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クラス転移に失敗して平民の子に転生しました  作者: ささくれ厨
第四章

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ドワーフ

 魔族領の北西部──。

 広大なエルフの森を抜けて開けた平原に出るとそこには大きな湖畔は広がり、真冬のこの季節は湖面が凍てつく雪原。そして湖の向こう──地平線上には真っ白な頂を連ねる峰々が並ぶ。

 ドワーフのモルグは湖の向こうにあるドワーフの国──エルボア王国を目指している。

 湖上の雪原で荷車を引いて北上。モルグは家族が待つ王都エスガロスへと進む。

 行商の旅と終点となるエルボア王国までの道程──エルフの森を北に抜けてからは辺り一面が真っ白な大雪原。

 この時期、エルフの森とドワーフの国を隔てる広大な湖は雪舟で渡ることができる。

 裕福なドワーフは雪舟で氷上を進むのだが、貧しいモルグには高価な雪舟を所有できず、極寒の湖上を歩いて対岸を目指した。


「戻ったぞーい」


 王都の郊外にある見るからに貧しい家。

 それがモルグの家だった。


「おかえりなさい」


 出迎えたのはモルグの妻・ティスリン。

 付け髭を顎に装着するティスリンは息子のバルナーを抱えてモルグの傍に近寄った。

 ドワーフ族は立派な顎髭が特徴で、髭が立派であればあるほど、ドワーフとして魅力的な人間に映る。

 モルグの太く長く固い顎髭に惚れ込んだティスリンがモルグのもとに押しかけたことでモルグは妻を持つことができた。

 ドワーフという種族は女性が極端に少なく妻を持つ男性は限られる。

 これほど貧しいモルグが妻を持てたのはモルグの立派な顎髭があってものだった。


「今回はどうだった?」


 鍛冶や石工の恩恵に与かれなかったモルグはドワーフとしては半人前。

 恩恵がなくてもモルグは鍛冶や石工に励むが、生活のためにエルボアの王都で売り物にならないような武具や生活用品、調度品などを格安で買い付けてバッデルなどの魔族領の辺境で高値で売りつけて、それを生業としていた。


「今回は完売だったぞい」

「それは良かったわ」

「俺が打った剣も売れたんだ」

「まあ、それはおめでとう! 良かったわね」

「それでバッデルでコボルトの商人から宝石や装飾品を買えたから、こいつを売ればしばらく遊べる。これで半年は食える!」


 モルグは鍛冶の恩恵を持たないドワーフ。

 鍛冶や石工の腕がなければドワーフとして出世は難しい。

 それでモルグは王都の中心地に入ることは滅多になく、郊外の辺鄙な場所に家を構えてひっそりと生活していた。

 そこでモルグは家で使う包丁やナイフ、護身用の武器などを打つことがあり、これまでの行商では包丁やナイフはそこそこ売れても自身が打った剣が売れることはなく──いつも家に持ち帰っている。

 だというのに今回の行商ではバッデルの街で人間の子どもが買っていった。

 ドワーフの男として生を受けて六十二年──モルグは初めて自分が打った武器を売った。

 ドワーフとして身を立てるための第一歩のように思われた。

 モルグが玄関で外套を脱ぎ、ハンガーにかけると、息子のバルナーをティスリンから受け取って抱き上げる。


「いいこにしてたか? バルナーよ」


 バルナーはモルグの顎髭を掴んでニコニコ顔。

 人間の二倍ほどの寿命を持つドワーフの、五歳になったばかりのバルナーはそれほどの言葉を発することはなく「と、と」と声にするのがせいぜい。

 それでも子どもながらに父親に甘えて再会を喜んだ。

 息子を頭を撫でるモルグはもうひとりの我が子がどうしているのか、ティスリンに訊く。


「アルニアはどうした?」


 アルニアはモルグとティスリンの娘。

 彼女は幼い頃から武芸に優れていた。

 ドワーフは十歳の誕生日に鑑定を行い鍛冶や石工などの恩恵を持っていないかを計る風習がある。

 このアルニアは生まれながらにして屈強を誇るドワーフの戦士らしい重戦士──ではなく、それに似て非なる重騎士という恩恵を授かっていた。

 ドワーフにおいて貴重な戦闘系の恩恵。

 望めば厚遇も間違いなく、だが、彼女は王国に仕えることを、望まず家族の下に──貧しい家に留まった。


「アルニアなら今朝早くに狩りに出たわ」


 アルニアはそうして家計を支えている。

 狩りに出て肉を獲り、家で消費する分以外は組合(ギルド)に売っていた。

 アルニアにとって、魔物や魔獣と戦い腕を上げながら家を助けられるという生活が性に合っていたらしい。


「ただいまー」


 と、モルグが居間に移動しようとしたところで帰ってきたアルニア。


「あ、お父さん。帰ってきたんだね。おかえり」


 アルニアはモルグに抱きついて父親に甘える。


「ああ、ただいま。今回は全部売れたんだ。しばらく美味い酒が飲めるぞい」

「ほんと? アタシもルーン・ベアを二頭も狩ったの。見て!」


 アルニアはモルグから離れて玄関の扉を開けた。

 扉の向こうには大きな熊が二頭。


「これはすごい! 流石だね」

「でっしょー? 魔石も大きかったから、きっと一年は遊んで暮らせるよっ!」


 玄関から再び外に出たモルグとアルニア。

 続いてティスリンがバルナーの手を引いて出た。

 軽く血抜きはされているものの、解体はほぼ手つかず。


「あら、今日は大仕事ね」


 ティスリンはバルナーをモルグに預けて


「ちゃっちゃっと捌くわね」


 と、家に一旦戻った。


「こいつ、めちゃくちゃ強い魔獣だろ? アルニアは凄いな」

「へっへっへー。もっと褒めてよ」


 軽く屈んで頭を差し出すアルニア。

 アルニアはドワーフの女性にしては大柄でモルグより少し背が高い。

 屈んだアルニアの頭をモルグは撫でる。

 自分より大きくても娘は可愛いものだ。


「よくやった」

「じゃあ、ご褒美をちょうだい!」

「良いけど、お前は俺よりも稼げるからなー。何がほしいんだ?」

「アタシ、お父さんと一緒に行商の旅に行ってみたい」


 アルニアは幼い頃から父を見て育った。

 行商の旅に出ると、数週間から数ヶ月は帰ってこないが、家に戻れば数週間程度は自宅で休暇などを作って過ごしている。

 その間にモルグは不得手とする武器や防具、石細工などを作っていた。

 また自作したもののほか、エルボアでは品質が悪いとされた武具を買い付けに出回り、次の行商の準備ができ次第、再び行商の旅をする。

 そんなモルグを見てアルニアの好奇心はエルボアの外に向く。

 エスガロスの──エルボアの外には何があるんだろう?

 幼い頃から父親を見て育ったアルニア。

 当然、ドワーフとして鍛冶も石工も才能がない父が受けた酷い扱いを知っていた。

 だからこそ、アルニアはドワーフの王国に忠誠など誓えず──それでも、モルグが持ち帰る品々は下々の貧しいものに向けたものだけでなく、王侯貴族への献上品として遜色ないものまで揃っていて、才能がないなりに母と自身を養えるほどの商売をするモルグが外の世界で何をしているのか──特別な才能に感じられる父の才能を近くで見てみたい──とアルニアは思っていた。


「俺と一緒に──か。ティスリンが良いっていうかなー」

「お母さんには言ったことがあるよ。そしたら好きにしなってさ」


 モルグは家に妻と幼子を残すという状況に不安がないわけではない。

 考えあぐねていたら後ろから──


「アルニアは何度もお父さんについていきたいって言ってたし、一度くらいは良いんじゃない? アナタが頑張ってくれてるおかげで、私たちのお金は心配ないし、アルニアが小さい頃だって私とアルニアで待てたんだから大丈夫だよ」


──ティスリンがそう言った。


「お母さん、ありがとう!」

「ありがとうよりも、さ、アルニアが獲ってきた獲物を片付けましょう。手伝って」


 バルナーをモルグに預けたティスリンはアルニアに声をかけて熊の魔獣を納屋に運び込む。

 この納屋はモルグが鍛冶や石工の作業にも使う場所で屋内はそれなりの広さと高さのある。

 アルニアが大型の魔獣を狩ったときはこの納屋の中で血抜きや解体を行っていた。

 今日も手慣れた作業で大きな熊を吊り下げて血抜きを始める。

 バルナーを左腕に抱えるモルグはその様子をじっと見つめた。


 翌日──。

 モルグは王都の外郭に近い市場に足を運ぶ。

 雑多な市場はエスガロスのスラム街の住人で賑わい、日中は人の流れが絶えない。

 その市場の一角にモルグは用があった。


「よぉ、アドラム」

「おお、モルグ。戻ってきたか」

「昨日、帰ってきたんだ」

「そうか。どうだった? 売れたか?」

「今回は全部売れたし、ほら──」


 モルグは手持ちの大袋を広げてアドラムというドワーフの男に見せる。


「コボルドの宝飾品か。おまえは相変わらずだな」

「頼めるか?」

蜂蜜酒(ミード)の樽で付き合ってやるぜ」


 モルグは単独で王都の中心部に入れない。

 モルグが持ち帰った品々は王都の中心部にあるギルドでなければ売れないものがあるため、恩恵持ちで王都の中心部に出入りできる友人のアドラムを頼り、付き添ってもらっていた。


「それにしても、こんな上等な宝飾品をよく手に入れられるよな」

「最近はバッデルというところまで行商するんだが、良いコボルト族に恵まれてな──」


 恩恵に恵まれないモルグだからこそ、生きていくために知恵を振り絞っている。

 人当たりの良さという生来の性格がモルグに人脈を齎し、スキルがないからこそ知識をつけて自力で審美眼を磨いた。

 生粋のドワーフでエルボアの外を知らないアドラムにバッデルがどういうところなのかを教えても通じない。

 しかし、コボルト族がどんなものかは知っている。


「それであの宝飾品の数々──ということか」

「まあな」


 コボルト族は国を持たない──魔族領に属する魔族や魔人は基本的に群れて生活する。

 ごく僅かな限られた種族だけが領地を形成して統治をするが、魔族の大半は群れの単位で縄張りを持つ程度。

 コボルト族は後者の部類で縄張りを持ち群れで生活を営む。無類の宝石好きが講じて宝石となる原石が採掘できる場所に棲家を作り、宝石を使った装飾品を作って生活のために他の種族の群れや街に売りに出る。

 モルグが行商を通じて取引をするのはコボルト族の一部族でしかない。

 鍛冶が不得意なモルグは行商を通じてドワーフ族では手にすることが難しいコボルトの宝飾品を持ち帰った。

 閉鎖的なエルボア王国に国の外から貴重な貴金属や宝石を持ち帰ると、特に宝石の類は高値で引き取ってもらえるため、モルグに大金を齎した。


「いつも悪いな」


 アドラムは蜂蜜酒の大樽を肩に担いでいた。

 アドラムが所属する組合にモルグは商品の数々を卸して得た大金でたくさんの酒を購入。

 荷車に載せた酒樽の一つをモルグはアドラムに渡したのだ。


「アドラムには世話になってるし、酒樽のひとつやふたつで組合(ギルド)に取り持ってもらえるのは俺にはありがたいからな」


 感謝してるんだ──と、モルグはアドラムにこれまでもいくつかの贈り物をしている。

 娘のアルニアが重騎士の恩恵を授かって狩猟をするようになり、アドラムを頼らなくても良いはずなのに、それでも、モルグはこれまでの付き合いを疎かにせず、アドラムとの繋がりを大事にしていた。


 ドワーフ族の大半は大酒飲み。

 モルグもそれは例外ではなく、酒を飲まない種族が多い獣人族の街──バッデルでは酒は希少。

 エルボアに戻ってこなければ酒を楽しめないといった生活をモルグは送っている。

 それに家に酒樽を持ち帰れば家族が皆、蜂蜜酒を呷って団欒する。

 いわば家族への献上品が蜂蜜酒の大樽。


「いつもありがとう。今回も随分とたくさんの蜂蜜酒(ミード)を買ってきたのね。早速いただきましょうか!」


 いつもよりも多く大樽を持ち帰ったモルグ。

 そして、それを喜ぶ妻のティスリン。

 娘のアルニアも、まだ幼いバルナーも、蜂蜜酒が好きだった。

 この日、モルグは旅の様子を家族に話す。

 特にクウガという人間に短剣を売った話はアルニアの食いつきが良かった。

 モルグはこれまで何度か人間を目にしたことはあったが、クウガのように何度か顔を合わせて物を売ったというのは初めてで、ドワーフからしてみたら人間との交流は皆無──だから、人間に武器を売ったというのが非常に珍しく面白い話。

 モルグという恩恵のない最底辺の鍛冶師から武器を買ったというのだから、クウガという人間の少年は見る目のない腐った目の持ち主だという笑い話でしかない。

 とはいえモルグにとっては初めて自分で打った武器を売ったわけで、それでようやっと、ドワーフとしては鍛冶師の第一歩を踏み出した──ということになる。


「まー、売った相手が人間だからノーカンって言えばノーカンだけどよ」


 モルグは面白おかしくその時の様子を話したが、魔王が人間に討たれたことはエルボアにも広まっている。

 そんな中でバッデルという魔族領の辺境で人間の子どもが武器を買ったのだ。


「アタシ、それ、すごく気になる」


 アルニアは真剣に気にした。

 何故、人間が魔族領で武器を買う必要があったのか──。

 父から武器を買った人間の少年がどんなヤツなのか知りたいとさえ思う。

 魔族領で、人間の国で、いったい何が起きてるんだろう──アルニアは、もしかしたら世界が変わるのかも知れないと感じ取る。

 そしたらその先には何があるんだろうと、好奇心がさらに強く刺激された。


 数日後──。

 荷車にたくさんの武具工芸の品々を載せてモルグとアルニアは旅に出る。


「ティスリン、心残りだけど行ってくるぞい」

「ええ、気をつけて」


 抱き合って口付けを交わすモルグとティスリン。

 ティスリンの服の裾を掴む息子のバルナーは二人の顔を見上げていた。


「お母さん、行ってくるね」

「いってらっしゃい。今回はアルニアも一緒に行ってくれるから安心して待っていられるわ」


 ティスリンはモルグから離れるとアルニアを抱きしめた。

 ティスリンより頭一つ大きいアルニア。

 背中には重弓と大盾、腰から横に下げる大石斧。

 鎧こそ軽装に見えるが身につけているものはすべて重量のある金属や石である。

 これほどの重装備でも涼しい顔をしているのは恩恵あってのもの。

 日頃の狩猟で練度が高い重騎士のアルニア。


「うん。アタシがいるからもう安心だね! お母さんを置いていくのは心配だけど、お母さんは大丈夫って知ってるから」


 アルニアはティスリンと二人でモルグがいない日々を過ごしたから、それほど心配はしていない。

 むしろ、これまで一人で送り出していたことがずっと心配だったからアルニアもティスリンも気が楽だった。


「バルナーと二人で待ってるからね」

「おお! じゃあ、行ってくるぞい」

「お母さん、バルナー、いってきます」


 アルニアが荷車を引いて家を背にした。

 モルグはアルニアの隣を歩き、ティスリンとバルナーは二人が見えなくなるまで夫と娘──父と姉の姿を見守る。


「とーとー、いった。ねぇねも、いったね」


 ティスリンの手を掴むバルナーはきょとんした顔でティスリンを見上げた。

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