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王太子サミュエルの想い人

「ねーねー。リリー。またお菓子作ってるの?」

「えぇ。サム義兄様とラズベリーソルベを作ってから、ハマっているのよ、にわか、ですけれどね」


 お菓子作りに興じている間は、くっついてきてくれないし、あんまりかまってもらえないナサニエルは、調理場の椅子にこしかけ、不貞腐れている。


「そういえばさ、サム兄様とマシュー兄様が結婚とか、言ってなかったっけ? あれは、なんなの?」


 リリィは、含みのある笑顔をナサニエルに向ける。


「ふふふ。わたくし、知っていますのよ。あの日記の感じだと、ナサニエルは、マシュー様が女性だと気付いていないだろうってことを」


「え~。リリってば、ちょっと夢見がちっていうか、妄想癖があるよね?」


「まぁ、失礼ね。全てナサニエルが日記に書いていたことから読み取った事実ですわ。 ……そうね。ます、穏やかな性格のマシュー兄さまが唯一遠慮なく噛みつく家族はだれ?」


「サム兄様だよ。あの二人は、子供の頃は、喧嘩ばっかりしてたんだ」


「そう。じゃぁ、マシュー様にとって、『じゃれつきたい』兄弟は、サム義兄様だけってことでいいわね?」


「じゃれつきたいって、リリじゃないんだから…… でも、子供の頃は、ホントに怒って取っ組み合いに発展してたんだよ? そういうの、『そりが合わない』と言うんじゃないの?


それに、私が日記を送り始めたのは10才のころからで、その頃15才のサム兄様と12才のマシュー兄さまは既に取っ組み合いの喧嘩なんてやってなかったでしょ?」


「いいえ。私が受け取った日記の最初の頃は、取っ組み合いの喧嘩が終わるちょっと前でしたのよ。お二方は普通の兄弟にしては遅くまで『取っ組み合いの喧嘩』の体を装ってじゃれ合ってたのよ。


でも、ある時から、サム兄様はマシュー様から『じゃれついてもらえる』ような冗談を言わなくなった。


おそらく、それが、マシュー兄さまの体が女性に変わりつつある頃ね。サム兄様とマシュー兄様の取っ組み合いの喧嘩を見て、ナサニエルがそんなコミュニケーションに参加しないように自粛したのよ。


万が一、億が一にも、マシュー様とナサニエルが取っ組み合いの喧嘩になったら、『女性な』マシュー様にナサニエルに触られちゃうわ」


 ナサニエルはぶるりと体を震わせてから、苦々しい顔を浮かべる。


「いや、リリ、その発想はこわいよ。夢見がちってレベルを超えてる」


「それに、わたしは誰とも取っ組み合いの喧嘩なんてしたことないよ。マシュー兄さまとは、たぶん言い争ったことすらないんじゃないかな?


だいたいはサム兄さんが挑発してきて、マシュー兄さんが私に味方して撃退してくれるんだ」


「あら、マシュー様ったら、サム兄様がナサニエルに構うのにヤキモチを焼いていたのかしら?」


「リリ、君は妄想に徹していて、ある意味凄いよ」


「じゃぁ、これは? マシュー様が16才で魔族では結婚が解禁される年齢になった年、サム兄様とマシュー様は、ダジマット宮殿の西翼の王太子と王太子妃の部屋を使うようになった」


「いや、それは、マシュー兄さんが宮殿の西翼の庭園を潰して作った治水実験用の箱庭から近くて便利だからでしょ?


サム兄様は、16才のころから西翼に移りなさいってずっと言われてから、ついでに一緒に引っ越しをしただけだよ」




「あぁ、ナサニエル、ナサニエル、わたくしの愛しいナサニエル。あなたは、なんて、にぶちんなの?


当時19才だったサム義兄様は既にいつお妃を迎えてもおかしくない年齢なのに、夫婦の寝室への内扉がある部屋に弟を住ませるなんて、おかしいでしょう?


西翼にだって、他にもたくさん部屋があるでしょうに?」


「え?」


 そういわれてみれば、不思議になってきたナサニエルである。


「それに、あなた、ご両人が西翼に移動されてから、王太子妃の部屋に通されたことがあって?」


「リリ、その言い方、やめて。混乱するから」


「『そういわれてみれば、集合場所は、いつもサム兄さんの部屋だったな?』などと思っていませんこと? ちがうのよ。妃の部屋には通されないのよ。兄弟として育っても」


 ナサニエルは、二人の兄のあらぬ姿を想像してしまい、拒絶反応がヤバい。


「じゃぁ、これは、ダメ押しね。貴方がお義父様に放逐されたとき、マシュー様を頼って、ブライトへ向かった。で、貴方はマシュー様の家に何泊したの?」


「一泊もしてないよ。むしろ家に行ってない。住所は知らないからとりあえず研究室へ行ったら、『サミュエルからのメッセージだよ』って言われて。そこにリリに会いにいくのに都合の良い爵位を準備したから、ナース国へ行けって書いてあって、その足でナースに向かったんだ」


「ダジマット宮殿を出てから、マシュー様の研究室につくまでに『サム義兄様からのメッセージ』があなたを追い越す可能性があるほどの寄り道をした?」


「い、いや、ない、ね」


「でも、研究室についた時に、その手紙は既にマシュー様の手元にあった。それは、何故?」


「そ、それは…… いやいやいやいや、もう許して、リリ、私はなんだかこれ以上知りたくないよ」


 ナサニエルは椅子から飛び降りて、リリィの体に腕を回してしがみつく。


「んふふ。そもそもね、あなたいつまでマシュー様がブライト国に『引っ越した』と勘違いし続けるつもりなの?」


「へ? えぇ?」


「お義父様もビックリしたでしょうね? 放逐を言い渡した後、『行先についてはマシューに相談してみなさい』って、言ったら、西翼じゃなくて、ブライト国へ向かうんだもの。


家中がビックリしたかもしれないわね。ふふっふふふ。


いつものように研究室から宮殿に帰宅したら、あなたがどういったわけかブライト国の研究室へ向かってるって聞いたマシュー様が一番とまどっていたでしょうね?


お義母様のあきれ顔と、サム義兄様がお腹を抱えて笑い転げているのが、目に浮かぶわ。っふふふふふ」


 ナサニエルは、なんだかいろいろと恥ずかしくなってきた。


「いや、でも、マシュー兄様がブライト国の研究室に所属すると言い始めた時、サム兄様は大反対したんだ。ひとりで暮らすなんて危ないからダメだって。それで大喧嘩して…」


「大喧嘩して、毎日ダジマット宮殿から転移で『通う』ことにしたのではなくて? 魔力を増幅することができる聖女の血統であるマシュー様には容易なことよ」


「うー。リリのお伽噺に乗っかるのは、いやなんだけど、えっと、聖女の血統というのは、魔族の派生で、女性にしか受け継がれない神聖力のことだよね。実際には普通の魔力なんだけど、「増幅する技術」でもって、高出力の転移魔法も操れる。ってやつだね」


 ナサニエルはいじけてリリィの胸に顔をうずめる。


「ナサニエルが勘違いしちゃったのも、分からないではないわ。


時を同じくして、マシュー様はダジマットから籍を抜いて、ブライト国籍を取得した。それで、ダジマットにはもういないって思っちゃったのよね。


単に結婚できるようにダジマット籍から抜いて適当な籍に移し替えただけだったんじゃないかしら?


あなたは西翼に行くような用事があまり起きないし。料理男子のサム義兄様は西翼で自炊するから東翼での晩餐には加わらない。そしてサム義兄様が作った料理を食べるマシュー様も西翼から出る必要がない。そんなこんなで、自然と合う機会がなかったのよね?


それですら、血のつながりのない男ナサニエルとマシュー様を会わせたくないサム義兄様の工夫だったようにすら思えるわ。


わたくしの推測では、マシュー義兄様がいわゆる『聖女』であることが、魔王の庇護下で敢えて男性として育てられた理由に関係しているんじゃないかしら?


人族の王の子であるあなたが生き延びられるように魔王の手元に置かれたのと同様に、ね?


そして、マシュー様にはサム兄様、ナサニエルにはわたくしという魔王の実子が添えられた。


どうかしら?」


 ナサニエルはリリィの胸に顔をうずめたまま、ちいさくこぼす。


「兄様たちはそれでいいのかな? 純然たる政略で決められた相手と言われるがまま結婚するなんて。それが、ふたりがまだ結婚していない理由かもしれない……」


 リリィは、お菓子作りは諦めて、ナサニエルの柔らかい髪に指を通しながら答える。


「マシュー様は、ブライト国でこの耳飾りを下さったのよね。魔法が使えなくて自分では変装魔法をかけられないナサニエルのために、手元にあった装飾品にパパっと変装魔法を込めて持たせた。


でも、どうしてこの色の装飾品がすぐに手元にあったのかしら? わたくしの色でもあるけれど、面識はないし、マシュー様にとってはサム兄様の瞳のお色よ? 持ち歩いているのは、愛しているからではなくて?


そして、サム兄様は、おそらくぞっこんで、しかもかなりのヤキモチ焼きだわ。絶対。ふふふ。


わたくしがコーニック卿の耳飾りを修復しましたってお話した時に、『あれは私のマティアの庇護を示すものだから、修復してくれて嬉しいよ。』って、なんだか悔しそうにおっしゃってましたわ」


「マティア? 姉さまの名前はマティアというの??」


「ええ。でも、マティアって呼んじゃ駄目よ。サム義兄様が嫉妬に狂っちゃうから。せいぜい愛称のマティまでね。他の家族同様に偽名のマシューが無難よ。


ナサニエル流にいうところの「魔法を使える人」は、心から愛する人の真名を全音美しく響かせるのが好きなの。魔法のスペルを詠唱して魔法をかけるようにね。魔力が強ければ強いほど魔法の言葉に力が宿るから、魔力の強い人の方がその傾向にあるでしょうね。


逆に、最愛の人が他の人から真名で呼び捨てられるのを嫌うわ。だから魔族は遠慮し合って自分の最愛以外には略称を使う」


 ナサニエルはパッと顔を上げて問いかける。


「リリは? リリも、リリィって呼ばれたい? それともアンジェリーナ?」


「わたくしは、ナサニエルがはじめて会ったときから『リリ』って呼んでくれて、すごくすごく嬉しかったわ。人族は、親しい人を短い愛称で呼ぶし、ダジマット家も家族呼びは略称でしょ? 会う前から『リリ』って家族みたいな親しみを持っていてくれたのねって、それはもう、ものすごく、嬉しかったわ。


でも、意味を知ったナサニエルから、アンジェリーナと呼ばれるのは、悪くないかもしれないわね。


想像するだけで、ぐっとくるわ」


「アンジェリーナ」


「ふふ。なぁに?」


「アンジェリーナ」


「もうっ。だめよ? ナサニエル」


「何が? アンジェリーナ?」


「その不埒な手よ。ナ・サ・ニ・エ・ル」


「もっと!ってことだね? アンジェリーナ」


「それより、ナサニエルはどう? ネイトって呼んでほしい?」


「わたしは、リリからナサニエルって呼ばれるの、好きだよ。そして、そう呼ばれるのが好きな理由もわかったよ。


伝わっているよ。

全音美しく響かせて呼ぶのが好き、って。

私のことを好いてくれているんだな、って。


私の最愛のリリ・アンジェリーナ」


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