10話 緊急のフルーツサンド
3月半ばを過ぎると、肌寒い日もあるが春と言って良いだろう。
ちょっと前は風邪をひいたが、今はすこぶる健康で仕事をこなしていた。
そして、ついに真白さんはSNSを開設したようだった。出店のスケジュールも載せるようになり、これで探し回る事はなくなりそうだった。
すっかりあのフードトラックの店名は忘れていたが、「アーク」という意味らしい。方舟という意味があり、どんなお菓子でも好きに食べられる船をイメージしているらしい。やっぱりSNSでは店では知り得ない情報が見られて楽しい。また、SNSから予約も検討中との事で、これはありがたい。仕事の修羅場の前には、大量にドーナツやカップケーキを予約注文して食べるのも良さそうだ。
次の出店場所は、私の家から近所の公園、その次が隣町で行う桜祭りで出店予定らしい。近所の公園はともかく、桜祭りには行きたいものだ。
その為に仕事も前倒しで片付けておこう。
でも、またその前に真白さんのフードトラックに行っておこう。SNSによると、フルーツサンドを出しているようで、映える断面の画像が出ていた。イチゴやバナナ、キウィのフルーツサンドの断面は華やかで可愛らしく、綺麗なマカロンや濃厚なチョコレートケーキにも負けていないと思う。
それを見ていたら、さっきお昼を食べたのに関わらず、もうお腹が減ってきた。それにフルーツサンドは、スーパーやコンビニではサンドイッチの隣に置いてある事が多く、罪悪感を刺激されない食べものだ。カロリーてきには、スイーツコーナーにあるものと同等かそれ以上なのに、サンドイッチの亜種だと思えばスイーツをがっついている罪悪感は軽減される。
そう思うと余計にフルーツサンドが食べたくなってきた。身支度をととのえ、サイフとスマートフォンだけ持って近所の公園に向かった。
はじめて真白さんのフードトラックに出会した公園だ。木々に囲まれ、中央に噴水があるが今日も水は出ていないようだ。真白さんは噴水のある広場のすみで営業していた。ミントグリーンのフードトラックが見えてドキドキしてくる。
いつもの違い、ここはスペースに余裕があるのか、椅子や机も出ていた。この場で食べても良いかもしれないと思った時だった。
スマートフォンに連絡が届いていた。トークアプリに、元義母・翠子さんからの連絡だった。
「雪乃ちゃん、近所に用があったんだけど、あと少しでそっち行っていい?」と……。
さっきまで感じていたワクワク気分が台無しになった。家は仕事場を除いて片付いているが、茶菓子も何も用意していない。
元夫の母である翠子さんは、できた人柄だった。本当にあの息子の親である事が信じられないが、関係は意外と良好だった。離婚直前には、元夫を「敵キャラ」として翠子さんと愚痴大会も開いていた。
そんな翠子さんでも、突然会いに来られると、ちょっと動揺する。とりあえず茶菓子を買うべきだが、翠子さんは揚げ物、あんこ、プリンが嫌いだった。どれも美味しいものだが、子供の頃に食べてお腹を下した記憶があるせいらしい。
「あー、お客さんじゃないですか。慌ててない? どうしたんです?」
「実は……」
私は手短に事情を説明した。うっかりバツイチである事や翠子さんとの関係も話してしまったが、仕方がない。それに茶菓子だったら、真白さんが1番詳しいだろうとも思う。
「そっか。いっそフルーツサンド持っていったら?」
意外と私の事情にツッコミは入れず、深く追求もせず、彼はあっさりと答えを出した。
「フルーツサンドは茶菓子って感じでもないし、良いんですかね? マナー講師とかに怒られそうなチョイスですが……」
「うーん、まあ、僕のフルーツサンドは見ため目も味も最高だよ」
フルーツサンドで良いのか疑問しかないが、そう自信満々に言われると、フルーツサンドでも良い気がした。
「SNSでフルーツサンドの画像にいいね!1000貰ったしね」
「確かにそう言われると……」
「フルーツサンドって日本が開発したらしいよ。大正時代ごろに生まれたみたいだけど、当時はフルーツが高級品。庶民にもフルーツを気軽に楽しんでほしいからって作られたみたい。確かに海外ではあんまり無いスイーツだね。和菓子の一種でしょう」
そう言われると、もう拒否はできない。緊急事態だ。
という事でフルーツサンドを買い、一目散に帰った。客間を軽く掃除し、紅茶を淹れ、皿にフルーツサンドをもり、準備を整えた。
久々に会う翠子さんは、髪を紫色にそめ、元気そうだった。70過ぎにはとても見えない。
「あらぁ、なにこの可愛いフルーツサンド!」
翠子さんはハイテンションで、フルーツサンドの画像を撮っていた。確かにイチゴ、キウイ、バナナと断面は華やかで可愛らしい。やっぱりフルーツサンドを買って正解のようだった。
味もクリームがホワホワで柔らかく、みずみずしいフルーツとよくあっていた。確かにサンドイッチの亜種だと思っていた事に土下座したくなる味わいだった。これは立派なスイーツだ。
「龍一の事は悪かったと思うわ」
翠子さんは元夫の名前を出し、謝っていた。
「そんな、今はもう気にしてませんから」
浮気ばかりしていた元夫だが、許せないのは自分の方だったかもしれない。結局理想の良い奥さんになれなかった事が心の傷になっていた。世の中には不倫されても、許しているできた奥さんがいると言われたら、何も反論できない。
「まあ、正直なところお茶菓子でフルーツサンドはどうかと思うわよ?」
「ですよねー」
「でも、たまにはいいわよ。雪乃さんが慌ててフルーツサンドを買っている姿が目に浮かぶ。フードトラックで買ったんですって?」
慌ててこのフルーツサンドを買った事は、翠子さんにはお見通しのようだった。
なぜか肩の荷がどっと降りたような気分だった。結婚していた時が、いい奥さんでいなきゃと思い込んで、自分を縛っていたのかもしれない。
慌てて買ったフルーツサンドを一口齧る。ふわふわと瑞々しい食感が、楽しい。ほとんど噛まずに食べられて、すとんと腹に落ちる。
緊急のフルーツサンド。
たまには、こういうのも良いかもしれない。