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第33話 夏のスノウ

 康恵さんに会ってしまった日から、私の心はモヤモヤしていた。あれから一度も真白さんのフードトラックに行っていない。いつの間にか8月の最終日になっていた。夏休みの宿題が終わっていない子供は大変だろうが、メグミからは「7月中に宿題終わらせた!」というメッセージをもらっていた。


 真白さんへの気持ちを自覚できたもはいいが、康恵さんの登場で本当にそれで良いのか気持ちが揺れていた。


 康恵さんは、真白さんの事を面倒くさい性格とか、繊細って言ってたっけ。今のところ、真白さんの性格はそんな風には見えず、複雑な気分だった。


 仕事部屋には、あのガレットデロワに入っていた天使の置物がある。可愛いらしい天使だったが、それを見ていると、気分は明るくなれない。


 別に真白さんに元カノがいても、何なら結婚していたとしても不思議ではないが、私の知らない一面がまだまだ有りそうだった。


 仕事部屋のパソコンで、インターネットをひらく。思わず、真白さんや康恵さんの名前で検索したくなったが、寸前のところでやめた。


 こんな事してたら、ストーカーだ。何か知りたい事があれば本人に聞けばいい。


 急いでインターネットを閉じた時、電話がかかってきた。編集者の窪田さんからだった。


「新作最後まで見ましたよ。うん、ちょっとレーベルの編集長のこの事を相談しようと思うんです」

「え? どういう事?」


 窪田さんの周りくどい言い方に、じれったい気持ちになる。


「まあ、編集会議に先生の作品を推しておきます。改稿した後の文章はいいですから。で、もしかしたら書籍化出来るかもしれません」

「本当ですか?」


 思わず、はしゃいだ声が出てしまう。


「まあ、通るかはわかりませんが。あと、新しい企画も待ってます」

「わかりました。これで、小説の仕事の方も何とかトンネルを抜け出せたみたい」

「それは良かったですよ」


 この知らせは本当に嬉しかった。新作をネットに投稿していたが、ランキングの上位にはいかず、章の受賞も厳しいところだった。小説家になるのも大変だが、それを維持する方が遥かに難しい。筆を折った同業者の事を思うと、まだまだ命は繋がっているようだ。書籍化出来るかはわからないが、希望を持ってもいいだろう。


 こうしてホッとすると、お腹も減ってきた。今の時間は昼すぎだったが、真白さんのフードトラックに行きたくなった。康恵さんの顔も頭に浮かんでが、それとこれとは別。


 SNSで出店時間や場所を調べると、今日はこの町のスーパーの駐車場で営業すているらしい。夏休みももうすぐ終わり、お祭りやイベントなどの出店も減っていくという話だった。


 私はさっそく身支度を整え、日焼け止めも塗った。まだまだ残暑も厳しいし、日差しも強い。蝉もまだまだ元気よくないている。本当に夏が終わるのかは疑問に思うほどだった。私が子供の頃は、もっと夏は短かった気がするが、温暖化のせいか伸びているような気がした。


 スーパーの駐車場のすみにミントグリーンのフードトラックが見えた。久々にフードトラックに行くので、ちょっとワクワクしているのは事実だった。


 店の前に置いてある黒板状の看板を見ると、糖質オフの新メニューもいくつかできているらしい。圭子さんからは、真白さんと一緒にレシピ開発をしていると聞いていたが、本当だったらしい。しかし、カウンターに置いてあるチョコたっぷりのドーナツや濃厚なキャラメルがかけられているマフィンの方が惹かれてしまう。今日は、ハイカロリーで罪深いお菓子が食べたい気分だった。甘い香りを吸い込むと、理性や冷静さが乱されるような気がする。


「雪乃さん、久しぶり! 最近どうしたの? また夏バテしてない? 来なかったから心配していたんだよ」


 真白さんに心配してくれた事は嬉しくなったが、同時に康恵さんの顔が頭に浮かんだ。何か彼女の事を言いかけてしまいそうになるが、下唇を噛み、我慢した。


「うん? 本当、雪乃さんどうしたの?」


 真白さんは、首を傾けながら私の表情をまじまじと見ていた。どうやら私の気持ちを読んでいるようだ。康恵さんは「人の気持ちも読めたりする」と言っていたのは、本当のようだった。そうなると繊細であるのも本当だろう。面倒くさい性格と言ってたのは、よくわからないが。


「いえ、別に何でもないの。仕事がちょっと忙しかっただけ。本決まりじゃないけど、書籍化出来る可能性が出てきた」

「本当? おめでとう!」


 真白さんは自分の事のように喜んでいた。しかも、試作品を一つくれるという。


「そんな、いいよ。まだ決まったわけじゃないし」

「いやいや、前もって祝おうよ。それに本当に書籍化したら、お祝いのケーキ焼いてあげよう」


 嬉しいが、単なる客と店員の割には距離が近いような……。まあ、真白さんは誰にでもそんな態度を取りそうだが。


「僕は自分の作ったものを美味しく食べてくれるのが一番嬉しいよ。元カノはさー、モデルの仕事はじめたから『こんな高カロリーのものもってくんな』って言われた事もあったね……」

「え、ひどい」


 これはおそらく康恵さんの事だろう。彼女はとても美人だったので、モデルをしているというのも頷ける。それにしても、恋人が作った菓子をそんな風に拒絶するのはびっくりだ。あのガレットデロワも、私が胃袋に収めて良かったのかもしれない。


「あはは、なんかこんなプラベートの話しちゃったよ」

「そうねー。っていうか私こそ、仕事の話とかしちゃうね」


 他に客が並んでいないのをいい事に、こんな風に雑談して笑い合ってしまった。


「これが試作品。食べてみて」

「これ? 雪みたい」


 真白さんがカウンターに差し出したのは、スノウというアイスだった。メレンゲと果実のピュレで作ったアイスらしく、見た目は本物の雪のよう。


 真白さんにスプーンをかり、試食してみた。


「雪みたいなアイスね。それに普通のアイスよりも軽いね。いくらでも食べられそうよ」

「でしょ? これ、実は圭子さんに聞いて作ったんだよ。牛乳も使ってないし、砂糖も控えめだから、一応糖質オフスイーツ」

「糖質オフには見えないよー。立派なデザート!」


 ダイエット中にこのアイスを食べれば、メンタル的にも良さそうだった。


「でも、卵白の扱いもあるから、商品化出来るかは微妙なんだよなー」

「えー、もったいない」

「まあ、特別なメニューにするかな。夏の雪って事で、あり得ない隠しメニュー」


 そんな事を言われてしまうと、もっとよく味わっておけば良かったと思ってしまう。


「まあ、雪乃さんだけ特別」


 いつになく、真白さんの甘い言葉を聞いて私の頬は赤くなっていたはずだ。それを指摘されので「まだまだ暑いね!」とわざとらしく言うしかなかった。ドキドキして心臓に悪い。


 その後、窪田さんから連絡があり、新作に書籍化は難しいという事だった。


 ぬか喜びだったみたいだ。やっぱり書籍化は夏の雪のように、あり得ない話みたいだった。


 しれでも別に、落ち込んではいなかった。真白さんにこの事を報告すると、ティラミスを作ってくれた。


 ティラミスは「私を元気づけて」という意味のお菓子らしい。そんな話をきくと、食べていたら元気が出てきた。


 仕事が上手くいかない事など、今までに何度もあた。こういう事もあるだろう。


 また、新しい企画や新作を作ればいいのだ。前向きな気持ちになりながら、再び仕事に取り掛かった。


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