第43話 クイニー・アマンの希望
編集者の窪田さんから連絡がきた。以前、ネット投稿サイトで連載していた元修道士もお菓子屋さんの話しを書籍化したいという話だった。大幅に改稿は必要だが、新しくできるレーベルで、既存の人気設定ではなく、変わり種も欲しいという事で選ばれた。この先品は全くランキング上位のも入っていないし、諦めているところだった。
また、他の編集者に出している企画も通ってしまった。こちらは電子書籍のみでの刊行になるので、紙とは違って収入は減ってしまうが、それでもどうにか長い長いトンネルを抜け出せたようだった。また、この編集者からは新しく企画を出して良いと言われているので、さっそき探偵ものの企画を作っているところだった。失踪した真白さんを探すために探偵じみた事をして思いついたネタだが、この事も悪いものから良いものに変えられるかもしれない。そう思うと、少し肩の力も抜けてきた。
こんな嬉しい事が続いたわけだが、心は少しも華やがない。書籍化したら、真白さんにお祝いのケーキを作ってくれると言われていたが、今のところ、真白さんは失踪中だった。
康恵さんからへダイレクトメールを送っていたが、11月下旬になってようやく返事がきた。町はクリスマスモードになっている時で、もう風もだいぶ冷たくなっていた。
ダイレクトメールでも康恵さんは、妙に偉そうだった。まあ、モデルをするぐらいだから気も強いのだろう。
康恵さんの家の近くにある、イートインつきのベーカリーで会う事になった。なんでこんな場所と疑問だったが、向こうは完全なホームで会いたいのだろうと思う。一方こちらがアェイだ。条件は悪いが仕方ない。むこうの条件を飲む事にした。
指定されたベーカリーの地図を調べると、真白さんのカフェがあった場所にかなり近かった。もしかしたら、真白さんと康恵さんはご近所さんという事で親しくなったのかもしれない。
康恵さんに会う日、私は早めにこの街に乗り込み、真白さんのカフェを見てみると事にした。若いファミリー層が多い街のようで、商店街は活気がある。その中の一つに真白さんのカフェがあった。
予想した通り、カフェは閉まっていた。ミントグリーンの壁の可愛らしい雰囲気のカフェだったが、きっちりと戸が閉められ、中を窺う事はできなかった。それに悪口は書かれたチラシなども貼り付けられていて、可愛らしいカフェは台無しだった。
「おばさん、カフェに用?」
女子高生らしき制服をきた若者に声をかけられた。おばさんと言われたが、若者からすれば、そう見えるだろう。
「このカフェ閉まってるね。何か知らない?」
「私、このカフェの常連だったんだよ。登校拒否中の私にもまーくん先生は、優しくしてくれて」
「まーくん先生?」
「うん。店長さんの事、まーくんとかまーくん先生って呼ばれてた。優しい人でみんなに愛されてた。まーくん先生、今どこにいるんだろう。心配だよ」
女子高生は下唇をかみ、悔しそうだった。ただ、この商店街で他のカフェが出来て、そこからある事ない噂が流れ、コロナクラスターの出たのはカフェのせいだと悪く言われるようになったらしい。
「本当、大人って最低。人と足引っ張りあって。こんなチラシを貼ってるヤツは、偽善者だよ」
女子高生ははそう吐き捨てて去っていった。真白さんのカフェは悪い噂がたっていたのも事実だろうが一方ではお客さんには愛されてたいたようだ。その事を知れて、少しホッとしながら約束のベーカリーの向かった。
意外と大きなベーカリーで、イートインスペースも広々としていた。昼過ぎに行ったが、子連れや老夫婦でにぎわっていた。
「クイニー・アマン焼きたてでーす!」
若いアルバイトらしき女性が、棚に焼きたてのクイニー・アマンを置くと、客が群がりはじめた。特にクイニー・アマンを食べたい気分ではなかったがその場のノリに押されて、クイニー・アマンを買った。それとアメリカンコーヒーも注文し、イートインコーナーでしばらく待つと康恵さんがやってきた。
今日はトレンチコートにジーンズというラフな格好だったが、スタイルが良いおかげでよく似合っている。
スキニージーンズだったが、えぐいほど痩せていた。それでも肌は白く、髪の毛も艶々のおかげで健康的にみえる。イートインコーナーのきたわけだが、彼女はアイスコーヒーしか注文していないようだった。
「久しぶりだね。雪乃さん、だっけ? 私の事覚えてたんのね」
「ええ。真白さんがいなくなった事知っている?」
そういうと、康恵さんは呆れたように肩をすくめた。
「またやってるのね、まーくん。本当にかまってちゃん。メンヘラ男子すぎるわ」
「また? またってどういう事ですか?」
「あの人は繊細でねー、しょっちゅうこうして失踪しているのよ。おそらく今回も実家か実家近くの教会にいるでしょう」
何も頼んでいないが、康恵さんはその住所を書いたメモを書いて渡してくれた。
「まーくんはねー、本当に面倒くさいのよ。今の彼女さん、頑張ってね」
康恵さんかたは、もっと戦意を向けられてると思ったが、もはや呆れているようだった。この様子では、真白さんに未練はなさそうだが、グズグズと彼への愚痴をこぼしていた。
「まーくんは、好きな子によく餌付けするのよ。おかげで私は太ってね。モデルの仕事出来ないから別れたよ。あ、このクイニー・アマン。バターたっぷりでおいしいけど、今は仕事で食べられない」
心底羨ましそうに私のクイニー・アマンを見つめていた。なかなかモデルの仕事も大変そうだった。
「まーくんが言ってたけど、クイニー・アマンって小麦粉がない時にバターたっぷり入れたパンを作ったのが始まりなんだって。いやね、こんな罪深いもの作って」
そんな事を言われると、非常にクイニー・アマンは食べづらかった。
「でも、ある意味失敗からこんなパンができるって面白いね。まーくんも、プライド高いのかな。妙に失敗恐れたところあったね。挙句、よく失踪してるし」
真白さんがプライド高い? 全くそんな風には見えないのだが。
「まーくんは、かなり厳しく育ててられたみたい。お母さんも癖が強い人らしく、まーくんも人の顔色うかがう癖ができたって」
私の知らない情報ばかりで、やっぱり自分は真白さんの事を何も知らないと思わされた。
「だから、よく近所の教会に逃げて遊んでたんだって。私もよく知らないけど、そこだけはまーくんの居場所だったみたい」
「そっか……」
そういえば真白さんは、天から降ったマナなど聖書の話もしていた。その理由がようやくわかったが、もっと彼について話しておけばよかったと思ってしまう。
もう、遅いだろうか。
ふと、目の前にあるクイニー・アマンが目についた。このパンも失敗から生まれたんだ。タルト・タタンと同じだ。それを失敗にするか、成功の元にするかは自分次第ではないだろうかz。
「本当にこの住所の彼はいる?」
「いるでしょ。っていうか、あなたに嘘言って私になんの得があるの? まーくんには幸せになって欲しいよね。いい歳してメンヘラしてないで、しっかり生きて欲しいものよ」
康恵さんはそう言ってため息をついた。返そうかどうか迷ったが、あのガレットデロワに入っていた康恵さんへのカードを返した。
「ああ、これね……。まーくんは嫌いじゃないけど、彼のお菓子をこれ以上食べるのはキツイかなぁ。じゃあ、新しい彼女さん、メンヘラまーくんのお世話がんばって」
「いや、私は彼女じゃないんだけど」
康恵さんは、私の言葉など聞かずに去っていった。
一人、残された私はクイニー・アマンちぎって食べてみた。まだ焼きたてでバターのいい香りがする。サクサクとした食感に、だんだんと勇気や希望といった感情を思い出してきた。
康恵さんも根っからの悪い人物ではなさそうだ。ただ、真白さんとは歩むべき方向が変わってしまったのだろう。
康恵さんから、渡されたメモを見てみる。もう少しで彼と再会できるだろう。
希望で胸が満たされてきた




