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第40話 天から降ったマナ

 私は、再び里帆先生の講座に出席していた。前回と同じく、隣町のカルチャーセンターで行われた講座だ。窪田さんの件も新しい企画も結果待ち状態だったし、ここはもう少し勉強したい気分だった。


 やっぱり小説家の志望者は多いらしく、カルチャーセンターの教室内は、人で埋まっている。中にはお爺さんや主婦らしき人の姿も見える。今はネット投稿サイトを使えば、誰でも気軽にに小説を投稿できるる。また、コロナの影響で家でできる趣味も人気だそうで、小説家志望者は増えているようだった。


「雪乃先生じゃないですか」


 隣の席には、同業者の知り合いがいた。何年か前に同じレーベルで書いていた伊藤和希先生だった。まだ30代前半だったが、医療ミステリで人気の作家だった。本業は内科医だったので、美人女医の小説としても売り出されていた。実際、和希先生はハーフのような顔立ちの美人だった。小説も面白いし、本業も立派なものだ。


「こんにちは、和希先生。講座なんて出るんですね」

「ええ。私は、教える事にも興味があるからね。もう出版業界なんて斜陽じゃんない? 他にビジネスもやってもいいかと思ったりしてるの」


 どうも和希先生は、別の目的でこの講座に出ているようだった。バリッとスーツを着込み、明らかに「できる女性」だ。一方、私はシャツとカーディガン、ジーンズというラフな格好で参加している。思わず気後れしてしまう。


 隣にこんな完璧な人がいると、どうしても自分と比較してしまった。


 もちろん、今の自分の状況だって恵まれてはいるが、医者のように安泰な仕事が本職ではない。もちろん、医療ミステリなんかも書けないし、新しいビジネスなんかも思いつかない。自分はものを書く事しかできない。


 本当は、安定的な資格でもとって作家業をするのが正しいんだろうが、私はその正しさに違和感はある。それだけではなく、メディアがいう「正しさ」は、どれも違和感があった。痩せてる方がいい、お金を持っている方がいい、結婚している方がいい……。確かにそれも正しいんだろうけれど、それが全てとは思えなかったりもした。


 そんな事を考えているうちに、里帆先生の講座が始まった。厳しいく、甘い事を言わない里帆先生の講座を聞きながら、自分は色々な「正しさ」から溢れてしまっているような気がする。


 講座が終わっても、なんだか気分が上がらず、しばらくカルチャーセンターの一階にあるロビーで缶コーヒーを飲んでいた。缶コーヒーは、ドロドロに甘く、飲んでいると口の中までベトベトになってきた。


 今日の講座は、多様性という話もあった。同性愛者や性的な問題を抱えている人の価値観などもさらっと触れられていた。言論の自由はあれど、今後はこういった人々に配慮された表現をするよう厳しくなっていくだろうという話だった。


「多様性か……」


 性的なマイノリティの人はこうして社会が動いているが、金がない人、不健康な人、結婚してい無い人、家族がいない人、容姿が悪い人などは、相変わらず切り捨てられている社会にも感じる。


「ああ、世知辛い……」


 この問題を深く考えると、鬱にでもなりそうだった。日本は自殺者が多いらしいが、その理由もなんとなくわかってしまった。


 無性に真白さんのフードトラックに行きたくなってしまった。お菓子はもちろん、あの無邪気な笑顔を見たくなってしまった。


 今日もこのカルチャーセンターのそばの公園で営業していついるはずだった。缶コーヒーの缶をゴミ箱に入れると、さっそくフードトラックに向かった。


 もうお昼の時間も過ぎていたので、フードトラックの前は他に客はいなかった。ふんわりとしたチョコやキャラメルの甘い香りに、ちょっと癒される。


「雪乃さん、こんにちは。今日は、ちょっと元気ないね?」


 カウンター越しであったが、真白さんは私の変化にすぐ気づいたようだった。


「うん。小説の講座に出たんだけどね。色々考えちゃって」


 和希さんの事や多様性な価値観について、思わず愚痴っていた。甘い香りの、私の心もゆるっと解けているのかもしれない。


「そっかー。じゃあ、そんな雪乃さんに試作品の試食をして貰おうかな」

「試作品?」


 その話を聞いて、私の目はキラッとしていたと思う。さっきまでは重い気持ちだったのに、現金なものだ。こうして甘いものがある限りは、重く深刻にはならない気もして、ちょっと気も抜けてきた。


 真白さんは紙皿に乗った薄焼きクッキーのようなものを見せた。ハチミツがかかり、きらきらと光に反射していた。


 パンケーキの薄焼きクッキーバージョン? 


 見た事もないお菓子だった。


「これは、マナっていうお菓子を自分なりに再現してみた」

「マナ?」

「旧約聖書に出てくる天から降った奇跡の食べ物。出エジプト記ってところで、荒野をさまようイスラエルの民に神様が降らせた不思議な食べ物で、想像して作ってみたんだよ」

「へー。天から食べものが降るなんて……」


 真白さんによると、旧約聖書の中では薄い霜のよう、鱗のようで見た目は白かったと書いてあるそうだ。味は、蜜の煎餅みたいともあり、それでこの見た目になったらしい。


 私はこのマナを食べてみた。もちろん、これは天から降った奇跡の食べ物ではないが、甘くて優しい味だった。今の自分の状況を本当に慰められているみたいだった。


「このマナの不思議なところは、欲張って多く取ったら腐ったらしいよ」

「え、天からのものなのに?」

「天からのものだからこそだろうね。きっと神様は、仲間と一緒に分け合う大切さや明日の心配はするなって言いたいんだと思うよ。雪乃さんも、大丈夫だよ。神様が雪乃さんに才能を与えていたとすれば、明日のご飯の心配はしなくていいよ」

「神様からの才能なのかなー」

「それしか出来ないんだったら、そうだよ。何も恥じる事じゃないよ。僕だってお菓子作る事しかできない」


 そう言われると、他に資格をとったり、女医である和希さんにコンプレックスを持つ必要は全く無い気がした。心がホッとし、灯りはともったようだった。


「ありがとう、真白さん。元気になってきたよ」

「だったら嬉しいよ」


 真白さんは、穏やかに笑っていた。やっぱり、私は真白さんが好きみたいで、止める事はできそうになかった。


 ただ、少しづつ何かが変化していきそうな気がしていた。


「何、これ……」


 その夜、真白さんのフードトラックのSNSを見たら、大量に悪口が書かれていた。


『不味い』

『店員がキモい』

『コロナをまいている』


 どれも同一人物のコメントで、放っておいたら収まると思ったが、毎日書き込まれていた。


 真白さんは、このアンチコメントに一切反応していなかったが、嫌な予感がした。


 だんだんと外の風も冷たくなってきた。冬の足音は、大きくなってきたようだ。


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