バラド街道 四
牛型の悪魔──モラクスが引く荷車。
二人の皇族が旅をするのにふさわしい物品が積載されていた。
俺がバッデルで購入したもので現存しているのは俺が着る服と腰に下げた短い剣だけ。
便利なものがたくさん入っているのは荷車にかけられた幌でわかっていた。
ファルタに住んでいたころに良く見た牛とは違って、モラクスは普通では考えられない重さの荷車を引いている。
『モラクスはさー、こう見えて普通に悪魔だからね? 言葉はあまり喋らないけどさ』
幼女のような夢魔の女性──アルダート・リリーはモラクスを視線で指し示す。
悪魔族の魔力を吸収して生命力に変換する……らしいが、生えてる草を普通に食べていた。
アルダート・リリーは悪魔族に近いようだが夢魔族という種族らしい。
で、男性の夢魔族はインキュバス、女性の夢魔族はサキュバスとされているようだ。
どっちも淫魔とも呼ばれることがあって、夢魔族の餌は精。
前世の俺の知識によると叡智な行為によって吸い取って養分とする。
だけど、アルダート・リリーは俺から魔力を貰えばそれで良いと言う。
一日に一度の〝食事〟で体感で二割くらい持っていかれるが、それで間に合うと言っていた。
『ナイア様も良く考えてるから、インキュバスじゃなくてウチを寄越してるんだよ』
というから俺はいつか食われてしまうのだろうか?
まだ、出たことがないから食事の対象にはならないようだけど、そのうち──。
と、それはさておいて、
『インキュバスだったらメスを惹き付けて旅どころじゃなくなるからさ』
なんだとか。
まるで俺の父さんみたいだ……。
無自覚に異性を惹き付けて母さんを怒らせてた。
考えてみたら母さんも父さんに魅了されて惹き付けられた張本人。
二人は仲が良いけど、どっちも見た目が良くてとてもモテる。
母さんは細身でちっぱいだからか、父さんほど言い寄られることはなかった。
そういうのもあって独占欲の強い母さんは父さんにべったりだったのかも知れない。
『何か考え事?』
父さんと母さんのことを思い出してたらアルダート・リリーが俺の顔を覗き込んだ。
『今のインキュバスの話。父さんに良く似てるって思ってたんです』
『へー、昔、ニンゲンに子を産ませたいって出ていったアザゼルっていう夢魔の男がいたけど、アザゼル様がニンゲンと子ども作っててその子孫だとしたらウチと血族ってことになるね』
聞けば何百年、何千年と昔のことらしい。
アザゼルという夢魔が『俺はニンゲンの女と交わりたい』と魔族領を出てニンゲンの領地に移り住んだ。
アルダート・リリーにとっては曽祖父にあたるらしい。寿命の長い魔族の中でも更に長命な夢魔族。
『って言っても、ウチらはニンゲンを餌にすることはあってもニンゲンとの間に子どもをつくるなんてことはしないからね。それこそ死んじゃっても良いってならないとさ』
異種族の……それも魔力が少ない人間との間に子を作るというのは多くの魔族にとっては命を賭す。
種族差を埋めるために生命力と魔力を大量に消費するという。つまり、命と引換えに人間に子どもを産ませるようなものだ。
『もし、子どもが生まれててもニンゲンのほうだってただでは済まないから、あり得ないんだけどさ』
もし、人間の中に夢魔の血を引いた者がいたとしたらどうなってるんだろう。
アルダート・リリーの話はそれはそれで面白い。
彼女の言葉を真に受けるなら、人間の社会にアザゼルの子孫がいたとしても私生児としてしか産み落とされないはず。
そう考えたらアザゼルの子孫が今も続いているとは考えられない。
『もしそうだとしても、人間に魔族の混血が存在するかもしれないと考えたら面白いかも知れないですね』
『そだね。もし、アザゼル様の血を受け継いだ人間がいたら、きっと夢魔としても凄いんだろうなー。アザゼル様は先代の魔王の幹部だったしー』
自分で曽祖父って言ってなかった? と、思いながらアルダート・リリーの話を聞いた。
峠道は佳境──。
勾配がきつくなり、一歩一歩が重たく感じられる。
休み休み進んではいるものの思ったような速さでは進んでいなかった。
なにせ自分の足で歩む旅に慣れていない二人の皇女。
メル皇女とニム皇女は息があがってキツそうだった。
それでも、彼女たちは率先してモラクスの手綱を握ったり、休憩のたびに手伝ってくれたり行きとは違って俺は楽をさせてもらってる。
「今日はこの辺りで休みましょうか」
昼下がりの午後。
もうそろそろ日が傾いて空が赤く染まり始めそうな頃合い。
休憩のたびに彼女たちは申し訳無さそうに「ごめんなさい」と顔を俯かせて謝っていた。
こんなに謝らせていたら俺は不敬罪で処刑されるんじゃないか──と、逆に気が気でない。
風を避けられそうな岩陰があった。
テントを設置できそうだし、今日はここで夜を明かそう。
「野営の準備をしますから、休んでてください」
モラクスを停めて荷車から野営道具を下ろそうとすると「手伝います」とメル皇女とニム皇女が俺を挟むように荷車の傍に寄ってきた。
「だ、大丈夫ですから──」
距離を詰めてくる二人の皇女に居た堪れない気持ちが強まる。
「こちらで宜しかったわね」
「お姉さま、私はこちらをお持ちします」
彼女たちは何度か見ただけで覚えてしまったようだ。
どうやら飲み込みが早いらしい。
さすが皇女。才女であるための教育を受けてきたのだろう。
それか持って生まれた才能か。
俺があれこれ言う必要もなく必要なものが下ろされていった。
三人でやると準備が早い。
歩き疲れた彼女たちは野営を張る手伝いで気を紛らわせていたのだろう。
徐々に顔色が良くなってきた。
『今日は荒れそうだからテントが飛ばないように気をつけたほうが良いよ』
テントの設置中にアルダート・リリーが教えてくれた。
空を見ても青空だけど『わかりました』とアルダート・リリーの言葉に従って、テントが飛ばないように荷車からペグと革袋を下ろし、革袋には魔法でつくった水を注ぐ。
荷車もしっかり固定して風で煽られないように対策。
「リリー様はなんとおっしゃってらしたの?」
メル皇女は俺に訊いた。
「今日は荒れそうだからテントが飛ばないようにって」
「それで、このように天幕や荷車を固定してたのね」
メル皇女は水の入った革袋を不思議そうに見る。
「私もリリー様とお話してみたいわ。魔族の言葉、覚えられるかしら?」
「私もお話、してみたい……」
メル皇女に続いて、ニム皇女もアルダート・リリーと会話をしたいと言い出した。
彼女たちから「魔族の言葉を教えてほしい」と、俺とアルダート・リリーに。
魔族領は多言語で、公用語というものがない。
強者こそ正義という不文律からだいたい悪魔系統に連なる魔人などが使う魔人語が共通語のような理解で良いらしい。
獣人には獣人語という別の言語で会話されていて、バッデルでは獣人語が主に使われる。
同じ獣人でもオークなんかは別の言語だったりするので獣人の言葉はもっと難解なものだとか。
そのほかにもあるみたいだけど……。
あとは魔族領に隣接するエルフ族やドワーフ族と言った人間に近い種族も固有の言語があって、まだ見たことのない小人族も独自の言語を使うとアルダート・リリーが教えてくれた。
半裸の幼女姿のアルダート・リリーは意外と細かく言語体系を語る。
この日から皇女たちはアルダート・リリーに言葉を教わるようになった。
野営を手伝ってくれて、一緒に料理をするようになったり、アルダート・リリーと魔族の言葉を使って会話を試みようとしたり、彼女たちはとても積極的だった。
行きのときのように、一人でいる時間がほとんどということがない。
むしろ、一人の時間がほしいくらい。
護衛ができる人間が俺とアルダート・リリーで夢魔族には入浴という習慣がないという理由で湯浴みですら俺は二人の皇女にテントに引きずり込まれるように一緒に体を清めた。
寝るときも──
『ウチ、夢魔だからね。キミたちが眠ってるときが一番、良い時間なんだ』
と、幼女姿のアルダート・リリーはそう言って、俺をメル皇女とニム皇女と一緒に寝るように勧める。
バラド街道へ向かう峠の上り。
旅をはじめて三日目で六合目に到達し、そこで張った野営。
この日、アルダート・リリーが俺の夢の中に現れた。
『じゃーーーんっ!』
夢の中で目が覚めるとアルダート・リリーが俺の目の前に飛び出し、
『リリーちゃんが来てあげたよっ!』
いつもはウチって言うのに一人称を変えてきた。
『おはよう……というわけではなさそうですね。夢……ですよね?』
『そだよー。ここはクウガくんの夢の中。だからウチが来てあげたよ! だって、キミ、男の子だよね?』
夢の中のアルダート・リリーも幼女姿で布面積が極めて小さい。
それで薄い胸を俺に擦り付けるように寄せてきた。
『あれ?』
俺の顔を見て彼女は首を傾げる。
『どうしたんですか?』
何やら考え込むアルダート・リリー。
様子を伺ってみたら──
『夢の中でも魅了が効いてないじゃん──え? それってウチじゃ……』
何故か次第にアルダート・リリーの姿が希薄になり、情景が緩やかに変化する。
やはり、アルダート・リリーの姿は幼すぎる。
あれではどれだけ色仕掛けしてこようともチンがピクリともしない。
まだ眠っていたい──夢の中でそう思ったらこのように情景が変わってしまった。
俺は再び眠りの中に意識を沈める。
それから、しばらくして──。
目を開けると左肩が重く、とても良い匂いがした。
視線を左肩に向けると金色の髪の毛が視界に入り脇にはとても柔らかい感触。
足は彼女の足が巻き付いて俺は身動きが取れずにいた。
右肩は彼女の腕で抱き寄せられていて──
(メル皇女殿下……)
寝間着姿の彼女はすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていた。
ときおり、もぞもぞと動いて艶めかしい吐息を漏らしながら……。
解放されないかと待っていたら、天幕が少し開く。
『クウガくん、起きてたね。おはよう』
アルダート・リリーの姿だった。
『お、おはようございます』
夢の中に出てきたアルダート・リリーを思い出して何だか気不味い。
『あはは、すっごいかっこ。大丈夫?』
『なんとか……』
寝間着姿のメル皇女が俺に抱き着く様子を見るアルダート・リリー。
俺の顔に向けていたアルダート・リリーの視線は頭から爪先を舐めるようにゆっくりと下りていた。
『クウガくんってさ……』
俺の足元まで移動した彼女の視線はある一点に戻る。
視線の先にあるものと、彼女の声音で察した。
『ご、ごめんなさい……』
居た堪れない気持ちで思わず謝ったが、彼女はしょんぼりとした様子で、
『はあ、自信、あったのになー』
と、ため息をつき、
『ま、いっか。それより、今日は天気が悪くて移動は無理そうだし、ソレが落ち着いたらウチのところに来て』
そう言ってテントから出ていく。
ソレの視線の先を確認。
今まで何も意識してなかったから気が付かなかった。
とある一点がジンジンと滾っていることに。
まさか、こんなかたちで……。
と、そう思っていたら
『クウガくん、酷いよねー。ウチじゃ全然だったのに』
アルダート・リリーは頬を膨らませていた。
眠っていたメル皇女から何とか抜け出して、テントの外に出たのだが……。
俺に対して怒っているようだったので、謝罪を。
『何だかすみません』
『やー、別に謝られることじゃないけどさー。ほら、ウチ、一応、夢魔の女じゃん?』
『ということは、やはり、夢に出てきたのはアルダート・リリー様だったんですね?』
『そうだけど?』
彼女は俺の夢に侵入したことを悪びれもせず。
『でも、傷付いたよー。ウチにはなーんにも反応しなかったのにさー』
と、続けて、いつもと同じように『様はいらないから! ウチのこと呼び捨てで良いよ』と言葉を結んだ。
アルダート・リリーは俺の夢に出てあわよくば精気を喰らおうとしていたようだ。
しかし、精気が奮うほど、俺はアルダート・リリーに対して昂ぶらなかった。
なにせ彼女の見た目は十歳かそれくらいの女の子にとても近しい。
俺にはリルムという可愛い妹がいて、そういう気持ちに微塵もなれない。
前世の倫理観を多少は引き摺っているのだろう。手を出してはいけない相手にはなんとも思わないものだ。
可愛い妹は前世にもいたから余計にそうだ。
『俺、可愛い妹がいて、アルダート・リリー様は何だか妹みたいに見えて……』
素直に伝えると、
『魅了も効かない。見た目でもダメ。とっても美味しそうなのに、マジで残念だよー』
と、アルダート・リリーは残念がった。




