16話。内側に潜む敵
この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
「我々は貴女方の部下ではない。独自の権限を有している。違いますか?」
「えぇ、そうですね」
この日、サパ近郊にある第四師団駐屯地内に造られた指揮所に於いて、大柄な男性が声を荒げていた。
声を荒げているものの一言一句に一定の敬意を払っているのは、自分と相対しているのが昨日までここの最高責任者であった第四師団の師団長伊佐木源心中将……ではなく、昨日ここに到着したばかりの女性にして日本が誇る統括本部長にして皇族である浅香涼子大将であるからだ。
(くそっ! やり辛い!)
女性相手に声を荒げるのもそうだが、やはり相手が皇族というのが問題であった。
声の主である男性の名はグエン・リュウ・イン。ベトナム帝国が認める伯爵家の当主にして、帝国軍が誇る四将軍の一人である。
ベトナム国内では有数の良血である彼も、2000年の歴史を誇る国家の中にあって最も格式の高い血統を有する女性が相手では些か以上に分が悪い。
むしろ皇帝その人でさえ遠慮するような相手を前にして気勢を上げることができていることを評価されるべきかもしれない。
しかし彼が求めているのはそのような評価ではない。
「我々は我々の理念と法によって動きます。貴女たちにそれを掣肘される謂れはありません」
「それも、その通りです」
「ならば問題ありませんな!」
「ベトナム軍がどう動くかには関与しません。ただし我々が同行するかどうかは作戦次第です」
「それは……いえ、道理ですな。では作戦の概要を聞いて頂きましょう」
「是非に」
(なんとしてもこの作戦を成功させねば!)
グエンは焦っていた。このままでは栄えある我らがベトナム帝国が崩壊するのではないかと考えていた。
彼がそう感じるようになった要因は、一つ。ここ最近、政府が軍部に対する扱いを変えてきたことにある。
グエンとて、魔物との戦いに必要な日本製の機体を輸入することに異を唱えるような阿呆ではないし、優先的に機体を輸入するために日本に対して一定の便宜を図る必要があることも理解している。
しかしその便宜が、新たな予算を組むのではなく現状軍の為に確保されている予算を削って日本から来ている遠征軍の維持費に向けられるとなれば話は別だ。
民衆としても国家としても軍に求めるのは魔物を討伐することである。
ただし、それを成すのは必ずしも貴族である必要はない。
遠征軍からすればいい迷惑なのだが、ベトナムに住む民衆や文官からすれば、無駄に着飾り、無駄に搾取し、無駄に威張り、無駄に戦場に出ない人間を蔑むような自国の輩よりも、ただひたすらに黙々と戦ってくれる他国の軍人の方が何倍も付き合いやすいのである。
その評価に我慢できないのが貴族たちだ。
彼らの言い分は概ねこのようなものになる。
自分たちは無駄に着飾っているわけではないし、無駄に税を搾取しているわけではない。
徴収した税はインフラ整備や軍の維持にあてられている。
威張るのだって個人の欲を満たすためではなく、軍という組織の秩序を守るためだ。
戦場に出ない人間を軽視するというが、それは戦場で命を懸けて戦う者たちに敬意を払っているのであって、文官を軽んじているわけではない。
貴族からすれば、当たり前のことを当たり前にやっているだけのことであって、非難される理由はないと考えていた。
事実、彼らは非難されるようなことをしているわけではない。
平和ボケした国であればまだしも、世界中で争いが勃発しているような状況で私腹を肥やせるような者は極々少数しかいない。少なくともベトナム帝国の中で、日本の名門と比べても裕福と言えるような生活を送っているのは皇帝その人くらいである。
ではなぜこのような、殊更に貴族を貶めるような意見が出てくるのか。
その要因は大きく分けて2つある。
まず一つ目は、帝政を崩壊させると同時に、日本とベトナムの関係を破綻させようとする勢力、即ち中華連邦によるプロパガンダである。
共和制を至極の制度とする中華連邦からすれば、帝政とは滅ぶべき邪悪な制度である。また中華連邦は過去にベトナムを併呑するために出兵した過去もあった。この時点で彼らにとってベトナムは彼らの国であった。
というか、漢の時代から今に至るまでベトナムは彼らの国なのだ。
理由は過去に朝貢をしていたから。
朝貢をしていれば属国。属国は自分の国。
中世並みの考えである。
帝政を否定しておきながら帝政時代に培った関係性を押し付けようとする思考回路は理解しがたいものがあるし、それなら一度元に制圧された国は全部モンゴルのものなのでは? と思うかもしれないが、それは違うらしい。
ともかく、中華連邦の上層部にとってベトナムは自分の国であり、皇帝や貴族に支配されているのは不当な状態なのだ。さらに現在中華連邦は、その国土の大半を魔物によって蹂躙されている。
故に、国土の拡張は必要不可欠であった。
そこで目を付けられたのが隣国にして属国のベトナムである。
国境を接しているが故に接触しやすく、市民の教育も満足に行えていないので教化もしやすい。
そうして彼らはあることないことを吹き込んでじわじわと反貴族の空気を拡散していった。
その空気を後押ししたのが、ベトナム国内に貴族不要論が生まれつつある二つ目の理由。即ち日本からきた遠征軍の存在である。
貴族とは戦うからこそ認められる。翻って、今の彼らは戦っているだろうか?
答えは否。どう見ても貴族は戦っていない。なんなら全部日本の遠征軍任せである。
戦っていない者に貴族としての価値はない。それが不要論を唱える者たちの言い分であり、その言い分は一定以上の説得力を有しているため、瞬く間に広がっていった。
もちろんグエンらにも言い分はある。
まずベトナムには魔物と戦うための兵器がない。魔物を撃つための銃弾がない。小型の魔物であれば通常兵器でも対処できるのでそれに関しては問題ないものの、中型以上の魔物との戦闘には専用の兵器が必要となる。それがないのだ。
そしてベトナムにはその兵器を自前で生産できるだけの下地もなかった。
少し前までは輸入したものを分解、解析して国内でも量産できる体制を造ろうとしていた。だがそれでできるのは型落ち品の劣化版だけであった。そんなものの為に大金と資源を消費するくらいなら買った方が早い。
そういった理由から、現在ベトナム国内に於いてオリジナルの機体を製造している企業は、国内の技術保全のためという名目で帝室が抱えている1社しか存在していない。
こうなると必然的に輸入に頼らざるを得ないわけだが、そもそも機体と呼ばれる兵器は輸入元である日本国内の需要すら賄えていないのが現状である。
そのためベトナムでは、年間にして草薙型を5機、八房型も5機。与一型を10機程度しか輸入できていなかった。
しかもそうして得た機体は皇帝直轄軍に優先的に回されてしまうので、貴族に回ってくることは極めて稀である。
事実、伯爵家の当主にして四将軍と謳われるグエンの直属軍に日本製の機体は数体しか存在しない。
その程度の戦力でどう戦えというのか。相手が人間であったり、通常兵器でも討伐することができる小型の魔物しかいないのであればまだしも、中型や大型の魔物と戦えるはずがない。
戦闘の専門家であるが故に、無理に戦闘に参加しても足手まといにしかならないことを自覚できていたからこそ、グエンたちは敢えて戦いに参加していなかったのである。
それが『弱い者としか戦おうとしない』という非難に繋がったのは皮肉、ではなく貴族を追い落とそうとする勢力によるプロパガンダの成果であった。
そうこうして国内の空気が自分たちにとって逆風になりつつあることを悟ったグエンは、ついに軍事行動を取ることを決意した。
(それについては理解もできるんですけどねぇ)
その決意の裏に、中華連邦側から物資の援助や機体の貸与があったことを浅香は知っている。
(中華連邦の狙いはいくつかある。まず軍部に恩を売って私たちとの間に溝を作ることでしょう)
これは今現在叶いつつあるので今更警戒しても無駄だ。
(次いで、自国の兵器の性能調査)
これもそのまま。自分たちで戦わないのは魔族や魔物に目を付けられたくないからだろう。
(それから国内の分断)
まずグエンが武功を上げた場合。
中華連邦とて、貴族であるグエンが武功を上げるのは面白くないだろう。
だがそれを以て皇帝に疑心を植え付けるのであればどうか。
武功を上げた貴族を持ち上げて皇帝との仲を悪化させる。
その後、貴族に皇帝を打倒させて、貴族が新たな皇帝になろうとしたら別の貴族に殺させる。
そうやって国内をグダグダにしたら、何故か中華連邦の支援を受けた活動家が台頭し、共和制の礎を作る。ここまでくれば中華連邦の属国も同然。
仲違いから分裂までは古来中国で行われてきた日常茶飯事。
その後は共産主義者の常套手段である。
グエンが失敗した場合は、ベトナム国内にある貴族不要論が再燃するだけだ。
弱体化させてから革命でも起こさせて、そのあとで併合すればいい。
どちらに転んでも中華連邦に損はない。
(これについてもどうしようもない。私たちにとって重要なのはここからね)
「確かに貴国の軍事行動に口を出す権限はありませんね。それで、グエン閣下はどこまで攻めるつもりですか?」
「むっ」
現在ベトナム国内に大規模な魔物の群れは存在していない。
畢竟、胸を張って凱旋できるような規模の魔物と戦うためには国外に出る必要がある。
問題はここにある。
「グエン殿?」
「……最もうまくいった場合は湖南。理想は長沙市あたりですな。そこまで行けなくとも、相当数の人類を解放することができるでしょう。もちろんそれまでに想定以上の被害を受けた場合は後退します」
浅香が自分に翻意を促すのではなく、あえて『ベトナム軍の動きを掣肘しない』と口にしたことが意外だったのか、一瞬呆けた顔をしたものの再度呼びかけられて再起動したグエンは、正直に元々目標に設定していた地点を指す。
(やはりそうですか)
グエン率いるベトナム軍の最終目標に挙げた長沙は、元々湖南省の省都として栄えた都市にして日中が争った都市だ。
問題はその歴史ではなく長沙市の位置にある。
現在中華連邦が維持しているのは華東地域と華南地域の約半分であり、華西地域に分類される湖南省は完全に魔族の支配地域となっている。
そこを陥落させることが最終目標? できるはずがない。
目標は大きく設定すべしという意気込みからきた発言なら問題はない。
問題はその発言の裏側に中華連邦の意思が見え隠れしているところにある。
どういうことかと言えば。
「維持、できませんよね?」
「……独力ではそうかもしれませんな」
これだ。如何に手柄を立てようとも、制圧した都市を維持できなければ撤退するしかない。
そうなれば遠征に費やされた物資はどうなる?
最初から物資を無駄にするような作戦が通るほど、ベトナム帝国の上層部は呆けていない。
つまりなんとかできる宛があるということだ。
「そもそも遠征に必要な物資はどこから?」
「数か月分はこちらで用意します。不足分は現地で賄います」
「現地で? 魔族が人間のための食糧を余剰に確保しているとでも?」
「むっ」
魔族は支配下にある人間の人権を尊重するような存在ではない。
最低限、それこそ生かさず殺さずの状態で働かせている可能性が高い。
備蓄? そんなのがあると思う方が間違っている。
「むしろ魔族によって囚われていた人たちに食糧を分ける必要があるのでは?」
「それは……」
魔族に囚われていた人類を解放する。
大義名分としては最高のものだ。
しかし、解放した人間をどうするのかという問題に突き当たる。
多ければ100万単位。少なくとも数万人規模の難民だ。
全員ベトナムに連れてくることができるはずもなし。
「……ここです」
それら諸々の問題についてどうするのかを問えば、グエンはやや後ろめたそうにしながらも地図上の中華連邦を指差した。
「なるほど」
グエンが浅香のもとに来る前から、グエンと中華連邦の間では、ベトナム側が機体や物資の融通を受ける代わりに、ベトナム軍が解放した人間や都市を中華連邦に譲り渡すという約定が締結されていた。
これによりベトナム軍は後背を気にせずに進軍できる。それを成したグエンには武功と名声が手に入る。ベトナム帝国には中華連邦に貸しと、交渉によっては金銭や資源を得る。中華連邦は戦わずして土地と労働力を手に入れることができる。
誰も損をしない完璧な計画である。
現実にそんな都合の良い計画が実現する可能性など存在しないということを除けば、だが。
勝てるかどうかは問わない。軍人にそれを言ったところで感情的になるだけだから。
故に浅香は違う方向から意見を通すことにした。
「一つ聞かせてください。被害が出たら退くとのことでしたが、もし長沙まで被害を受けなければどうするのです? 私なら進ませるだけ進ませた後で補給路を断ち、孤立した所を包囲殲滅しますが」
「それはっ!」
所謂焦土作戦である。作戦の性質上当該の土地とそこに住む人に甚大なダメージを与える作戦なので、良識のある為政者であれば忌避すべき戦術だ。
しかしながらそもそも魔族は人間ではないし、なにより彼らは土地に縛られていない。そのため、土地を維持するために作戦を選ぶような真似はしない。
もちろん自分の牧場を破壊されるのは面白くないだろう。だが、それで相手を地獄に引き込めるのであれば、むしろ喜んで捨てるくらいのことはする。それが魔族だ。
事実インパールで牟呂口大将率いる第三師団が地獄に誘引されている。
あの時は焦土作戦ではなく釣り野伏であったが、やることは大して変わらない。
戦略家ではない浅香ですら思いつくのだ。
性格の悪さに定評のある魔族が気付かないはずがない。
「……その可能性に気付かせてくれたことには感謝します。詳細を詰め直しますので、今日のところはこれで失礼しても?」
「えぇ。わかりました。お体にお気を付けください」
「痛み入ります。では」
敬礼して去るグエンに答礼しつつ、浅香は溜息を吐くのを必死で我慢していた。
(駄目でしょうね)
グエンは詳細を詰め直すとは言ったが作戦を撤回するとは言わなかった。
当たり前だ。すでに計画は発動している。自分たちに告げに来たのも、義理を果たしただけのことである。
(あわよくば我々にも戦わせようとしたのだろうけど、ね)
浅香が武功に逸って戦場に出るタイプの将帥ではないことなど一目見ればわかる。
何より他国の皇族を挑発したりすればグエンとてただでは済まない。
そのためグエンは遠征軍を巻き込むことについては早々に諦めていた。
「おや、彼はもう帰りましたか」
約束された敗北を前に鬱屈した感情を持て余していた浅香に、声が掛かる。
「帰ったのを確認したからこそ来たんでしょうに」
「否定はしません」
朝香から恨めし気な視線を向けられたのは、やや小柄で細身ながら剣呑な空気を纏った壮年の男であった。
まるで日本刀を思わせるような雰囲気を醸し出しているこの男こそ、昨日までのこの地の最高責任者こと第四師団長伊佐木源心その人である。
尤も、如何に剣呑な雰囲気を纏っていようが浅香にしたらただの無愛想な後輩なのだが。
「伊佐木君。君、性格悪いって言われない?」
「性格の悪くない指揮官などいませんよ。お行儀のよさが求められる第一師団ではどうだったか知りませんがね」
「……まぁ、そうね」
「そもそも、これは統括本部の案件でしょう?」
「……それもそうなんだけどね」
軍人は政治に絡んではならない。とまでは言わないが、政治的な何やらを忖度する暇があるのであれば、戦場で敵を倒すことに注力することが求められるのは事実である。それが万単位の人材を纏める師団長クラスであればなおのこと政治に目を向けるべきではないという風潮は強い。
故に、伊佐木が言うように政治が絡む案件は本国の軍政家、つまり統括本部長である浅香の仕事となる。
懲罰目的で派遣されたとはいえ、浅香が皇族であり統括本部長であることは変わらない事実なのだから。
(だからと言って全部投げるのはどうかと思うけどね)
ちなみに伊佐木がグエンの相手をしていた場合、グエンに押し切られて現地友軍支援を名目に遠征軍も同行させられていた可能性が極めて高かった。というか同行させられていた。
その場合撤退戦でどれだけの被害が出ることになっていたか、想像するだけで背筋に冷たいものが流れてくる。
「同行はしない。でも支援しないわけにもいかないのよね」
「えぇ。彼らに全滅されたら次は我々ですから」
「……億劫だわ」
「それが仕事でしょう」
「はぁ」
指揮所内をなんとも微妙な空気が満たしていく。
この時点で、軍政家である浅香も戦術家である伊佐木も、グエンが計画している攻勢作戦が成功するとは露とも思っていなかった。
王手飛車取り状態。
ただし高度な柔軟性を以て臨機応変に対応すればワンチャン両方助かるかも……。
閲覧ありがとうございました
↓にある別作品もよろしくお願いします















