帝国皇女の婚約者
ホッとしたのも、束の間。
週明けのランチタイムに、エイデンとケイトリンは熱狂に燃え盛る学生たちに直面することになった。
曰く、コーニック伯爵令息とシュアーレン子爵令嬢が街デートしていた。
曰く、運命の恋人たちは、公園のベンチでせつなげに語らっていた。
曰く、いやいや、公園のベンチで抱き合っていた。
曰く、その上、ふたりは公園のベンチでキスしてた。
そして、今日二人は揃って欠席している。と。
はぁ~。
そんなわけないじゃない?
あのふたり、本当に何にもないよ??
「ふたりの将来を真におもんばかるなら、今は努めて静観しよう。外野が騒ぎすぎるとまとまるものもまとまらなくなる」
ネイトの言葉を借りながら、少しこなれた感じで押し寄せた学生たちを諌めるエイデンをケイトリンは頼もしく感じた。
「はぁ~。まずはネイトからだな……」
ブツブツぼやきながらもうすっかり慣れ親しんでしまった感のあるコーニック邸に、茶菓子持参で連れだって向かう。
アッシュ・コーニックことダジマット第4王子ナサニエルは、アンジェリーナ・シュアーレンことセントリア皇女リリィに接触したことをあっさり認めた。
「私が君たちに打ち明けることを許されなかった重大な秘密は、セントリア第2皇女の百合姫の婚約者は、ダジマット第4王子ナサニエルだってことなんだ」
え?
君たち二人、婚約してたの?
必死に会わせないようにしちゃったよ?
セントリア王族の婚約相手は結婚直前まで伏せられることが多い。
理由の一つは、セントリア王族に牙をむけようとする勢力からみると、どこかにセントリア王族と一蓮托生の婚家が潜んでいるのに、それがどこかわからないことで行動が制限されるから。
セントリアの婚家がすぐ近くに潜んでいるかもしれないという猜疑心が敵対勢力に対し、大きな牽制力となるのである。実際に婚家が敵対勢力を発見することもあるが、牽制が主要な目的だ。
そして、もう一つ、悲しくも重要な利点は、もしも未婚のセントリア王族が暗殺者の前に倒れた時、婚約者側は殆どダメージを受けることなく婚約関係が消滅することだ。
「あ、これは、大変なご迷惑をおかけしている君たちには打ち明けてもいいって言われているから、大丈夫だよ。義父上が貴家にご挨拶くださるらしいから、そのあとには、公開情報になるしね」
うん。ヤバいこと聞いちゃったかも。って、焦ったよ。
ん? いまのって、義理の父上って、響きだった?
帝国皇帝の? あはは、気のせいだよね?
「セントリアの薔薇姫が皇室を離れたことは君たちも知ってるよね? そうすると、必然的に私のリリの継承順位が上がって、次期皇帝になっちゃうんだけど…」
(私のリリって、どう考えても百合姫のことだよね?)
(ネイトは、百合姫リリィの方で呼んでるのね?)
「私のリリのセントリアは、皇族の暗殺未遂が多いだろ? 『百合姫は公務を自粛します』という通知が出た後、心配になって帝国へ行こうとしたら、父上に王籍を抜かれて放逐されてしまったんだ。
あ、でも、その真意は、王子が来たら邪魔になるから、騎士とかなんとか別の理由を考えろってことね。
マシュー兄様に相談するように指示したのも父上だしね。」
え?
ネイトが帝国へ行きたかった理由って百合姫が心配だから?
「国が混乱している時に、よその王族が訪ねてきたら、迷惑だよね。理屈ではわかるんだけど、心が従えなくてね」
ネイトって、意外と情熱的だったのね。
「実際のところ、大変だったみたいでね。
セントリアの皇帝陛下は、リリを実の娘だと思って育てているから、血を引いていなくても、リリが皇位を継ぎたいならそうすればいいし、そうでないなら他にやりたい人を臣下から募ればいいって言ってるのに、リリが継承者を探して帝国領を動き回って頭を抱えてたって」
「え?」
「皇帝陛下は血にこだわっていないんだ。民が幸せならトップは誰でもいい的な?」
「えぇ!?」
「私も驚いたよ。だけど、リリが血脈にこだわって、『ローズの本当の双子の弟と話がしたい』と陛下に噛みついたらしくて…」
「薔薇姫の本当の双子の弟?」
「うん。リリは、ローズの双子の弟が生きているって確信してたんだ」
「まぁ!」
「それで、リリの手駒が多い帝国内に置いておいたら動き回って危ないから、『ナース国で大人しく学生でもしながら頭を冷やしなさい!』って外に追い出されたんだって」
「身を守られる深窓の姫君って感じではなかったんだな…」
「私のリリは誰よりも強いからね。
リリは、ナース国に入る前に帝国子爵家のアンジェリーナ・シュアーレンとして私に連絡を取ろうとした。だが、私は既にダジマットから放逐された後で、そのことを知ったリリは怒り狂った。
リリの言葉を借りれば『わたくしのナサニエルを放逐するとは、ダジマット王! 許すまじ!! 滅ぼしてやる~!!!』って、ダジマットの王族をナース国におびき寄せようとした。
あ、冗談だよ? 冗談」
(うん、それ、口癖レベルになってたけどね。)
「薔薇姫がいなくなって、百合姫が帝位を継ぐとなれば、百合姫を娶ることでダジマットが実子の百合姫を取り戻す芽がなくなるでしょ? それで夫として準備された私はいらなくなって放逐された。そんな風に誤解したんだよ、リリは」
(なるほど?)
「私は放逐された後、すぐにブライト国へ向かってマシュー兄様に助けを求めたんだけど、サム兄さんから『帝国にも入りやすい身分を準備したからナース国へ行きなさい』って手紙を受け取って、ぶっ飛んでいって、学生ってやつになったんだ。
それからは君たちの知っての通り、父上の指示通り『情熱を傾けるもの』を探しているふりをしながら、帝国に渡航する手続きを調べていたってわけ」
驚いたエイデンは、思わず話の腰を折る。
「え? あれ、フリだったの?」
「あぁ、ダジマットの『情熱を傾けるもの』は、王族が他国を動き回る時の「表向きの理由」にはちょうどいいからね。
例えば、料理男子のサム兄さんは「セントリア宮殿の裏の森に生えているレア食材『ヒカリダケ』を次の晩餐会で使いたい」と言えば、他愛ない理由でセントリア皇帝に会える。
本当に趣味の時もあれば、水面下で別の話が進んでいる時もあるから、部外者には訪問の真実が掴みにくくなるんだ.
でも、帝国が混乱しているときに、ダジマットの王子が趣味の一環で遊びに来たとか、通用しないだろ?
だから、『行っていいけど、方法は自分で考えなさい』って」
「え? 『情熱を傾けるもの』って、情報戦術の一種だったの??」
説明されてみれば、さもありなんって感じだ。
「当代の王族は、ほんとに趣味目的でフラフラしてることが多い気がするけどね」
全く作為的なことを行わなさそうに見えるネイトが王族っぽいことをいうのは、違和感しかない。
もしかすると彼の腹芸は超一流なのではないだろうか?
エイデンがそんなことを考えていると、ネイトは「わざとらしい王子様スマイル」を浮かべて、肯定を示した。そういう意味では、ネイトがエイデンに腹を割って話をしてくれるのは、今日が初めてなのではなかろうか?
「ともかくも、サム兄さんが準備してくれた身分はすごくて、セントリア皇帝オリバー様を隠し育てたお方がブライト国で持っている伯爵位なんだけど、この爵位は、セントリアに対し相談役永久ビザという特殊入国権限を持っているんだ。これで学術系のいろんな施設に出入りできるんだけど、姫に会うってなると別の話でね。調べものにてこずったよ」
「え? ホントにリリィに会う道筋はつくれてたの?」
「まぁ、ね。リリが帝国にいれば、たぶん会えてたよ。アッシュ・コーニックとして、だけどね。」
「でも、実は、リリィは、帝国にいなかったのね?」
相変わらずケイトリンは、恋物語への食いつきがよい。
「そう。ナース国にいて、『これぞダジマット王族』って自分の見た目を利用して、バッチバチに目だって、生みの親である父上から賜った『アンジェリーナ』って名前まで持ち出して、『ダジマットのお義父様、お義母さま、聞きたいことがあります!』って全力で主張してたんだ。あぁん!もう!!危ないことしないでほしいよ」
「それなら、なんでネイトは、そのバッチバチに目立っている婚約者に気付かなかったわけ?」
「それ、ほんと、くやしいんだよね。リリは、ブロンドで水色の瞳だって思ってたんだよ。」
「は?」
「百合姫って、そういう設定なだけで、ホントは違う色とか、知らないし。秘密の婚約者だから、会ったことないし、やり取りが多いと敵勢力に感づかれちゃうから手紙とかも禁止だし。情が移るといけないからって、成人するまで誕生日のプレゼントを毎年1つだけ交換することしか許されていないんだ」
「え?、それなら、なんで、ネイトは、そんなに情が移ってるの?」
「あぁ、それはね、私は婚約者と交流したかったから、リリの誕生日に自分の日記帳を送ったんだよ。そしたら、リリも私の誕生日に自分の日記帳を送り返してくれてね。
それから、せっせと日記を書いては毎年交換して、近況を共有していたから、お互いのことはよく知ってる方だとおもうよ」
「でも、百合姫の本当の外見は知らなかった?」
「君、自分の日記帳に、自分の瞳の色はヘーゼルだ!って書いたことある? 自分の髪色はダークブロンドだ!って書いたことある?ないでしょ? 書かれてなかったんだよ。一度も!」
「た、たしかに…」
「自分の日記で自分の容姿を説明することなんて、ありませんわね…」
「リリもコーニック卿の正体がナサニエルだとは気付けなかったんだ。この半年間ずっと私を探し続けてたんだって。」
「も、もしかして、『ダジマット王、許すまじ!!』と口にする時って、いつもネイトのことを想ってたのかしら?」
ケイトリンは、想像を膨らませて感極まっている。
「そうかな? セントリア皇室広報部の薔薇姫チームは、ローズがいなくなったあと解散した建前で、その実世界中に散らばってローズの広報活動を続けているんだけど、リリはそのチームを使って世界中で『わたくしのナサニエル』を探してたんだって。照れるよね。へへっ」
(へへっ。っじゃねーよ。)
(いろいろ、知りたくなかった話がでてきたわ。)
「先週、サム兄様が来ただろう? その時リリは私が元気に楽しく暮らしているって聞いて、『ナサニエルが元気ならそれで十分です。わたくしは帝位を継ぎますが、帝国は危ないのでナサニエルとの婚約は破棄します。ちゃんとお話したいのでダジマットの両陛下に会わせてください』って、言い出した。」
エイデンとケイトリンはギョッとして飛び上がりそうになった。
「リリが送り出されたナース国に私も送って、ナース国でふたり仲良く暮らしているだろうとばかりに思っていたところが、私から『アンジェリーナ・シュアーレンという名の兄上にそっくりな令嬢がいます。いかがいたしましょう? 追伸:ようやく帝国にリリに会いに行く道筋がつきました。サム兄様ありがとう。』って感じの変な手紙が届いたもんだから、おかしいと思ってやってきたら、私たちはお互いに気付いてすらいない。
『なんでこんなことになってるんだ??』って、驚きすぎて、あの兄上が『とりあえずふたりがナース国から出ないような時間稼ぎだけしか出来なかった。』って、両親に報告したらしいよ。
そして、私の両親がぶっとんできたんだ」
(ん?)
(それは、アンジェリーナ嬢の正体が百合姫だということについて『姉はマーガレットだ!』と嘘をついたことに関係があるのか?)
「で、私が放逐されて行方不明になったと怒り狂っていた部分については、サム兄様が誤解を解いてくれたことで父上とは和解できたし、帝国の皇位継承者についても方向性は決まったんだけど、『ネイトとの婚約を破棄しますっていってるんだ。ごめん。』って、父上から謝られて……」
ネイトは、目頭を押さえてつぶやいた。
「絶望したよ」
(ネイトって、そんなに百合姫が好きだったんだ)
「よくよく話を聞けば、サム兄様そっくりのシュアーレン嬢がリリでしたって、リリは父上と母上の本当の娘で、ネイトは実子じゃありません。と」
(そうか、百合姫が実子であることを伝えるってことは、その婚約者のネイトが実子でないことを伝えるってことと同義なんだな。)
「それで、『婚約破棄なんて冗談じゃない!』っと、シュアーレン邸に駆けつけた。
そしたら、義父上と義母上がいて、『娘は出かけている。まぁ、お茶でも飲んで、待ってなさい。』って。
私にとっては、お茶でも飲みながらのんびり待っている心境でもないわけで、『婚約破棄の話を聞きました。私の総力をもって幸せにしますから、どうか私との婚姻についてご再考ください。』ってお願いしたんだ。
そしたら『婚約破棄は娘が言い張っているだけだから、娘が望めば私たちに否はない。ただ、娘は君のことをずっと探していたみたいだから、君を見たらへばりついてしばらく離れなくなるかもしれないけど、どうか驚かないで受け入れてやってくれ。』って真剣な顔で言われて、拍子抜けしたよ。
そして渡された行先リストの中の魔道具屋で待ち伏せしたんだ」
(待ち伏せって、その響き怖いよ?)
(いえ、恐ろしいのはそこじゃありませんわ。義父上と義母上がいたってことは、セントリア両陛下が既にナースに入ってらっしゃるって、ところですわ。)
いつの間にか、目で会話ができるようになっているエイデンとケイトリンである。
「やだなぁ、いくら仲良しだからって、目で会話しないでよ。君たち最近いつもそうだよね……」
耳を疑うネイトの発言に、更に絶句するふたり。
「あれ? 自覚がないの?? ふたりは魔法祭で『学園のベストカップル』に選ばれること間違いなしって話だよ?」
私たちは学園ではまだカップルじゃないしね。いや『運命の恋人たち』も悪くないぞ……などとぶつぶついってるんだが、いや、どういうこと?
いや、違う、今はそんな事を気にしている場合じゃないんだった!
「僕たちは、学生たちからの『街デート』に関する目撃証言の真偽を確かめに来たんだった! 話してくれるかい?」
すばやく立て直して話を進めようとするエイデンに内心ホレボレするケイトリンだったが……
「そうそう、これこれ、君たちは、しょっちゅうホレボレした眼差しをお互いに向けているよね。その姿が学生たちに愛されてるんだよ」
え、気づいてないの?
相当なバカップルだな、私にも真似できるかな?
ネイトがなにやらつぶやいているが上手く耳に入ってこない。
「それで、リリが魔道具屋に現れた瞬間に、自己紹介して、膝をついて、求婚したんだ。私と結婚してください!って」
テレっ。
「ところで、公園でのキスは? それも本当なの?」
なかば投げやりに質問をぶん投げたエイデン。
「えー。そんなとこまでみられてたの? 怖いな~。ナース国民。休日だよ~」
はぐらかそうとするも、渾身のジトメで見つめるエイデンとケイトリンの圧に負けたネイトがしぶしぶ答える。
「公園のベンチってことは、義父上の予言通りへばりついて離れないリリをなだめるために魔道具屋から移動したあとだよね。リリが、変装魔法を解いた状態の私の瞳をもう一度みたいって言うから、見せてあげてただけだよ?」
テレッテレかつニッコニコである。
(クロだな、これは)
(えぇ、えぇ、クロですとも)
((学生たちになんと説明したものか、頭がいたい))
「それより、なんだか疲れているみたいだから、続きは明日の方がいいんじゃない?」
(うん。もう。今日は、もう帰って寝たい!)
(はい)
このようにして、エイデン王子は、しれっとケイトリンをナース宮殿にお持ち帰りしたのであった。
うん。僕だって、したいんだよ。キス。
そのくらいいいだろう?




