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おいしい時間〜小さなお菓子の物語〜  作者: 地野千塩


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第32話 約束のクルフィ

 8月も中旬に入り、夏の暑さもウンザリしてきた。夏バテは解消したが、この時期は妙にだるくてやる気が出なかったりしていた。


 小説の仕事の方は、新作を改稿しネットでアップし直していた。なんとかネット投稿サイトの新人賞の締め切りには間に合ったものの、相変わらずランキング上位にいく感じではなかった。


 ただ、編集者の窪田さんからは連絡があり、なかなか好評だった。


「文章を今っぽくした方が、読みやすくていいですね。キャラも生き生きしてきた気がしますよ」

「ありがとうございます。これは、書籍化出来る感じですかね?」


 私は遠回りの会話が嫌いなので、単刀直入に聞いてみた。


「いやぁ。いやいやどうでしょう。私は個人的に良いと思っただけです。うん、私個人の感想では、好みです」


 遠回しにぼやかされた。これは、あまり期待しないで置いた方がいいだろう。


「でも。最近先生は機嫌良くないですか? 失礼ですが、離婚したばかりの頃は沈んでいたじゃないですか」

「そう?」

「ええ。何か最近いい事ありました?」


 そう言われたらあと、なぜか頭の中に真白さんの顔が浮かんだ。いや、別に胃袋を掴まれただけで、真白さん本人がその原因じゃないから。なぜか頭の中にいる真白さんを必死に、追い出していた。


「別に何も無いですよ」

「本当ですか? 彼氏でもできたんだと思いましたよ」

「いないですよ、彼氏だなんて」


 窪田さんの言葉に、なぜか顔が赤くなり、ドキドキして来てしまう。


 電話を切ったら、ちょっとホッとしてしまうぐらいだった。


「あ、忘れててた!」


 コーヒーでも飲んで、少し頭を冷やそうとキッチンに行くと、真白さんに借りた保冷バックとポットを返すのを忘れている事に気づいた。


 確か7月の終わりに夏バテした時に受け取ったものだった。


「返さないと!」


 私はさっそく真白さんのSNSを調べて、営業時間と場所のインフォメーションを見てみたい。今日は夕方から夜にかけて、隣町のスーパーマーケットで出店しているようだった。


 すぐ返しに行こうと思ったが、その前のSNS経由で保冷バックとポットを返し忘れている事を誤った。


 すぐ返事はきて、全く気にしていないと言うのでホッとした。しかも今、特別なスイーツを試作したから、食べにこない?と誘われた。断る理由はない。さっそく日焼け止めをぬり、髪の毛をまとめて帽子をかぶると隣町のスーパーのでかけた。


 スーパーでは、ご当地B級グルメフェアとして駐車場に屋台やフードトラックが出店していた。まだ夏休み中なので、子供達や家族連れで賑わっていた。


 隣町にあるスーパーは、比較的大きなチェーン店のためか敷地も広い。ちょっとしたお祭りのような雰囲気だった。


「真白さーん! これ返すの忘れてた」


 私はすぐに真白さんのフードトラックに直行し、保冷バッグとポットを返した。


「いやいや、気にしてないからさ」

「でも、返さないと気分が悪いから。今日はきのこのドーナツがいい匂いね。これくれる?」


 カウンターのは、揚げたてドーナツが並べてあり、冷静さや理性が溶けて消えそうだった。


 さっそくドーナツを包んでもらい、代金を支払う。


「あと、これは雪乃さんの為の特別に作ったスイーツだよ」

「え?」

「春のお祭りのとき、また作ってあげるって約束したものだよ」


 真白さんが手渡してくれたのは、優しい月みたいな色の某つきアイスだった。春のお祭りの時、食べたくクルフィというアイスだと思い出す。そういえば、あの時また作ってくれると約束したような……。


「ありがとう!」


 ちょっと感動してしまう。約束を覚えていてくれた事がうれしい。あの時のアイスと形はちょっと違っていたけれど、型が特別なもので入手しにくいって言っていたっけ。その事も思いだすと、余計に嬉しくなる。


 アイスはこの暑さですぐに溶けそうだったので、スーパーの駐車場にある木陰のベンチに座り、クルフィを味わった。


 さっぱりとした優しい味だったが、こんな経緯で食べるアイスは、今まで一番美味しく感じてしまう。


 そういえば男性に約束を守ってもらった事は、はじめてな気がする。元夫は、二度と浮気をしない口で言いながら、一回もその言葉を守る事はなかった。


 そう思うと、自分に気持ちは自覚するしかない。クルフィを食べ終わり、口の中の甘い余韻に浸りながら、真白さんの顔ばっかり浮かんでしまう。もう、彼の事が好きだと自覚した方がいい気がした。


 窪田さんが言っていた事は、全部当たっていたようで、顔がちょっと赤くなってきてしまう。


「ちょっと、隣に座っていいですか?」


 そこへ、若い女性が隣に座った。浴衣姿で、透き通るような白い肌の美女だった。


「それ、まーくんが作ったドーナツ?」


 美女は、私の膝にある袋に入ったドーナツを指差した。


「え? まーくんって、真白さんの知り合い?」

「うん!」


 美女は、ニコニコ笑顔で頷いた。


「最近、まーくんの店によく来るよね。たまに姿を見てたよ」

「え、えぇ……」


 ふと、この美女の名前が思い浮かんだ。あのガレットデロワのメッセージカードに書いてあった名前だ。1月の事ですっかり忘れていたが、この人物はあのカードの「康恵」?


「うん。私は榊原康恵っていうの。まーくんの元カノね」


 やっぱりそうだったみたいだ。自分の気持ちを自覚した直後に、元カノの会う不運さを嘆きたくなってきた。しかもこんな美女だなんて。


 あのガレットデロワも彼女の為に作ったものだろう。なぜ康恵さんに渡せなかったのか、理由はわからないが。


「まーくんって意外と面倒臭い性格なのよ。いわゆる繊細さんってやつで、人の気持ちも読めたりするのよね。味覚も超敏感で、私がコンビニの惣菜を手作りしたって渡したら、怒られたわー」

「へ、へー」


 こんな話聞きたくなかったが、好奇心の方が優ってしまう。


「すっごい心はガラスのハートだしね。まーくんの彼女になる人は大変だね。一応、忠告しておいた」


 そう言って康恵さんは、お辞儀して去っていった。


 元カノから、宣戦布告?


 久しぶりに恋だったけど、さっそく釘を刺されたようだ。


 とりあえず膝の上にあるドーナツをちぎって食べた。モヤモヤとした気持ちだったが、真白さんのドーナツは相変わらず美味しかった。


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