第一話:交差点
「菅原小夜ちゃん…小夜ちゃんは家に帰りたくないのかい?」
風の音が少しする中、その声は小夜の心にきちんと届いた。その問いはやはり小夜に少しばかりの戸惑いをもたらす。
帰りたくないのは山々だ。しかし、それを口にしてしまうことが怖かったのだ。口にしてしまうと帰る場所がなくなってしまいそうで。二度と日常やこの世界に帰ってこれなくなりそうで。
でもホントは正直になりたくて。そんな悩みがぐるぐると渦巻く。思春期なら当然だし、小夜の環境を考えたなら尚更だろう。
でもっ…
「かえりっ…たくないです…」
それは一欠片の勇気だった。その勇気が小夜の心を突き動かした。
それは自分なら必ず帰ってこれる。再び大切な人たちと会えるという覚悟でもあった。
「そうか」
純也はそう言うと立ち上がり、自販機の前で止まる。少し悩んだ様子でこう言った。
「なに飲みたい?これくらい奢るよ」
そういえば昼からなにも口にしていなかった。そんなことを考えると喉が余計乾く。
「コンポタで…」
この寒い冬の中ずっとベンチにたたずんでいたのだ。暖かい飲み物が欲しくなる。
「ん、俺はコーヒーでも飲もうかね」
小銭がないのか千円札を丸ごと自販機に飲み込ませる。ウィーンという機械音と共に野口英世が飲み込まれてゆく。正直お札に偉人の顔を刷るのは残酷な気がしてきた。というかどうして諭吉以外は名前で呼ばれないのだろう。
ホットの缶コーヒーを買った後、おつりも出ないうちにコンポタも買ってしまう。
「熱いから気をつけな」
「はい…ありがとうございます…」
あぁ…暖かい。この寒い中では本当に嬉しい。
「これからどうするつもりだい?」
彼は問いかけるばかりだ。
「はい…?」
「現実的な話、あからさまな未成年な君が家を出て泊まれる場所なんてない。野宿したところで簡単に警察に補導されるぞ」
優しい声が突きつけたのは冷たい現実だった。彼の言ってることは正しい。正論だ。行くあてもない少女にとって家出というのは現実的な話ではない。
バイトすらしたことないため、お金もそんなにあるわけでもない。どうすることもできやしない。
「そう、ですね…」
未成年である小夜にはなにもない。特別な才能や財産、権力があったら話は違ったのだろうか。
「無謀だな…」
それは幼い小夜には重く冷たい現実だ。
「ここじゃ寒いだろう…ドライブでもしないかい?」
「ドライブ、ですか…」
小夜の体が少し震え強張る。無理もない。
年端もいかない少女がいきなり密室空間に連れ込まれようとしていたら自然とそうなるものだろう。
「近くのコインパーキングにとめてあるんだ。信じるか信じないかは君次第だ。俺と来るか、それともこのまま寒い中凍え続けあげく補導されて帰りたくもない場所に帰るか」
なんとずるい言い方だろうか。彼について行かなかった場合のデメリットについては言うくせについて行った場合については詳しく言及しない。選択肢などないと言われてるようなものだ。
しかし、手を伸ばしてみたいと思ってしまった。暗闇に差し込んだひとすじの光に縋りたいと思った。
光だったかどうかの真偽なんてどうでもいい。
優しく語りかけてきてくれた彼を信じてみたいと思った。じゃないと、惨めになりそうで怖かった。
たとえこの先、彼を信じていた方が惨めだったとしても。
「っ…きます、いきます!」
「よし」
彼は短くそう返した。彼はまっすぐわたしの目を見て言った。ここで目を逸らされたりしてたらわたしは信頼の欠片も出来なかったと思う。
純也はベンチから立ち上がり、先々歩いていく。その方向にはコインパーキングがあったはずだ。小夜は置いて行かれたくないからか、駆け足で彼の後をゆく。
加藤純也についていくことを決意した菅原小夜。
しかし、すぐそばにはもう一人の少年もいた。ここは一つの分岐点でもある。
第一話「交差点」