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おいしい時間〜小さなお菓子の物語〜  作者: 地野千塩


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第37話 ゆるしのマドレーヌ

 10月に入った。気候は少しづつ涼しくなり、今は年で一番過ごしやすい時期だとも思う。この時期はご飯もおいしく、まさに食欲の秋だ。真白さんのフードトラックは、近所の公園やスーパーに出店している事もあり、最近は毎日のように通っていた。


 あの運動公園の日から、糖質オフのお菓子もよく売るようになり、お菓子を食べる罪悪感は薄れていた。


 とくにフラップ・ジャックは癖になる美味しさで、仕事の忙しい時にはまとめて購入したくなった。


 今は、小説講座の里帆先生からの紹介でとある編集者と連絡をとる事になった。中小の出版社のレーベルで、ベテランの編集者だった。ありがたい事に企画も出して良いという。レーベルでは、主婦をターゲットにした小説が重点的に欲しいそうで、そんな企画を練る事にした。どうもキャラの濃い圭子さんをモデルに何か書きたくなり、せっせと企画を作っていた。以前、書いていたレーベも潰れて、どうしようかと思ったが、とりあえず命拾いしている状態だった。綱渡りのような小説の仕事だったが、希望は出てきた。


 そんな折、再び元夫からメールが届いているのに気づいた。前もメールが届いていたが、内容はどうって事ないので無視していた。すっかり元夫の事は忘れていたが、どうしても会いたいとある。文面も以前と違って切羽詰まっているように見えた。


 しかも電話もかかってきたので、逃げられない状況だった。


「実はすごい困った事があってさ」


 久々に聴き元夫の声は、以前より情けなく聞こえた。


「お金なら無いわよ」


 私はピシャリと釘を刺した。元夫は美容師だったが、服やアクサリーなど自分を着飾るものには湯水のようにお金を使っていた。今思えば、それは浮気相手を釣る為だった気もする。


「いや、金はいいんだけどさ……」

「だったら何?」

「困っててさ。お袋には、超怒られてさ。どうしようって困ってるんだよなー」


 この元夫に会うには、明らかにトラブルに巻き込まれそうだったが、今作っている企画では、不倫された妻を主人公にしていた。元夫の事はネタになりそうだった。起きそうな面倒事と企画のネタを天秤にかけたら、後者の方が優ってしまった。


「会ってくれるの?」

「いいけど、私も忙しいから長くは話せないわよ」

「オッケー! 車で迎えに来る! やったぞ!」

「そんな大袈裟にしないでいいから」


 なぜかノリノリの元夫をとめ、結局駅前にあるファミレスで会う事にした。元夫と会うのにオシャレなカフェとかは使いたくなかった。


 ファミレスは、平日のランチの時間帯だったのでそこそこ混んでいた。落ち着きはないが、静かで人のいない場所では、元夫とは会いたくない。これが終わったら、駅前ロータリーに出ていた真白さんのフードトラックに行こう。久々に元夫と会ったわけだが、思った以上にテンションは落ちていた。


 元夫は相変わらずチャラチャラと着飾っていたが、以前と比べて太っていた。若い頃はそこそこイケメンだったが、今は年齢に勝てないようだった。思わず真白さんが作っている糖質オフのスイーツを勧めたくなったが、余計なお世話かもしれない。


 しかもファミレスのピザやパスタを文句つけながら食べていた。真白さんなら決してしない行為だろう。そう思うと、私の頭は冷えてきた。もう元夫も歳をとり、外見では誤魔化せなくなっている。大きな目も昔はイケメンに見えたが、今は幼いおじさんに見えてしまった。まあ、これも後で企画のネタにしようと頭の中にメモをした。


「ところで、今日は何の用? 何に困ってるの?」


 元夫は、イタズラがバレた子供のような顔をすていた。浮気がバレた時と全く同じ態度でため息が出てしまう。昔と1ミリも成長していないようだった。


「実はさ、付き合ってる女が妊娠しちゃってさ……。でも、俺は結婚したくないし、一度失敗しているからさー。あー、どうしよう」

「一度失敗しているって何? これも私のせいって事?」


 呆れて何も言いたくなくなってくる。元夫からこんな事を聞かされたわけだが、不思議な事の全くショックは受けていなかった。むしろ、頭はどんどん責めてくる。遠回しに私のせいにされている事もため息が出てくる。


「いやいや、そうじゃないんだけどさ。あー、どうしよう」

「責任とったら? 好き放題やって、責任は取りたく無いっておかしいよ」

「そうだけどさー。あー、このピザまずいわ。雪乃が食べて?」


 元夫について色々悩んでいた事が馬鹿馬鹿しくなってきた。この様子では、結婚生活をしていた時の浮気について全く反省していないだろう。まして謝る雰囲気もない。


「帰る。大人なんだから、自分で何とかしようよ。っていうか、私は関係無いよね?」

「そ、そうだけどさー。あ、これ雪乃にあげる」

「は?」


 元夫は、紙袋を私に押し付けた。


「中にマドレーヌ入ってる。あげる」

「何で?」

「いや、なんとなく」


 要領を得ないが、紙袋はデパートにある洋菓子店のものだった。特にマドレーヌが美味しいとSNSでも評判だった。何で突然マドレーヌかは不明だったが、とりあえず受けとっておく事にした。


 なんとなくモヤモヤとした気分を抱えながら、ファミレスをでて駅前ロータリーに直行した。真白さんのフードトラックを見たら、心底ホッとしてしまった。元夫のあまりもの不誠実さや情けなさに、ちょっと会っているだけで疲れてしまった。


「真白さん、こんにちは! 今日はチョコドーナツとフラップ・ジャックの大袋くれる?」


 甘い香りを感じ、真白さんの笑顔を見ていると、さらに安堵してしまう。


「オッケー。っていうか雪乃さん、なんかあった?」

「実はさー」


 他に客がいない事をいい事に元夫の愚痴をこぼしてしまった。


「自分の浮気については、全く反省している様子もないし。っていうか元夫からマドレーヌ貰ったんだけど、どういう意味か全くわからない」

「マドレーヌか……」


 真白さんは、しばらく考えてマドレーヌの起源をいくつか教えてくれた。


「まあ、諸説色々あるけど、僕はマグダラのマリア説も有力だと思う」

「マグダラのマリア?」

「聖書にでてくる女性の名前だね。彼女を祭られている教会はマドレーヌ教会と言われてたから、ここから取られたという説がある」

「へぇ。ママグダラのマリアってどんな人なの?」


 聖母マリアは知ってるが、このマグダラのマリアは知らなかった。


「カトリック教会では、罪深い人とされていたみたい。売春していたとも言われている。でもイエス・キリストはそんな女性も赦してたんだよね。元夫さんも、マドレーヌ送ったって事は、雪乃さんに本当は許されたかったんじゃない?」

「そうかなぁ。あの元夫がそんな周りくどい事をするかわからない。しかも頭悪いから、お菓子の起源なんて知らないと思うよ」

「ははは」


 真白さんは、何がおかしいのかここで声を出して笑っていた。


「でも、本当の気持ちがわからないよ。そう解釈しておけば、雪乃さんの気持ちも平安でしょ?」


 そうかもしれない。私に許して欲しくてマドレーヌを贈ってきたと解釈しておいた方がいいかもしれない。実際は、気まぐれだと思うが。


 こうして家に帰り、真白さのドーナツを楽しんだあと、マドレーヌを食べてみた。正直、真白さんのドーナツの後では、あまり美味しく感じない。


 私はまだまだ夫を許せる境地には至らない。神様みたいに夫の事を許すのは無理だろう。ただ、あんまり美味しく感じないマドレーヌを食べながら、自分だって悪い所もあったと思い始めていた。結局、どっちもどっちだったのかもしれない。自分が絶対正しいと思っているから苦しくなってくるのだろう。


 そう思うと、元夫の事はスッキリと全部忘れられそうだった。全部は許せないけれど、自分もそんなに正しい人間ではない。


 もう元夫と会う事はないだろうが、今日の事は企画のネタにしよう。元夫婦とはいえ、もう別々の道を歩いている。もう二度とその道が交わる事は無いだろう。


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