第21話 まんまるシナモンロール
6月に入った。
だんだんと空気がジメジメとしてきて、カラッと晴れる日が減ってきた。洗濯物も部屋干ししているが、なかなか鬱陶しい季節になってきた。
そんな季節の雰囲気に引っ張られ、何となく新作の執筆速度も落ちていた。ネットの新人賞の応募締め切りは7月下旬までで、まだ余裕はあるが、小雪は他のライティングの仕事に比べて少々メンタル面が影響受けやすいところがあった。
一旦、新作作りは手を止めて別のライターの仕事を取り掛かっている時だった。家のチャイムがなった。
空は薄い灰のような色の雲に覆われ、何となく気分が重いが、どうせ宅配便だろうと思って出てみると、玄関に見知らぬ女性がいた。
主婦らしき女性だった。30代前半ぐらいだが化粧っけはなく、頬の上のそばかすが印象的だった。今はマスクをしている人が多いので、顔の全体像はわからないが。
「どちら様ですか?」
全く知らない女性なので、そう聞いただけだが、なぜか睨まれた。
「あなたですか? 犯人は?」
「は?」
よくわからないので話を詳しく聞くと、最近このあたりで変質者が出たらしい。子供をもつ女性は、不安になり、私に文句をつけにきたと言う。
「知りませんよ、変質者だなんて」
寝耳に水だ。なぜか犯人扱いされてしまったが、心当たりはある。仕事で家にこもっている事が多いので、引きこもりのニートという噂がたっているからだろう。
「うちの子に何かあったらどうするんですか」
どうやら子供を心配しすぎて、クレームをつけにきたようだ。その気持ちはわかるが、自分は潔白なので、否定する他ない。
「誤解ですよ。私を疑うのなら警察行ってください」
警察という言葉を出すと、女性は再び私を睨んで去っていった。引きこもりではなく、ライター兼作家である事を言おうと思ったが、あの様子では難しいかもしれない。
「なんなのよ、もう」
しかし、変質者扱いされて気分は良くない。というかこのまま引きこもりの噂が立ち続けているのも、まずい気がしてきた。
服装などの外見的なものでも誤解を与えているのかもしれない。
「髪でも切ろうかな」
そう思いついた私は、予約があいている美容院を探した。運良く午後から空いている美容院がみつかった。隣町にある美容院だが、なかなか口コミも良い。
実際、髪の毛を切ってもらったが綺麗にセットもして貰った。
空は曇って鬱陶しいし、近所の女性からは濡れ衣を着せられたが、髪を切って少し気分が晴れてきた。元夫も美容師だったので、美容師の質はピンキリだと知っていたので、良い美容院を見つけられて嬉しい。
おかげで気分が軽くなり、帰りに真白さんのフードトラックに寄ろうと思った。
今日は隣町の駅前ロータリーで営業していてた。昼過ぎの中途半端な時間に行ったせいか、他に客はいなかった。
「こんなにちは。今日は何がおすすめですか?」
「こんにちは。っていうか髪の毛切った? 似合ってる」
それに気づかれて、ちょっとビックリしてしまった。たぶん、営業トークだ。それに真白さんは人たらしっぽい所があるので、ナチュラルに褒め言葉も出るのだろう。まともに受け止めたら、子供みたいで恥ずかしい。
「ありがとう。今日は、カップケーキ、ドーナツ、ベーグルがあるのね。あれ、シナモンロールもある」
カウンターを見てみると、いつもと微妙にラインナップが違う。基本的に焼き菓子とドーナツが多いしようだが、気まぐれでパンや和菓子も出ているようだ。
「シナモンロールは今日のおすすめだよ。まんまるな形で可愛いでしょ?」
真白さんはそう言って機嫌良さそうに笑った。
確かにまんまるで可愛いシナモンロールだった。一般のものより小さめで手のひらサイズ。このサイズだったら、いくつも食べられそう。まんまるなシナモンロールを見ていたら、心が和んでくる。スパイシーな甘い香りも心地よい。表面にはシナモンパウダーがしっかり掛けられている。このシナモンロールが嫌いな人は少ないんじゃ無いだろうか。
「シナモンロールは、もともと北欧のお菓子で潰れた耳とか、ビンタされた耳っていう言葉だったらしい」
「うそ、信じられないわ」
「こういうネーミングするのが北欧っぽいよね。北欧ではシナモンロールは、ポピュラーなお菓子みたいで女性の料理の腕は、シナモンロールを作らせればわかると言われているほど。誰からも好かれるお菓子だから、お土産にもぴったりだね」
「 そっかぁ。今はお土産に持っていく人いないけど、うちで食べたいわ」
シナモンロールは、ちょっと長めにもつようなので、家で食べる用にいくつかシナモンロールを購入した。
箱を受け取ると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
「シナモンロールでちょっと元気出してよ」
「え?」
「ちょちだけイライラしてた? 元気出してね」
確かに家に近所に女性が来てイライラしていた。まさか、そんな気持ちも見破られていたなんて。
「ありがとう」
真白さんの気づいに胸がいっぱいになりながら、家に帰った。
駅から降りて、家まで歩いている時、近所にクソガキに会った。
「引きもりおばさん! 子供部屋おばさん!」
案の定、揶揄われた。おそらく大人がこんな事を話しているのだろう。あの女性の子供かもしれないと思うとイライラしてくるが、私はシナモンロールを一つ子供にあげた。
「毒入りじゃね?」
クソガキは疑っていたが、甘い匂いに負けたのが齧り付いていた。
「これは美味いじゃん!」
真白さんの言う通り、シナモンロールは誰からも好まれやすいお菓子のようだった。クソガキの態度がやわらかくなっていた。
「おばさん、仕事は何やってるの?」
「おばさんって失礼ね。ライターよ。小説も書いてる」
「嘘だ!」
疑うにで、ゲームのノベライズもした事があった事を話す。クソガキも知っているゲームだったみたいで、ころっと態度が変わっていた。
「マジで? 引きもりじゃないじゃん。すげーじゃん」
「そう? シナモンロールもう一個食べる?」
「うん!」
こうしてシナモンロールで、餌付けに成功してしまい、クソガキに懐かれてしまった。
あまり嬉しくはないが、これも真白さんのシナモンロールのお陰だろう。
後日、無事に近所に出没した変質者が逮捕され、私への疑惑も晴れた。
あの近所に女性からは、謝罪の一言は全くなかったが、とりあえずホッとした。
真白さんのフードトラックに、クソガキが通っている姿も見かけるようになった。
ここにも一人、胃袋を掴まれてしまった人間が生まれてしまったようだ。