異世界人 十
小さな山道を歩く異世界人。
野木健司、澤幡蒼龍、井之村藤治郎──。
凸凹に荒れた峠道を歩いて数日──最後に立ち寄った集落で集めた情報をもとにそろそろ国境付近という場所に差し掛かった。
そこで投擲の恩恵で遠目が利く井之村が、遠くの景色の異変に気がつく。
「何だか関所みたいな門があるッスね」
井之村が遠目で門を確認。
「マジか──でも、どうしてあんなところに門があるんだ?」
「そうだよな。門があるなんて聞いてねーよ」
野木と澤幡は小さな峠道に間に合わせのように道を隔てる門があるという井之村の言葉に違和感を覚える。
「帝国から隣国のエリニスに行く人ってここを取らないみたいッスから情報が古いままだったんじゃないッスかね」
バレオン大陸を南北に隔てる大山脈沿いの細い峠道。
ゴツゴツとした石がそこら中に転がっているのは人通りがないらからだろう。
かろうじて歩くことができるといった路面状況。
しかし、この峠道が最短ルート。この山脈を横断する峠道の先に、湖を背にする風光明媚に恵まれたエリニス王国の王都フューリーが存在する。
峠をエリニス側に下る道は極めて険しいとされており、そのため、行商がコレオ帝国とエリニス王国を行き来する場合はコレオ帝国の南西を回って海側の平地からエリニス王国に入る街道を使う。
野木ら三人も大きな道路を経由しようと考えたがバレオン大陸には存在しない黒髪の人間──異世界人だということもあり、誰にも見つからずに国境を越えようと山に沿う小道を選んだわけだが、途中に立ち寄った寒村では、この先の国境には警備兵などはおらず、比較的自由に往来できると聞いていた。
ところが実際に国境に到達すると、そこにコレオ帝国とエリニス王国を隔てる門が存在する。
門に近づくにつれ、真新しい小さな砦は最近建造されたものだとわかった。
「最近、できたばかりの砦みたいだ」
門に到達すると、それは小さな砦。
人がすれ違える程度の扉を目の前にすると、上から声が聞こえた。
「黒髪とは珍しいな。ここに何の用だ」
軽装の兵士が物見台のようなところから大声を張り上げる。
コレオ帝国で話す言葉に似ているが訛りが異なっている。
しかし彼らは異世界人。
アステラに召喚されたときに、この世界で生きるための恩恵を受け、その時に言語中枢を書き換えられている。
野木や澤幡、井之村はエリニス王国の警備兵の言葉を理解していた。
「僕たちはコレオ帝国から亡命したくてこの道を辿ってきました」
野木は素直に伝えることにする。
下手に誤魔化してもボロがすぐに出るだろうと考えたからだ。
亡命を希望する黒髪の人間たちを兵士は不審に思う。
兵士は彼らが異世界人か魔族のどちらかだろうと認識している。
バレオン大陸には黒髪の人間は存在しない。
「そこで待て」
それからしばらくして、扉が開き数十名の兵士が武器を構えて三人の異世界人を囲った。
「我らはエリニス国境警備隊。数ヶ月ほど前にこの砦が完成して本格的に警備を行っているが、通行人の妨げをしてはならないと陛下より下知を賜っている。しかし、見慣れない人間は話が別。確認させてもらうぞ」
兵士たちは剣や槍を構え、その先を三人に向けている。
「怪しいものではありませんが、お手柔らかにお願いします」
野木を始め、澤幡と井之村も武器に手をかけることなく、無抵抗を装う。
そんな彼らに兵士たちは気を許し、武器を持つ手の力を抜いた。
「うむ。考慮はするが、我らもこれが仕事なんだ。不審なものはないか検査する。武器を置いて身につけているものを外してもらおう」
三人は兵士の言葉に抵抗することなく剣や槍を足元に置いて、防寒用のローブや軽鎧を外す。
「服も脱げ」
兵士の言葉に野木たちは「え? マジですか……」とおずおずとシャツとズボンを脱いで上半身は裸のパンツ一丁の姿に。
しかし、兵士たちは最後の一枚すらも「それも脱げ」と命じた。
ボロンと露わになった三人の一物。
「立派なモノをお持ちのようだ」
兵士たちは三人が三人、なかなかのものを持っていることを視認すると、魔族の特徴がないか、不要な武器や薬物などを持っていないかなどを確認。
「うむ。国境を越えることを許すが、黒髪の人間などというものはこの大陸にはコレオ帝国の異世界人しかおらぬ故、一旦王都に来てもらおう。そこまでは我らの馬車で我が兵と共についてきてもらう」
まだ、服を着ることを許されない三名の異世界人。
あまりの寒さに体が凍えるが、兵士たちは未だに衣類の着用を許さず。
「ついてこい。武器と着用物は検査する故、しばらくはこちらで与ることとする」
三人は裸で国境を越えることになった。
門を通り抜けるとちょっとしたスペースが広がっていて、そこに数十名の兵士が待機している。
ここまで狭い道を登ってきた異世界人の三人。
まさかこんなに広い場所があったとは──。
「こんなところにこんな広い建物が……」
野木は思わず声にする。
「ここはこの峠で唯一、開けた場所だった。昔、この峠を使って我が国に侵入した形跡を見つけたため陛下の命で関所を設けたのだ」
野木の声に兵士は言葉を返して「尤も、私がここに赴任してコレオ帝国から人が来たのは初めてのことなのだがな」と言う。
野木たちもこの道があることを麓の村で教わったが、この峠道には強力な魔物が飛来することがあり、安全な平地の街道を選ぶと聞いていた。
だからこそ、人目の少ないこの道でコレオ帝国を出ることを選択している。
「こんなところに立派な関所があることに驚きました」
「我が国はコレオ帝国に手痛い目に遭った故、この十年はこのような警戒体制をとっている。陛下に報告が済んだ後、貴様らは王都へ連行されることになるだろう」
兵士たちは野木、澤幡、井之村を後ろ手に縛り拘束。
未だ全裸の異世界人たちは抵抗する間を与えられないまま自由を奪われた。
「ロブ、王都に早馬を出せ。異世界人と思しき者を三名拘束したことを伝えろ」
兵士が指事を出すと、ロブと呼ばれた男は「はっ」と敬礼をして駆け足で移動。
──異世界人。
この大陸には存在しない黒髪。
コレオ帝国が禁呪とされる大規模召喚魔法を行使して異世界から転移させた異世界人。
彼らはコレオ帝国周辺各国を侵略して領土を拡大させた帝国の軍事力の要。エリニス王国も幾度となく異世界人を要するコレオ帝国と交戦し一進一退を繰り返した。
その最前線でエリニス王国軍と死闘を繰り広げた黒い髪の異世界人たち。
異質な特徴を持つ彼らは保護の対象ではなく、拘束の対象となる。
三人は全裸のまま、独居房に収監されて数日を過ごすことになった。
食事は一日に二度。
薄い生地のパンのようなものと香辛料の風味の強いスープが中心。
パンは固くなく、適度な柔らかさで食べやすかった。
三人で峠を歩いていた日々の食生活と比べると雲泥の差。
味のない生臭い肉に固くてそのままでは食べられないパン。
それと比べたらこの独居房の食事は満足ができるものだった。
拘束されてからしばらくの間は全裸だったが、今はパンツだけ与えられている。
独居房に入ってから数日。
最初は井之村のところに兵士が来た。
「貴様を王都に移送する。ついてこい」
井之村は手枷足枷で拘束されたまま兵士に担がれて馬車に乗る。
「健司とソウは一緒じゃないッスか?」
馬車に乗せられた井之村は三名の兵士の他に自分一人だけという状況を確認。
「今回、王都に連行する異世界人はお前一人だけだ」
兵士たちはすでに異世界人たちを鑑定している。
三人が三人とも、それほど優れた恩恵を持っていないことを把握しているが、一人ずつ王都に移送して処遇を決める手筈を整えていた。
その第一弾が井之村。
残念ながら馬車から外の景色を見ることはないが、食事と睡眠の回数で峠の関所から王都まではそれほど離れていないことを知った。
数日かけて井之村はパンツ一丁のままの姿で謁見の間に通される。
帝国とは異なる様式の大きな扉。
黄金の装飾が眩しく刺激が強い。
重そうな扉だと言うのに、軽やかな動作で両開きの扉が開く。
扉が開かれると、視界の中央に純白の大理石で作られた玉座。
そこに座るひときわ美しい女性。
そして、彼女の後方にも大理石でできた玉座が置かれていた。
「おおお………」
井之村は簡単の息を漏らす。
「不敬であるぞ」
兵士は井之村の後ろ手の手枷を押して彼を歩かせた。
井之村の前を歩く兵士が片膝をついて頭を下げると、井之村は後ろの兵士に押さえつけられて床にひれ伏す。
「メガエラ陛下。異世界人を連れて参りました」
「ん。ご苦労さま。彼が異世界人……私が知ってる異世界人とは随分違うのね。名前を教えてくれるかしら?」
冷淡に響く艷やかな声。
井之村は魅了された。
声が出ない。
メガエラ陛下と呼ばれた若い女性に名を名乗れと言われたような気がしたが、井之村は理解が追いつかない。
井之村の後ろの兵士が井之村を小突いて「陛下が名乗れとお申しだ。名を名乗れ」と注意されて我に返る。
「い……井之村藤治郎です……こっちの言い方だと、トウジロウ・イノムラ──ッスかね……」
井之村は目上の者に対する接し方に慣れていない。
緊張で声を上ずらせながら名を名乗った。
「変わったお名前ね。それはあなたが異世界人だからかしら?」
「はい。十三年前にコレオ帝国の大規模召喚魔法と言うやつでこっちの世界に召喚されたッス」
「そう。私は直接異世界人を見たことはありませんでしたが──トウジロウ。面を上げなさい」
メガエラにとって井之村は初めて目にする異世界人。
興味が唆り、顔を上げさせる。
メガエラの言葉におずおずと体を起こしてメガエラに顔を見せた。
「黒い髪に黒い瞳……肌の色も私たちとは違うのね……」
メガエラもこのバレオン大陸の人間──白に近い素肌に金髪碧眼の女性である。
髪の色は金髪だけでなく銀色に近い者も中にはいるが、黒い髪色は存在しない。
故に──
「こうして目にしてみると禍々しいものね……」
これから妙齢に差し掛かろうといううら若い女性のメガエラは忌避する目線を井之村に向けていた。
井之村はメガエラが気色悪がる表情に心が揺さぶられる。
まだアステラに召喚されて間もなく、低級の恩恵しか受けられなかった異世界人は各地の戦争に駆り出された。
その時に多くの人々から向けられた視線。
それがこの気色悪いものを見る目だった。
井之村は興奮する。
──あの、美しいお御足に甚振られたい……。
玉座で長くスラリと伸びる脚を組むメガエラは井之村の性的な琴線に触れるものだった。
とはいえ、そのような表情を見せるわけにはいかず──
「陛下のお目を汚しいたしまして、大変、恐縮にございます」
と、再び頭を下げて顔を伏せる。
「良いわ。して、あなたは異世界から転移されて恩恵を授かっているそうですが、それが勇者や聖女のようなたいそうなものではないと聞いています」
「は、はあ……あっしは投擲という恩恵で、何の役にも立たないものです」
「それで、帝国で厚遇を得られず、亡命を望んでいる──というわけね?」
「はい。そうなります」
「では、あなたに聞きたいことがあるけれど良いかしら?」
メガエラは脚を組み直して井之村に訊く。
「──リョウセイという名の異世界人に覚えはないかしら?」
「リョウセイ……大滝凌世のことッスかね? 大滝のこと知ってるんです?」
「ええ。十年経った今も、その名を忘れられないほどに、強烈に覚えているわ」
メガエラの言葉には怒りが入り交じる。
その後ろからは溢れんばかりの憎しみや殺気が井之村に向けられていた。
「大滝はあっしとは違って良い恩恵を持ってますから、あっしとは全くかかわりがないッス。同級生でしたが赤の他人ッスよ」
井之村にとって──これは野木や澤幡も同じだが──大規模召喚魔法でクラスごと異世界に転移したものの恩恵の優劣で帝国の待遇に差があった。
低級とされる下位の恩恵しか授かれなかった井之村たちは他国への侵略戦争に駆り出され、馬車馬のように働かされている。
他のクラスメイトと違って、戦闘系の恩恵を与えられなかった者たちと違って、命の保証すらされない最前線に捨て駒として立たされた。
井之村や野木、澤幡はそうして休む間もなく戦地に赴いて戦い続けたが不思議と人を殺めたことがない。
井之村の投擲という恩恵に付随する索敵スキルが生存率を高め、行動を共にし続けた野木や澤幡に至っては峰打ちに止め、魔族や敵兵を逃し続けた。
「そう。異世界人と言っても同じではないのね。では、もうひとつ、あなたはどうして亡命を選んだのかしら?」
メガエラにとっては最後の質問。
彼女は亡命の受け入れをこの回答次第で判断するつもりだった。
「如月が皇帝を殺しました。あっしらはそれが正しいことだと思えなかったッス。皇帝を殺し、子どもの命まで奪い、あげくに女性を踏み躙る。同じクラスメイトとは言え、彼らには嫌悪感しか感じられなくなりました。それに、結婚して家庭を持って子どもを作る同級生が羨ましくて、こんなあっしでも家族を持てたらと憧れたんッス。それで、もう、こんなことをする奴らとはいられないと考えてあっしらは帝国を出る決断をしたッス。南を目指したのは山を越えてみたかったからッスね。こっちには大きな歓楽街があると聞いたので、人目に触れない峠道を使って国境越えを目指したッス」
三人は未だに童貞。
歓楽街に出れば娼館があるし、そこ冒険者をしながら羽を伸ばして暮らしたい。
そして、童貞を卒業したい──それが彼らの本心。
それを言葉にするわけにはいかず適度に誤魔化しを交えてコレオ帝国から亡命をしたい旨を伝えた。
それから少し、皇帝の簒奪について説明もあとから付け足している。
「皇帝が引き継がれたとは聞いていましたが、まさか、異世界人に乗っ取られたとは滑稽ね」
コレオ帝国は帝国主義を貫いて周辺国家を次々と侵略して制圧していた。
それは井之村の記憶にもあるところ。
井之村は侵略の最前線で働いていたからだ。
そういったことを井之村は包み隠すことなく素直に伝えている。
それがメガエラには好印象だった。
「トウジロウ・イノムラの亡命を許可するわ。その代わり──」
メガエラは井之村の亡命を許可する。
条件付きではあるが、それは単純に異世界人を手元に置いておきたいという下心。
「しばらく、近衛騎士として城内で働いてもらうわね」
井之村はこうして王城内で生活することになる。
城外に出る自由が与えられるのは当分先ということになったが帝国を出られたことで目的の一つは達成できた。
数日後に澤幡、野木と日を開けて井之村と同じようにメガエラに謁見し、二人とも井之村と同じく王城内の騎士寮に入寮を果たす。
エリニス王国への亡命に成功し厚遇とは言えないものの帝国での十三年間よりもずっと高待遇であることに三人は幸せを噛み締めた。
それから亡命を成し遂げた異世界人たちは、メガエラの気遣いに感謝することとなる。




