いちごジャムとふたり
あ、やべ
そう思った時には既に香菜ちゃんを押し倒すような形で倒れていた。
辛うじて、下敷きにはせずに。
「岡田くん、どういうつもり?」
「ごめんなさい、事故です。すぐ退きます。」
急いで退き、香菜ちゃんを抱き起こす。
「別にやましい気持ちは無いんだ!ただ…」
「ただ?」
「腹減りすぎて、立ちくらみが」
「やば、ウケる」
ケラケラと香菜ちゃんは笑いながら、近くに置いていた自分の鞄からチョコレートを取り出し、俺の口に放り込んだ。
「ん、ありがとう」
「どういたしまして。16時間断食とか無茶しようとするから。」
「だって…だってぇ…」
わざとらしく、しょんぼりとして、服の上から脇腹の肉を摘む仕草をする。
「ちょっともちもちしただけで、そんなにショック受けるなんて思わなくて…ごめんて。」
「こんな身体じゃ、もう、お婿に行けないわ!」
「大丈夫よ、お婿にしてくれる女の子の1人くらいはいるわよ。」
「本当に?」
「ホントホント、きっといるわよ。まあいいや、始めよう」
「どうでもいい感じにされたー、ショックぅ」
お互い、ケラケラと笑いながら、立ち上がり作業を始める。
香菜ちゃんが親戚から苺を大量にもらったらしく、今日は俺の家でいちごジャムを作ることになった。
香菜ちゃんは苺を洗い、ヘタを外していく。
俺はその隣でジャムを入れる瓶を煮沸消毒していく。
因みに、どうでもいい話だが、俺と香菜ちゃんは付き合っていないことを先に申し上げておく。
あくまで、我々は料理という共通趣味を持った【友人】である。
そりゃね、俺としては香菜ちゃんと恋人になって、あんなことやこんなことできたらいいなとは思うよ。
さっき、立ちくらみでうっかり押し倒した時だって、一瞬、そう、ほんの一瞬ね、思ったよ。
チャンスじゃね?って。
正直、下心とかちょっとあったよね、うん。
でもね、呆れた顔であえての苗字呼びになったのを見た瞬間、あ、違いますね、ごめんなさいってなったよね。
そうだよね、どう見ても、香菜ちゃんは俺の飾り切りとかにしか興味なさそうだもん。
最初のキッカケだって、ソープカービングだもん。
「悠斗くん、できた!」
「ありがとう!棚の上に鍋があるから取ってくれる?」
「おっけ…この白いの?」
「そう、それそれ」
俺は鍋に取手をカチリと取りつけて、材料を入れていく。
「このタイプの鍋、本当便利だよね。」
「それな。余ったら取手外して冷蔵庫に突っ込めるし。」
「分かるー。カレーとかね。保存容器に入れると匂い取れないから。」
「ガラス容器だと匂い付かないよ。俺が使ってるやつオススメだよ。」
「マジ?後で教えて。」
「りょーかい。後でURL送るわ。セールの時だとめっちゃ値引きされるから、その時狙った方がいいよ!」
「分かった、セール狙うわ!」
「蓋外したら、オーブンもいけるから、グラタンとかもできるし、めっちゃ便利」
と、調理器具一つで色々と話が盛り上がる。
こういう話ができるのは、香菜ちゃんくらいしかいないから、本当に楽しい。
ひとまず、苺からの水分が出るのを待つのもかねて、玲央のバイト先のスーパーへ向かう。
自宅から徒歩5分の便利な立地である。
今日の昼間は彩乃ちゃんとデートって言ってたから、恐らく、鉢合わせることもないだろう。
しとしとと雨の降る中、香菜ちゃんと相合傘をしながら、目的地へと向かう。
「俺、スコーンは作ったことないんだよね」
「私もジャムを作るこの季節くらいしか作らないんだけどね」
ジャムと合わせるととっても美味しいのよと言って、ふふっと笑う彼女がとても可愛らしい。
うっかり、君の笑顔の方が美味しいよとか言っちゃいそうになって、空いている左手で自分の頬をペシペシと叩く。
そんな俺を香菜ちゃんは不思議そうに見ている。
ちょうど、香菜ちゃんの後ろに小さな公園があり、ソメイヨシノがぽつぽつと花を咲かせているのも相まって、背景に花を背負ってるような気さえする。
そうこうしているうちに目的地に到着する。
「じゃあ、私はベーキングパウダーを探してくるから、バターをよろしくね」
「りょーかい!」
俺たちは二手に分かれて、後ほど合流することにした。
「えーっと、無塩バターって言ってたよなー」
それなりに大きいスーパーなので、恐らくあるとは思うけど…と考えながら、乳製品の売場をキョロキョロと見渡す。
「お、あったあった」
普段使ってるバターよりちょっと高いなぁとか思いながら、バターを片手に戻っていると、
「あの…困ります」
と製菓材料売場の方から聞き覚えのある声が聞こえて、早歩きでその方面へと向かう。
売場に着くと、香菜ちゃんが見知らぬ男性に声を掛けられている。
「香菜ちゃん?」
「あ、悠斗くん…」
ちょっと泣きそうな顔で、振り返る香菜ちゃんが居て、俺は急いで彼女のもとに向かい、思わずぎゅっと抱きしめる。
「僕の彼女に何か用ですか?」
至って冷静に、バイト仕込みのスマイルを浮かべて相手の男に聞く。
うっかり、香菜ちゃんのことを彼女って言っちゃったから、後で謝ろう。
本当に俺の彼女になってくれればいいのに。
「あ…あ、いえ、何でもないです。」
そう言って、男は足早に去っていく。
香菜ちゃんを見ると、目からはポロポロと涙が溢れている。
俺は着ていた上着のパーカーを脱いで、彼女に掛けて、フードを被せる。
そして、彼女が手に持っていたベーキングパウダーを預かって、空いたその手を引いて、セルフレジの方へ向かう。
「香菜ちゃん、すぐ家に戻るからね」
努めて優しく声を掛けて、素早くレジを済ませると、家へと急いだ。