序章:出会いは物語のきっかけとなる
ふとした瞬間、ああ、だめだなって思った。この家ではやっていけないと。
小さいころからそうだった。お父さんはわたしの前でも平気でタバコを吸って、お母さんはお父さんに愛されることばっか考えてわたしのこととかどうでもいいみたいだった。
幼稚園のころ、男の子がわたしにいたずらして泣いちゃったときも、小学校のころ宿題ができなくて泣いてたときも、友達と喧嘩しちゃってごめんなさいが言えなかったときも、中学のころ生理がきて誰にも相談できなかったときも、受験で悩んでいたときだってそうだ。いつも両親を頼ることができなかった。
いつもタバコを吸ってお酒を飲んでお金がなくなったらパチンコにいって負けたら暴力を振るう。自分で稼ぎもせずにパートだったお母さんの少ない給料と親戚からの仕送りに頼っていたお父さん。そんな父に心酔しきって愛されることばかり考えてわたしのことは見てくれなくなっていたお母さん。そんな家はもう嫌だった。
なにがいけなかったのだろう。わたしはなにをしてしまったのだろう。そんなわけもわからない後悔がただただ心にあった。せめてもの救いは友達とその両親がすごい親切でまるで家族のように扱ってくれたことだと思う。
だから…もう諦めてしまって、気が付いたら走ってた。走って走って走って。行く当てもなく、友達に迷惑をかけるわけにも行かず。疲れて顔をあげるとそこには見覚えのある隣町の自販機が目に映る。ふらふらとした足取りで近くのベンチに座った。このまま死んでしまおうかとも考えたけど友達が悲しむことを考えると勇気が出なかった。気づくと雪がちらほら降っていた。
「雪…」
昨日降った雪は溶けることなく道路に積もったまま。ベンチに座ったままでいた。なにもする気が起きなくてじっとしていた。
十分くらい経っただろうか。辺りが暗くなりはじめ、街灯が人混みを照らす。心なしかさっきまでの喧噪が少し寂しくなったように感じる。少しずつ少しずつ人々の雑踏が消えてゆく。広場の時計が十時を示すころにはちらほら人が行き交うだけだった。
だからなのか、降り積もった雪を踏むその足音にはすぐに気づくことができた。
「やぁ嬢ちゃん、家出かい?」
見上げると紺のマフラーに落ち着いた黒のコートの男が立っている。その顔は久しく見ない顔で、でもどこか懐かし気とやさしさを感じた。デリカシーもなく聞いてきたその質問には不思議と勇気を貰った気がした。変に濁すよりも真正面から聞かれた方が正直に答えられると思った。
その裏腹、こんな夜中に声をかけてきたことに対する違和感と少しばかりの恐怖もあった。どこかに連れて行かれるんじゃないかとか。なにか嫌なことをされるんじゃないかとか。そんなことが頭の中を巡る。
でも、きっと自分は信じてみたいんじゃないかって思った。今まで両親すらも信じることができなくて。友達やその両親は信頼できるけど自分からどこか距離を感じて。そんな葛藤のなか、自然と口から言葉が零れ落ちた。
「あなたは…だれですか…?」
それは当たり前の問いだった。
だけど、その少女には大きな意味があったはずだ。物心ついたときから両親を信じられず、他人と自分を勝手に線引きして勝手に距離を感じていた少女にとって。
「俺は…加藤純也。君は?」
少しの逡巡のあと、少女は恐る恐る口を開く。それは少女にとって新たな時代の幕開けでもあった。
「わたしは…菅原小夜、です」
少女と男の出会いには大きな意味があった。
いや、小夜と加藤純也との出会いには。小夜が彼と出会っていなければ、彼女はこのままつまらない人生に幕を下ろすところだったかもしれない。
さて…加藤純也にとっては数ある出会いの一つかもしれないが、菅原小夜にとっては己の命運を大きく変えるきっかけの出会いでもあったのかもしれない。
序章「出会いは物語のきっかけとなる」