バラド街道 三
二日目の野営──。
食事を終えて湯浴みの準備を始めると、メル皇女とニム皇女はテントに入り、いそいそと服を脱ぎ始めた。
俺から見えてると言うのに!
「こっちは準備ができたわ。クウガ、お湯の準備はよろしいんでしょう? さ、早く」
全裸のメル皇女が俺をテントに招き入れようとする。
「テントの中が寒くなっちゃう……」
どぎまぎしていたら、ニム皇女も全裸姿で俺をテントに入るように促した。
『ウチは必要ないけど、そっちは体を洗わなきゃいけないんでしょ? 早くシてきなよ』
アルダート・リリーが俺をテントに押し込む。
「やっと、来たわね。さ、湯をお願い」
桶に注いだ湯は気温が低いせいですぐに冷める。
だから冷えすぎないように湯の温度を保つ。
俺は魔法でそれができるから、湯浴みの準備をしていたが、まさか、それをテントの中で、しかも裸の女の子を目の前にしてするとは思いもよらず。
「クウガも一緒に湯浴みしよう?」
と、あどけないニム皇女だが、彼女は気にしていないとばかりに湯浴みにさそう。
決して人が一人入れるような大きな桶ではない。
湯を貯めて布を浸して体を拭く程度。だから俺は別で良いはずなのに、なぜか三人でテントに入り俺は今、ふたりの皇女に脱がされそうになっている。
観念して身を委ねたが彼女たちは気に留める様子もなく──。
そうか、俺が意識しすぎてるせいなのか……。
だったら、このまま、湯浴みを続けよう。
「久しぶりの湯浴みね」
「そうだね。魔王城って湯浴みするところなかったもんね」
「ええ。けれど、今はクウガのおかげで体や髪を洗えるんだもの。素晴らしいわ」
桶に貯めた湯に布を浸して、その布で体を拭く。
石鹸は簡易的なもので体の余分な油を取り除き、石鹸で洗った髪の毛は柑橘系の果汁で調整。
王侯貴族なら良い石鹸やリンスを使っているだろうけど、平民の間で使われるレベルのもの。
だから文句の一つでも出るんじゃないかと心配だったが、それも杞憂で──
「旅の野営でこのように湯浴みをできるなんて、とてもありがたいことよ。ありがとう。クウガ」
体を拭く手を止めたメル皇女は俺の方を向いて姿勢を正して目を伏せる。
お礼のつもりだろうけど、腕を前にするから大きなふたつのものが寄せられてさらに大きく……目の毒だ。
「私は野営どころか帝都から出たことがなかったからわからないよ」
「ニムはまだだったわね。私は──」
ニム皇女は帝都から出た記憶がなく、野営どころか野営を必要とするような外遊をしたことがなかった。
婚約者がいたメル皇女は定期的に、相手方の領地に伺うことがあり、その際に野営を経験。
勇者が皇位を簒奪して皇族を殺害。女性たちは殺されなかったが異世界人たちの慰み者として監禁。
婚約もなし崩し的になかったことになっていた。
純潔を散らした上に帝城を追われた身の今となっては王侯貴族のもとに嫁ぐことは無理だろう──と、これはメル皇女だけでなく、ニム皇女も悟っている。
「──この温かさの湯をつくるには何人かの魔道士と、湯を沸かすための時間が必要。それをひとりであっという間につくる。普通ではありえないわね」
メル皇女はニム皇女に「だから、湯浴みができることはクウガに感謝しなければならないわ」と言い聞かせた。
「私、帝城から連れ出してくれたタイセーとミライへの恩があるし、ナイア様やクウガに命を救ってもらえたことに感謝しないとですし……」
「だから生き延びて皆の期待に応えなければならないわ」
体が冷えないように二人は布を湯に浸して体を拭く。
『ウチ、退屈ーー。混ぜてよー』
テントが開いて一瞬、冷たい風が入ってきた。
アルダート・リリーはふたりの皇女の姿を見るや『なになにー? おたのしみー?』とニヤニヤして少ない衣装を魔法で解いて全裸になる。
どうも、彼女たちは意思の疎通がとれているのか──
「残念ながら、そういうことには至ってないわ」
『なんだー。ザーンネン。で、何を話してたのー?』
彼女たちは伝わらない言葉ながら身振り手振りで意思を交わそうと試みる。
俺のことに関する言葉を訳さないと察してるんだろう。
なら、男の俺は彼女たちの会話を聞かずに口を挟まないでいるべきだ。
俺は黙々と髪を洗い体を拭く。
さあ、テントを出よう──としたところ「ねえ、クウガ」と、メル皇女に呼び止められた。
「俺、洗い終わったのでもう出ようかと──」
「ごめんなさいね。でも、お願いしたいことがあるの」
メル皇女の後ろでニム皇女とアルダート・リリーが少しニヤついている。
何を企んでいるんだろうか。
「なんでしょう?」
俺が訊くと、メル皇女は俺に背中を向けて長い金色の髪の毛を前に払った。
「背中を洗ってほしいの。ニムはこういうの不器用なのか良くなかったのよね」
そう言って後ろを振り向いて横顔が見えると俺に流し目を向ける。
断れないよね……。
諦めて素直に応じる。
「これで拭いて」
と、わざわざ手渡してくるので、見ちゃいけないようなものが見えた気がした。
しかし、平常心を保ってお湯に浸した布を受け取り、メル皇女の背中を拭く。
細くて華奢、それでいて背中の脇から見える大きな乳房。刺激が強い。
幼気な少年の高揚感をアルダート・リリーが満足気に味わっているようだった。
「お上手ね。ずいぶんと手慣れてるように思うけど……」
「妹の背中を良く洗ってたんです」
「クウガにも兄妹らいらしたのね?」
「はい。妹と弟が一人ずつ……セルムにいたときは一緒に風呂に入って背中を洗ってあげてたんです」
あれから数ヵ月。
ずいぶんと昔のことのように思えて……。
リルムとクレイは元気かな。
父さんと母さんとレイナと一緒にだよね?
ちゃんとご飯食べてるのかな?
大きくなったかな。
そんなことを考えていたら不意に柔らかい感触に包まれた。
「思い出したのね。ごめんなさい……私たちだけじゃなく、クウガも辛かったのね」
俺を抱きしめたのはメル皇女だった。
手が止まり不自然に思った彼女は後ろを振り向くと俺が泣いていることに気がついたらしい。
俺は気がついてなかった。
けど、大きな胸の柔らかい感触が温かくて、堰を切ったように涙が溢れ出る。
メル皇女は俺の頬を撫でて涙を拭い──
「良いのよ。我慢しなくて」
優しい声が俺を揺さぶった。
どれくらい泣いていたのかわからない。
いつの間にかニム皇女も俺の傍に近寄っていて頭をずっと撫でてくれていた。
「すみません……」
涙が落ち着いて俺はメル皇女に体を預けたまま謝る。
「良いのよ……こんな私でもこのように役に立てるならいくらでも……」
彼女は帝城でどんなことをされていたのか。
それはきっとニム皇女も同じ。
「私も、こんな私で良かったら……」
彼女たちは自分の体は汚れていると感じていて、それで男の俺の前でも裸になることを憚らなかったんじゃないか。
いろんな考えが頭を過ぎった。
「いいえ。俺……」
頭をふるふるを振り「背中、拭きます」とメル皇女から離れる。
温かい感触が離れて名残惜しいけど、彼女たちを裸のままにしてはいけない。
お湯の温度を保ちながら背中を向けてくれたメル皇女とニム皇女の背中を俺は拭いた。
それからリルムにもやっていたことを彼女たちにもしてあげることにする。
「髪の毛を乾かしますね」
温風をつくり、髪の毛を仰ぐ。
魔法で水分を抽出することもできるけど、それでは髪の毛からも水分を奪ってしまうので、風属性魔法の応用でドライヤーの真似事をよくヤっていた。
お風呂上がりの母さんやレイナにもしていたわけだけど、セア辺境伯家のご令嬢のレイナと同様で皇族の髪の毛はよく手入れされていて毛並みが綺麗。
「クウガ、魔法でこんなことまでできるの?」
メル皇女は驚いていたけど、ニム皇女は「温かい風、気持ち良い」を目を細めて喜んだ。
髪の毛が乾いたら服を着てもらって、それからは寝るまでゆっくりした時間を過ごす。
『魔族のウチが言うのも何だけど、クウガの魔法ってニンゲンっぽくないよね』
何故かアルダート・リリーの髪の毛も魔法で乾かしている。
目を細めて『クウガの魔力が心地良い』などと言っており、種族的に必要のないことをアルダート・リリーは俺に要求した。
「ニムは知らないでしょうけど、クウガのお母様はとても有名な魔法使いだったのよ。爆炎の魔法少女・ラナと呼ばれていて帝都にもその名声が広まっていたわ。クウガのお母様も詠唱のない魔法で数々の困難を打ち破って数々の冒険譚を生み出した私たちの憧れの的だったわ」
どうやらメル皇女も母さんのことを知っているらしい。
ニム皇女からも聞いたけど──それにしても〝爆炎の魔法少女〟っていう二つ名はいつ聞いても微笑ましい。
本人は気恥ずかしくならないんだろうか?
でも、母さんは銀級の冒険者でセア辺境伯領内でしか活動してなかったはず。
なのに領外の帝都にまで名前を知られているというのだから不思議なもの。
「銀級昇格の最年少記録──山脈から下りてセルム市へと迫ったエルダーワイバーンの討伐からセア領に侵入した魔物の討伐。金級冒険者が参加した防衛戦で最も戦果を上げたのがラナ様だったという記録も残ってるの──」
「母さんを……母を知っていらっしゃるんですね?」
「お姉さまと一緒にいつもラナ様の活躍が届くのを楽しみにしていたわ。帝都にも昔、ラナ様の活躍が物語になって本や劇がしばらく流行ったほどよ」
「本にまでなってたんですね……」
「ええ、帝都の図書館にも保管されているはずよ」
メル皇女の話によると母さんは白金級に届くのではと評された魔道士だったようだ。
エルダーワイバーンというのは原種に近い翼竜の魔獣で金級の冒険者でも討伐が難しいとされている。
その強力な魔獣を単独で倒したのがまだ少女で当時銅級二階位の冒険者だった母さん。
それを機に銀級冒険者に至った母さんはセア領内で活躍を重ね有名になった。
母さんの戦いぶりは凄まじく、紅蓮の炎を操りながら強烈な爆発を発生させて次々と魔物を葬った様子から〝爆炎の魔法少女〟と呼ばれるに至る。
そして、それらの活躍は冒険活劇として本に纏められて帝都を中心に出回ったそうだ。
そんな母さんは父さんと出会って冒険者としての出世を拒んでいたし、父さんと結婚してからすぐに冒険者を引退している。
「──そういうわけで、ラナ様は帝都の女性の憧れよ。私たちの年代はラナ様に憧れて冒険者を目指した貴族の子女も少なくなかったわ」
メル皇女の話をニム皇女が熱心に聞いていた。
母さんに憧れた貴族の女性は冒険者を目指すだけでなく、自ら料理や身の回りの家事に取り組んだり、進んで人助けをしたりと、身分で隔てることなくいろんなことをしたそうだ。
どうやら母さんの冒険活劇には母さんが孤児院育ちで、そういった人の面倒を見たり弱きものを助ける姿勢も彼女たちには眩しく映ったのだとか。
一国の皇女が平民を様付けで呼ぶのだから大したものなんだろうな。
でも、たしかに料理は美味しかったし、母さんは優しくて愛情深い。ちょっと嫉妬深くて時折ポンコツだし、性欲が強くて父さんがげっそりしてることもあるけれど、正義感の強さや別け隔てなく人と接してる様子を見れば憧れるってのは理解できる。
「──メルお姉さまも冒険者になりたかったの?」
帝都の女の子は冒険者になりたがった──そんな話を聞いてニム皇女は不思議がった。
「私は冒険者になろうとまでは思わなかったけれど、お姉さまは本気で冒険者になろうとしてたわね。あまりにきかないからお父様の許しを得て冒険者として登録はされてるのよ」
なんと、ミル皇女が帝都で冒険者として活動していたことがあったらしい。
「ああ見えてお姉さまは銅級三階位。少しだけだけれど腕に覚えのある使用人とともに活動はしていたのよ」
と、メル皇女は続けた。
「羨ましい……私も冒険者になってみたかった……」
「冒険者はそれほど良いものではないけれど、楽しかったとお姉さまは言っていたわ。でも──」
メル皇女の表情が曇り「お父様のお言葉ですべてが変わってしまったわ……」と一段低い声がとても重かった。




