魔都 二
平民として自由に生きるのも悪くないと思っていたけれど──。
自由気ままに生きてきた時庭を前にミルは息をつく。
スティギア評議室から奥の間の応接室。
ミルと時庭、ナイア、それから、レオル・イル・セアとブラント・イル・カゼミールが今後の指針を決めようとしていた。
「魔族と手を組む──ですか……」
ミルは魔族──魔王ナイアの助けを得て勇者が簒奪した皇位を取り戻す。
その意志を伝えた。
意外にも誰も反対はしない。
レオルは父と兄を殺され、ブラントは自領が勇者が編成する帝国軍の侵攻が始まっている。
気が気でない──ブラントはそんな心境で、この魔都にいるカゼミール領兵も一刻も早く家族のもとに戻りたいと願っているが、魔族領から見てカゼミール領は帝都の向こう。
帝都を超えて戻るしかなく、安全なルートを確保できない。
「ええ。ここに残されたカゼミール領兵……それとセア領からの避難民から徴兵できたとしても兵は万にも届かないでしょう。ですが、こちらの魔王・ナイア様の手を借りれば大きな戦力となるはず」
ミルの言葉にブラントが反応。
「たしかにそうではあるが──魔族や魔物の力を借りて民は離れていかないだろうか……」
「そうね。ここに聖女が──ユイナが居れば、魔族の協力を得ても説得力があったわね」
「ユイナ様を探しましょうか?」
「そうね。私が手配しましょうか。魔族領ならばナイア様も協力してくださるでしょう」
ここ、魔王城にミルが現れたことで兵を起こす大義ができた。
だが、魔王城を制圧した際の帝国軍は引き払い、この地に残るは僅かなカゼミール領軍のみ。
セア領からの避難民から徴収したとしても数千にも満たないとミルは考えていた。
これはレオルやブラントとは乖離が生じている。
レオルは自領民であるから五千は徴兵に応じると考えていた。
ブラントもこれに近い数字であると推測している。
しかし、ミルは戦力として使えるもの以外は魔都での生産活動に従事させたい。
この魔都で人間社会を築けば魔族が戻ってきたとしても、残りたいものは残り、魔王城を明け渡した後も交易を図れるはずだと。
そのためにミルは戦う意志があるものだけを徴収する計画でいる。
『そのユイナとやらの捜索にはクウガを行かせるのじゃろう? ユイナの近くにクウガの家族がおる。これまでの話じゃとそうとしか考えられぬからの』
「はい。そのつもりです。私たちからも一人、クウガとともに行動させたいと考えているわ」
『クウガは強い。並の魔族では敵わぬから一人でも問題はないじゃろうが……』
「だからこそ……。それに今、ここではそれほど人員を割けるわけではありません。ですが、何かのための名代となりうる人物を考えています」
『ふむ。そう簡単にいくだろうか……いや、クウガならやってのけそうではある──か』
「それにきっと、ここよりもユイナを探しに行ったほうが安全でしょうし……」
『勇者と事を構えるのであれば、そうじゃろうな……。ん。わかった。この件は善処するとしよう。ワシも後ほど考えを纏めて伝えるとしよう』
一つの指針はこうして決まり、それから次の議題に入る。
「ミローデ・イル・セアとニコア・イル・セアについてですが……」
「その件については私から説明させていただきます」
ミルはミローデとニコアの処遇を考えあぐねていた。
ミローデとニコアはセルム市から北上してファルタに避難し、それから、領民とともに対岸に避難した。
ファルタ対岸に難民キャンプを作ったが、助けが必要だと考えて魔王城を目指して出発したと伝えられている。
その途中でエルフの女と出会い助けを得ながら魔王城についたが、エルフたちは魔王の使いだとして地下牢に捕らえた。
しかし、レオルはレイナから異なる話を聞いていた。
ユイナが仲介してエルフとの対話を通じて、もう一つの事実を伝える。
「そう──だったらやはりクウガを使いに出すのが適任ね」
「恐れながら私もそう愚考します。しかし、彼はまだ十三歳になろうという少年でしかありません」
クウガがミローデとニコアをここまで連れてきたのだとミルは考えた。
エルフの女──ララノアとラエルから伝えられていた内容を吟味して状況を推測する。
『ワシのほうから一人、助けを手配しよう』
「ナイア様から魔族のものを用意していただけるのはとても助かります。そしたら、私の名代に相応しい人員を用意したら良いわね」
それから、本題に戻ると、ミルが彼女たちの処遇をレオルに伝える。
「ミローデは期限を定めずに謹慎。ニコアは一ヶ月程度の謹慎。教育係を用意して更生を図りましょう。良いわね」
この処分はクウガという人物がここにいるという事実に基づいたものである。
彼がここにはいないエルフの言葉の裏付けとなって真実味が増した。
とは言え平民をかばうためにミローデとニコアを処分するということが腑に落ちないレオルとブラント。
異世界人の時庭はミルの言葉に強い賛同を示していた。
◆◆◆
一方。時は少し遡り──。
峠道を登り切ったそこで一同は振り返り、魔王城を見下ろした。
「こうして見ると雄大だけど、小さくてちっぽけね」
異世界人、一条栞里が言葉を吐く。
「攻め入ったときは大変だったのに……」
柊遥が一条の言葉に続いた。
「でも、あんなに大きな都市なのに、今は何もなくて何とも言えない気持ちになったかな。私は」
白羽結凪は今でも攻め入ったときの様子を覚えている。
彼女は聖女の持つスキルで魔都の障壁を破って侵入した。
それからは魔人、獣人と虐殺の限りを尽くしたのを目の当たりしている。
敵であっても味方であっても、それが異種族だったとしても、人が死ぬ度に結凪は思い出す。
腕に抱いた肉体の一部が砂塵と化して消えてゆく──その感触を。
普通では起こり得ない。だからこそ鮮烈で消え去ることのない記憶として焼き付いた。
帝国兵やクラスメイトたちが一般市民を殺していく。
中には住居に押し入って女を犯す。
そんなことばかりを目にした結凪は人間が信じられなくなっていた。
特に同胞の男子たちがこぞってエルフの女性に乱暴を働いていたのは今でも心痛。
そのエルフの友人がこの旅の案内人のララノアとラエルの二人。
『エフイルのことは残念だったし、弔ってあげられなかったことは心残りだけど、きっと女神様が輪廻に返してくれてることを信じて、今はこの旅の無事を願おう』
黙祷を捧げるラエル。
その隣には笑顔を絶やさないララノア。
彼女は『クウガも良いけど、ロインってとっても素敵よね』と、地下牢から救い出したその日からララノアはロインに首ったけ。
それでララノアは人間の言葉──帝国語を覚えようとしている。
レイナはそれを面白がって、ララノアとラエルに言葉を教えていて、レイナはエルフ語を教わっていた。
この旅はロインとロインに群がる異世界人女性たちとエルフのパーティーである。
妻のラナは辟易した様子でいつも肩を竦める。
こうして一行の最初の目的地はバッデル。
ララノアがクウガから聞いたクウガの足跡をたどる旅だった。
魔族領には大きく三つとそれ以外に生体が分類される。
魔族、魔物、魔獣である。それ以外は帝国同様に動物がいるといった程度。
中にはゴブリンのように魔族とも魔物とも言える生き物もいるが、どんな生き物であってもここでは弱肉強食。
その頂点が魔王ナイアというのが魔族領。
魔族領の統治は魔族に分類される生物の各種族から魔王城に派遣される代表たちによる合議制を取っている。
時に対立し争い殺し合うことがあっても、勝ったものが正しい。
それが魔族の流儀だった。故に勇者によって魔王城を奪われたときであっても強いものが勝った──それでしかない。
魔王城を乗っ取ったわりに魔族領の統治に興味を持たない人間のおかげで魔族領は平時とそれほどかわらない。
旅は概ね順調。
ときには魔物の群れと遭遇し、応戦することもしばしば。しかし──。
「ロインさんとラナちゃんって、異世界転移でチート級の力をもらった私らよりも全然強いって、実はこの恩恵って弱いんじゃね?」
と、異世界人の女性たちから声が上がるほどの実力を見せている。
その実力を思う存分に発揮してゴブリンの群れを退治したロインとラナ、それに付き合ったラエルが戻ってきた。
ララノアはロインと同じく近接戦を得意としているが、実力はロインのほうに軍配が上がる。
そのため、ララノアは異世界人やリルムとクレイの護衛として残り、ロインとラナ、弓を使うラエルが戦闘員として魔物の群れと対峙する。
これまで異世界人でも力を持つ一条や柊も戦いに赴いたことはあったが、ロインとラナの邪魔にしかならなかった。
特にラナはエルフの魔法使いよりも強烈な魔法を使い魔力の扱いや練度にも長けている。
属性こそ火と水しか使えないというのに全属性を使う柊よりもずっと魔法の威力が高い。
更にロインとラナの間に生まれたリルムも魔法の扱いに長けていて、魔力も既に異世界人の魔女・柊よりも高い。
息子のクレイは武芸に長けてるとは言えまだまだ子どもである。いくら手数が合っても体の成長が足りない。
そんなわけで、戦闘中は戦闘役と護衛役に分かれて行動していた。
「ご無事で何よりです」
「遠くから見てたけどお見事でした」
「ロインさん、かっこいい!」
ロインが戻ってくると手ぬぐいを持ち駆け寄る異世界人の女性たち。
ラナはもう諦め加減で「もう好きにしたら」とばかりにそっぽを向く。
「母さん、大丈夫だった?」
クレイがラナを労うとラナはクレイを抱き寄せて頬ずりをする。
「もちろんよ。私が負けるはずないからね」
ラナがクレイの頭を撫でていると、リルムが魔法で作った水を水筒に収めて「どうぞ」とラナに手渡した。
ロインもリルムから水をもらいたい。
だけど、ロインはラナやリルムと違って魔法が得意なわけではない。
女性に囲われているときはリルムもクレイもロインには近づかなかった。
『ロインとラナって凄いよね。でも、クウガはもっと凄かったよ。わたしもラエルも一切手を出さなくても、もっと早く片付けてたんだよ』
ララノアは目を細めてロインを見つめる。
一緒に旅をして、戦闘の度に強さを増したクウガをララノアは思い出す。
『クウガくん──か……。会ってみたいな。ラナちゃんによく似てて可愛いんでしょう? とっても気になる』
結凪に幼馴染で想い人の天羽空翔と同じ名を持つクウガに強い興味を示している。
その少年は父親のロインよりも強く母親のラナ以上に魔法に長けているとララノアは言う。
『私はララノア様と違ってロイン様よりもクウガのほうが好ましく思ってる。成長が楽しみなんだ』
ラエルはクウガをとても気に入っていた。




