第42話 タルト・タタンの失敗
どうやら真白さんは失踪してしまったようだった。駅前、近所の公園、スーパー、運動公園や童話公園なども行ってみたが、ミントグリーンのフードトラックはどこにも無かった。
SNSも相変わらず消えたままだった。ブログも全部削除され、こちらから連絡する手段は全て失われていた。
しかし、真白さんはどこでも愛されていたようだった。近所のクソガキの勇人くんは、一刻早く戻ってきてパンケーキやパイを食べたいと言っていた。
スーパーの店員も「あそこのドーナツやカステラが美味しかったのに!」と嘆いていた。書店のヤンキー風の店員も、真白さんが失踪してしまった事を嘆き、ヤンキー仲間と捜索すると約束してくれた。童話公園では、親子連れに聞いてみたが、子供は真白さんがいなくなった事を知ると泣いてしまった。宥める為にジュースやお菓子をいっぱい買ってやったが、涙は止まらなかった。
隣町の商店街にいき、インドカレー屋のシンさんにもあった。春の祭りの時に親しくなったと言っていたのを思い出す。真白さんが失踪すたと知ると、なぜか私のせいだと怒られてしまった。必死の誤解をとき、インドのアイス・クルフィのレシピまで教えてもらったが、私一人でこのレシピを持っていても仕方がない。
運動公園にも行き、あのクレーマーおじさんとも会った。真白さんの糖質オフスイーツのおかげで少し痩せたようだった。失踪した事を知ると、涙をこぼしながら謝っていた。
フード系のフリーライターだと若干盛った身分を言うと、意外と人々の口は軽かった。私がアラフォーのおばちゃんというのも、人々の警戒心をといていたのかもしれない。
別にこれは仕事ではないが、人々に聞いた真白さんの話をレポートにまとめて、印刷してカバンの中に入れておいた。もし、真白さんが戻ってきてこれを呼んだら、ちょっと励みになるんじゃないかとも考えた。
自分のしている事はちょっと探偵じみているようにも感じた。探偵ものの小説は書いた事はないが、こんな事をしていたらアイデアが思いついてしまった。今はこんな事をしたい気持ちではないのに体は勝手に動いていた。つくづく、自分は書く事しかできない身体だと思い知った。
あのアンチは相変わらずだった。真白さんのSNSは消えたが、自身のSNSで悪口ばっかり書いていた。ここまで悪口を書いていて、学校生活や家族の中はどうなっているんだろうかと心配になるほどだったが、今は敵に塩を送っている場合ではない。私はフードライターだと自己紹介し、アンチにダイレクトメールを送ってみた。真白さんの事を聞くためだった。
最初は警戒していたアンチだったが、フードライターというとペラペラ事情を書いて送ってきた。
自分の曽祖母がお気に入りだったカフェが真白さんのカフェだった。しかし、あそこは感染症対策がゆるく、曽祖母がコロナで亡くなったのは、あのカフェのせいだと一方的に被害妄想を募らせているようだった。
私の予想通りだった。
ウィルスなんて結局目に見えないものだ。誰がうつした、どこでうつったかなんて100%証明などできない。裁判をやっても決着のつく話ではないだろう。
体調不良なんて誰にでもある。お互い様だって許しあう世界の方がいいと思った。そう言えばインドカレー家のシンさんは、インドでは迷惑かけあう前提で、人々と許し合って生きているとも言っていたのを思い出す。こんな風に「誰かのせい」「自分だけは絶対正しい」と思う社会がこんなアンチを生み出している気もした。
アンチとのやりとりは不快だったが、怒る気にもなれない。この人も社会の被害者なのかもしれない。それにアンチの曽祖母が亡くなった原因もコロナが大半かもしれないが、122歳という年齢を考えると、老衰など他の要素も全く関係無いとも言い切れない。やっぱり私は真白さんの味方でいたいと思ってしまった。
こうして真白さんのいない11月が始まり、人々に聞いて回ったが、彼の姿は見つけられていなかった。
風もだんだんと冷たくなり、公園の木々は色づいている。カサカサとした落ち葉が、冷たい風に舞っていた。
そんな折、ボスママ・圭子さんから連絡がきた。ケーキを焼いたから、食べに来ないかという話だった。圭子さんは真白さんと一緒に糖質オフのスイーツも作っていた。何か知ってるかもしれない。それに、ケーキという言葉が妙に惹かれてしまった。真白さんが疾走してから、一度も甘いものは食べていなかった。食べてもどうせ真白さんのお菓子の味には、敵わないだろうと思っていた。
圭子さんの家の客間は、以前きた時と比べて少し模様替えしたようだった。高そうなツボや絵画も相変わらず置いてあったが、花や手作りの手芸品なども飾られ、温かみのあり雰囲気が他されていた。
大きなテーブルの上には、紅茶のポットやカップがある。以前きた時と同じように、華やかで可愛らしいポットやカップだったが、やっぱり洗うのが大変そうだ。特にカップの持ち手は、繊細な作りでスポンジが届きにくそう等と現実的な事を考えてしまった。
紅茶だけでなく、大きなタルト・タタンという林檎のケーキもあった。林檎はよく煮詰められているのか、宝石のように輝いていた。以前きた時も圭子さんの手作りケーキをご馳走になったが、今回はプロみたいに上手な出来だった。
「このケーキ、あの真白さんに作り方を習ったのよ。さすがプロね。上手くできたわ」
「へぇー。美味しそう」
「どうぞ召し上がって」
今は真白さんの名前をなんとなく聞きたい気分でh無かったが、タルト・タタンは意外と軽い口当たりで、いくらでも食べれそうだった。
「タルト・タタンって、失敗作から生まれらケーキみたいよ。林檎煮詰めすぎちゃったタタン姉妹が、パイ生地のせて焼いたら、すごい美味しいケーキが出来ちゃったっていうね」
圭子さんは、そんな豆知識を披露していたが、右から左に抜けていきそうだった。やっぱり、真白さんの事を考えているしまう。
「真白さん、どこいるんだろうね……」
思わず、そんな言葉が溢れてしまった。タルト・タタンの甘さと相まって泣きたくもなってくる。
私は真白さんの一面しか見ていなかったのだろう。常連客と店員として何度も顔を合わせていたはずなのに、深いところでは全く関われていなかった。心の距離があったんだろう。
それは元夫との結婚での失敗でも言える事だった。良い奥様になる事にこだわったり、結局素直になれないところがあった。どこか仮面を被りながら、相手と接していたと思う。
「そうねー。でも、案外ひょこり帰ってくるかもよ?」
「そうかなー」
圭子さんはこんな時も楽観的で、タルト・タタンをバクバク食べていた。
「そういえば真白さんって、コロナのせいで近所の人から嫌がらせ受けてカフェ辞めたって言ってたね」
「知らなかったよ」
だいたいその予想はついていたが、真白さんの口から直に聞いたわけでない。圭子さんの方が真白さんの事を知ってるじゃないか。つくづく、自分が相手とソーシャルディスタンスをとりすぎていたと実感する。
「うん。カフェで常連客のおばあちゃんがいたらしいんだけど、後でコロナで死んだって聞いたらしい。もうカフェはやりたくないって言ってた。フードトラックの方が自由に出来ていいんだって」
「そっか」
「今も常連客のおばあちゃんの事を思い出すと、悪夢見るんですって。意外と繊細な人ね」
そんな事も知らなかった。圭子さんは知っているのに。思わず下を向いてしまう。
「私、失敗した気がする。真白さんの事は、何にも知らなかった気がするよ」
「そんな事ないんじゃない? 男性は、ほら、プライド高いから、そんな正直になんでも話せるわけじゃないよ」
男の人の気持ちはわからないが、圭子さんにうっかり本心を話したくなる気持ちは、なんとなくわかる気がした。見た目は気が強そうだが、意外と面倒見はよさそう。
「大人になると、男も女も無駄にプライド高くなるからね。失敗できなくなるのよ。まあ、失敗してもいいんじゃない? このタルト・タタンみたいに美味しいケーキに生まれ変わるかもしれないよ」
圭子さんの励ましに、私は本当に涙が出そうになり、口の中を噛んだ。
「そう、もう余計なプライドは捨てちゃいなよ」
圭子さんの言うとおりだと思う。タルト・タタンを食べながら、少しだけ希望が出てきたように感じた。
今は、真白さんを失いたくない。それだけだ。
人々に聞き込んだり、アンチと接触したり、ストーカーみたいだけど、もう人のどう思われてもいいかも。心の城壁みたいにあったプライドのヒビが入り始めていたが、もうそれはどうでも良かった。
圭子さんの家を後にすると、元カノ・康恵さんのSNSを探した。モデルもやっているという事もあり、すぐに見つかった。
ダイレクトメッセージで、真白さんの事で会いたいと書いて送った。
以前の私だったら、変なプライドが邪魔してこんな事はできなかっただろう。
恥ずかしくもある。
でも、本当の意味で失敗なんてないのかもしれない。肝心なのは、失敗を活かす事だ。失敗した事も活かす事ができたら、それは成功と言えるのではないだろうか。
タルト・タタンの軽やかな味を思い出しながら、真白さんに会いたくて仕方なかった。