第35話 日本のコーヒーゼリー
帆先生と再会した一件から、小説のオンライン講座を申し込んだ。今日も午前10時からその第一回の講義だった。
里帆先生の授業はわかりやすく、あっという間に講座の時間が終了した。
男性向けの作品と女性向けの作品では、主人公が抱えている問題や課題が全く違うらしい。男性向けは、社会的地位や名誉、お金の問題。女性はそれと逆に愛情など内面的な問題を主人公が持ちやすいという事だった。
自分の作品は、ほとんどが女性向けで主人公が抱えている問題は、愛情や家族の内面の事ばかりだった。今までは気づかなかったが、無意識にそういった問題を扱っていた。
逆に男性的な問題を作中に入れる事により、話は広がりやすいかもしれない。また、主人公が男性でも女性的な問題を扱う事によって、新しい作品になるかもしれない。
小説の仕事で行き詰まっていた私は、里帆先生に講座はとても役に立っているようだった。あの時、真白さんの顔が浮かんで断らないで良かったと思う。
講座の最後では、宿題も出た。それは「自分の得意な事や強みを見つけよう」というテーマだった。好きな映画や漫画作品を選び、自作との共通点を見つけ、それを強みにしていこうというものだった。結局は、自分の好きな事は書く上でも強みになりやすいらしい。詳しい分析は次の講座の日のする予定なので、予めこの宿題をする事になった。
「自分の強みかー」
私は、自分の好きな映画や漫画を書き出し、自作との共通点をメモ帳に書き出してみたが、イマイチしっくり来ない。
自分では、「日常生活での愛情を細やかに描く」のが強みではないかと当たりをつけたが、これが得意な作家はいっぱいいる。わざわざ自分が書く必要はあるだろうか。新たに自分の強みを開発した方が良いんだろうか。小説の仕事がうまくいっていないのと相まって、悩み始めてしまった。
時計を見ると、もう12時過ぎだった。お腹も減る。
そういえば真白さんは、今日近所の公園で営業しているとSNSに書いてあった。
真白さんへの気持ちもあるので、下心が全く無いわけではないが、冷蔵庫を見るとろくなものは入っていない。SNSを見ると今日はベーグルも出ているらしい。ベーグルの画像を見ていると、お腹が情けない音を上げていた。
身支度を整えると、近所の公園に向かった。本当はもっとしっかりメイクした方が良いんじゃないかと思ったが、案外鋭い真白さんには何か悟られそうなので、いつも通りの格好で向かった。9月中旬に入ったとはいえ、まだまだ残暑中だった。薄手のブラウスとスラックスという格好でも、まだちょっと暑かった。
「こんにちは! わー、ベーグルおいしそう!」
公園の噴水のある広場で、真白さんはいつものように営業していた。カウンターの上には、プレーンベーグルだけでばくチョコ、チーズ、ほうれん草やにんじんのベーグルもあった。これだったら昼食にちょうどいい。
「雪乃さん、いらっしゃい。今日はベーグル祭りだよ。どれにする? ベーグルは材料に脂肪分を使ってないからヘルシーだよ。2個食べても大丈夫!」
そんな誘惑というか営業トークをされて心が揺れる。
「デザートをつけてもいいね。今日はコーヒーゼリーがオススメだよ!」
「コーヒーゼリー?」
そう聞くと、ちょっと地味な印象もある。何しろ見た目は真っ黒なゼリー。食感は楽しいが、濃厚なチョコケーキや色鮮やかなマカロンと比べると地味な印象だ。それにスーパーのチルドコーナーでも安く売っているので、希少価値も低い。あの安っぽいコーヒーフレッシュをかけて食べるのも、スイーツというより駄菓子のような食べ物に見えてしまう。味のある昭和レトロな喫茶店のコーヒーゼリーは、市販のものとは全く違うだろうが。
「うん。うちで出してる特別な豆のコーヒーで作ってるからね。隠れた自信作。たっぷりホイップクリームかけて召し上がれ」
本当に真白さんは誘惑しているように見えた。コーヒーゼリーは地味といってもカロリーも控えめだったはずだ。この誘惑には、のっても良い気がした。
「実はコーヒーゼリーって日本生まれなんだよ」
「え? 嘘!」
てっきりパンケーキやケーキのように海外で生まれたものだと思い込んでうた。
「大正時代に作られたらしい。この当時の人達は、海外からやってくる西洋文化をどう日本に咀嚼していくかっていうのが課題だったんだろうね。あんぱんも日本生まれだけど、とても外国の人には生み出せないよね」
「確かに」
「コーヒーゼリーは、海外では日本のように売ってないみたいだよ。アメリカやイタリアの友達に、スーパーで売ってるコーヒーゼリーを見せるとけっこう驚かれる。あっちでは、メジャーじゃないらしい」
そう思うと、ありふれたように見えているコーヒーゼリーもちょとレアに思えてきた。
自分の小説の強みも、自分でウンウン唸って悩んでいても答えが出ないのかもしれない。それは里帆先生に聞いてみてもいいのかもしれない。今まで無駄に悩んでいた事が馬鹿馬鹿しくなってきた。
「じゃ、今日はチーズベーグルにハムと野菜入りで。あとコーヒーゼリーもお願いします」
「オッケー!」
真白さんはニコニコとした笑顔を見せた。マスクで口元は隠れているちはいえ、この笑顔はちょっと心臓に悪い。
今日はお腹も減っているので、店の前にあるテーブルのついて食べる事にした。まだ、残暑は厳しいが、公園の木々はちょっと前ほど色鮮やかな緑色では無い気もしてきた。さすがにまだ紅葉はしていないが、暑さの盛りは終わったようだ。
ベーグルも美味しく、コーヒーゼリーもあっという間完食してしまった。久々で外で食べる昼ごはんは、心も少し外向きになっていた。小説の仕事はまだまだトンネルの中だが、コーヒーゼリーの控えめな甘さを思い出すと、気分は明るくなってきた。
「雪乃さん、ちょっと元気出た?」
「私、元気ない風に見えた?」
「そうでもないけど、ちょっと悩んでそうな気がした」
最後に真白さんにそう言われた。やっぱり真白さんは、人の気持ちに敏感なタイプのようだ。繊細というのも頷ける。
とりあえず、変にオシャレをしないで良かった。繊細な彼だったら、私の気持ちなどすぐ見抜いてしまいそうだ。