コレオ帝国 二
天井が高い天幕──。
その中には右腕の肘から下が無い高野貴史が全裸の女性を何人も侍らせてだらしなく座っている。
彼の前にはデム・イル・ロマリー。
デムは戦況の報告をし、高野は不服そうに女性を乱暴に扱う。
高野は落ち着いて入るが怒気を感じる声音でデムに向かって声を発する。
「まだ、渡れないのかよ」
「はっ。申し訳ございません。マグナブリッジが落とされてしまい、船で対岸に渡そうとしておりますが魔法と弓による猛攻を凌げず……」
「俺たちには銃があるだろ」
「銃撃もしておりますが、大盾で防がれてしまい戦果を上げることができ──」
デムの言葉を最後まで聞かず──。
「きゃあ──ッ!」
女の一人が高野に足蹴に遭い悲鳴を上げた。
「それを何とかするのがお前の仕事だろーが」
デムはびくっと体を動かして慄くと震える声で高野に返す。
「ただいま、東西に軍を分けて川を渡り、数日後に挟撃するよう計画しております。この作戦には大滝様にもご参画いただけますことを確認し、その許可をいただきたく──」
「じゃあ、それをとっととやれよ。凌世を使うんだから失敗すんなよ」
「はっ。重々承知しております」
深々と頭を下げるデム。
下を向いて顔を伏せ、高野の見えないように唇を噛んだ。
──こんなはずじゃなかったのに。
皇帝を殺し、帝位を簒奪した現皇帝、如月勇太と、セア辺境伯に攻め込み右手を失った賢者の高野貴史。
この二人の間でデムは苦しんでいた。
半ば強引な日程で軍を招集。デムは寝る間を惜しんで東奔西走し、貴族たちの協力を得て何とか十万を超える軍を編成したものの、士気は著しく低く、戦果が上がらないのは如月に対する諸侯の不審に徴兵した平民の異世界人に対する嫌悪感もあった。
ミル・イル・コレットに召喚された当初は希望の勇者ということもあり、民の人気を集めていたが魔王を討伐してからその評価は一変。
女を攫い、犯して殺す。
それに前回のセア辺境伯領侵攻と同様、相手は同胞。
命令とは言えあからさまに嫌悪感を隠さない兵士が目立っていた。
だからなのか、デム以上に帝国軍に徴兵されてきた新たな帝国兵は、異世界人の勇者に懐疑心を抱き、それが士気の低下を招いている。
そんな彼らの指揮を取る貴族たちは異世界人によって手足のように扱き使われ、望まない命令が下る。
これまでは人頭税だったものが所得の割合から徴収される上に商人が物を売るたびに税金が課された。
ほんの数ヵ月で十倍ほどに増えた税金で民は苦しみ為政者を恨んだ。
この帝国軍。多くは平民からの徴兵したもの。急激な増税で生活が困窮し貴族を恨む帝国民。
軋轢が生じないはずがない。
それを何とか解消しようにもデムにはどうしようもなく。
異世界人──特に如月や高野に反論すれば命が危ぶまれる。
彼らは常に拳銃を所持し、いつでも、臣下を銃殺できる。
デムにとって異世界人は危険極まりない存在になっていた。
恐る恐る顔を上げるデム。
女を侍らせた高野がデムを見下ろしていた。
「確か、山側もカゼミール傘下の貴族の領地だったな。川幅が狭くなっているが、あっちは森が深くて軍隊を動かすには向かねえ。西側はこっち側だろ?」
「は……しかし、西側からとなると遠回りになりまして……」
「歩いていこうとするからだろ? 走らせろよ。ここに三万を残して残りは西から川を渡ってカゼミールに攻めろ。カゼミールを落としたらそのまま東に進軍して領地を奪還しろ。わかったな」
そう言って高野は数人の女の手を引き天幕の奥へと消える。
片膝をつくデムは大きくため息をついてゆっくりと立ち上がった。
「高野様の仰ったとおりに兵を手配しておけ。俺はロマリー領軍の天幕に戻る」
デムは後ろに控える騎士に命令を下しながら高野の天幕を出る。
「はあ……ママに会いたい……」
デムは深い溜め息を吐いてトボトボとロマリー領軍の天幕へと向かった。
◆◆◆
その頃、帝城では──。
帝国の会議室。円卓では現皇帝の如月が参加者の到着を待っていた。
最初に現れたのは川田谷緒方。狂戦士の恩恵を持ち主だが──。
川田谷はセア辺境伯領に侵攻した際、北に逃げたセルム市民を追いかけていたところ、爆炎の魔法少女の二つ名を持つラナの魔法によって両足を損傷している。
「おつかれさん。随分と早いな」
川田谷は如月の左隣に「よっこらせ」と車椅子から這いずるように移動して腰を下ろす。
「皇帝になってから玉座に座ってるだけで暇なんだ。緒方も早いじゃん?」
「俺はこの足だからな。人より早く移動し始めないと間に合わないのさ」
川田谷の言葉に如月は目線を落とした。
彼の左足は太ももから下がない。
右足も膝下からは義足。
足がないというのは大変に不便だろう。
もっとまともな車椅子を用意してやりたいが作れる人間がいない。
一緒に異世界に転移したクラスメイトの多くが帝国から離れてしまった。
勇者たちと距離を置き、帝国を去ったかつての仲間たち。その多くは生産職の恩恵を授かったもの。これまでは彼らに馬車や街灯など作ってもらっていたが、力ある者だけが地位を築き、力を利用して権力を握る──戦う力のない生産職の恩恵持ちの異世界人は如月たちと袂を分かつ路を選んでいる。
そんなわけで如月が川田谷のために何とかしたいと思っても、技術のない彼では何もできない状況だった。
「そういう勇太も皇帝になってからしんどそうだな」
無言の如月に川田谷は言う。
「体の調子が戻らなくてね……」
如月は皇帝や皇太子たちを銃殺してからというもの体が鉛のように重く、そして、怠い。
原因不明の不調──。
鑑定能力に乏しい彼らでは如月の状態の把握は難しかった。
それからロマリー公爵家傘下の貴族が数名。
その中にはデム・イル・ロマリーの腹心。
ジャズ・イル・ダンディがいた。
ジャズは如月の真正面に腰を下ろし、全員の到着を待つ。
険しい顔をしながらも、ジャズは決して異世界人を直視しない。
ロマリー家に仕える宮廷貴族ダンディ伯爵家だから当主を継いだデムに仕えているが、今にも刃を向けたい衝動にかられる。
ロマリー家の前当主、ズーク・イル・ロマリーが異世界人に殺されたことを知っているからだ。
それでもデムの名代としてこの定例会に参加する手前、我慢する他なかった。
さらにしばらくすると三人目の異世界人、榊光季が入室。
「失礼します」
と、行儀よく会議室の扉を開けて、如月の右に腰を下ろす。
司祭の恩恵を授かった榊は現在、帝城の聖堂を管理する司祭。
司祭とは名ばかりで、このアステラという世界──バレオン大陸に根付く女神ニューイットへの信奉を有しているわけではなく、榊は元の世界の信仰を貫いている。
とはいえ、ある一件から司祭としての能力が損なわれつつあった。
「さて、全員揃っているようですので、私、榊光季が本日の進行を務めさせていただきます」
榊は立ち上がり、周囲を見渡す。
全員が揃っていることを確認すると、
「では、本日の議題から確認させていただきます」
と、議題を口にする。
平民に課す税率。旧セア辺境伯領の状況。カゼミール公爵領での戦況。魔族領について。脱走した皇女たちの捜索など。
如月が皇帝になってからは榊がこうして会議の進行を務めている。
召喚時に死亡した二人の男女を除き総勢三十八名だったクラスメイト。
その中でも如月についてきた同胞はそれほど多くない。
それは帝国の民も同様。如月が前皇帝を銃殺して玉座を簒奪してからというもの如月に対する求心力は日に日に低下していた。
「最初にカゼミール領の謀反の制圧状況について……」
「はっ。私の方から説明しましょう」
榊の声に、ジャズが応じて椅子から立ち上がり、戦況の説明を始める。
「カゼミール領の領境、マグナブリッジがカゼミールによって落とされてしまっていたため、橋の手前に本陣を設置。我軍はカゼミール領へと渡るために船を急造し、対岸へと進行しましたが、カゼミール領軍による迎撃により川を渡ることができず。三日で一万の兵を喪失。その後、デム閣下、高野様の策で西に回って川を渡り、側面から進軍を予定しております」
ジャズは報告を終えて着座。
座ったことを確認した如月はジャズに言う。
「伝令で聞いてはいたけど、戦況は厳しいようだね」
「はっ。カゼミール公爵家は戦上手だったこともあり、急造の兵では歯が立たず……」
如月の言葉にジャズが答えると、同席の貴族たちが「カゼミール領はこの十年で更に見違えるように強くなってましたからな」などの声が上がる。
「徴兵したは良いが訓練などの準備はままならず、これでは民が納得するまい。なにせ楽に勝てる戦だと触れて回ったというのに多くの犠牲を出してしまい徴集兵の大半の戦意がそがれております」
ある貴族は如月に懐疑的だった。皇帝に相応しくない──そう思うものは少なくない。
この言葉を皮切りに不満の声が噴出する。
「セア領に民がいないからと入植者を募りましたが男手を軍に招集したため開拓は進んでない。女子供では限界がある」
「ミル皇女の姿が見たいという民の声もあります」
円卓を囲む貴族はミル皇女を始めとした皇族への扱いに不満を持っていた。
前皇帝は民衆からの支持は決して低くはない。そんな皇帝を排し、如月が玉座に座るようになるととたんに重い税金が課せられ民は生活に困窮している。
そのような状況で帝国の民は如月に対して大きな不満を持っていた。
そんな状況でセアへの入植や大規模な徴兵により、帝国民はミル皇女の姿を求め始める。
まるで責め苦──そう感じた如月は険しい顔を発言した貴族に向けた。
「不満があるなら言え」
イライラが募る如月はそう言って左胸の内ポケットに右手を忍ばす。
気に入らない人間は銃弾で黙らせれば良い。
勇者という恩恵が人類に対して効果を発揮せずとも、殺傷のあとに酷い頭痛に苛まれたとしても、引き金を引けば全てが思い通りに物事が運ぶ。
皇帝の座についてからの如月はそう考えるようになった。
そして、場は静まる。
如月の挙動を皆が怪しく感じたからだ。
「ないんだな。だったら俺に楯突くな。カゼミール領の制圧を急げ」
如月の言葉に反論する者は現れず。
続けて如月は声を強めた。
「カゼミール領の制圧次第、魔族領へと進軍する。軍備の増強と徴税を強化しておけ。増兵で足りなくなった食糧は平民から徴収しろ」
ぎゅっと拳を握り耐える貴族たち。
勇者という威光と右手をかける銃により反論は封じられた。
無言は同意として捉えられ、続く戦争のために多くの貴族が徴兵と徴税を課せられる。
魔族領への侵攻軍の準備はカゼミール領の制圧軍と並行して準備が行われており、魔族領への侵攻軍の準備には異世界人の同胞が数人携わっている。
その規模は百万を目標としており、すでに八割ほどの準備が整っていた。
カゼミール領の制圧が完了次第、魔族領から帰還して帝都に在留するカゼミール領兵の処分も魔族領への出兵の直前に公開で執行される手はずを整えている。
如月の言葉にジャズ・イル・ダンディが最初に反応を示した。
「承知いたしました。皇帝陛下の仰せのままに!」
ジャズの言葉に呼応するように他の貴族も「皇帝陛下の仰せのままに!」と続く。
議題を一つ消化し、榊の声で次の議題へと移る。
「では、次の議題にございます──」
榊は紙を手に取り、次の議題を読み上げた。




