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おいしい時間〜小さなお菓子の物語〜  作者: 地野千塩


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第34話 パンの耳ラスク

 9月に入り一週間以上が過ぎた。まだまだ残暑は続いていて、姪っ子のメグミからは「運動会の練習がだるい」というメールをもらった。確かにもうそんな時期だ。私は運動は全くできなかったので、運動会で活躍するクラスメイトはヒーローに見えたものだ。


 私の生活は相変わらずだった。ライターの仕事は順調だったが、小説の方はからっきしだった。新作は窪田さんには評判は良かったが、書籍化は遠そうだった。ネット投稿サイトでの新人賞もあまり期待できない。それでも窪田さんには企画は出して良いと言われている。まだまだトンネルの中にいるようだが、真白さんからはティラミスを作ってもらって励まされたし、手探りでも前に進むしかないようだった。


 そんな折、元同業者から連絡があった。瀬川里帆という名前の元作家で、今は作家の卵向けに創作講座や書籍出版をしていた。世の中は作家志望は大量にいるので、それだけでも生活できるらしい。もっとも里帆先生は教え方も上手く、指摘も的確なので指導者の才能があるのだろう。


 歳は私と同じ歳で、バツイチ。色々と共通点もあり、時々連絡を取り合っていた。


「雪乃さん、新作をネットで読んだわー。いいじゃない。久しぶりに雪乃さんに会いたくなちちゃったわー」


 そんな事を言われると、私も里帆先生に久々に会いたくなってきた。


「私もよ。時間あったら、会わない?」

「オッケー。どこで会う? お茶したいよねー。雪乃さんの家の近くって何かあったっけ?」


 そうは言ってもうちの近所には、オシャレなカフェはない。結局、里帆先生の家の近所のカフェで会う事になった。


 里帆先生は隣の県に住んでいてちょっと遠いが、電車を使えば40分ぐらいでつく。最近は小説の仕事も行き詰まっているし、気分転換で外出するも良さそうだ。


 駅で里帆先生と待ち合わせて、お目当てのカフェに向かった。私の住んでいる町と違い、里帆先生が住む街は商業施設が豊富で賑やかだ。


 カフェは駅から数分でついた。英国風のカフェで、スコーンや紅茶が美味しいらしい。


 隣にも似たようなカフェがあったが、里帆先生は「あっちは行かない方がいいよ」という。


「何で?」

「あっちのカフェは、コロナでクラスターが出たらしい。別に私はワクチン打ってるからいいけど、あんまり行きたくないなー」

「そっかー」


 飲食店でこんな噂がたつのは致命傷だろう。実際、あちらのカフェは全く客がいないよいだった。なぜか罪悪感のようなものも感じたが、私たちは英国風のこのカフェの入店した。


 ちょうどお昼の入ったので、広々とした店内は女性客で賑わっていた。


 スコーンやサンドイッチ、紅茶を注文し、しばらく里帆先生と世間話をしていた。


「雪乃さんは、最近どう?」

「うーん。小説の仕事の方は色々大変ね。ぬか喜びみたいな事がいっぱいあって」

「そっかー。大変ね」


 ちょうどそこの紅茶のポットやスコーン、サンドイッチが届けられた。テーブルの上は一気に華やぎ、甘い香りで満たされる。


「わー、めっちゃ美味しいわ」


 里帆先生は、スコーンの味に感動していたが、私は別にそれほどでもなかった。どちらと言えば真白さんの作ったスコーンの方がサックリしていて甘いような……。別にこのスコーンが悪いわけではない。普通に美味しい。たぶん、私はよっぽど真白さんの作るお菓子に胃袋を掴まれてしまったのだろう。


「まあ、小説の仕事は難しいわ。私も書いていたレーベルが潰れたし、一年ぐらい無収入でやり過ごしていたからねー」


 当時も苦労を思い出すように、里帆先生は苦々しい顔をしていた。


「出版業界はぬるま湯じゃないからね。おかげで、私のような講師が食えるってわけ。もう、無収入の時のような節約ご飯は食べたくない。あー、このサンドイッチも本当に美味しい」

「そうね、里帆先生」


 里帆先生が書いていた作品は、十分面白かった。でもそれだけでは食っていけない事を、実家してしまい、私もだんだん胃が痛くなってきた。


「ところで雪乃さん、オンラインの小説講座に興味ない? プロでも一から基礎を学び直す感じで」


 里帆先生は、カバンからチラシを取り出して私に見せた。初回は無料だが、次回からはいい値段の小説講座だった。


 里帆先生が私をお茶に誘った理由が、何となくわかってしまった。小説講座の営業も兼ねていたのだろう。そう思うと、紅茶もサンドイッチもスコーンも一気に不味くなってきた。


「あ、これは別に営業じゃないから。ここのお茶代も私の奢りだから」


 里帆先生はとってつけたように言い訳をしていたので、私も無理矢理笑顔を作った。


「いや、別に営業でもいいのよ。女性が一人で生きていくのは大変だから」


 主語を大きくして、何も気にしていない風を装った。


「そうよねー。もう豆苗や豆腐、それにパンの耳は食べたくない」

「里帆先生、そんな節約ご飯食べたの?」

「うん。パンの耳は、近所のパン屋からタダで貰ったんだけど、そのまま食べても不味くてね」


 里帆先生の苦労話を聞かされると、やっぱりちょっと同情してしまう。小説講座は割高だが、一番短めの3回短期コースを受講してもいい気がしてきた。我ながらお人好しだと思うが、真白さんだったらこんな時、一番高い講座を申し込む気がした。私はそこまでは出来ないけど、困った時はお互い様ではないか。里帆先生も私の本は定価で買ってくれていたっけ。


「わー、講座申し込んでくれるの? ありがとう! さっそく会員登録しちゃいましょう」


 里帆先生のホッとした笑顔を見ながら、これで良い気がした。そういえば人の為にお金を使うと、脳内に快楽物質が出るらしい。何だかちょっと明るい気持ちになってきた。


 こうして里帆先生と別れ、最寄りの駅に帰った。駅前ロータリーでは、ミントグリーンのフードトラックが見えた。真白さんは今日はここで営業しているようだ。


 メニューは秋らしくなっており、栗や芋のマフィンやクッキーが売られていた。


「雪乃さん、どうしたの? 今日は機嫌が良さそうだね」

「うん、実はさ」


 私は真白さんに里帆先生の事を話していた。


「そっか。それは良いお金の使い方だと思うよ。僕だったら一番高い講座を選ぶかな」


 やっぱり。


 真白さんと似たような行動をとれたと思うと、これで良かったのかもしれないと思い始めた。


「ところでパンの耳って、そんなにまずいの?」


 ちょっと気になっている事を聞いてみた。


「そんな事はないよ。そのまま食べたら固くてまずいけど、バターで炒めて砂糖ふればラスクになるよ。色々アレンジもできて、ガーリック味やキャラメル味にしても美味しいからね。っていうか、パンの耳あまってるけど、もらってく?」


 真白さんは袋いっぱいのパンの耳を見せた。


「詳しいパンの耳のアレンジレシピ教えてくれる?」

「オッケー。すぐ書いちゃうよ」


 こうして私は大量のパンの耳と、真白さんの手書きのレシピを貰った。はじめて見る真白さんの手書きの文字は、几帳面で綺麗だった。やっぱり繊細な性格というのは、本当らしい。


 こいしてレシピに書いてある通りに、パンの耳でラスクを作ってみた。意外と出来あがりは貧乏くさくない。


「出来立ては美味しいじゃん」


 パンの耳のラスクは、意外とそんなに不味くはなかった。砂糖のジャリジャリとした食感やバターの香りも楽しい。


 ただ、貧乏状態の時にこれを作ったら、少し寂しい気持ちになりそうだった。


 自分の小説の仕事はどうなるんだろう。まだまだトンネルの中みたいだ。


 それでも諦めたくはなかった。


 真白さんは、私も作品が書籍化したらお祝いのケーキを焼いてくれると言っていた。


 やっぱりそのケーキが食べたくなってしまった。

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