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指示厨女神とエンジョイ勇者

 1


 最初に感じたのは鐘の音だった。

 ゴーン、という震動がからだじゅうの骨を通っていって、スニーカーの靴底がビリビリする。


 ゴーン。

 再び、頭上から鐘の音がした。


「異世……界」

 ぼくの服は《《変化》》の前と同じだった。半袖シャツにスラックス。そしてスニーカー。放課後に家路につく中学生としては、ごく一般的な格好だろう。

 残暑を感じる帰り道。ふと足を止めて、道ばたのカーブミラーに映った自分の姿をなんとなく覗き込んだ時だ。

 ぱっと目の前が白く染まったかと思うと、目の前にまったく違う景色が広がっていたのだ。


 ゴーン。

 放課後の通学路は消え去り、金属なのか石なのかわからない材質の壁がはるか頭上までそびえている。

 鐘の音ははるか頭上から聞こえてくるのだった。

 その壁には見たことのない文字が刻まれ、その文字のひとつひとつが燐光を発していた。LEDではない。もっと不思議な力を感じる光だった。


《私の言うとおりにしてください!》

「うわぁ!?」

 いきなり耳元で声がして、ぼくは跳ね上がった。

《聞こえてるんですね! ようやく……私の声が聞こえる勇者が!》

 その『声』はいたく感動しているらしいが、ぼくはそれどころではない。耳元で大音量で叫ばれて、キンキンする。

 新品のイヤホンの初期設定が音量MAXだった時みたいだ。


 ゴーン。

「いまぼくが語り手らしく描写しようとしてるんだから、邪魔しないで!」

 ぼくの前方には扉がある。その扉にも複雑精緻な彫刻がされて、幾人もの人々が巨大な建物を見上げる様子が表現されていた。


《見てないで聞いて下さい!》

 ゴーン。

 大声に鐘の音まで重なったものだから、一度に響く大音量で耳がやられそうだ。

 耐えかねて、ボクはとうとう耳を塞いだ。


《耳を塞いでも無駄ですよ。いま、私はあなたの脳内に直接語りかけています》

「そのセリフをクソデカ音量で聞きたくはなかったなあ」

《えっ、声が大きい? おっかしーなー、設定間違えたかな。これでどう?》

「あっちょっと小さくなりました」

《しっぱいしっぱい。ごめんね》


 ゴーン。

「えー……誰なんですか?」

《私はプロフェット。見ての通りの女神です》

「見ての通りって言われても何にも見えないけど」

《うそ!? ちゃんとやったはずなのに。えーっと……》


 とつぜん、視界の隅にウィンドウが開いた。

《これでどう?》

 女性がこちらを覗き込むように映っている。

 長い髪は頭頂から毛先に向かってグラデーションになっていて、海を連想させるような深い青から、春の空のような明るい青に徐々に変わっている。

 紫色の瞳の中に小さな光が浮かんでは消えて、まるで星空が瞳の奥に広がってるみたいだ。

 本人の申告どおりなら、女神らしい衣装ということだろうか。白いローブのような、ドレスのような服を身にまとっている。


 女神プロフェットは輝いて見えた――というより、実際に体じゅうがほのかな光に包まれていた。壁の文字が放っている燐光に似ているような気がした。

 耳元で騒いでいた迷惑さも忘れて、思わずドキドキしてしまった。


「こんな不慣れな配信者みたいな感じなの、女神って」

 ドキドキをごまかしたせいで、すこし早口になってしまった。

《仕方ないでしょ! 普段はこんな風に《枝世界》に話しかけたりできないんだから》

「じゃあ今はどうして?」

《それは、えーと……》


 ゴーン。ゴーン。ゴーン。

 プロフェットが考えている間に、鐘が三回鳴った。

《それは、あなたが特別な存在だからです!》

「いますっごく長い思考時間があったけど、本当に?」

《神は嘘をつきません》

「女神に選ばれたってことは、これは……異世界転移ってやつ?」

《そうです!》

 プロフェットは右手をグーにして振り下ろした。その動きに合わせて、〈太鼓判〉という文字列が浮かぶ。


 ゴーン。

《ああ、もう10回目の鐘が。今すぐ扉を開けて外に出てください》

「そうやって命令してくる上位存在ってだいたい怪しいんだよなあ」

《どこでそんな余計なお約束(テンプレ)を覚えてくるんですか》

「ゲーマーだからね。RPGもかなり遊んでるし。で、何すればいいの?」

《だーかーらー、部屋から出て!》

「そういうのじゃなくて、あるでしょ。魔王を打ち倒すのだとか、聖杯を見つけるのだとか」

 そう、異世界転移といえば胸おどる冒険がつきものだ。女神が自ら使命(クエスト)を授けてくれるなんて、導入としては文句なしである。


 ゴーン。

《細かいことは後で話すから、とにかく今は扉を!》

「いや、設定を理解してからじゃないと。オープンワールドもキャラ設定作ってから遊ぶほうだし……」

《はやく!》

 耳元の音量がふたたびMAXになった。再びキーンという耳鳴りが巻き起こる。

「うるさいって!」

《従わないならまた叫んでもいいんだぞ!》

「わかったって! 女神の言葉遣いじゃなくなってるよ!」


 ゴーン。

 鐘の音が聞こえたのと同時に、ぼくは扉に手をかけた。がっしりした扉を体で押し開けよう……と思ったのだが、その手応えは思ったよりも軽く、つんのめって文字通りに転がり出てしまった。

「うわっ!」

 どさっ、と石造りの床に伏せながら扉を抜ける。

 その直後、さっきまでぼくがいた部屋に巨大な金属塊が落下した。


 どごぉぉぉん!

 無理やり文字にするならそんな音を立てて、石だか金属だか分からない床を砕いた金属塊は、鐘の形をしていた。

「うっそぉ……」

 鐘はぼくの体をすっぽり覆えるほどの大きさだ。いままでのんきにしゃべっていた空間が粉々である。


《見ての通り!》

 もし女神の言うとおりにしていなかったら、今ごろはぺしゃんこ……なんて、生ぬるい表現では済まなかっただろう。

《この迷宮には即死(デス)トラップが大量に仕込まれているのです。私の言うとおりにしないと……あっという間にゲームオーバーですよ》




 2


 扉を抜けた先は、まっすぐな通路になっていた。

 壁や天井に刻まれた文字が光を放っているから見通しが悪いということはない。

 単なる、まっすぐな通路……に見えた。


《この通路は罠だらけです》

 と、プロフェット。彼女が映っているウィンドウは視界の左下あたりに浮かんでいる。

 ぼくの視界がゲーム画面だとしたら、ちょうどアドバイスをくれるオペレーターの位置だ。

「それは本当かい、オペ子」

《女神だって言ってるでしょう! 妙な呼び方はやめてください》

「ちょうどそんな感じだったから、つい」


 気を立て直して、服の裾を払う。

「じゃあ、どうすればいいの?」

 彼女の指示がなかったら、さっきの鐘に潰されていたのだ。ここは言うとおりにすべきだろう。

《まずは地面にぴったり胸をつけて匍匐前進(ほふくぜんしん)!》

「立ったばっかりなのに」

《気まずいなーとは思ってました》


 かっこつけて服の裾を払ったことに若干の恥ずかしさを感じながら、女神の指示通りに這いつくばった。

《そう、その調子。頭を下げて……いいよー、じょうずにできてるよー》

「あんまり褒められても馬鹿にされてるみたいだな……」

 じりじりと進んでいく。自衛隊員が匍匐前進で進む映像を見たことがあるけど、あんな風に素早くはできない。ぎこちなく手足を動かして進むのは、ファンタジックな勇者とは程遠い感じだ。「もうやめていいかな」と言いかけた頃に……

 

 じゃきんっ!

 

 壁から勢いよく槍が飛び出した。

 普通に歩いていれば間違いなく全身を貫く角度とタイミング。様々な高さで何本もいっぺんに飛び出してきたから、かわすには床にぴったり伏せているしかない。

 またしてもプロフェットのおかげで命拾いしたわけだ。


「助かった!」

《槍をくぐったら、今度は3歩走って前にジャンプ!》

「よし!」

 自分でも声が弾むのがわかった。今まさに、トラップだらけの迷宮を攻略している。

 ゲームみたいな光景を自分の体で体験しているのだ!

 ぴったり3歩で踏み切った。走り幅跳びの要領だ。その直後、足下の床がぱっと消え失せた。


「あっぶな!」

 床に開いた穴を飛び越えて着地。

《止まらないで、そのまま走って!》

 頭上でカチャッと音が聞こえた。嫌な予感がして、穴を飛び越えた勢いそのまま全力ダッシュ。


 ズンッ!

 背後からの音で振り返ると、天井だった場所が押し出されて床を押しつぶしている。


「今度は吊り天井か!」

 天井が落下してくる罠である。犠牲者を押しつぶすことに失敗した罠には、天井裏から鎖が繋がっている。その鎖が巻き上げられて、落ちた天井を巻き上げていく。

《その罠に乗ってください》

「危ないんじゃ?」

《通路にはまだたくさんの罠があります。天井裏のほうが安全な道のり(ルート)です》

 ここまでのところ、すべてプロフィットの言うとおりだ。たしかに、天井裏には空間がありそうだった。

 さいわい、天井が落下するときは一瞬だったが、上がるのはゆっくりである。ぼくは吊り天井の裏側に飛び乗った。


《このルートを見つけられた勇者はごくわずかでした》

「他にも迷宮に挑んだ人がいるの?」

《9999人の挑戦を見守ってきました》

「じゃあぼくが1万人目かあ」


 この時、ぼくは罠を突破したうれしさで浮かれていた。

 ほんとうなら、こう聞くべきだったのだ。「何人が突破できたの?」と。

 そう聞いていれば、先に知ることができたはずだ。9999人の挑戦者全員が、ここで散っていったことを。



 3


 むっと強い熱気がぼくの体を包んだ。

《途中の道のりが変わっても、辿り着く部屋は同じです》

 というのが、プロフェットの談だった。

 その辿り着いた部屋の床は数歩ぶんしかない。そこから向こうは、赤々とした溶岩で満たされていた。その熱気が、部屋全体に広がっているのである。


「溶岩プールだ! 実物は初めて見た!」

《まあ自然環境下で溶岩を溜めたプールができることないでしょうからね》

 溶岩の奥行きは10メートルほどだろうか。その向こうに、次の部屋へ通じる扉が見える。

「ゲームの主人公だったら、こういうところをジャンプで跳び越えるけど」

 体力測定で測った、ぼくの走り幅跳びの記録から考えると……うーん、ちょうどプールのド真ん中あたりに飛び込むことになるだろう。


「もしかして異世界転移で身体能力が上がってるとか!?」

 試しにその場でジャンプしてみた。ポーンと飛び上がって天井にタッチ! ……なんてことはなく、いつもと同じぐらいの跳躍力だ。

「……なわけないか」

 ムワッと熱い空気を吸い込んで余計に疲れただけだった。

「冷静に考えると密室の床が溶岩で満たされてたら呼吸なんかできないんじゃない?」

《ファンタジーだから大丈夫! この世界は幻想でできてますから》

 女神が適当なことを言っているので、ぼくも適当に考えることにする。


「で、どうすればいいの? 知ってるんなら早く教えてよ」

《まったく最近の子はすぐ攻略サイトとかに頼る》

「さっきは言うとおりにしろって言ったじゃん!」

《人と会話ができるのが楽しくなっちゃって、つい》

 プロフェットが額をこつんとやると。「てへ」という文字が頭上に浮かんだ。メッセージアプリのスタンプじゃないんだから。


《左の壁を蹴ってみてください》

「ここ?」

 横を向いて、言われたとおりに壁を軽く蹴る。

 ボコン!

 と、軽快な音を立てて壁が崩れた。その壁の中に小さな空間が……


「隠しアイテムだ!」

 あまりにゲームで見慣れた光景だったので、思わず叫んでしまった。

 壁の中には、謎の力でふわふわと浮かぶひとそろいのブーツがあった。分かりやすく、羽の飾りなんてついている。

「この隠し方は悪の魔の城そのまんますぎない?」

《それは《遺物(レガシー)》。この迷宮に挑み、散っていった英雄が遺したものです》

「無視したなあ」


《さあ、それを装備するのです!》

 ブーツはぼくの足にぴったりだった。

 履いた瞬間に、体が軽くなったような感じがした。このブーツが自分を助けてくれるのが分かるのだ。

「このスニーカーは……」

所持品欄(インベントリ)に入れておきましょう》

「そんなことできるの!?」

《『インベントリに入れ!』と強く念じながらしまいこむのです》

 それがどういう念じ方なのかはよくわからないけど、わからないときは口に出してみるに限る。


「インベントリに入れ!」

 そしてスニーカーを空中にそっと置く動作をする……と、スニーカーはぱっと消えた。

「うわっほんとに消えた!」

《迷宮に挑む勇者の力です。一度でも身につけたものは、強く念じれば装備品との交換もできますよ》

 そう言われてみると、たしかに『スニーカーをインベントリに所持している』という感覚がある。

 それってどんな感じなんだと言われても、うまく言葉では説明できない。ゲームのキャラクターが何十個もアイテムを持ち運んでいるのを不思議に思っていたけど、彼らもまったく同じ感覚を味わっていたのかもしれない。


「スニーカー!」

 念じると、履いているブーツが一瞬にしてスニーカーに戻る。

「ブーツ!」

 今度はブーツに。

「スニーカー! ブーツ! スニーカー!」

 念じるたびに一瞬で装備が切り替わる。これも魔法の力だろうか。


《インベントリの使い方は覚えましたね。そのブーツは『疾駆の勇者』ステップスが遺したものです。そのブーツを使って、この溶岩を跳び越えるのです!》

「よし!」

 扉に背中をつけ、助走をつけて勢いよくジャンプ! ……したとき、はたと気づいた。


《スニーカーのままです!》

「しまった!」

 入れ替えて遊んでるうちに、履き慣れたスニーカーのほうを装備した状態になっていたのだ。

 とうぜん、ごく普通の中学生のジャンプ力しかない。溶岩プールのド真ん中へ、ぼくは飛び出していた!

 踏み切ってからでは遅いかもしれないけど……


「ブーツ!!!」

 靴が羽根飾りのついたブーツに変わる。溶岩の中へ落ちる寸前、ぼくは空中を蹴って(・・・・・・)再び飛び上がっていた!

「二段ジャンプ! すごい!」

 足場などないにも関わらず、ぼくは一度目の跳躍よりもはるかに身軽に跳び上がっていた。溶岩プールを悠々と跳び越え、向かいの壁に激突しそうになりながら着地。


《あ、危なかったぁ……》

「ほんとうにゲームみたいだ」

 プロフェットはぐったりしていたが、ぼくはむしろ気分が上がってきていた。元の世界では絶対にできない体験を次々にしている。


《ヒヤリハットは重大事故のもとですよ! ハインリッヒの法則を知らないんですか》

「何それ?」

《地球に帰ってから調べるよーに!》

 女神から知恵を授かるチャンスを喪失してしまったけど、そんなことは気にならない。


「この調子で、どんどんいこう!」

 扉を開ける。命の危機なのに、ぼくはわくわくしていた。

 次はどんな罠が待ち構えているだろうか?




 4


 三つの宝箱があった。

《このなかからひとつだけ開けることができます》

「大きさや装飾がどれも違うね」

 大きな木製の宝箱、小さな石の宝箱、そして水晶(クリスタル)の宝箱。

 ……最後のは水晶だから透けている。何も入っていないように見えるけど、ここはファンタジー世界。見えるものが真実とは限らない。


《水晶の箱には何も入ってません。木製の箱は罠で、開けると爆発します。石の箱を開けてください》

 プロフェットはあまりにもあっさりと指示を出してきた。

「えっ、もうちょっと悩む時間とか……」

《悩んでも中身は変わらないでしょう》

 せっかく、宝箱の中身を想像してワクワクしていたところだったのに!


《石の宝箱ですよ、い・し!》

 プロフェットはさっきの溶岩プールでの出来事のせいで、ぼくのことをかなりのうっかりさんだと思っているらしい。

 あえて違う箱を選んでやろうとも思ったけど、不利な行動を取るのはゲーマーとして許されない。

 言われた通りに石の箱を開ける。ボンっと軽快な音がして、ほかの二つの箱は煙に変わった。

 残った箱の中には小さな護符が入っていた。手にすると、不思議と温かな感じがした。


《守護の勇者イリスの遺物です。身を守ってくれますよ》

 その護符を胸に当てると、ぴたっと吸いついた。装備完了だ。

「それはいいんだけど……」

《なんですか?》

「もうちょっと、指示の出し方を考えてくれない?」

《はい?》

 頭上に文字通りにハテナマークを浮かべるプロフェット。何を言われているかわからないという顔を見ていると、ふつふつと頭に血が上ってきた。美人だけになおさら癪に障る。


「部屋に入るなりああしろこうしろって、これじゃ指示厨じゃないか!」

《指示厨!?》

「最終的には答えを教えてくれてもいいんだよ! いいんだけど、ぼくのペースで進めたいっていうかさあ!」

《あなたにとってはゲームみたいなものかもしれませんが、地球とも無関係ではないのですよ!》


「地球? 地球がいまなんの関係があるの」

 今度はこっちが首を傾げる番だ。

《この迷宮がある世界は地球の人々が抱く夢や幻想が形になった世界なのです。分かりやすく言えば、世界同士がアストラル的に親子関係にあるわけです》

「まったく分からない」

《地球が一本の木だとすると、このファンタジー世界はその木から生えた枝のようなものです》

「で、プロフェットはその世界を守る女神?」

《いや、それは……》

 視界に浮かぶウインドウの中で、女神が答えにくそうに目を泳がせた。


《私は、地球とこの世界とを隔てる領域の管理者です。ふたつの世界が混ざり合ってしまわないように見張ることが役目です》

「えっ! じゃあ、ただの見張りであんまりえらくないってこと?」

《えらいもん! えらい女神だけど、世界を守護するような役目じゃないってだけだもん!》

 女神は涙目になっている。


「なーんだ、世界を守る女神だから助けてくれてるんだと思ってたのに。やっぱり単なる指示厨じゃないか」

《し、指示厨……》

 その言葉は彼女にとってけっこうショックらしい。よし。弱点を見つけたぞ。

「そう言われたくなかったら、もっとヒントの出し方を考えてね。ぼくが協力しないと困るでしょ?」

《くっ!》

 こうして女神を言い負かしたぼくは、次なる部屋に向かうのだった。




 5


 ビュオオオオ……

 閉ざされた迷宮の中のはずなのに、空気が渦巻く音が聞こえる。

 その部屋は広大な縦穴になっていた。穴が深すぎて、底が見えない。

 縦穴の中を、いくつもの板が飛び回っていた。板は人が一人乗るのがやっとなくらいの大きさで、よく観察するとそれぞれが決まったパターンで同じ場所を動いているようだ。


「今度は『動く床』かぁ。ほんとにゲームみたいだ」

《地球人類の幻想が形になった世界ですからね。最近のカルチャーの影響が大きいんです》

「やっぱりゲームみたいなものってことじゃん」

《ステップスのブーツがあればここは簡単なはずです。先を急ぎましょう》

 女神の言う通りだ。今のぼくは遺産の力でいつもよりずっと身軽に跳ぶことができる。床が動いていても二段ジャンプで軌道を修正できるのだから、落ち着いて渡っていけばすぐに部屋の出口にたどり着ける。


 でも、ぼくには気になることがあった。

「もしゲームだったら……」

 床の動きにはパターンがある。壁の代わりに『動く床』が迷路を作っているわけだ。ゲームでもよくあるパターンである。動きを見極めれば、出口にたどり着くために使う必要がある床は全体の半分ほどだ。

 残りの半分はどこにもつながらない、いわばハズレの床だ。でも、パターンをよく見ればハズレからハズレへ乗り継ぐことができるルートがあった。攻略には関係ないルートが、どうしても気になった。


《そっちは扉じゃないですよ》

 プロフェットは相変わらず保護者のような口ぶりだ。

「いいんだ、こっちで」

 彼女にできることはぼくに話しかけることだけで、ぼくの体を操ることはできない。宝箱の部屋では従ったけど、今は反抗心のほうが上回っている。


 床から床へ飛び移るうちに、部屋の中をぐるっと回って、入口があった場所の下にある空間にたどり着いた。部屋の入口から出口に向かっている時には見えない、巧妙な隠しスペースだ。

「宝箱だ!」

 狭いスペースにちょこんと宝箱が置いてあった。

 隠し宝箱に罠はないだろう。さっさと開けることにする。


《天啓の勇者リブロの耳飾り!》

 いたく感動した様子でプロフェットが声を上げた。

 耳飾りをつけてみる。魔法の力だろうか、遺物の効果がすぐにわかる。

「すこしだけ未来のことが予知できるみたいだ」

《古代帝国の言語を解読した、とても賢い勇者だったんですよ。こんなところに遺物があったなんて》


 勇者ひとりひとりのことを、プロフェットはよく知っているみたいだった。そんな女神が知らない場所を見つけたのである。

「女神でも知らないことがあるんだね」

《私は、いままでで迷宮に挑んだ勇者たちを見ているだけでしたから》

「その割にはなんでも知ってるような口ぶりで指示してたじゃん」

《そのほうが女神らしくて安心感があるじゃないですか!》

 ……だんだん化けの皮がはがれてきた気がする。




 6


「とうっ!」

 背後からゴロゴロと転がり落ちてくる大岩を、ぼくはとんぼを切ってかわした。

《お見事!》

 パチパチと拍手をするプロフェット。さっきのやりとりが効いたのか、ぼくの機嫌を取ろうとしてくれているようだ。


「さて、次の部屋は……」

《疲れていませんか? 時には歩みを止めてすこし休むことも必要ですよ》

「いや、ぜんぜん疲れてないよ。ブーツのおかげで体が軽いんだ」

《休める時に休むのが大事ですよ!》

 この物言いで、ピンときた。プロフェットはまだ先に進ませたくないのだ。


「じゃあこの辺に座って休もうかなーっと……」

《こんな坂道の途中で休まなくても、もっといいところがありますよ! ほら、岩が転がり出てきたところとか》

 つまり、そのあたりに何かがあるらしい。


「それじゃあ、行ってみようかな」

 坂道を降りているときに大岩が転がってくる古典的な罠である。たしかに、大岩があったスペースに何かが隠されている……なんて、ゲームではいかにもありそうだ。

 ステップスのブーツのおかげで急勾配を登るのもへっちゃらだ。月面の宇宙飛行士のように跳ねながら頂上へ辿り着いた。


「これは……」

《遺物ですね! 製菓の勇者パティスロンのスカーフです! これを巻けば自在にお菓子を作りだすことができますよ!》

「その人もこの迷宮に挑戦したの?」

《ええ。調理で培った経験をもとに罠を見事に突破していく姿はすばらしいものでした》

「どういう人選なんだろう」


 とりあえず、スカーフを装備しておく。

 遺物は身につけさえすれば、なんとなく使い方が分かる。ぼくの心に、「お菓子を作ることができる」という自信がみなぎってきた。

「クッキー!」

 叫ぶと、手の中に白黒の模様が着いたクッキーが現れた。

《いいなあ、クッキー……》

 パリパリと食べて小腹を満たすぼくを、いかにも羨ましそうに女神が見ていた。


「女神もお菓子を食べるんだ?」

《もちろんです。儀式をして、人間達が捧げてくれたものを……パティスロンは信心深く、たくさんのお菓子を捧げてくれました》

「ふーん」

 聞き流しながらクッキーを食べ終えた。

 さあ、次の部屋へ向かおう!


《あっ》

「えっ?」

 坂道を下ろうとすると、プロフェットが何やら言いたげに声をあげた。


《いえ、何かやり残してないかと思って》

「そんなにクッキーが欲しいの?」

《そうじゃなくて!》

 女神はもごもごと言いにくそうにまわりを見回している。


「ああ、まだここに何かあるんだ」

 指示厨呼ばわりされるのがいやで、遠回しな指示を出しているらしい。

《どうでしょうね?》

 本人だけはネタバレしていないつもりの口調だ。


「どれどれ……」

 スカーフがあった空間のまわりの壁を試しに叩いてみる。位置を変えて試すうちに……

 ボコン!

 軽快に壁がくずれた。その中には、ごつごつとした棍棒が浮かんでいる。


「おおっ、ついに武器が!」

《よくぞ見つけました。これこそ力の勇者ウッドリーの武器。自在に長さを変える棍棒、その名も《長い(ロング)(ぼう)です》

「ロングボウって、ふつうは弓じゃない?」

《ウッドリーがそう名づけたんだから仕方ないじゃないですか》

 ともあれ、その棍棒の性能はたしかなようだ。伸びろと念じれば長く、縮めと念じれば短くなってくれる。使わないときはインベントリに入れておけばいい。


「武器があるってことは、モンスターとの戦いも……?」

《今のうちに覚悟をしておいてくださいね》

「それ、ネタバレ?」

《ネタバレじゃないですー! 女神の啓示ですー!》

 そういうことにしておこう。

 いよいよ怪物との戦いだ。ぼくのワクワクはさらに高まっていた。




 7


 ゴァァァァァッ!


 重厚な扉を抜けた瞬間、激しい咆哮が部屋を……いや、迷宮を震わせた。

 ひときわ広い部屋の中に、大きな獣が待ち構えていた。

 黒い毛皮。爛々と輝く赤い瞳――それが、六つ横に並んでいる。牙が生えそろったあぎとも三つ。

 つまり――首が三つの獣。


「ケルベロス!」

《よく分かりましたね》

「定番のボスモンスターだからね!」

 ずっしりとしたロング棒を構え、向かい合う。燃えさかる炎を宿した獣の瞳がぼくをにらみ、獣が姿勢を低くした。


 ――飛びかかってくる!

 実物よりも一瞬早く、幻像の動作が見えた。リブロの耳飾りの効果に違いない。

 巨体から逃れるため、全速力で横に走った。

 ケルベロスの首の一本だけがぼくに反応したが、すでに屈んだ姿勢から動きは止められない。


 ドガァッ!


 獣の爪が床を砕く。ぼくの体ほどもあるような瓦礫がいくつも転がった。

 ぼくはすんでの所で獣の爪をかいくぐって、側面へまわった。ステップスのブーツのおかげだ。

 横から三つの首がどうやってついているのか確認したい気もしたけど、今はそこまでの余裕はない。


「伸びろ!」

 棍棒が5倍の長さに伸びる。長さに比べて重さはほんの少し増えたぐらいだから、遺物はやはり魔法の力が働いているに違いない。

《ダメです、まだ攻撃は早い!》

 プロフェットの叫びと同時に、ケルベロスの首……ぼくのほうを向いていた首が大きく息を吸い込んだ。


 ――来る!

 ケルベロスの幻像が動くのが見えた。振りかぶった棒を引き戻そうとしても――棒を長くしすぎた。

 一瞬の選択。ケルベロスの攻撃をかわすなら、棒を手放さなければならない。その選択を誤った。武器を手放すことができなかった。

 幻像に重なるようにケルベロスが口を開いた。


 ゴオオオオオオッ!


 鋭い牙の隙間からこぼれ出すような真っ赤な炎。ぼくの体ごと覆い尽くすような炎が降り注いできた。

「うわああああっ……あ、あれ?」

 猛火が全身を覆う。熱は……感じない。見えない壁が阻んだように、炎はぼくを避けていた。

《イリスの護符です! でも負傷無効(ダメージキャンセル)は一度だけ!》

 胸の護符に刻まれていた(マーク)が消えている。護符の力が失われた!


「あの炎をもう一度食らったら……」

即死(ゲームオーバー)です!》

 今度は三つの首すべてが大きく息を吸い込んでいた。

「うおおおおおっ!」

 さっきケルベロスが作った瓦礫の裏に滑り込む。隠れた直後に、頭上を猛火が通り過ぎていく。


《体当たりや爪はかわせますね?》

「リブロの飾りとステップスのブーツの力で、なんとか! でも、炎は無理だ!」

《攻略法を伝えます!》

「おねがい!」

 こうなってはネタバレに怒ってはいられない。そして、プロフェットがぼくに授けた策は……


「ほんとうに、そんなのが効くの?」

《失敬な。伝統に則った戦法なのですよ!》

「ええい、なんとでもなれ!」

 しびれを切らした巨獣が飛び出してきた。瓦礫を引き裂く爪から逃れて転がり、再び向かい合う。


 ゴァァァァァァァッ!

 ケルベロスが怒りの咆哮を上げる。対して、ぼくは空の手を天井に向かって伸ばし……

「ケーキ!」

 ボンッ、とコミカルな音と煙を立てて、手の中に白いホールケーキが現れた。


 ケルベロスの三つの鼻がひくついた。その目の前に、ケーキを放り投げる。

「これでも食らえ!」

 巨獣はぼくには目もくれず、ケーキに飛びついた。しかも、三つの首がいっぺんに食べようとするものだから、お互いに押し合いへし合い、まったく連携がとれていない。


「いまだ!」

 振りかぶっている間に、棍棒が伸びる。長大な鈍器と化した遺物を、ぼくは振り下ろした。


 ガガガン!


 一つ目の頭を思い切り打つと、ビリヤードの球みたいに別の頭にぶつかる。

 一石二鳥ならぬ、一撃三犬というところか。

 ぐったりと倒れ込んだケルベロスは全身から閃光を放ち、ゴゴゴゴ……という地響きのような音を立てて消えていった。

「倒せた……の?」

《英雄たちの遺物を使いこなせば、番犬くらいはこんなものです》

「まさか地獄の番犬の大好物がケーキだなんて」

《ケルベロスと甘味には長い因縁があるのです》


 とにかく、これで中ボスを撃破……というところだろう。

《さあ、エレベーターへ》



  †



 エレベーターは低い音を立ててなめらかに動き出した。

 下へ下へ。どれぐらい深いところまで潜っていくのかわからない。


「この先はどうなってるの?」

《最下層には迷宮の主、ロデュスと迷宮の核があります》

「ロデュス……それがラスボス?」

《あなたの言葉でいえば、そうです。彼は時空を操る魔術を極め、この『凍った(とき)の迷宮を作り出しました》

「その説明を最初に聞きたかったな」

《罠だらけだったんだから仕方ないでしょう。その討伐のために百人の勇者が集まったのですが、卑劣な術によって彼らは散り……》

「遺物を残した?」

 ウィンドウの中でプロフェットがうなずいた。


《あなたが持っている遺物はすべて彼ら勇者が残したもの。しかし、ロデュスは彼らの誰よりも強い力を持っています》

「でもさ、ケルベロスも倒せたんだし。悪の魔法使いぐらいたいしたことないよ」

《敵を侮ってはいけません。彼の力は強大で……》

 そのとき、エレベーターの動きが止まった。扉が開き、冷ややかな空気が隙間から入り込んでくる。

「だいじょうぶ。指示厨っぷりに期待してるよ」


 さあ、最終決戦だ!




 8


 冷気が空間に広がっていた。

 壁じゅうに刻まれている文字がさまざまな色の光を放っている。その光が照らす中央には、大きな柱がそびえ立っていた。

 柱の中央には、ごつごつとした水晶があった。直径は5メートル以上はあるだろう。その内側に、いくつもの光が飛び回っている。


「あれが迷宮核?」

「そうだ」

 ぼくの疑問に答えたのは、プロフェットではなかった。

 いつの間にか、巨大な水晶――迷宮核の前に、ひとりの男が浮かんでいた。

 ぼろぼろのローブ。体に巻き付けた包帯の一つ一つにも、魔法の文字が描かれている。深くかぶったローブの奥の顔は、暗い影で遮られて見えない。


「お前がロデュスか!」

「そうだ」

「だったら!」

 インベントリから棍棒を装備。すぐさま長く伸ばして、殴りかかる。ボスの口上の前に殴りかかる……一度やってみたかったんだ!


「ふん」

 だが、不意打ちは効果をあげなかった。ロデュスがローブの腕をひと振りすると、空中に光の障壁が現れ……打ち付けられたロング棒はあっさりとはじかれてしまった。

「ウッドリーの棍棒か。奴の膂力があればともかく、非力な子供の力ではわしにはとうてい効かん」

「く……!」

 すぐさま引き戻そうとした棍棒を、魔法使いが掴んだ。


 短くなる棍棒とともに、魔法使いが接近する。ぼくの眼前で、ロデュスのフードがぱっと捲れ上がった。

 フードの奥には、皮膚や肉が剥がれ落ちた頭蓋があった。その眼孔に、ギラギラとした魔法の光が灯っている。

 ロデュスの姿は、人間の成れの果てだった。否応なく、死を意識させる。

「うわ……!」

 悲鳴になりきれない悲鳴を聞いて、骸骨のアゴが大きく震えた。


「クカカカカ! ここまでたどり着けた勇者は久しぶりだ。100人の勇者のあとは、歯ごたえのない連中ばかりだったからな」

《あなたが無関係な人間を取り込む術を使ったからでしょう!》

 プロフェットは敵意をむき出しにして叫んだ。


「幹世界からの勇者。それに女神プロフェットの加護とはね。最後の挑戦者にふさわしい」

「最後って? プロフェットがぼくを呼んだんじゃなかったの?」

「ふむ。女神は案の定、ほんとうのことを話していなかったようだな」

「ほんとうのこと?」

《やめなさい、ロデュス。彼は無関係で……》

「無関係な少年を巻き込んだのは貴様だろう、女神よ!」

 ロデュスの声帯なき声が空気をビリビリと震わせた。


「この迷宮の真実をネタバレをしてやろう」

 魔力に満ちた眼光がぼくを睨めつける。ロデュスの頭蓋にぽっかりと空いたふたつの穴に吸い込まれそうで、ぴくりとも動けない。

「私は永遠の命を手に入れた。もはや生も死もない。だが、それでも消せないものがあった。不安、恐怖、憂慮……永遠に存在するということは、永遠に未来を恐れることに他ならないと気づいたのだ。なぜかわかるか?」


《耳を貸さないで!》

 プロフェットの制止よりも、ぼくはロデュスの語る真実に惹かれていた。

「どうして」

「時間が進み続けるからだ! 時間がある限り恐怖を消し去れないならば、時間さえ超越するしかない。そのために作り出したのがこの迷宮だ。この迷宮こそ、私の最後にして最大の魔法なのだよ」

《他人の命を取り込んで魔力に変える、卑劣な術です》

「私はこの枝世界でもっとも優れた魔法使いだ。その私がこの世界で何をしようと、監視者である貴様には関係のないことだろう!」


「迷宮が魔法って、どういうこと?」

 ロデュスは再び浮き上がり、迷宮の核を背に両手を掲げた。

「この迷宮に挑戦できるのは一度に一人だけだ。その挑戦者が迷宮で命を落とすと、この核の中にその魂を取り込む。そして、時間を巻き戻し(・・・・・・・)、新たな挑戦者を招き入れる」

《単に迷宮からもっとも近くにいる人間を転移させるだけです。最初の100人は、この迷宮を打ち倒すために集まった勇者たちでした。しかし、それ以降は……》

「9899人の挑戦者は、この迷宮の近くの町や村、それにたまたま近くにいた旅人……そういう者たちだった。だが魂の価値は同じだ。あと一人……つまり君を取り込めば、この世界すべての時間を凍結させる魔法が完成する」


 ロデュスのアゴが震え、哄笑のように骨が鳴った。

「そこでネタバレ(・・・・)だ! この女神は、世界の狭間の管理者である立場を利用して、世界と世界の境界線をゆるめ、世界同士を近づけたのだ。私の迷宮はもっとも近くにある人間を召喚する。この世界の近隣にいる人間はあらかた消費(・・)してしまったから、接近した地球にいる君が呼びだされてしまったのだ」

 プロフェットは世界の間の領域を司る女神と言っていた。二つの世界が混じり合わないようにしておくのが役目だと。

 だったら、二つの世界を意図的に混じりあわせることもできるはずだ。


「貴様の苦しみは、その女神のせいだ! 私の迷宮の性質を利用して、貴様をここに呼びださせた。地球からの来訪者になら、監視者の力で語りかけることができるからだ。しかも、お前は選ばれたのでもなんでもない。たまたま、接近させた地球で迷宮に近かったから召喚されたに過ぎない」

「……あいつの言ってることはほんとうなの?」

 プロフェットは答えない。『神は嘘をつきません』――それが決まりなら、ノーと答えることができないのだろう。


「私のやることは変わらない。貴様をここで殺し、魔法を完成させる」

 ロデュスの手に光が灯る。ごうごうと空気がうなっている。強大な力がその手の中に集まろうとしていた。

「待ち望んだ永遠が、今度こそ手に入る!」

 骸骨の顔に浮かぶ眼光がぼくを狙っていた。死がぼくを睨んでいる。


 未来予測の幻像。ロデュスが放つだろう魔法は僕の心臓を貫く。何もしなければ、3秒の間にぼくは死ぬ。

「恨むなら、女神を恨むのだな!」

「うわああああああああああ!!!」

 情けなく叫んで、ぼくは逃げ出した。


「クカカカカ!」

 ロデュスが哄笑をあげた。骨がこすれ合う、あの笑いだ。

「この迷宮からは逃げられん。お前など、わしはいつでも殺せるのだ!」

 勝ち誇る魔法使いの声を聞きながら、ぼくには逃げることしかできなかった。




 9


「はあっ……はあっ……」

 無我夢中で走り、広間から逃げ出した。身軽になるステップスのブーツを履いていても、恐怖で息が荒くなっていた。

 ぽたりと汗がしたたる。耳鳴りがする。どこを走っているのかわからなくなっていた。


《しっかり……しっかりしてください!》

 プロフェットの声はどこか遠くから聞こえるように感じた。自分がいまいるこの場所に現実感がなかった。夢の中だったらいいのに。そう思うと、何もかもが夢だったような気がしてきた。

 目の前が暗くなってくる。床を見つめている。首をあげる気力もない。プロフェットのウィンドウが煩わしくて、ぎゅっと目を閉じた。


《いまこの迷宮を突破し、ロデュスを倒せるのはあなただけなのですよ!》

「そんなの、そっちの都合じゃないか!」

 なおも強引な指示を続けようとするプロフェットに、ぼくは叫んだ。


「ロデュスの言うことは本当なんだろ! ぼくは運命に選ばれたわけじゃない。自分で来たいと望んだわけでもない! どうやったか知らないけど、あなたが世界と世界の境界を狭めたときに、たまたま迷宮の近くにいたってだけで巻き込まれたんだ!」

《私は運命には干渉できません。でも他の誰かではなく、あなたが選ばれたことには何か意味があるはずです》

「ぼくはただの中学生だ!」

《ここまで迷宮を進んできたではないですか!》

「だからって、あんな敵にかなうわけがない!」

 頭がかっと熱くなった。恐怖を怒りにすり替えて、プロフェットを睨んだ。


「勝手に呼びだして、自分は見ているだけの指示厨のくせに!」

《私は……》

 女神はぎゅっと口を結んで、うつむいていた。

《私は、たしかに指示しかできません。そもそも、本来ならこんな風に世界に干渉することができない存在です》

「だったらなんでこんなことを!」

《まわりを見なさい!》

 プロフェットが腕を広げた。

 そのときはじめて気づいた。

 ぼくがいるその場所は、墓地(・・)だった。


 いくつもの墓石が並んでいる。

 百や二百ではない。千や二千でもない。

 広大な空間に、見渡す限りの墓石が並んでいた。

 そのすべてに、別の名前が刻まれていた。


《これはすべて、この迷宮に挑んだ者たちの墓です。ロデュスがどんな感傷を抱いて、挑戦者を弔っているのかはわかりませんが……》

 9999人がこれまでに挑み、そして全員が散っていった。

 その結果が、僕の目の前に……そして周囲に広がっていた。

《私は彼らが迷宮に挑む姿を、すべて見ていました。世界の時間が巻き戻っても、監視者である私には知覚できたのです。おそらく、ロデュスにとっては私の介入は想定していなかったことでしょう》


 プロフェットの声をどこか遠くに聞きながら、ぼくは周りを見回していた。

 ステップスの墓があった。イリスの名前も刻まれていた。リブロも。パティスロンも。ウッドリーも。会ったことのない人たち。でも、ぼくを助けてくれた人たち。

《最初に挑んだのは100人の勇者たちでした。誰もがケルベロスと戦える力を持っていましたが、ロデュスに匹敵するものは居ませんでした》


 知らない名前がたくさんあった。

《その後は、戦う力を持たない人々が巻き込まれました。9899人の人々が、迷宮にただ飲み込まれていく姿を。時に罠を越え、遺物を見つけるものも。彼らが残してくれた手がかりが、私を通してあなたを助けているのです》

「その人たちを……助けられなかったの」

《私はこの世界に介入することはできません。できるのは、ふたつの世界のバランスを監視することだけ》


「だったら、どうしてぼくには声をかけられるの」

《あなたが世界の境界を越えてきた存在だから、私はあなたを元の世界に返さなければなりません。ですが、迷宮がそれを阻んでいる。だから、迷宮からあなたを助けるために私が助けることは女神としての役割に従った行いです》

「でも、迷宮がぼくを呼びだすように仕組んだんでしょ。それってズル(チート)じゃん」

《ここに眠るすべての勇者に報いるために、他に手段はありませんでした》


 プロフェットはここにいる全員の挑戦を見ていた。そして失敗も。

 声をかけることすらできずに。ただ彼らを見守るだことしかできずに……。

 ただ一言、語りかけることさえできれば、助けられた人がどれだけいただろう。

 ぼくだけが女神の力を借りることができた。


 暗かった視界が急に広がっていく気がした。

 うなだれていた首をあげると、眼前の墓に刻まれた名が見えた。

 サクノス。

 その墓には、一本の剣が突き立てられていた。力強く輝く剣だ。


《彼こそがこの迷宮に最初に挑んだ者。剣の勇者サクノス――あらゆる迷宮を打ち砕くもの》

「でも、ロデュスにかなわなかった」

《一人目の挑戦者には誰も力を貸すことができなかった。でも、今は違います。百人の勇者の力と、すべての挑戦者の知恵があなたを助けます》

 墓前に突き立てられた剣に手をかける。

 最初の挑戦者が残した剣の力が、最後の挑戦者であるぼくへ流れ込んでくる。


「サクノス……迷宮を打倒するための剣」

 ここにいるのはぼくだけ。ロデュスに挑めるのも。迷宮を砕けるのも。

 見渡すと、いくつもの遺物があることがわかった。そのすべてが、ぼくを助けてくれる。

 ズルをしてぼくを巻き込んだ身勝手な女神への怒りはもう消えていた。


「ロデュスのことも知ってるんでしょ? 戦い方を指示できるよね」

《はい! 勇者たちとの戦いを見てきましたから》

「あれをやってよ。お約束(テンプレ)のやつ」

《お約束? ああ、あれですね。いいでしょう……よく聞くのですよ》

 こほん、と咳払いをしたプロフェットが、両手を広げた。星の浮かぶ瞳が輝く。


《勇者よ、使命(クエスト)を授けます。邪悪な魔導師ロデュスを倒し、凍った刻の迷宮を打ち砕くのです!》

「ああ、やろう!」

 振り上げた剣が、ぼくに応えるように輝いた。




 10


「ほう、思ったよりも早いな」

 最下層――迷宮核の間。

 魔導師ロデュスは同じようにぼくを、いや、ぼくたちを待ち構えていた。


「お前を倒すための作戦を聞いてたんだ」

「ははは! そんなことができると思っているのか?」

 ウィンドウの中で腕組みしたプロフェットが請け合うようにうなずいた。


《余裕ぶった仕草に惑わされないで。彼はこの場所から動けないのです。いかに世界最高の魔導師とはいえ、9999もの魂をひとつの核に閉じ込めておくにはかなりの魔力と集中力を消耗するはず》

「クカカカカ! 核を制御しながらでも、勇者どもを倒すくらいのことはできる!」

《来ますよ、さっき話した通りに!》

「わかってる!」

 ロデュスが骨の手を振り上げる。魔力がその手の中に集中していくのが感じられた。


 プロフェットの指示はこうだ――

《迷宮核を制御しているロデュスは、複雑な魔法よりも使い慣れた呪文を好みます。私が見た限り、その呪文は三つのうちのどれかでした》

 だから……その三つの呪文すべてに対抗できれば、ロデュスの攻撃には対応できる!


 ロデュスの最初の呪文は……

炎球(ファイアボール)だ!」

 リブロの耳飾りのおかげで、術を発動させるよりも一瞬早く、その術が見える。

炎球(ファイアボール)!」

 ロデュスの魔力が凝縮された火の玉となって放たれた。炎はいくつにも分裂し、かわす隙間がないほどに膨らみながらはじける。


「マント!」

 インベントリの装備が、一瞬で呼びだされる。

 炎の勇者ピュロスの遺物、炎のマントがぼくの全身を覆った。ファイアボールがいくつもの火柱をあげる中を、まっすぐに突き進んでいく。

「貴様ぁっ!」

 ロデュスの声には怒りがみなぎっていた。すぐに、別の魔力が集められる。ぼくは炎を振り払いながら突進する。


《次は……》

吹雪(ブリザード)!」

 ロデュスの魔力が氷点下の空気を作り出し、空気中の水分を凍り付かせていく。ぼくの全身の血液を凍り付かせるほどの冷気が迫る。

「シールド!」

 両手で抱えるほどの大盾。前面に突き出し、その後ろに隠れる。


《氷の勇者イセルドラの盾。冷気を阻み、吸収する力を持ちます》

 ロデュスが巻き起こした吹雪が盾に阻まれ、氷の壁がそそり立つ。大盾を振りかざすと、

 パキィン!

 澄んだ音を立てて氷壁が砕ける。プロフェットの予言の通りだ。

 盾をインベントリに戻して、再び突撃する。


「次の術を見せてみろ!」

「小僧が!」

 魔導師が指を広げてかざした。幻像が、ほんのすこし未来のその術のイメージを描き出す。

 ロデュスが得意とするみっつめの呪文。詠唱よりも早く、ぼくは動いた。

「ヴァルターのジャベリン!」

 手の中に現れたのは、短い手槍だ。振りかぶって放ると、ぼくとロデュスの間にまっすぐに突き刺さった。


雷光(ライトニング)!」

 ぱっと青い稲光が走った。だが、魔導師の手から放たれた稲妻はぼくへ向かうことなく……床に突き刺さり、避雷針となった手槍へと収束する。

「こしゃくな!」

 顔を失った魔導師が歯がみする間に、ぼくはさらに突進。投げ槍の横を通り過ぎ、ロデュスまであと数歩の距離へと迫った!


《ロデュス、覚悟!》

「くっ!」

 跳び上がる。手の中にはロング棒だ。まっすぐに振りかぶって、ロデュスの頭上へ迫る!

「効かぬと言っただろう!」

 ロデュスが防御の呪文を展開した。以前に棍棒を弾き返した障壁の呪文だ。


「分かってるよ! だから……」

 その障壁の上で、ぼくは空気を踏みしめて(・・・・・・・・)、さらに跳び上がった。

 ステップスのブーツの力で二段ジャンプ。ロデュスの頭上を飛び越えた!

「しまった!」

 そう、ぼくらの目的は最初から、ロデュスに一撃を加えることではなく……

「迷宮核が狙いか!」


 9999人の魂を捕らえた迷宮核の水晶へ。大上段に武器を振りかぶる。

「この迷宮を破ることなどできない!」

「《サクノス以外には、でしょ!》」

 インベントリから即座に武器を持ち替える。ぼくの手の中には、あらゆる迷宮を打倒する力を持った、サクノスの剣が現れていた。


「やめろ!」

 振り返るロデュス。しかし、立て続けに呪文を放った後だ。ぼくの動きを止められるほど素早く使える術はない。

 乾坤一擲! 全身の力をこめて、剣を振り下ろした。


 ガンッ!


 サクノスの剣が水晶の表面を打ち付ける。その振動が水晶の中で二重三重に反響し……

 ビシッ……ビシビシッ……

 いくつもの亀裂が走る。

 そして……


 パキィン!


 高い音を立てて、迷宮核が砕け散った!


「馬鹿なぁあああああ!」

《百人の勇者が力を合わせれば、これくらい!》

「このことを恐れてきたんだろう。だから、一度に一人しか挑めない迷宮なんてものを作った!」

 水晶の中の魂たちが、一度に解法された。


「プロフェットの指示のおかげで、ぼくが遺物の力を合わせられたんだ。お前の恐れていたものが、これだ!」

 そして、迷宮にかけられた魔法が崩れていく。つまり……

 時間が、また巻き戻っていく。


 迷宮が作り出される前へ――




 11


 ぱっと目の前が白く染まった。

 迷宮に来た時と、同じ感覚。

 そして気づくと、ぼくは荒野の中に立っていた。


「なんということを……してくれたんだ」

 呆然と空を眺めるロデュスがいた。

「あの迷宮のために、わしがどれほどの時間と労力をかけたと思っているんだ! お前さえ! お前さえ死ねば、何物をも恐れずに済む永遠が手に入ったのに!」

「殺されそうになれば全力で抗うものでしょ。正当防衛ってやつだ!」

《そうだそうだ!》

 晴れやかな顔の女神が同調してきた。女神が腰巾着してくる経験、もう二度とないだろうな。


「こうなったら、貴様だけは殺す! わしには無限の時間があるのだ。もう一度迷宮を作り上げ、今度は百万人の魂を用いて、幹世界ごと時間を凍らせてやる」

《そんなことができると思っているのですか》

「やらせるか! 来い、ロング棒!」

 念じれば、手の中に遺物の棍棒が……

 現れない。


「あ、あれ?」

「忘れたか。インベントリの力は迷宮へ挑むもののためにわしが与えた能力。迷宮がなくなった今、インベントリも遺物も、お前には残ってはおらん!」

「い……言われてみれば、ブーツやスカーフもなくなってる。ど、どうしよう女神様!」

《おお、お、お、お、おお、落ち着、落ち、落ち着けば解決策が何か……》

「ぜんぜん落ち着いてない!」


「馬鹿め! もう一度、焼き尽くしてくれる!」

 ロデュスが腕をかざした。炎球(ファイアボール)がふたたび放たれる。もちろん、炎のマントももはやない――

「うわあああああっ!」

 悲鳴を上げて、身をすくませたとき……


 ボボボボボッ!

 ぼくの目の前に現れた何か(・・)が、火の玉を受け止めていた。

 閉じていた目をうっすら開けると……それは、直系5メートル、高さ2メートルはあろうかという――

 ケーキ(・・・)だった。


「危ないところだったわね」

 白衣に赤いスカーフを巻いた女性が、ぼくらの前に立っていた。

《パティスロン!》

「はじめまして、女神様。助けに感謝します。これから100回は同じことを言われるから、覚悟しといて」

「100回、って言うと……」


「こういうことさ!」

 ぼくらの頭上を軽々と跳び越えた影が、とんぼを切りながらロデュスに斬りかかった。

「おのれ、ステップス!」

 魔導師が身をかわすと、そこへ音もなく飛んでくるものがあった。音がなかったのは、それが音よりも速かったからだ。


「クカッ!」

 ガギンッ! 光の障壁を開いて、すんでのタイミングでロデュスが飛来物を防いだ。それは投げつけられた手槍だった。

「いまだ、ウッドリー!」

「まかせろ、剛勇の勇者!」

 10メートルはあろうかという棍棒が、ロデュスを殴りつけた。障壁すらも打ち破り、魔導師を思いきり打ち据えてふきとばす!


「そうか! 時間が巻き戻ったってことは……」

「百人の勇者、完全復活だ!」

 ステップスが剣を、ヴァルターが槍を、ウッドリーが棍棒を。それぞれに掲げてぼくに応えた。

「もうロデュスを守る迷宮はない」

「百人の勇者が力を合わせれば、やつにも勝てる!」

「君たちが迷宮核を砕いたおかげだ」

 勇者達から口々に賞賛の言葉が告げられる。


「ううん……みんなが助けてくれたから」

 誇らしい気持ちだった。

《そして私が指示をしたからです》

 女神はもっと誇らしげだった。


「こしゃくな!」

 ばき、ばき、ばきばき……

 ロデュスの体が砕け、さらにまがまがしい姿へと変わっていく。骨と闇の魔力が渦巻く、巨大な姿へ。

「迷宮の維持に使っていた魔力を、自分の体に注ぎこんでいるんだ。君たちは下がって」

「でも……」

「こういうときは、ドーンと任せればいいの」

 パティスロンの横へ、別の人影が並んだ。


「私が守ってあげるから。今度は使い捨てじゃないよ」

 その胸元には、見慣れた(マーク)があった。

《では、任せます。守護の勇者イリス》

 彼女が指を立ててみせたのと同時に、ロデュスの魔力が爆発するように広がった。猛烈な衝撃が砂を巻き上げ、勇者達を弾き飛ばす。衝撃波が届く寸前、イリスが両手をかざした。


 ガキィン!


 勇者が広げた障壁が、衝撃波を受け止める。

「みんな、行くぞ!」

 破壊の魔法が過ぎ去り、一人の勇者が飛び出していった。彼が振りかざす剣を、ぼくは知っていた。

「サクノス!」

 勇者はぼくを一瞥し、深く頷いた。そして、サクノスと、彼に率いられた百の勇者が魔導師ロデュスとの戦いを繰り広げていく。


 ロデュスはぼくと戦ったときとは比較にならないほどの複雑で巨大な魔法をいくつも操った。しかし、その全てを勇者のうち誰かが防いだ。すべての術に対抗策がある。

 万夫不当の迷宮でさえ、プロフェットが万に一つの策で打ち破ったように。


 長い戦いだった。ぼくは見ていることしかできなかった。でも、それでプロフェットの気持ちが万分の一でも分かるような気がした。

 そして、ついに……

「今だ、リブロ!」

「さらば、我が師よ!」

 リブロがかざした水晶。魂を封じる迷宮核の欠片へ、巨大なロデュスの体が吸い込まれていく。


「おのれ……あとすこしで、永遠が手に入ったのに!」

 世界と時間を呪いながら、ロデュスは迷宮核の中へ封じられた。

 それが、戦いの終わりだった。




 12


「女神プロフェットに感謝を」

 サクノスの言葉に合わせて、百人の勇者がいっせいに胸に手をやり、祈りの仕草をした。

「それから、焼き菓子と甘いチョコレートを」

《あぁー、幸せですぅ~~》

 パティスロンに捧げられたクッキーをむさぼりながら、プロフェットは涙を流していた。


「そして1万人目の勇者へ、最大の賞賛を!」

「よくやった!」

「君のおかげだ!」

「誰にもできなかったことをやってくれた!」

 百の勇者の百の賛辞を浴びて、思わず顔を赤らめてしまう。


「ありがとう。でも、ぼくが迷宮に挑むことができたのは、みんなが遺物の力を貸してくれたおかげです」

 自分でも、自分がしたことを信じられないくらいだ。

「そしてなにより、プロフェットの導きがあったから」

《ひゃい》

 名前を呼ばれた女神が、口につめこんだクッキーで頬を膨らませながら返事をした。


「この女神は職権を濫用してぼくを勝手に呼び寄せるよう仕向け、大した説明もなく一方的に迷宮に挑ませましたが……」

《言い草がひどくないですか!?》

「事実でしょ」

 ウィンドウのなかの女神を冷ややかな目で見てから、向き直る。


「……でも、それはこの世界を救うためです。あなたたちの戦いを彼女はすべて見守り、それに基づいてぼくに助言してくれていたのです」

 荒野に風が吹く。砂がゆっくりと巻き上げられ、青い空に向かってつむじを描いた。

《しかし、その使命も終わりの時を迎えました。あなたを地球へと返さなければなりません》

 プロフェットが(口の中のものを飲み込んで)パチン、と指を鳴らした。


 ぼくの目の前に空間のひずみが現れた。鏡面のように輝くそれは、プリズムのように虹色の光を発していた。

《地球へと繋がる(ゲート)です。それをくぐって、元の世界へ戻れば……すべての使命の終わりです》

「地球へ……」

 門を見つめる。勇者達に見守られながら、使命を終えての帰還……


「……も、いいんだけど」


 くるりときびすを返して、ぼくは歩き始めた。

《ちょっと! もう使命は終わりなんですよ!》

「だって、せっかくのファンタジー世界だよ。あんな迷宮だけ見て帰るんじゃ、面白くないって!」

 使命が終わったんだったら、もう指示に従わなくたっていい。


 今度こそ、世界をぞんぶんに楽しめるんだ!


《ちょっと、勇者の皆さん! 何か言ってやってくださいよ》

「呼び出させた責任は女神様にあるってことで」

「俺たちもロデュスを封じたんだから、使命は終わりだ」

「みんな、あとは自由にしてくれ!」

《そんなあ!》


 勇者たちに手を振って、ぼくは歩き出した。

《あなたが帰るまで、私が付き合わなきゃいけないんですよ!?》

「どこかすごい景色が見られるところまでの道を指示してよ」

《私はツアコンじゃなーい!》

 女神の訴えが、広々とした荒野に響き渡った。

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[良い点] 昔あった天の声がめっちゃ話しかけてくるゲーム思い出した
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