第39話 におわせティラミス
10月中旬に入った。里帆先生経由で知り合った編集者に企画を出していたが、まだ結果は出なかった。窪田さんからは新しいレーベルを作るとは聞いていたが、その件についての進展はなかった。
その他のライターの仕事がひと段落つくと、再び里帆先生の講座に出席していた。今回はオンライン講座ではなく、隣町にあるカルチャーセンターでの講座だった。文化の秋という事でカルチャーセンターでは、ギター、英会話、お菓子作りなど他の講座も賑わっていた。お菓子作りの講座では真白さんが講師だったら、行ってみたくもなった。
再び里帆先生から頼まれての出席だったが、やっぱりベーシックな事を一からおしえてもらうと為になった。特に私は人物描写がうまくはないので、熱心に聞いていた。
まだまだ小説の方の仕事は、順調とは言いがたいが、里帆先生の講座では収穫があり、出席してよかったと思う。
「雪乃さーん、前にあなたが言っていたフードトラックに行ってみたいんだけど」
講座が終わると、里帆先生は真白さんのフードトラックに行ってみたいという。確かちょっと前に真白さんの事は話した事があったが。それにSNSによると、今日はこのカルチャーセンターのそばにある公園で営業していると書いてあった。運動公園や童話公園と比べると小さな公園だが、タイミングがいい。
という事で里帆先生と二人で公園に向かった。ちょうどお昼時という事もあり、主婦や子供連れだけでばく近所の営業マンや制服を着たOLらしき人も並んでいた。私達は列の最後尾につく。小さな公園だから客は少ないと思っていたが、最近はSNSの影響もあり、客が増えていると言っていた。
「講座でも言ったけど、小説一本で食っていける人は少ないのよねぇ。雪乃さんも、万が一の時に他に資格でもとってもいいかもね」
里帆先生は、現実的で講座でも甘い事は全く言わなかった。特に今の出版不況については、聞いていると胃が痛くもなった。
「まあ、今更国家資格とかは難しいかなー」
「そんな事ないわよ。作家やりながら、宅建や司法書士とった人もいるし」
「里帆先生、それはレアケースだよ……」
「そうかなー」
保険として他に資格などをとる事も考えた事はあるが、どうもうまくいかなかった。やっぱり自分はものを書く事しかできないのかと思うと、ちょっと憂鬱になってくる。
そんな事を話していると、列がすすみカウンターにる真白さんに会う。
「今日はお友達と一緒? うれしいな!」
はにかむように笑う真白さんに、心はきゅんとしてしまったが、顔には出さずにに注文した。今日はベーグルの野菜サンドを注文した。
「このメニューにあるチーズのベーグルは売り切れ?」
里帆先生は店の前にある黒板状の看板を指差しながら言う。
「ごめんなさい。チーズベーグルは、人気で売れ切れちゃったんだ」
「そっかー。だったら、この胡麻ベーグル、野菜とチーズ挟んだものを一つ。あと、コーヒーください」
「ありがとうございます! 雪乃さんもお友達も連れてきて嬉しいよ」
今日は、客が多く混んでいるので、真白さんとは話せないようだったが、仕方ない。私達は、さっそく公園のベンチにこしかけ、ベーグルやコーヒーを味わった。
まさに秋晴れといった雰囲気の空で、公園で食べるベーグルもコーヒーもおいしかった。なぜか屋外で食べるご飯って美味しい。里帆先生は仕事の後という事もあり、すっかりリラックスしているようだった。
「このベーグル、美味しいわ。SNSに載せておこー」
里帆先生は写真をとり、SNSに絶賛コメントをアップしていた。里帆先生のSNSは意外とフォロワーが多いので、ちょっとした宣伝になるかもしれない。
「帰りになんかお土産買って帰ろうかな」
「そうだね、里帆先生。あのフードトラックはむちゃくちゃ美味しんです!」
「珍しく熱心ね……。あの店員さんと知り合い?」
「いつも通っていて、顔見知りになっちゃったの」
「それだけ胃袋を掴まれって事ね」
ハートも掴まれましたが。まあ、その事は里帆先生には言わなくて身いいだろう。
1時を過ぎ、会社員やOL達は職場に戻ったのか、フードトラックの前には他に客はいなかった。
「さっきは、ほんとにごめんなさい。チーズベーグルがなぜかここでは人気でさ」
「いえいえ、気にしてないですよ。というかベーグル美味しかったです」
里帆先生が笑顔を見せると、真白さんはホッとした表情を見せていた。こんな事を気にしていたのは、やっぱり真白さんの性格は繊細そうだった。
「雪乃さんのお友達だし、お詫びに一つ何か奢るよ」
「えー、いいんですか? 私は気にしてないですよ」
里帆先生は慌てて断っていたが、甘い香りに負けたらしい。チョコレートマフィンをもらっていた。
「雪乃さんには、ティラミス・ラテを奢ってあげるよ」
「え、いいですよ」
思わず恐縮して断ったが、このティラミス・ラテは砂糖を材料に使っていないのに、なぜか甘い糖質オフメニューの一つだった。もともとは普通のティラミスとして売っていたが、片手で食べ歩きたいというリクエストが多かったらしく、今のような形になった。新入りメニューながら、かなり人気の一品らしい。
「いいよ、いいよ。いつも来てくれるお礼だよ!」
そんな笑顔で言われたら、断れない。結局、私はティラミス・ラテを受け取った。なぜか里帆先生は微妙な表情を浮かべていたのが、気になったが。
「ところで、なんでこのティラミスって砂糖使ってないのに甘いの?」
「それは、秘密だよ」
とびっきり甘い声でいうものだから、私はこれ以上追求できなかった。
こうして手品のように甘いティラミス・ラテを片手に、里帆先生と一緒に公園をでて、しばらく駅に向かうために市道を歩いた。
「雪乃さん、あの店員さんと付き合ってるの?」
「何言ってるんですかー、里帆先生。付き合ってないですよ」
もう夏は終わったとはいえ、私の顔は真っ赤になっていたと思う。
「ティラミスって『私を元気づけて』って意味でしょ。本番のイタリアでは、男性が女性を誘うとき、ティラミスをあげる事もあるらしいよ」
「いやいや、ここは日本だし」
そういえば、前にも一度ティラミスを貰った事があったが、それは励まして貰っただけだ。そんな深い意味があるとは思えないのだが。
「そうかなー。なんか雪乃さんには、甘い声だった気がするんだけど」
「お菓子作ってるから、声まで砂糖漬けになってるだけだよ」
「雪乃さん、それは謎理論だよ……」
里帆先生は苦笑していた。
しかし、そんな事を言われると、期待してしまうではないか。脈は無いとどこかで諦めていたが。
ティラミス・ラテを一口飲む。
砂糖が入っていないのが信じられなほど、甘く感じてしまった。




