雨上がりとふたり
二手に分かれようなんて言わなければ良かった。
悠斗くんとスコーンの材料を買いに、スーパーに行ったら、同じ第二外国語を受けている同級生に声を掛けられた。
何度かデートの誘いを受けたものの、何かと理由をつけて断っていたのだけれども。
まさか、こんなところで会うなんて思ってなかった。
相手は、どうせ休みなんだから良いだろうとしつこく誘ってきて、こんな時に限って、周りには誰もいなくて。
どうしよう、怖い…なんて思って泣きそうになっていると。
「香菜ちゃん?」
後ろから、聞き覚えのある声が聞こえて振り返る。
「あ、悠斗くん…」
ほっとして、思わず泣きそうになったら、視界がふっと暗くなると同時にお腹の辺りが少しぎゅっとする。
抱きしめられといると気付くと同時に、溜まっていた涙が彼のパーカーに染み込んでいった。
助けてくれた安心感で、涙が溢れて止まらない。
「僕の彼女に何か用ですか?」
頭上から聞こえてくる声はバイトの時に聞く営業用の優しい声なのに、どことなく、ひんやりとした怒気を感じる。
「あ…あ、いえ、何でもないです。」
同級生はそう言うと、足早に去っていったようだ。
悠斗くんは私から離れると、一瞬驚いた顔をして、すぐに自分の着ていたパーカーを脱いで、私に掛けて、フードを被せる。
そして、左手からベーキングパウダーをさっと抜き取って、そのまま手を引いて行く。
「香菜ちゃん、すぐ家に戻るからね」
頭上から聞こえる優しい声に安心しながら、されるがまま、連れて行かれる。
悠斗くんは手早くレジを済ませると、再び、私の手を引いて、家の方へ向かう。
私、まだ、お礼も何も言ってない。
「あの…!」
足早に家に戻ろうとする彼に声を掛ける。
先ほどまでの雨は上がり、じっとりとした空気が2人を取り巻く。
生温い風が濡れたアスファルトの匂いを巻き上げて公園のソメイヨシノの枝を揺らしている。
彼はハッとしたように立ち止まり、振り返る。
私はおずおずとフードを指で持ち上げ、彼を見ると、どこか、困ったような顔で私を見下ろしている。
「あ、えっと…」
「さっきはごめんね」
彼は困ったように笑って、私の手を離す。
「なんで?」
彼が謝るようなことは何もなかったはずだ。
「付き合ってもないのに、彼女とか言っちゃったから?」
待て待て、なぜ、そこで疑問符を浮かべるんだ。
「えっと、そこは気にしてないんだけど…」
「あ、そうなの?てっきり、怒られるかと」
「むしろ、助けてもらって怒るって…」
思わず、クスクスと笑ってしまう。
「あー、良かった」
彼は心底ホッとしたような顔で笑う。
「ありがとう、悠斗くん」
「気にしないで。むしろ、怖い思いさせちゃってごめんね」
そう言って、また少し困ったような笑顔を浮かべて、フード越しに私の頭を撫でて、また、私の手を握る。
「あの、悠斗くん…?」
「なぁに?」
彼は小首を傾げて、私を見下ろす。
「あの、手…」
「手?」
そう言って、彼はイタズラっ子のような笑みを浮かべてこちらを見ている。
なんだか、こちらの気持ちを全部見透かされているような、そんな目をしている。
最初は手先が器用でキレイなソープカービングを産み出す彼に憧れているだけだったのに、趣味が一緒ということで、話すことや過ごすことが増えていった。
バイト先が閉店することになって、困っていた時は、真っ先に自分のバイト先に雇ってくれるよう掛け合って助けてくれたし、体調不良で動けなくなっていた時はわざわざノートのコピーとゼリー飲料を玄関先に置いて行ってくれた。
いつも、彼は私が困っていたら直接であれ、間接であれ、手を差し伸べてくれる。
もう、自分の気持ちは分かっている。
それでも、口に出せないのは、どうしても勇気が出ないから。
何度もチャンスはあったはずなのに。
「嫌だった?」
ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて聞いてくる。
「そんなこと…ない、です。」
恥ずかしくて、俯いてしまう。
「何で、敬語?」
そう言ってケラケラと笑いながら、もう片方の手を重ねて、そっと私の手を包み込む。
彼の手首に引っ掛かっているビニール傘とスーパーの袋が触れて、カサリと音を立てる。
「あのね、香菜ちゃん」
「な、に…」
思わず見上げると、一瞬ニヤリと笑った悠斗くんと目が合って、額に柔らかい感触を感じる。
ぱさりと濡れたアスファルトに彼のパーカーが落ちた。
「好きだよ」
柔らかな笑みを浮かべて、私の頭を撫でると、落ちたパーカーを拾い上げる。
あー、濡れちゃったなぁ。と苦笑いしながらも、それは困っているというよりも、どこか嬉しそうで。
「返事はいつでもいいから。断ってくれても全然いいからね。」
そう言って、彼は私の手をひいて歩き出そうとする。
「待って!」
思いのほか、大きな声が出てしまう。
「ん、なぁに?」
穏やかな笑みを浮かべて、こちらを向く彼の手を振り解く。
驚いた顔をする彼を見て、
「いつでもいいんでしょ?」
と言って、彼の襟ぐりを両手で掴み、引き寄せる。
「えっ、待って!」
「待たない」
驚いて、目を見開いて慌てる悠斗くんを見て、ニィと笑いながら、
「私も好きよ」
耳元で囁いて、彼の首に抱きついた。