バラド街道 一
バッデルに至るバラド街道。
魔都パンデモネイオスの南門を出て右手に進む道は緩やかな上り坂で、南に進むにつれて勾配がキツくなっていく。
バッデルから来たときは下り坂だったからそれほど苦痛ではなかったけど、傾斜のあるこの道を登るのが最初の難関だった。
「もう、休憩したい──」
最初に音を上げたのは御年二十四歳となるメル皇女。
肩で息を切らせて皇女らしからぬぜぇぜぇと大きな息を繰り返していた。
彼女の妹のニム皇女も息が上がっていて、少し休んだほうが良いのかもしれない。
もうひとり、ナイアが俺につけてくれたニムと変わらないくらいの幼女みたいなアルダート・リリーは涼し気な顔。
アルダート・リリーはシビラと同じ種族の夢魔族の淫魔。
魔族というより魔人であり、異性を強烈に魅了する魔力を持っているらしい。
『ニンゲンってひんじゃくぅー』
などというが、魔族の言葉と人間の言葉は違うのでアルダート・リリーの声を皇女たちは理解できない。
『アルダート・リリー様は大丈夫そうですが、少し休みましょう』
『クウガは平気なのに? それにウチのことはリリーで良いって言ったよね?』
休憩をとって大丈夫そうなので少し休むことに──。
行きはミローデ様やニコア、ララノアとラエルと一緒でミローデ様とニコアは旅の終盤で体力があったから一日で峠を下れたけど、この上りは一筋縄ではいかなさそうだ。
「そろそろ休みましょう。準備をして温かいお茶を用意します」
魔都にいたときは俺から喋ることはなかったけど、魔都に着く前と同じくらいの頻度で言葉を発する。
「ああ、助かった……」
と、安堵するのはメル・イル・コレット第二皇女殿下。
「私も手伝うから」
ニム・イル・コレット第三皇女殿下は歩き疲れて疲労の色が濃いというのに助けの手を差し伸べてくれる。
気温が低く風が冷たいので風除けを立ててからお茶の準備をしようとしていた。
「では、一緒に風除けをお願いします」
「はい! 頼まれました」
今朝は寒かったから防寒対策はバッチリ。
だけど、西に東に抜ける風は冷たく、ここまで歩いてきて温まった体から体温を奪う。
風除けは冷たい風から身を守るためのものだった。
ところが、横にはあられもない姿のアルダート・リリー。
ほぼ全裸のような半裸姿。
この姿は王侯貴族の方々が見ればはしたないと映るだろう。
だけど、ナイアやシビラ、リウたちも同様だったことからメル皇女もニム皇女も見慣れたものですっかり何とも思わなくなっていたようだ。
大きな荷車を引く牛型の悪魔だというモラクスを停めて、荷車から風除けを取り出して広げると、ニム皇女が風除けを立てる手伝いをしてくれる──のだが……。
「あ、この白い粉は雪かな……?」
空から雪が舞い降りてきた。
つい先程まで晴れ空だったのに、見上げたら雲がかかっていて、雪が振り始めている。
『あー、もうこんな時期だったねー』
雪が降るにはまだ早い──と、思っていたけれど、よくよく考えたらここはコレオ帝国の更に北方の魔族領。
セルムやファルタでは十一月になってから雪が本格化するけれど、ここでは十月には降り始めるらしい。
そうか。これからの季節は雪とも戦わなければならないのか……。
そう思うと憂鬱な気分になってきた。
「ずいぶん早くに雪が降るのね。これからぐんと寒くなりそう……」
なのに野営が前提の旅ははじまったばかり。
彼女たちにとって辛い旅になりそうだ。馬車とか無いしね。
風除けだけを立てる予定だったけど、雪で濡れては体に堪える。
急遽、火をおこしてテントを張ることにした。
ニム皇女と二人でテントを設置すると、雪が本降りに──。
気温が急激に下がり、メル皇女は俺が起こした焚き火で暖を取る。
「急に寒くなってきたわね」
その言葉の通り、吐く息は更に白く、気温の低さを物語っていた。
『ここは天候が変わりやすいんだよね。ウチらみたいに寒さが気にならない種族なら良いけど今日はもう無理そうね』
アルダート・リリーの言葉の通り、真っ白な粉雪が次第に大粒になり、それと同じくして気温が下がる。
バラド街道に出るこの峠道を進むのは雪がやんで晴れない限り難しそう。
『西から回ればもっと簡単に行けるけど、これからの季節はどこも雪でさー。魔族でも種族によっては難しいんだよねー』
バッデルからバラド街道を北上したときに人通りが少ないと思っていたけど、実は天候が安定しないため、西に大回りするのが主流なんだとか。
考えてみたらララノアたちに出会ったのも彼女たちの仲間がゴブリンに連れ去られたからであって、それがなかったら出会うことはなかったわけで。
この峠道を登りきっても今度は緩やかに下り坂を進みながら東の山脈による天候の影響を受けるらしい。
難しい旅になるというのに反対されなかったのは俺が家族との再会を急いだからだろう。
そんな俺の勝手な思いにメル皇女とニム皇女を付き合わせてしまった。
けど、もしかしたら、そうでもしなければ彼女たちを戦争に巻き込む可能性があったのかもしれない。
しかし、バラド街道を南下する道はコレオ帝国の最北端にあるメルダ領へと繋がっている。
かつては勇者たちがこのバラド街道を経由して魔王城を目指したがあまりの悪天候と魔王軍の強さに撤退を余儀なくされて東の山脈沿いに道路を拓きながら進軍を選んだという。
これからの時期、バラド街道は荒れる。しかし、それでも、西に大回りするよりも天候の回復を待ちながらバラド街道を南下したほうが早いと教わっていた。
「お茶をご用意いたしました」
煎れたお茶をカップに注ぎ、メル皇女に手渡す。
「ありがとう。クウガのお茶はいつも良い香りね」
カップを受け取ったメル皇女は茶の匂いを嗅いでた。
続いてニム皇女に渡すと彼女は「ありがと」と言って受け取ると両手でカップを握って手を温める。
それからアルダート・リリーにも茶を渡す。
『エルフのお茶と同じくらいいい匂いじゃない』
幼女然とする彼女はそう言ってカップに口をつけ、軽く啜ると『わ、うっま』と、それからゆっくりとお茶を味わってる。
残った僅かな量のお茶は俺が飲んだ。
「雪がどんどん強くなってるわね」
『この様子だとしばらく止みそうにないね』
お茶を飲み終えたメル皇女とアルダート・リリーは雪が降る様子を伺う。
大粒の雪が勢いを増し、それが時折、風に煽られて横殴り。
「皆さん、雪で濡れそうですからテントで待っていてください。俺はこれから食事の準備にかかりますから」
もうすぐで昼になるというこの時間。
外気は温まって良いはずなのに気温は下がる一方で。
これでは今日はもう進めない。
『だったらウチ、クウガのお茶が美味しかったからニンゲンの口に合いそうなものを獲ってこよっか』
寒さにめっぽう強いアルダート・リリーはそう言って俺が返答をするまでもなく、テントから離れた。
お茶が美味しかったからお礼に狩りをしてくれる──なんて優しい魔人なんだろう。
なんて思ってるとすぐにアルダート・リリーは戻ってくる。
やはり見た目が幼い女の子でも魔王に仕える魔人だけあって、狩りはお手のものらしい。
『ヘイズルの群れを見つけたから一匹獲ってきたよ』
山羊型の魔獣──ヘイズルだった。
首から上は切り落とされていて血は既に抜かれているようだ。
短い時間でどうやって血抜きをしたのか知りたい──。
アルダート・リリーが俺の目の前にドサリと置かれたヘイズルの死体。
まだ狩ったばかりでほんのりと温かい。
既に血抜きが済んでいることや、お腹あたりが不自然に引っ込んでる点に違和感があったけど、これから長い旅になるので、食糧に余裕ができるのはありがたい。
『ありがとうございます』
『お礼は、クウガくんの精で──って言いたいけど、あとで魔力をちょっとだけちょうだい』
アルダート・リリーはそう言って俺の目の前に向かい合うと背伸びして俺の首筋を冷たい手で撫でた。
「うっ……冷たいッ」
ひやっとした感触で体がビクッと強ばると、アルダート・リリーはケラケラと笑い出す。
『あー、ごめん。手が冷えてたわ。ニンゲンだもんね』
彼女は寒い中、半裸で狩りに出て今も半裸。
肌の色は健康的に見えるんだけど、表出してる部分は外気と同じく冷えているらしい。
触ってみたい──と、思わず俺は彼女の頭に手を置くと──
『あー、それそれ。ね、魔力を込めて』
と、言い出した。
他人に魔力を流すってどうやるんだろう?
火を起こしたり、水を集めたりするのと同じなのか。
アルダート・リリーにふれる手のひらを意識して魔力を集め、彼女に伝わるように──と、イメージを強めた。
すると──
『あぁんッ……んんッ……ね、ちょっ……強い……強いよぉッ……もっと優しくして……はぁぁああ……ッ……』
何故か色っぽい声を出して呻き出した。
優しくしてというので柔らかくなるように意識をしたが、彼女は『ちがっ……そうじゃないッ……ああんッ』とピクピクと悶ながらへたり込んだ。
『ちょっと、クウガくん、あなたニンゲンなのに魔力が強すぎ……もっと加減してよ』
『すみません……。魔力を他人に与えるって初めてのことでよくわからなくて……』
『良いわ。急にお願いしたウチも悪かったよ』
アルダート・リリーは紅潮する顔を俺に見せないようにするためか上目遣いする。
先程よりも血色が良い素肌。見た目は幼女なので寒々しく見えていたたまれない気持ちになるけど、魔力を与えたことで満足気にも見えた。
『ウチにしたように、モラクスにも魔力をあげてね』
牛型の悪魔のモラクスは基本的に食事を必要としない。だが活動するためのエネルギーが不足しているときは魔力を与えることである程度保つらしい。
食事の代わりということなら、そうするべきなんだろう。
アルダート・リリーに魔力を流して与えたから、次からはもう少しうまくできそうだ。
『わかりました。では皆さんの食事の後に、モラクスにも魔力を与えますね』
腰に下げる短剣を使ってヘイズルの解体を始める。
アルダート・リリーは『腰に力が入らなくて立てないよぉ……』と俺がヘイズルに短剣を突き立てていく様子を見守っていた。
昼になったが雪はいっこうに止まず。
辺りは薄っすらと雪化粧。
俺の傍らでへたり込んでたアルダート・リリーは動けるようになったものの『体が熱くてキツい』とのことでテントに入って休んでる。
アルダート・リリーが獲ってきたヘイズルの本格的な解体は後回しにして肩の肉を剥ぎ取って、それを料理に使った。
「食事の用意ができました」
テントの中で冷たい風から逃れているメル皇女とニム皇女を呼ぶ。
「リリー様はお休みしてるわ」
メル皇女は目配せして横たわっているアルダート・リリーの居場所を指した。
寒さに強い彼女は掛け物をすることなく素肌の大半を晒して横になっている。
血色は良さそうなので問題ないだろう。
「わかりました。寒いので冷えないうちにどうぞ」
まず二人分の食事を出して二人の皇女に振る舞う。
「クウガは一緒に食べないの?」
簡易テーブルの席についたニム皇女はテーブルにある二人分の料理を見て俺に言う。
「俺はあとで良いですよ」
皇女と同席して食事を摂るというのは大変な無礼にあたる。そう考えて俺はあとでひっそりと食事をしようと考えていた。
「私、クウガと一緒が良い」
「そうね。私もクウガと一緒に食事をしたいわね。待ってるからあなたの分もご用意なさい」
ニム皇女の言葉にメル皇女が続く。
「申し訳有りません。せっかくの食事なのに」
「いいえ。私も考えが足りなかったわ。次からはクウガも私たちと食事を一緒にしましょう」
いたたまれなくなって謝罪をするとメル皇女は言う。
「私たちは皇女でしたが、今はかろうじて逃げ延びているただのヒトです。皇族の血を持っているのは確かですが、お姉さまが再び国を取り戻すまでは汚れた身の元皇女でしかありませんから。要するに今の私とニムはクウガと同じ平民ということです」
と、そんな話で俺はメル皇女とニム皇女と向かい合って食事をすることになった。
揃って席について「ニューイット様に感謝を」と揃って食事に手を付ける。
「美味しい! クウガ、ありがとう」
ヘイズルの肉は美味かった。
獲れたばかりで味はそれほどとはいえ、臭みがなく柔らかい。
ニム皇女は最初に肉を一切れ飲み込んで俺に笑顔を向けてくれた。
「クウガはお茶だけでなく、料理も素晴らしいわね。お姉さまがご執心されるのがよく分かる……」
メル皇女は頬を緩める。
荷車に入っていた野菜と香辛料を使って肉と一緒に焼いただけのものだけど二人の口に合ったようだ。
ヘイズルの肉は栄養バランスが良く、体がよく温まる。
一頭まるごと自由に使えるし、大事に食べればバッデルまで十分足りるだろう。
アルダート・リリーに感謝した。
テントで横たわる彼女は『魔力が溢れて体が火照ってた』と後で教えてくれた。




