王子の婚約者の覚悟と自覚
なんだかだで淑女科に慣れつつあるケイトリンだが、入学前は、淑女科を見下していた部分があった。父は淑女科を薦めていたが、エイデンと不仲でなければ本科に入ると言って押し切っただろうと思う。
マナーや作法のレッスンが多めなカリキュラムで、そんなものみんな習得し終えているため、ただ雑談しながらお茶を飲んでいるだけになってしまっている。
語学はお茶を飲みながら先生が指定する言語で雑談しているだけだし、数学・科学・社会学は、午後イチの小テストの結果が芳しくなかった部分について、教師が補足するスタイルだが、皆んな当然のように満点で、小テストが終わったらさっさと帰ってしまう。
リリィが手を抜く塩梅を間違えて、学年共通試験で「優秀な成績」を修めてしまった折には、
「まぁ、ごめんなさい。もっと具体的にお伝えすべきでしたわね」
「数学は75点、科学は70点、社会学は75点、ナース語は80点、外国語は60点ぐらいが、平均よ」
「ただ帝国語は第1外国語としては人気が高くて平均は70点ぐらいよ。ジジにとっては母国語でしょう?調整は自分でなさってね」
皆から「ほどほどを極める」アドバイスを貰っていて、驚いた。
このように淑女科でぬくぬくしているリリィにとって、「優秀なシュアーレン子爵令嬢を『本科』に推薦して移してください」なんて嘆願書は、迷惑以外の何物でもない。
クラスメイトが「能あるタカ」であったことを知ったケイトリンは、学業においても優秀な成績を修められるのに、そうしないクラスメイトに反感を禁じ得なかった。
「そんなこといったら、ケイトリンは魔術科の学生たちから総スカンね。
そんなに魔力量が豊富なのに、魔術に感心を示さないケイトリンは、自分たちをバカにしてるって思われちゃうってことよね?」
ケイトリンは、ハッとした。ケイトリンは魔力量が豊富だ。それがケイトリンがエイデンの婚約者に選ばれた理由でもある。
ナース王家は、代々王族の魔力を一定水準にコントロールしている。多すぎる王族は魔力量が少ない相手と結婚し減らすし、少なすぎる王族は魔力量が多い相手と結婚して増やす。
魔力がないと魔法国連盟の一員として肩身が狭くなるが、多すぎて役付きになっても困るからだ。ナースは、魔法国ではあるが、それよりも物流の中継地としての発展を望んでいるためだ。
このようにして、一定範囲に収めようとするから、ナース王族には政略結婚が多い。
政略がイヤなら、王族を出ることも出来るが、エイデンは一人っ子なので、選択肢がない。
そのことが分かっているケイトリンは、「子供に魔力量が引き継がれれば良いのでしょう? 魔術を訓練しても子供には引き継がれないのだから、意味がないわ」と、魔術を研鑽したことがない。
要は、興味がないのだ。
ケイトリンの関心分野は学業、特に政治だ。
そもそも魔術に傾倒して政治に関心を寄せない王妃なんて碌なもんじゃないだろうから、ケイトリンはこれでよいと思う。
そこでようやく自分が将来の王妃候補に選ばれた理由に腹落ちできた。「帝国子爵令嬢」以外の淑女科のメンバーは、全員エイデンの妃として十分な資格を持つ。でも、当人たちの関心分野は「政治」ではない。
更に言えば、婚約者と良好な関係を築きエイデンに嫁ぐ気のない令嬢たちにとって、学業成績を「そこそこ」に見せるのは、王子妃に選ばれないための一種の防衛なのではないか?
淑女科でエイデンの妃になるには身分が足りないのは「帝国子爵令嬢」ただ一人だ。この唯一の例外の正体が「百合姫」だと明るみに出れば、ぶっちぎりの筆頭に躍り出るだろう。
家格も、魔力量も、そして魔術の技術も、政治も帝王学も造詣が深い。
学園という政治というには小さな箱庭でも、彼女は入学からたった3か月で美女投票で選ばれる好感度だし、6か月後には彼女の幸福を願う学生の7割が署名してしまったほどの圧倒的な政治力を持つ、と言い換えられなくもない。
そして「ついうっかり」学年共通試験で好成績を修めてしまった学力と知識も備わっている。
その上「百合姫」には皇族としての実務経験があり、民から絶大な人気を誇っていることが諸国に既に知れ渡っている。
これ以上の姫君がいるだろうか?
薔薇姫が降りた後、百合姫の皇位継承順位の変更についての公式な通知は出ていない。今は、身の安全のために公務を自粛するという案内のみだ。
もし、帝国に男児の隠し子がいたら? そういえば、現皇帝も兄達が相次いで暗殺者の前に倒れたために引っ張り出された隠し子ではなかったか??
その隠し子を引っ張り出す場合、帝国内で絶大な人気を誇る百合姫は、スムーズな継承を支援するために帝国外に出されても不思議ではないのでは?
そして、リリィがダジマット皇太子サミュエル様に似ているというナサニエル王子の謎情報。
リリィはそもそもセントリア皇帝の血を引いていなくて、皇位が継承できないのではないか?
ダジマット王位継承者の色を隠し持つ、帝国で絶大な人気を誇る姫君の嫁ぎ先は、他国の王族以外にありえるだろうか?
何故リリィは、ナース国で真名を使っているの?
何故リリィは、ナース国で本来の色を明らかにしたの?
何故リリィの美容研究にナース美人も入っているの?
帝国から百合姫のナース国への嫁入りの打診があれば、ケイトリンがエイデンとの婚約を不服に思っていることを知っているナース宰相である父は、大喜びでケイトリンのために婚約を円満に白紙撤回するだろう。
ナース王も最高級のセレブリティーを迎えられてWin-Winだ。
エイデンは?
エイデンは、わたしを選んでくれる?
ずっと不仲で、優しくもないわたしを選んでくれる?
「婚約者が体調不良だからシューアレン邸まで迎えに来るように、エイデン王子に連絡してちょうだい」
そう誰かに指示を出したリリィが、微笑んで柔らかいタオルをケイトリンの優しく目元に優しく添えた。
「あなたが何をどう考えたのか、よくわからないけれど、ケイトリンが号泣する理由なんて一つしか思いつかないわ」
ケイトリンはいつの間にか号泣していた。
何か言おうとするが、言葉にならない。
「ふふふ、ようやく自覚したのよね? 素直になるって約束するなら、協力して差し上げますわ」
ケイトリンは、コクコクと、ただひたすらなんども頷くことしかできなかった。
エイデンはすぐに迎えに来てくれた。
泣き止んではいたが、泣いたことがすぐにわかるケイトリンの表情を見て、リリィに怒鳴りつける。
「おまえ、ケイトリンに何を言ったんだ?」
「ケイトリンが言ったことを、言い換えてお返ししただけよ?」
「ケイトリンが泣くなんて、よっぽど酷い言い方で返したんだろう? 彼女を振り回すのもいい加減にしてくれ」
「まぁ、失礼ね。わたくしと彼女が言った内容は、全く同じものだわ。確かに少しわかりやすいように言葉を加えたかもしれませんけれど、自覚も覚悟もなく噛みついたケイトリンが悪いのよ」
「はぁ? 彼女は優秀だ。王子妃になる自覚だって覚悟だって十分だ。その他に求められる自覚や覚悟に対応する必要ないだろう?」
「他にもあったから泣いてるんじゃない? 頭悪いの?」
ケイトリンはまた泣き出してしまった。
リリィとエイデンは、口喧嘩をしているが、ちゃんとコミュニケーションを取っている。
遠慮なしにポンポンと言葉のラリーをつなげる二人を見るのが悲しかったし、もう見たくなかった。
「エイデン、今のは、あなたが泣かせたのよ。さっさと連れて帰ってよ」
「はぁ? なんでそうなるんだよ。言われなくてもそうするよ」
エイデンはプリプリと怒っていることを隠しもせず、しゃくりあげて言葉が出なくなったケイトリンを馬車までエスコートする。
ケイトリンはいつもと違って、ギュッとエイデンの腕に自分の手を絡ませている。
「目元はこすっちゃだめよ。タオルを優しく置いて、涙を吸い取らせるだけにするのよ!」
リリィは玄関まで出て、ちょっとだけ心配そうに何やらアドバイスを送りながら、手を振った。
馬車の中でエイデンはケイトリンの背中をさすりながらどうにか話を聞き出そうとしたが、しばらくして泣き止んだケイトリンは全てを語らなかった。
「リリィが言ったことは、一字一句間違ってないわ。わたし、覚悟も自覚も足りなかったの」
「何の自覚と覚悟だよ?」
(あなたを愛しているという自覚と、あなたに愛される覚悟よ)
ケイトリンは、すっごく嬉しそうに笑っただけで教えてくれなかったが、「機嫌が直ったみたいだし、なんか嬉しそうだからいっか」と流したエイデンだった。
そして、翌日のマナーの授業という名の淑女科のお茶会で、「ケイトリンったら、ようやく王子の妻としての自覚が芽生えたようなのよ」っと、いたずらっぽいリリィの発言に、「まぁ、ようやく?」っと喜びの声をあげる淑女たちを前にケイトリンは、赤面しっぱなしだった。
今では、彼女らの優秀さを感じさせないエレガントさに敬意を抱くようになり、自分より先にクラスに溶け込んでしまったリリィにつられるように徐々にクラスメイトとの距離を縮めているところだ。