第3話 ガレット・デ・ロワ
正月休みはあっという間過ぎ去った。
ワーカーホリック気味の私だったが、思い切って正月を休んでみる事にした。スケジュールを冷静に見れば、意外と余裕があった。
やっぱり働き詰めでいたのは、離婚の傷のためだったときづいた。また完璧主義に陥り、細部まで妙にこだわりすぎていた。
細部までこだわるのは悪くないが、100%完璧にはできない。所詮人が作ったものだ。ある程度出来たなと思ったところで手を引くのも必要な事かと思いはじめた。また、できない部分は素直にできないと言い、頼るのも悪く無いと思いはじめた。
正月休みといってもどこか出かけるのではなく、家で過ごしてだけだが、普段見られない映画や漫画などを楽しみ、普段の疲れも癒されてきた。
あのフードトラックの事も気になった。再び食べに行きたいと思い検索してみたが、ネットには情報が一切出てこない。店名も珍しかった、フードトラック自体が珍しくデザインだったから、何らかの口コミが載っているかと思ったが、全く出てこない。もちろん公式ホームページや店の人のSNSの発信などもなかった。
思わず首を傾げる。
あの時のレシートは確かにあるので、幻ではなかったと思いたいが。
一応私は、フリーライターや作家としてSNSを使っているので、そこで何か情報がないか書き込んでみた。
すると、どうやらこの田舎の地元の人からコメントが届いていた。この田舎にあるスーパーの駐車場で販売しているのを見た事があるという情報だった。しかも昨日の事だという。情報を送ってくれた人は、ドーナツやコーヒーが美味しかったとある。
もしかしたら今日も営業している可能性はあるだろうか。
休み明けで仕事を再開しているところだが、今のところは急ぎのものも無い。それに作家業の編集者からは、新しい企画を出すようにと言われていた。何か作品のネタになるかもしれないという動機もある。
行っても何もない可能性があるが、私はあの情報通りにこの土地のスーパーに行ってみる事にした。
スーパーは、この土地で一番栄えている中心部にある。駅前のロータリーから徒歩数分といったところだろうか。私の家からは少し歩くが、食糧はだいたいここで買い物している。もっとも仕事が忙しくなると、ネットスーパーで買い物し、食生活もチョコレートバーばっかりになるわけだが。
昼間のスーパーの駐車場は、長閑な雰囲気だった。老人や子供連れの客の姿は、どこからどう見ても平和だった。
「あ、あった!」
駐車場のすみっこで、あのミントグリーンのフードトラックを見つけた。
あの時と同じように看板やのぼりも出ていたが、イスやテーブルは出ていなかった。これはスペースの問題のようだった。
黒板状の看板を見ると、今日はドーナツ祭りらしい。色んな種類があるようで、スーパーの客達が購入し食べ歩きしているのも見えた。子供はドーナツを食べながらニコニコ笑顔だ。
そういえばドーナツは片手で食べられる。冷凍保存して仕事中にドーナツをちまちま食べるのが好きだ。なんせ執筆中はの糖分の消費スピードが上がるので、甘いものが欠かせない。
列に並び、ドーナツを箱買いする事にした。
「あれ? お客さん、前に公園で合わなかった?」
店員は、私の事を覚えていた。
「あのハラールってパン美味しかったです」
「今日はハラール無いんだよね。今日はドーナツ祭り!」
「全種類箱につめてくれます?」
「え!? 全部!?」
「ええ。仕事中にお腹空くのよ」
全種類ドーナツを購入する私に店員はどん引きしていたが、すぐ笑顔になっていた。やっぱりマスクをしているのは残念に思えてしまった。まあ、これは仕方がない事で、私もしているけれど。
「いっぱい買ってくれたから、お客さんにはおまけしちゃおうかな」
「おまけ?」
おまけと聞いて私の目はキラっとしていた事だろう。
「うん。実は予約していたお客さんがキャンセルしちゃってさ」
「え、予約なんてできるの?」
「いやいや、特別なお客さんなんだよ」
そう話す店員は、ちょっと表情が曇っていた。予約が出来た事は驚きだが、それよりおまけが気になる。ドーナツのあがる甘い香りに私の理性は乱されていたと思う。
という事で買ったドーナツとおまけのケーキを抱えて帰った。
おまけといえどケーキはちゃんと大きな箱に入ってあり、私が貰ってしまっていいんだろうかtl戸惑うぐらいだったが、嬉しい事は嬉しい。
さっそく家に帰ると、紅茶を入れておまけのケーキを食べる事にした。
なぜか自分で買ったドーナツよりもおまけのケーキの方が楽しみだった。こんな風に降ってわいた偶然というシチュエーションがより、特別感を演出しているような気がする。
リビングも軽く掃除し、テーブルの上に紅茶をセットしたら、おまけのケーキも袋から出した。
「な、なにこれ?」
ケーキの箱には、メッセージカードがついていた。特別な予約ケーキというのは、あの店員さんが個人的に誰かにあげようとしたケーキだろか。
メッセージカードは、ロフトで売っていそうな可愛らしいデザインのものだった。
見ても良いのか戸惑うが、好奇心に勝てなかった。どうせフードトラックの店員さんなど、二度と会えない人だとうとも思っていたし、何か仕事のネタになるような気もしていた。
結果、見てちょっと後悔した。
『康絵へ。
正月に特別な王様ケーキを焼いたよ。
康絵も神様とともにおられますように。真白』
メッセージカードには、そう買いてあった。
おそら真白というのが店員さんだ。康絵というのが真白さんの大切な人だろう。なぜこのケーキを渡せなかってのは謎だが、個人的な超プライベートなメッセージカードを見てしまい、自分ってなんて事をしてしまったんだろうと思う。
しかもケーキは、ホール状の大きなパイケーキだった。こんな大きなものとは思わず、余計に居た堪れない。
だからといってこのままケーキを捨ててしまうのももっと良くない。ナイフでケーキをきりわけて食べる事にした。
「ああ、美味しい」
プライベートのものを見てしまった割には、食べているとすっかりおいしさに負けてしまう。アーモンドクリームとサクサクのパイ生地が、とてもマッチして二切れ目にいく。
すると、フィークにカチリと何かが当たった。中には、天使のマスコットがあった。陶器でできていて、頭には冠をかぶっている。
そういえば、こんなアタリのあるケーキがある事を思いだす。確かガレット・デ・ロワというケーキで、ケーキの中にマスコットのアタリが入っている。
仕事でケーキの記事を書いた時に使った本をあさり、読む。確かにこのケーキがガレットワデロワといい、キリスト教の祝日である公現祭のお祝いのものだ。
このアタリが出たものは、一年中ラッキーだとか。
もしかしたら、このケーキはあの店員さん「真白さん」が「康絵」さんと一緒に食べたかったものなのかもしれない。一人で食べる量でもない。
そう考えると、ちょっと切なくなってきた。美味しいケーキなのに、このケーキを渡せなかったなんて。
とりあえず私の胃袋に入った事は、良い事かもしれない。
一日中ではとても食べきれないけれど、この美味しさだったらペロリだ。
この天使のマスコットはどうしよう?
まあ、あの店員さんに返すのもちょっと違う気がする。優しい表情の天使を見ていたら、私がこのケーキを完食する事が一番の供養になるだろうと思う。
「美味しい」
紅茶と一緒に食べたケーキは、想像以上に美味しく、しばらく夢心地だった。
とりあえずメッセージカードの事は忘れよう。あのフードトラックと店員さんに会った時に考えればいい。
今はこの美味しい時間に浸っていたかった。