第38話 大人のキャラメル
10月に入り、私は食欲の秋を楽しんでいた。
真白さんのフードトラックのお菓子はもちろん、最近は炊き込みご飯にハマっていた。野菜や肉をたっぷり入れれば、それだけで食事にもまる。おにぎりにすれば片手で食べながら仕事もできるので、コスパもいい。また、やっぱり秋なので食欲がすすむ。
小説の仕事については、なぜか窪田さんから連絡がきた。レーベルが潰れてしまったので、しばらく連絡がないと思っていたので意外だった。
「実は新しいレーベルを作ってるんです。私もちょっと関わっていてね」
新しいレーベルを作る噂は、里帆先生を通して聞いていたが。
「もしかしたら、先生にも書いて貰うかもしれない」
「え、本当ですか?」
「まあ、この前はぬか喜びさせちゃったしねぇ。でも、本決まりではないですよ」
そうはいってもこの知らせは、嬉しく、思わず安堵してしまった。まだまだ小説の仕事はギリギリの状態だったが、遠くの方に光が見えてきた。里帆先生経由で知り合った編集者にも企画を出している。一時期のどん詰まりしている時より、だいぶ希望が持てる状態だった。
一方、恋の方は何の進展もない。相変わらず常連客とフードトラックの店員という関係を続けていた。元夫の事については、自分の中で整理できてすっかり忘れていたのが、小さな一歩と言えるが、真白さんとの関係は何の進展もない。自分から告白すべきが悩むが、いい大人がこんな浮ついていると思うと恥ずかしい。自分の経験の無さも恨みたくなる。
その上、美容院に髪を切りに行った時、雑誌を見たが、康恵さんが読者モデルとして登場していた。
しっかりとポーズをとり、堂々としたスタイルを見せていた。綺麗な艶々とした黒髪も綺麗だった。思わず美容師に、こんな風にして下さいと言ってみたが、私の髪質では再現できないと言われて落ち込んだ。
そんな些細な事でも、一日中思い出してしまう。かと思えば、真白さんから炊き込もご飯のレシピを教えて貰うと、一日中楽しかったりする。
女心と秋の空。
そんな言葉もあるが、今の私に心は揺れやすかった。やっぱり恋をすると、自分の弱さを改めて思い知ってしまう。ちっとも自分は正しいとも思えず、元夫の事もすっかり許せてしまっていた。女性の心は上書き保存というが、元夫との心の傷は新たな恋で、上書きされてしまっているようだった。
そんな秋の日の土曜日、姪っ子のメグミが突然遊びにきた。しかも顔はとても暗かった。
やんわりと事情を聞く事にした。おそらく母親には黙って来ているだろうし、警察官のように問い詰めたりするのは良くないだろう。自分も子供の頃は、よく家出したくなっていたし大人になるにつれて、親に言えない事も増えていった。
「メグミ、どうしたの?」
リビングにクッキーと紅茶をだし、聞いてみる。このクッキーは、真白さんのフードトラックで買ったチョコとアーモンドの食べ応えのあるものだ。糖質オフのスイーツもそれが、しれで魅力的だが、たまにはこんあギルティなお菓子もいい。それに今は食欲の秋だしと、心の中で言い訳を述べる。
メグミは、最初は口をつぐんでいた。このクッキーを食べ始めてから、だんだんと口が軽くなってきたらしい。ポツポツと事情を話し始めた。
運動会で、貧血を起こしたメグミは、クラス委員の藤澤くんに背負ってもらって助けて貰ったらしい。藤澤くんは、どちらかといえばガリ勉タイプで地味な男子だったが、その優しさにすっかり惚れてしまったらしい。
「藤澤くんってめっちゃ優しいのー。しかもメガネ外すとイケメンなのー!」
「それは、ギャップ萌えするね……」
メグミの恋バナもついつい同意していた。たぶん、自分も真白さんの事が好きで他人の恋も応援したい気持ちもあったのだろう。
「告白しないの?」
自分の事はすっかり棚のあげて聞く。
「そんあぁ。できないよ、恥ずかしくて。もう、どうしよう。悩むって感じー」
顔を真っ赤にして語るメグミは、案外可愛らしかった。その上、藤澤くんに好かれるよう勉強やお手伝いもしっかり頑張っているという。母親への反抗期もすっかりやめているらしい。
「偉いじゃない、メグミ」
「そんな事ないよ、恋の力だし」
キラキラと語るメグミを見ていたら、自分が恥ずかしくもなってきた。一喜一憂して心を弱らせている自分の事を思い出すと、小学生以下ではないか。
「うーん、でもおばさんは感動したよ」
「だったら、何か奢ってくれない?」
「ちゃっかりしてるわねー」
「このクッキーおいしい。あのフードトラックのでしょ? 今はどこに出てるの?」
「ちょっと、待って。SNSで調べてみるよ」
私はさっそく真白さんのSNSを見てみた。今日は駅前ロータリーで、秋らしい栗や芋のお菓子を売っているらしい。キャラメルのクッキーやパンケーキも美味しそうだった。
「わー、キャラメルクッキー美味しそう!」
メグミが騒ぎ、二人で駅前ロータリーにやってきた。
「真白さん、こんにちは。今日は姪っ子のメグミを連れてきたわ」
「こんにちは!」
いつなくメグミは、きちんと挨拶していた。これも恋の威力だろうか。
「メグミちゃん、雪乃さんもこんにちは。あれ?メグミちゃん、ちょっと顔つきが大人になった?」
鋭い真白さんは、そんな事を言い当てていた。
「うん! 私は今は絶賛片思い中なの。ちょっと大人にならなきゃね?」
大人ぶっているメグミに真白さんは大笑いしていた。つくづくマスクで顔が隠れている事を残念に思うが、笑声を聞いているだけで、私もつられて笑いたくなってくる。
「そんま大人のメグミちゃんには、キャラメルクッキーがおススメだよ」
「キャラメルクッキー?」
メグミはそう言って背伸びし、カウンターにいる真白さんに視線を合わせる。
「うん。日本にキャラメルが入ってきた時は、タバコの代用品として売られていたらしいよ。大人用のお菓子だったんだ」
「へー」
私とメグミは、知らなかった情報に関心していた。
「おめでとう、メグミちゃん。大人味のキャラメルを食べて素敵なレディになってね」
そんな事を言われたメグミは、顔を真っ赤にさせていた。
「でも、両思いになれるかわからない」
メグミは、口をとがらせる。
「恋をしただけでも、素晴らしい事だよ。経験値も上がるしね」
「そっかー。そういう考えもあるね」
真白さんから大人のアドバイスを貰ったメグミは、笑顔で頷いていた。
こうしてキャラメル味のクッキーを買い、メグミと二人で食べた。
大人の味かはわからない。濃厚な甘みとクッキーのサクサク感がマッチし、いくらでも食べられそうだった。
「メグミちゃん、頑張ってね!」
最後に真白さんに励ましの言葉を貰ったメグミは、笑顔で頷いていた。
私もグズグズ悩んでいるのが、馬鹿馬鹿しくなって来た。
この素敵な真白さんを好きになれた事。もう、それだけで十分なのかもしれない。元夫の事もすっかり忘れていたし。
私の心も、青い空のようにスッキリ澄み渡っていた。