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クラス転移に失敗して平民の子に転生しました  作者: ささくれ厨
第四章

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魔都 三

 出発前日──。

 俺はミル・イル・コレット皇女に呼び出されて彼女の私室を訪ねた。


「ミル殿下、クウガをお連れいたしました」


 俺をここに連れてきた貴族の女性がミル皇女の部屋の前で扉越しに到着を報せる。

 家人のような女性はカゼミール公爵が手配した配下の女性らしいが平民の俺には知る由もなく。

 しかし、彼女の佇まいから貴族の女性だということはわかる。

 仮に彼女をミル皇女の侍女ということにしよう。


「入りなさい」


 部屋の中から涼やかな声が聞こえた。

 これまで何度も聞いたミル皇女の美しい声。

 ミル皇女の美声に侍女は「失礼します」と扉を開けて俺を部屋に通す。

 俺からは目上の人を見ることはできない。だから目を伏せて何も見ないように足元に目線を落として部屋に入った。


「貴女は下がって良いわ。ゆっくりおやすみなさい」

「はい。失礼します」


 俺が部屋に入るのを確認したミル皇女は侍女に退勤を命じると、侍女は一人、部屋から出て終業ということらしい。

 廊下から聞こえる足音で侍女は自室──或いは、屋敷に戻ったようだ。

 残された俺はというと──


「いらっしゃい。クウガ。もうこの部屋には私とクウガしかおりませんから楽にしてくつろいで良いわ」


 と、俺に声をかける。

 昨日までと違って、小綺麗な服装で丁寧な振る舞いをしてみせるミル皇女。

 気品の高さと綺羅びやかな仕草が俺にはとても恐れ多い。

 目を合わせられず、顔を上げることすらできない。

 前世が一般的な貧困家庭なら今生はスラム街で生まれた平民。

 前世で見た皇族と違って、今、目の前にいる皇族のお姫様は近くにいるからと言って堂々と顔を見て良い存在ではない。

 つまり平民の子どもでしか無い俺には恐れ多くて見ることも声を発することもできず、ただうつむくだけ。

 それしかできなかった。


「お顔を上げて。私、クウガのことは好ましく思っているから、貴方の綺麗なお顔を見られないのはとても淋しくてよ」


 ミル皇女はわざと足音を鳴らして俺に近付き姿勢を下げて俺の顔を覗き込む。

 怖くて思わず目を閉じた。


「あなたが平民だからと言って、私はあなたを咎めたりしないわ。魔王城に入るまでだって一緒だったのだから何も問題はないでしょう? 目を開けて顔を上げて私を見なさい」


 優しい声音で俺に向かって手を伸ばし、ゆっくりと慈しむように俺の頭を撫でるミル皇女。

 恐る恐る顔を上げて目を開けると、綺麗な顔で微笑んでくれていた。


「それで良いわ」


 そう言って俺から離れていったけど「それで、こんなこと言って気が引けるけど、お茶を淹れてくださらないかしら?」とミル皇女は俺に頼み事をする。

 ああ、お茶ね──と、いつものことのように、用意されているティーサーバーと茶瓶、それとティーカップなどが置いてあったテーブルに歩いて俺は茶を淹れる。

 しばらくして──。

 お茶が出来上がり、ミル皇女の前でカップに茶を注ぐと、


「──クウガの分も淹れるのよ。カップは私の正面の席に置くように」


──と、何故か命令口調で──お茶を注ぎ終えると「さあ、お座りなさい」と、ミル皇女の前の席に座るように催促された。

 俺が座るとミル皇女は茶を一口啜り、ふぅっと一息をつく。


「私的に呼ばせてもらったのは頼み事があったの──」


 ミル皇女は俺に言う。

 俺は明日には魔都パンデモネイオスを出て獣人の町、バッデルを目指す。

 父さんと母さんがバラド街道を南に向かったという話を聞いたから──バラド街道の終着点であるバッデルに急げば途中のどこかで会えるはずだから。

 俺が家族を探して旅をシていることは魔王・ナイアやミル皇女に伝えてある。

 平時だったら俺が一人で行くことを止められたりすることはなかっただろうが、今、この魔王城はコレオ帝国に反旗を翻す拠点となる。

 ミル皇女は、クーデターを起こし皇位を簒奪した勇者・如月(きさらぎ)勇太(ゆうた)と帝国に残る異世界人たちを討つと決めた。

 この地に留まったカゼミール領軍とセア辺境伯領から逃れてきた領民から兵士を募り、現皇帝──如月勇太を討つ反乱軍の編成に取り掛かっている。

 魔王ナイアの力を借り、多くの魔族に協力を要請。

 ナイアの声に応えた魔族が魔王城に向かっているそうだ。

 順調に兵力が整えば数ヵ月後にはここが戦場になってしまう可能性があるし、万が一、負けた場合はこの地の人間は処刑されるだろう。

 だから──


「メルとニムを連れて行ってもらえるかしら? ナイア様にも相談したわ。だけど、同じ人間のクウガに付き添われたほうが良いのではないかしら──そういう話になってるの」


 それが、ミル皇女の頼み事だった。

 万が一のことがあっても皇族の血を絶やしてはならないと考えてのことだろうが、どこにいくともしれない俺に預ける意味がわからない。

 それでも、戦場に残すよりも俺に付き添わせたほうがミル皇女に何かがあっても生き延びられるだろう──皇族の血は絶えないはずだと判断したのかもしれない。

 だけど、そうだとしても素直に〝はい〟とは言えない。

 俺はただの平民でしか無いからだ。


「どうして俺なんでしょうか?」

「クウガ以外に適任がいないのよ。身分はともかく、きっとクウガはお強いのでしょう? 私にはわかるの。それにニムが懐いているから預けやすい。いろいろと考えたらクウガしかいない──と、そう思ったのよ」

「そうですか──」


 だからといって簡単に応じられるわけがない。

 俺に皇族を預けるという状況が信じられず、頷けずにいた。


「それに、私、クウガとはこれからもこうしてお会いしたいと思っているの。身分や年齢に隔たりがあるのは承知しているけれど、どうしてか貴方には恋慕に近い感情を抱いているの。それも伝えたかったから今日はこうして私的にクウガを呼び出して私とクウガの二人きりの場を設けさせていただいたのよ」


 恋慕に近い感情──。

 それって好きってこと? 異性として?

 人生初の告白を俺が受けている──もちろん、前世を含めて初めてとなる女性からの告白。

 数多の女性が父さんに向ける感情をミル皇女が俺に寄せていた。

 こればっかりは素直に嬉しいと感じる。

 父さんはこういうの嬉しくないのかなって一瞬頭に過ぎる。

 思い返せば母さんは父さんの隣で父さんを小突いたり、袖を掴んだりしてた。つまり、父さんも綺麗なお姉さんに告白されたら嬉しくて舞い上がるんだろう。

 考えてみたらこの世界の──コレオ帝国の平民には結婚制度というものがない。

 前世の世界で言う事実婚みたいなものが主流で一夫一妻とかそういう考えは全く無いけど、自然と一夫一妻に落ち着いているというのが平民社会。

 貴族のことは知らないけれど、平民は女性でも気に入った男性には積極的にアプローチをする。

 既にパートナーがいても気にせずに。パートナーの許しがあれば受け入れたりする。

 だからなのか異性に言い寄られる──異性が集まってくるというのは喜ばしいこととされていた。

 もしかしたら貴族もそうなのかもしれないな。

 なるほどなるほど。これが告白を受けるという心境か。


「──でも、私は多くの男性から汚されてしまった身ですから、今更、男性とどうこうしたいという気持ちにはなれないの。年甲斐もなく、身分の差があるというのにクウガをお慕いしているというのは事実。だから今は貴方との繋がりが途絶えてしまうと思うと心がとても痛い──。それでクウガにメルとニムを預けたいという邪とも思える考えに至ったわ。卑怯だと思うけど……」


 表情に陰りを見せながら言葉を編む姿。

 それはとても儚く見えて、それでいて美しい。

 とはいえ、ミル皇女の私情はともかく、皇族を絶やさないためにはメルとニムを命の危険に晒す場所から遠ざけたいという気持ちは理解できる。

 魔族領を旅するのも安全とは言えないけど、俺なら何とかできるかもしれないと考えたんだろう。

 その期待には答えたい。


「ナイア様からも配下の者をクウガにつけると言っていたわ。魔族領を旅することは安全とは言えませんが、戦場に貴方や妹たちを置いておくよりも生存できる可能性が高いでしょう。だから、お願いいたします」


 最後にミル皇女は深々と頭を下げた。

 平民の俺に、皇族のミル皇女が、頭を下げた。


「あ、頭をお上げください。不肖の身ながら、メル殿下、ニム殿下のお供をさせていただきましょう」


 慌てて椅子から下りてミル皇女の頭より低く頭を下げる。


「ありがとう……メルもニムも私にとっては大事な妹です。どうかよろしくおねがいします」


 ミル皇女は床についた俺の手を両手で取り、そして、握りしめる。


「頭を上げて」


 そう言って彼女は俺を抱きしめた。


「ごめんなさい。ずるいとわかっていても、どうしても──」


 ミル皇女は感情が高ぶっているようだ。

 俺にはどうすることもできない。怖いからね。

 でも、皇族と言っても人間としての弱さは当然あるはず。

 感極まった彼女は「ああ、温かい……」と俺の耳元で小さく囁くと、堰を切ったように泣き出して俺を抱く腕を強めていた。


 しばらくして──。


「本当にごめんなさい。十六も年が離れた男の子になんてことを──」


 ミル皇女が平謝りしていた。

 その後は彼女は砕けた口調で俺に接するようになり、時間が許す限り彼女の言葉を俺は聞く。


「クウガに話してすっきりしたわ。本当に不思議な子ね。まるで女神様の愛を私に分けてくださるよう。だからきっと、私はもっと頑張れる──そう思えるようになったの。ありがとう」


 ミル皇女の顔は見違えるほどの生気を放つ。

 凛として美しく、それでいて高貴であり──。

 ミル皇女は妙齢を過ぎつつあるとはいえ平民の間でも人気の高いお姫様。聖女である結凪と比肩するほどに。

 涙で目を腫らした彼女がこうして心を持ち直してふたたび立ち上がる。

 きっと帝国の国民はミル皇女を支持するだろう。

 もし、結凪がミル皇女と並び立つことがあれば、コレット家が皇位を取り戻すんじゃないか。

 こういう目をする皇女だからきっと、まだこれからも民の人望を集めるに違いない。

 そう思えるほどに眩しいミル皇女だった。


 それから、翌朝──。

 魔王城のエントランスに出るとミル皇女たち四人の皇族とナイアたちの魔族が俺を待っていた。


『遅かったのう』

『昨夜はなかなか寝付けなくて遅くなってしまい起きられませんでした……』

『まあ良い。それはともかく、紹介しよう』


 ナイアはそう言って俺に一人の少女を俺の前に見せた。


『こいつはアルダート・リリー。クウガの旅の案内役じゃ。リリーとでも呼んでやってくれ』


 この小さな少女。見た目はニム皇女よりも小さくて貧相だ。

 ニム皇女もまだ発達に乏しいが──そう考えると異世界人の狂気じみた性癖が目に浮かぶ。

 思い出すだけで腹立たしい。恩師や級友たちを殺した異世界人──見つけ次第殺してやる。と、沸々とどす黒く熱い感情が胸に湧く。


『あなたがクウガくんね。本当、シビラの言う通りで美味しそう……』


 幼女然とした見た目でジュルリと舌舐めずりしてみせる。

 声も子どもらしいそれで、性癖を歪めかねない魅力を持っているように見えた。

 しかし、シビラと違ってまだ耐えられる。

 シビラは強力な魔力で心臓(ハート)を射抜かれる感覚があったけど、アルダート・リリーからはそれを感じない。

 いや、正確にはチクチクと突き刺すものはあっても、俺には刺さらない──そんな感じだった。


『リリーの力ではクウガは御せぬぞ。シビラの魔眼にも耐え抜いた人間じゃからな』

『うっそー。人間でシビラ様の魔眼に抗えるなんて信じられなーい。魔人でも餌にされちゃうくらいなのに』

『クウガは生半可なものじゃ相手にならんよ。本人はまだ自覚していないようじゃがの』


 ナイアは俺がシビラの魅力に負けなかったことを、魔眼に耐えたと表現。

 そうだったのかと腑に落ちた。

 あの眼が魔眼か。ではアルダート・リリーのもそれと似たものがあるということか。


『美味しそうなのに堕ちそうにないからとってもじれったくなるわね』


 ナイアの後ろのシビラがニコッと笑う。

 可愛い。魔眼にヤられなかったけど、シビラの造形美には充分にヤられている。

 昨夜のこともあるけれど、俺はこれから性に目覚める年齢だ。

 残念ながらまだ精通を迎えていないから大事に至っていないわけだ──と思う。


『まあ、そんなわけで、リリーを連れて行ってくれ』


 ナイアは話を区切ってアルダート・リリーを俺に寄越した。


『クウガくん。よろしくね』


 キラリと星が飛び出そうな可愛らしいウィンクを俺に向けたアルダート・リリー。


『ウチのこと、リリーで良いからねッ』


 俺の胸元に身を寄せて上目遣いをしてくれた。

 この子は声に魔力が宿っている──なんとなく、そんな感じがする。

 これなら真似できるかもしれないな。そのうちやってみよう。


『わかりました。よろしくおねがいします。アルダート・リリー様』

『ウチ、人間じゃないから様とかいらないよ。リリーだよ』


 アルダート・リリーの紹介の次にミル皇女が俺の前に出る。


「昨夜はありがとう。おかげでスッキリ眠れたわ」

「いいえ、こちらこそ。粗相をしていないか不安でした」


 まるで恋をする乙女のような顔をミル皇女は俺に向ける。

 これにはブラント・イル・カゼミールやレオル・イル・セアという人たちが怪訝な顔をして訝しむ。


「それはそうとして、メルとニムをお願いするわね」


 ミル皇女がそう言うとメル皇女とニム皇女が前に出てきた。

 ふたりとも昨日までの装いとは違って、小綺麗な格好──なんだけど……。


「クウガ、よろしくおねがいするわね」


 旅をするからと言う理由でスカートではなくパンツスタイルなんだけど、妙齢のメル皇女のむっちりと膨らむ太もも──それに胸も尻もデカいっ!!

 目が点になるほどの立派なものをお持ちのようだ。

 昨日まではダボッとしたゆとりのある服だったからわからなかったけど、これほどのものだったとは……。

 レイナに比肩するものである。

 これにはミル皇女がわざとらしく咳払いをして俺の意識を引き戻してくれた。

 とはいえ、ここまで顔は見ていない。目はある一点にあるけれど顔は見ないようにして顔は下向きである。

 王侯貴族に対する平民の基本だ。


「よ……よろしくおねがいいたします」


 メル皇女に頭を下げたあとに、今度はニム皇女。


「クウガとの旅、楽しみなの」


 彼女はひときわ嬉しそうに表情を緩めている。

 俺よりも背が低いニム皇女。

 下向き下限でも顔が見えた。ちなみに彼女は胸が薄い。

 実はミル皇女も母さんに匹敵するほどのちっぱいだ。

 そんなことを考えていたらミル皇女が再びわざとらしく咳払いをする。

 ごめんなさい。他意はございません。

 心の中で深く謝罪をして気を落ち着かせる。

 俺は平民、平身低頭が常。

 この場で二本の足で立てていることが奇跡的。

 昨夜は好意を真っ直ぐに向けられて舞い上がっていたけれど、冷静になれば問題ない。

 無礼だと思われなければ俺は大丈夫。

 なんとなくミル皇女が年甲斐もなくプンスカしている気がするけど俺は顔を上げない。

 このまま出発までやり過ごせたら──と、思っていたら、ミル皇女が俺の傍に歩み寄ってきた。


「クウガ、顔を見せなさい」


 命令口調だったので顔を上げるとちょっと怒ったようで頬を膨らませるミル皇女の顔が真正面。


「私たちはここを死守して──必ずや皇位を取り戻してみせます。貴方もメルとニムを守りきって、ご家族を見つけて、また私にその顔を見せに来なさい」


 ミル皇女は人前だというのに憚らず、俺の両頬に両手を柔らかく添えて俺にまた会いに来いという命令を下した。

 一瞬、周囲がざわついたような気がするが気にするまい。


「はっ。必ずや……仰せのままに」


 跪いて頭を下げようとしたらミル皇女は俺の脇に手を差し込んで動作を止めた。

 軽く抱き寄せられる格好となり、耳元でミル皇女が「どうかご無事で」と、そう囁いて俺から離れていった。

 俺の横でニム皇女が何故が頬を膨らませていたが、気が付かなかったことにしよう。

 ミル皇女から解放され俺は、皆に見送られながらナイアから借り受けた牛のような魔獣のような──ナイアはモラクスと呼んでいたが──の手綱を掴む。


『ちゃんと帰ってくるのだぞ』


 モラクスの手綱を握る俺にナイアが声をかけてくれた。


『はい。必ず戻ってきます』


 ナイアの言葉は素直に嬉しい。

 だから「行ってまいります」と帝国語で言葉を置いていくことが出来た。

 俺が歩きはじめようとするとモラクスが歩幅を合わせて隣を歩く。まるで手綱がなくとも随伴するかのように。

 そして俺の後ろをメル皇女とニム皇女が並んで続いてきた。

 彼女たちの後ろにはモラクスが引く荷車を見守るアルダート・リリー。

 目的地はバッデル。

 今回も長い旅になりそうだった。

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