魔族領 一
セア辺境伯領の北限の港町ファルタから対岸に避難したセア領民に別れを告げてファルタ川の沿岸を遡上する。
右手にファルタ川を望みながら移動するわけだけど当初は北東に向かっていたけれど現在の針路は東南東──北へ向かうために一旦南へ下ると感じで歩みを進めていた。
俺の手を掴んで離さないニコア・イル・セアと彼女の祖母のミローデ・イル・セアと俺の三人で足場の悪い道を歩きながらの旅。
「クウガ、もう疲れた。休みたい」
悪路を歩くことになれていないニコアは音を上げるのが早い。
ニコアは俺を掴む手に力を込めて休ませてと訴えた。
でも、悪路でも歩きやすい道のうちは少し進んでおきたい──。
「わかりました。では、少し休みましょうか。開けたところがあったらそこで食事を摂りましょう。ミローデ様もよろしいですよね?」
ミローデ様を見ると彼女もお疲れのご様子。
平民の俺と貴族の彼女たちでは育った環境が違えば歩ける距離も違う。
小さい頃から馬車になる機会なんてなかった平民だからまだまだ歩けるし、もう少し歩きたいところだった。
けれど、彼女たちは疲労の色が濃くてこれ以上歩けないのだとわかる。
ミローデ様の許可を得る形で休憩を願い出た。
「そうですね……。ムリはよろしくないでしょうから、少しお休みしましょう」
こんな感じのやり取りを何度か繰り返して日が落ち始めるくらいまで歩みを進める。
ファルタから離れて以降、夜は野営を張って夜を明かしていた。
ミローデ様とニコアはお貴族様の育ちだからか、野営の準備は一切手伝ってくれない。
休めそうな場所を探して、野営を設置すると、火をつけられそうな枯れ木を集めて魔法で火を起こしてから、ファルタ川で食料になりそうな魚を獲る。
ファルタの人たちから戴いた食糧はとっくになくなっているので、こうやって野生の生き物を狩猟したり採取するしかない。
ニコアから──
「あなた、よくそんなに魚を獲ってこられるわね」
と、言われるほど──とにかくお腹が膨れる程度には魚を捕らえることができいていた。
魚を獲るのはそんなに難しくない。
水中の魚の気配を探しながら、下から小さな鉄砲水を起こして魚を水面に跳ね出すだけ。そしたら気絶して浮いたままになるから手で取る。
気配の探り方は父さんの見様見真似でチャレンジしてみたら何となく覚えたという。
「父の見様見真似で……」
「クウガはお父様もお母様も有名な冒険者だものね。その遺伝かしら?」
「そうかもしれませんね」
「あなたも鑑定したら良いのに」
帝国の貴族は十歳になると教会にお布施を納めて鑑定を受ける習慣がある。
そのことを進めているんだろうけど、大多数の平民は教会に鑑定のためのお布施を工面できないので、自分の恩恵を知る機会がほぼない。
あるとすれば、冒険者組合に登録するときに簡易鑑定をするくらいだ。
恩恵がなくても仕事はできるし、恩恵があれば単独でも報酬の高い依頼を受託できるとか、パーティーの勧誘を受けやすいとかそういう程度。
最終的には実績が物を言う世界だから、恩恵に恵まれた冒険者なら昇級などの出世の早さに影響するとかそんな感じでしかない。
「僕は平民ですから」
だから、いつも、ニコアが俺に鑑定を勧める度に平民という身分に逃れることにしている。
食事を終えると魔法で穴を掘って川の水を流し込み、魔法で水を温め、湯浴みをする。
湯浴みはニコアとミローデ様が髪や身体を洗っている間、俺が周辺を警戒して、俺が身体を洗うのは後でのこと。
湯浴みの見張りをしている間、彼女たちの服や下着を洗って魔法で乾かす。
着の身着のまま逃げてきたということもあるし、衣類の類はファルタから対岸に渡った民もそれほど持っていない。
そのため服も下着も一張羅。だから彼女たちが湯浴みをしている間に洗濯と乾燥を済ませることにしていた。
で、俺は彼女たちが湯浴みを済ませて着替えを終えたら、二人を寝かせて俺は夜の見張りをする。
俺の湯浴みと自分の服の洗濯は見張りをしながらで、彼女たちと違ってゆっくり眠ることもままならず、だいたい日に二時間と少し眠れたら良い方だった。
ミローデ様は平民の俺が貴族のためにこうした仕事を行うことを当然と見做していたが、ニコアはどうやらそうではないのか、
「何から何までクウガに頼り切りで申し訳なく思うわ」
と、口にすることが増えた。
ミローデ様はそんなニコアの言動を良しとせず、そのたびに注意して、平民を慮る言葉は安易に言葉にするべきではないと俺の陰で注意をしている。
それでも、気遣いの言葉を無碍にできないので、平民としてするべきことをしているだけだという態度で応じることにしていた。
「お気遣いありがとうございます。ですが、こんな状況ですから──」
そうして、何日もの日を経て──。
「ファルタを発って十日くらいになるかしら……」
ミローデ様の言葉は、長い徒歩の旅で身体に堪えるものがあったのか、疲労からでたものだった。
「明日で十日になりますね」
「メルダまであとどれくらいで着くか予想できるかしら?」
あと、どれくらいで着くのか──だなんて、そうでもなければ聞いてこないだろう。
俺の実感では一日に十kmから十五kmくらいしか進めていないような気がしている。
ファルタからメルダまでは五百kmほどあるそうだ。
このペースならまだ三週間はかかるはず。
「今のペースですと一ヶ月ほどでメルダに到着するとは思いますが……」
「そう、やはり楽には行かないものね」
「こちらのほうは道路の整備もあまりされてませんし、僕もですがこういった旅に不慣れというものもございますから……」
「そうよね……ごめんなさいね。本当に私が一番しっかりしなければならないのに……」
眠りにつく前に、ミローデ様はため息をついて下を向く。
疲労も極限というところまで来てるんだろう。
毎日温かい湯に浸かって、十分な睡眠をとって疲労の軽減を図っても、慣れない行動は身体だけでなく精神的なダメージも大きい。
こんなときに下を向いていたらきっと、気疲れして辛いだけだ。
俺は下を向くまいと空を見上げたら南の天頂に丸い月が浮かんでいる。
「今日は月が綺麗ですよ」
考えてみれば、魔法で光を灯さなくても今日は二人の顔がとても良く映えている。
疲れていたらこんなことにも気が付かないんだな。
そう思いながら月を見上げていたら、ニコアが小さな声でゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私、死んでも良いわ……そう思えるくらい、今夜の月は綺麗ね」
「縁起でもないわね──けど、そうね。下を向いていたらこんな月を眺めることは出来ないものね」
そうやって話し込んでるうちに、眠気が強まったのか、口元を隠して小さく欠伸をする。
「お疲れのようですから、ゆっくりとお休みになってください」
俺がそう言うとミローデ様は「そうね。では、お休みさせていただくわ」とニコアを連れてテントに入った。
一人取り残された俺は焚き火の火を弱めて服と下着を脱ぎ、冷めた湯に浸かりながら洗濯をして、この日もうつらうつらと短い時間眠りながら夜を明かす。
いい加減、ゆっくりと眠りたいものだ。
心の中で愚痴っても俺の待遇は改善されないだろう。
どれだけ親が親しくても、平民なんて捨て駒でしか無いからね。
翌朝。
魚を獲って朝食を済ませてから旅を再開。
今日もただひたすら河岸を遡上する。
一時間ほど歩いて、二十分ほど休み、また一時間歩いて、二十分休む。
それを繰り返してお腹空いてきた頃に、遠くに集落がありそうな気配を感じた。
「ミローデ様、ニコア。集落があるみたい。気をつけてください」
河岸沿いに進んいるけれど今は木々の間を縫って歩いている。
少しすると、開けた場所に出て、集落が見えた。
集落というより小さな町だ。
外壁で覆われていて門に人のようなものが立っている。
「町だわ──」
「こんなところに?」
ミローデ様とニコアはたいそう驚いていた。
俺は何となく人が動いている気配を感じていたから心構えはできている。
「寄ってみます?」
「お話、通じるでしょうか?」
「きっと、なんとかなります」
俺は町への立ち寄りを提案したが、ミローデ様は話が通じるかの心配をする。
何かあったら──と、考えてのことだろう。
けれど俺は、ファルタ川を渡るときに獣人族と接触をしていたから話せばわかるんじゃないかと、そう考えた。
ニコアは俺の袖を掴む手に力を入れ直すだけで何も言わない。
ミローデ様は少し考えてから「分かったわ。行ってみましょう」と許してくれた。
「すみません」
門番に話しかけた。
『ニンゲンがここに何の用だってんだ』
聞いたことのある響きだ。
『僕は対岸に住んでいて、事情があってこっちに渡ってきたんですけど、その途中で立ち寄らせてもらいたくてお願いに参りました』
前に話したときと同じく、自然と言葉が出てくる。
「クウガくん、魔族の言葉がわかるの!?」
ミローデ様が驚いていたが、門番も驚いていた。
『これはたまげた。言葉が通じるニンゲンか! これは目出度い』
『それは光栄です。ところで町に入る許可は頂けるのでしょうか?』
『ああ、ここバッデルは町に入る者を拒みはしないが、どこから来た誰なのかの記録は残してもらうぞ』
『わかりました』
『なら、住んでる場所と名前を教えてくれ。名前がないなら〝なし〟で良い』
『僕はコレオ帝国セア領セルム市に住んでいたクウガです』
『セルム? セアはわかるがセルムはわからねーな』
『以前はファルタに住んでました』
『ファルタならわかるわ。じゃあ、クウガはファルタから来たって事にしておくわ』
門番はそう言って記録紙に俺の住まいをファルタと記入し、名前欄にクウガと書く。
記入し終えると今度は後ろのミローデ様とニコアに同じことを言う。
『お嬢ちゃんの住まいと名前を教えてくれ』
すると、ニコアが──
『私も同じコレオ帝国セア領セルム市に住むニコア・イル・セア。もう亡くなってしまったけど、セア領の領主ゴンド・イル・セアの娘です』
獣人の門番と同じ言語で返した。
『おっほー。こりゃまたたまげることばかりだ。お嬢ちゃんも話が通じるのか。それなら話が早い。だが、俺達はニンゲンの国のことはわからないから、クウガと同じファルタから来たって事にするわ』
『わかりました。お願いします』
門番はさっきと同じく、ニコアの住まいと名前を記録する。
それから続けてミローデ様にも話しかけたが、ミローデ様には通じてなかった。
「どうしてニコアは魔族の言葉がわかるの?」
「あの、何となく……ですけど……よくわからないです」
ミローデ様はニコアが獣人と会話が成立したことに戸惑いを見せる。
とはいえ、これでは話が進まないので、俺が伝えようとしたら、ニコアが先に門番にミローデ様のことを伝えた。
『入町手続きはこれで完了。許可証を渡すから、ちょっと待ってくれ』
門番から通行許可証を受け取ると、それを上着に取り付ける。
この通行許可証はバッジでほんのりと魔力が込められているのが感じられた。
魔道具……。
そんな単語が頭を過ぎる。
ともあれ、これでバッデルという町に入ることが出来た。




