コレオ帝国 一
コレオ帝国──。
帝都はコレッタ。八十万という人口を誇るバレオン大陸屈指の大都市のひとつ。
剛健な帝城は小高い丘の頂きに聳え、帝都周辺を見下ろしていた。
帝都の東──といっても馬車で数週間以上かかる距離──にはバレオン大陸を南北に縦断するコルディラ山脈が連ねる。
コルディラ山脈から流れ出る数多の河川が西に流れ、帝都コレッタを横切る。
そして、その多くは海に流れ、或いは、湖へと注がれた。
カゼミール領は帝都コレッタの南に幅六百メートルほどの川を挟んで隣接する領地で広さも人口も中規模程度。
その川を越えた先にカゼミール領軍は陣を敷く。
本陣の天幕でカゼミール公爵軍を率いるバジル・イル・カゼミールが椅子に座って腕を組んで報告を聞いていた。
「ロマリー公爵領軍を中心とした十万の帝国軍を弓騎兵団と魔道兵団が協力して迎え撃ち渡河の阻止に成功しております」
太陽が天頂に上るこの時間。
帝国軍は川を越えるために船を用意し兵士を渡らせようとしていた。
カゼミール領軍は河岸に弓兵と魔法兵を配置し火矢と魔法で帝国兵を次々と川に沈める。
帝国軍が川を渡ることに苦戦しているのは城丸将太がカゼミールから出る際にいくつもの橋を破壊してから魔族領を目指したからということもあった。
バジルは事前に城丸から話を聞かせれており、残った橋は帝国軍が進軍を始めたタイミングで破壊すると計画。
カゼミール領軍二万に対して五倍以上の兵力を持つ帝国軍を持ってしても川を越えることがままならず一進一退を繰り返しているという状況。
帝国軍はカゼミール領都と帝都を繋ぐマグナブリッジと呼ばれる大きな橋を落とせるとまで予想をしておらず、周辺の平民から接収したり急拵えした船で対岸に渡ろうとした。
「ん。それは重畳。とはいえ、兵力に差があるし、帝国は工作兵も優秀。何れ川を越えるか、東西から挟撃をするはず。そうなれば我が軍では耐えきれない。離脱可能な者はその準備を怠らないよう各所に伝達。我らは民が魔族領へと逃げ果せるまでの時間を稼げれば良い」
できる限り領民の命を救いたい。
魔族領の兄のもとに領民を送り出せれば、いつかカゼミール領へと帰還もできるだろう。
バジルは時間稼ぎのためにカゼミール領に留まった常備兵と平民からの志願兵の混成軍で帝国軍の侵略に抵抗。
それでも一人でも多くブラント・イル・カゼミールの元に送りたいと考え、バジルは兵士たちに逃亡を薦めた。
「はっ。退路の確認、確保を進めておりますが……」
この地に留まっているものは死を覚悟した勇気ある猛者たち。
彼らは最後までここで抗う強さを持っていた。
バジルもその一人だから彼らの気持ちはよく分かる。
「まあ、良い。この時点でここにいるのだから、覚悟はしているのかもしれんな。だが、カゼミールはこれで終わるわけではない。退くのは一時。我が兄が民と共に必ずやこの地に戻る」
異世界人なぞに統治できるわけがない。
帝都の民は重税と物価高騰に苦しみ皇帝の座を簒奪した異世界人たちに叛意を抱いている。
異世界人が皇帝の座についていからというもの、民は圧政に苦しみ始めていた。
ロマリー公爵家を継いだデム・イル・ロマリーの助力があって何とか舵取りはしているものの、賢者の恩恵を持つ高野貴史に押し切られることもしばしば。
帝都内の政情はバジルの知るところであり、帝国の未来が見えるようだった。
◆◆◆
城丸将太はカゼミール領からの避難民を率いていた。
妻と妻の母、そして、三人の子どもたちを伴って。
カゼミール領から東に向かい、森と山を縫うように進んで帝国軍の目を避ける。
十五万を超える領民を誰にも悟られずに避難させることは到底無理だろう。
いくつかの貴族の領地を越える必要があり、城丸はそのたびに、説明をした。
幸いにも争いごとに発展することはなく、協力を申し出た貴族もあったほど。
中には城丸に親族を預けた者もいた。
そうしてコルディラ山脈にたどり着いた頃には二十万をゆうに超える難民となる。
「食糧が心もとないですね」
多くの貴族から支援を受けたとしても二十万超の人間の胃袋を満たすのは厳しい。
「何度か魔獣を狩って食糧に転用していますが、やはり、それでも……」
「山脈に入ればもう少し食糧を調達できそうだけど、これほどの人数だし、数ヶ月の間、耐えられるのかどうか……」
心配事は嵩む一方。
カゼミール家の嫡男ベリージの元に集まった次男のボル、それと、途中で加わったポプラ子爵家の次男クレフ・イル・ポプラ。
ポプラ子爵領は畜産業が主な産業。避難民が増えても食糧事情が何とか保てていたのは彼らの領民がいてこそのものだった。
二人の話を聞いたベリージは重そうに腰を持ち上げる。
「ショータの報告を待とう。ショータが経路と旅程、必要な食糧を計算してくれるよ」
城丸将太は執事という恩恵を持つ異世界人。
戦闘に向かず、生産系でもないから当初は疎まれる存在だった。
似たような境遇のクラスメイトが帝城から去っていく姿を見て──俺も城を出るか、と、考えていたところにブラント・イル・カゼミールに誘われて以降、カゼミール家に仕えている。
カゼミールの下で十二年の年月を過ごした城丸は執事という恩恵により周囲の状況把握能力、スケジュール管理、その判断力の補正などによりカゼミール領に好況をもたらした実績はブラントのみならず、カゼミール配下の貴族の間にも広まっていた。
身分こそ異世界人──扱いこそ皇族と同列だが貴族の間では平民と同等──でありながらこれほどまでの信頼を得ることは難しく。それも異世界人でありながら利用価値が高い恩恵を授かれなかった謂わば落ちこぼれ。
ブラントは熟考の末、弟であるバジルの娘、セラフィナを娶らせてカゼミール公爵家の重要な人物であると示した。
城丸は予想以上に膨れ上がった避難民の多さに辟易しながらも、その様子を確認するために避難民の隊列を見て回っている。
馬を駆り、おおよその状況を確認。
半分ほど見たところで列の後方から一人の女性が馬を走らせて城丸に向かってきた。
「お義兄様」
と、女性ながら勇ましさを感じさせる声音はバジルの娘で城丸の妻の妹、ソニア・イル・カゼミール。
腰には矢筒と剣を下げ、背中には大弓と盾を背負う勇猛果敢な女騎士のよう。しかし、彼女は銀級二階位の冒険者としてカゼミール領で活動していた。
今回はカゼミール領の冒険者組合からの指示で避難民の護衛依頼という形で幾人かの冒険者たちとともに魔族領へと同行。
城丸が避難を開始する前に、冒険者組合に立ち寄って依頼を済ませていた。そのうちソニアだけは城丸からの指名依頼という体を取っている。
「避難民たちに特に問題はありませんが、最後尾では難民に合流しようとするものたちが追いかけてきて日に日に列が伸びています。護衛に携わる人員が厳しくなりはじめてるわ」
城丸は予想だにしていなかった。
先頭を行くベリージを始めとしたカゼミール家の人間から離れられず、後方は冒険者たちに状況の報告と護衛を依頼している。
それで最後尾に他の地方からの合流する民がいるとは知らず。
「ありがとうございます。ソニア様。ここで合流する民がいるということは……」
「帝都から出てきた……と、聞いてるわ。強制的な徴兵令や重税を嫌って帝都から逃れ、他領に出てからこの難民を知ったそうよ」
「そうでしたか……。日にどれほど増えていってるんでしょうか?」
「多いときで数千人。少なくても千に届きそうなほどね」
カゼミールを出てからうなぎのぼりに嵩む難民の数。
これでは魔族領に辿り着く前に餓死や病死などの犠牲者が増えていくだろう。
「わかりました。では、難民の中から銅級二階位以上の冒険者として経験のあるものを難民の中から募っていただけますか? 報酬は──」
城丸は現時点で護衛に携わっている冒険者への報酬の増額と、新しく募る冒険者への報酬をソニアに伝える。
銅級二階位の冒険者は町域の外で活動し多少の実績を積んだ者。
難民の護衛としては心もとないが人員の確保を考えれば譲歩できる最低限の条件ということになる。
「さすがね。私は魔族領での自由をくださるなら報酬は要らないのは変わらないわ」
それが、ソニアが城丸の指名依頼を受けた条件だった。
城丸は取り急ぎ書を認め、ソニアに手渡す。
これにより、正式に難民護衛者増員の依頼をソニアは受託した。
城丸は馬を走らせ、難民の列の最前線に移動。
そこでカゼミール家の面々と合流。
「ただいま戻りました」
胸に手を当て頭を深く下げる城丸。
城丸の声に答えたのはカゼミール公爵家嫡男ベリージ・イル・カゼミールだった。
「よく戻った。隊列の様子はどうだ?」
ベリージの問いに、城丸は状況を報告。
難民が日に日に増加していることを報せ、城丸の裁量で難民の護衛に携わる冒険者の追加したと答えた。
「それで、食糧が不足することになる──というわけか」
「はっ。そこで、当初計画していたルートを変更し、峰を一つ越え山一つ分内陸の山間部を進行することを提案させていただきます──」
魔王城への到着は二週間遅れるが、山一つ分内陸の経路を使うことで食糧の調達が捗る。
コルディラ山脈では強力な魔獣や魔物が潜んでいることもあるが、経路を変更することでより大型の魔獣の棲息地を経由できる。
熟練の冒険者たちに依頼し、狩猟や採取をしながら北上したいと城丸は進言。
「ルートを変更することで魔王城への一ヶ月ほど遅延しますが、犠牲者は最小限で済む見込みでございます。ただし、難民の警護、および、魔獣討伐や採取などで冒険者への報酬は増額となりますが……」
城丸は難民は更に増えていくだろうと予測している。
その中には金級にも届くほどの冒険者も存在するだろう──と。
帝国は強引な徴兵により帝都の民が他領へと逃げている状況から、カゼミール領への侵攻軍への参加を帝都の冒険者組合経由で依頼しているはずだと考えた。
冒険者の中には帝国軍への編入を拒むものもいる。
しかし、指名依頼を断る場合は降級などの処分が課されることがある。
ソニアが魔族領での自由を求めたように、手練の者は幾名かソニアと同様の条件を提示する者がいた。
「難民の中に避難元の領地などで冒険者の経験があるものがおりますので、彼らの管理をカゼミールの冒険者組合で働いていたフィオナさんにお願いし、臨時ではございますが冒険者組合を運営していただけたらと考えております」
フィオナという名の女性はカゼミール領都の冒険者組合で働いていたカゼミール領からの避難民の一人。
城丸の提言には誰一人として城丸の言葉に反対する者はいない。
城丸が積み重ねた実績が彼らへの説得力となった。
彼の進言は執事としては行き過ぎたものだったが、ブラントの専属であり、場合によっては名代となりうる存在。
ベリージは一時の間を置いて熟考し、周囲の人間たちに宣言。
「承知した。フィオナには俺の方から難民内に冒険者組合の編成を命じよう。冒険者への依頼はショータが纏めてくれ。冒険者組合の編成ができ次第、避難経路を変更。コルディラ山脈の山間部に抜ける峠を使う」
誰一人反対しない。
城丸の提言はベリージの声により認められた。
周囲を見渡して、この場の貴族たちからの反対がないことを確認するベリージ。
最後に城丸の顔を見て──
「では、フィオナとソニア……それと、アカシア男爵家の……」
名前を思い出せずに言い淀んていると、ポプラ子爵家の当主クレフ・イル・ポプラが口を挟む。
「キャスリン・イル・アカシアですね?」
「そうそう。アカシア男爵家のキャスリンだ。彼女を連れてきてくれ。正式に……仮ではあるが冒険者組合の結成と二人にはソニアとキャスリンには指名依頼を受けてもらう」
クレフのおかげで名前を思い出したベリージは、クレフに目線を送って謝意を示した。
ベリージの命を受けた城丸は「ソニア様、キャスリン様、フィオナさんを連れて参ります」と貴族の集まりから離れて馬に乗る。
周囲を確認する城丸。馬上から妻や子どもたちを見つけると、一瞬、目を細めてから、鐙を蹴り馬を動かした。




