先に部屋に入れる。

 俺に与えられた部屋は八畳一間の和室。メル皇女とニム皇女には六畳二間で襖で仕切られた部屋。

 アルダート・リリーは少し離れたところにある部屋で一夜を過ごすのだという。


『ここまで疲れただろう? 夕食の時間までしばし休むと良い』


 ダージャはメル皇女とニム皇女にはそう言って、部屋に置いていき、俺に貸す部屋に入ると、それから三人で座布団に座って座卓を囲って話し始める。

 この部屋からは九尾の館の内庭が見える。

 居間から見える内庭とは違う角度で。それでも、とても綺麗に整えられた雪景色の庭は気持ちを和ませるものがあった。


『茶を用意させようと思ったんだけど、アルちゃんがクウガが淹れる茶が美味いというから、淹れてもらいたいんだけど、どう?』


 卓上に並べられた茶器と茶瓶。

 どうやらアルダート・リリーが俺が淹れるお茶を気に入っていると伝えたようだ。

 おそらく、夢魔が気にいるほどのお茶ということに興味が唆られたんだろう。

 夢魔は飲食物を経口摂取することが無い。もし、あったとしても精をとる。

 だからお茶を口から飲むということにありえないと思われたんじゃないか。

 夢魔が美味しいと感じるものがどれほどのものなのかをダージャは知りたがっているようだ。


『わかりました』


 座卓に載る茶瓶と急須を取り出し、茶瓶を開けた。

 エルフの郷の茶葉のようだ。

 狐人族もエルフのお茶を嗜むのか。

 しかし目の前の道具は日本茶を淹れるためのものばかり。

 異世界に転生して日本にちなんだものが見られるとは思っても見なかった。

 前世の俺の気持ちで──懐かしみながら、クウガの才能を利用する。

 用意されたやかんは湯が入っているが、お茶を淹れるには温度が低い。

 魔法で適温まで温度を上げる。

 どうやらやかんの湯はこの村の湧き水を沸かしたもののようだ。

 茶こしに茶葉を入れて急須にセット。

 やかんの湯を少量、茶葉を蒸らすために急須に垂らした。

 俺の作業に目を凝らすダージャとアルダート・リリー。


『見事な手際。初めて使う道具なのに、よく知ってるね』


 ダージャが感嘆の息を漏らした。

 前世の俺の記憶と胸の奥から湧き上がる直感が教えてくれる。

 湯を注ぎ茶葉が膨らみ落ち着くのを待つ。

 魔法で暖めた湯のみを並べて茶を注いだ。


『ん。良い香り……』


 アルダート・リリーに茶の香りが届いていた。

 二人の前に湯のみを置くと二人揃って湯のみを持ち、茶を啜る。


『確かにこれは……』


 ダージャは目を丸くして驚いた様子を見せたが、すぐにうっとりと恍惚な貌に。


『ね、美味しいでしょ?』

『ん。見事だね。これほどの茶──我が村でなければ決して身につかない腕前だろうに、クウガはどこでこの茶の淹れ方を知ったの?』


 どうやらこのお茶の淹れ方は狐人族独特のものらしい。

 それを俺が前世の知識でやってしまったから、ダージャは俺に疑いの目を向けることになってしまったようだ。

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