17話。文化祭10
時は啓太のヤる気スイッチが入る少し前に遡る。
「……待機、ねぇ」
「そうらしいですねぇ」
このとき『自分たちの試合の最中に魔族が乱入した』などという、予想外も甚だしい事案が発生したせいで思考と動きを封じられたAクラスの面々は、静香から『貴様らはいざというときに備えて控室で待機。ただし機体への搭乗は禁ずる』という、何とも反応に困る命令を受けていた。
「いざというときもなにも、この状況でナニカあったところで私たちにできることなんてないでしょうに」
「ですよねぇ」
現実を正しく把握した上で『自分たちにすることなんてない』と些か以上に斜に構えた言葉を呟いている五十谷翔子に対し、気の抜けた相槌を打つ田口那奈。
「強いていうなら、アイツの戦いを見て勉強しろってところかしら?」
「それはあると思いますよぉ」
軽い。もしここに頭の固い人間がいれば、魔族が現れたにも拘わらず気の抜けた応酬をしている両者を見て『気を抜きすぎだぞ!』と諫めるかもしれないほどに軽い応酬である。
だが、その注意をする人間とて『いざナニカが生じたとしても静香が彼女たちに出動を命じることなどない』という翔子の意見を否定することはできないだろう。
なにせ軍学校には彼女たち以上に戦える人材がいるし、なにより連携訓練もまともに行っていない学生を戦わせるほど軍は耄碌していないのだから。
故に彼女たちに対して静香から出された待機命令は『余計なことをしないで黙って見ていろ』と同義となる。形式上とはいえ予備戦力扱いされている彼女たちに機体への搭乗許可が与えられていないのは、もちろん血気に逸った未熟者が乱入などといった余計なことをしないようにするための処置である。
機体に搭乗していないといざという時に身が護れない?
控室が危険に晒されるような状況で未熟者が大量破壊兵器を操るよりはマシだ。
事実、この状況でどこぞのお坊ちゃんが機体に搭乗していたら、魔族を恐れて我先に逃げようとするか、魔族との戦いに乱入しようとするだろう。そうなれば今頃この控室は阿鼻叫喚の地獄を彷彿させるような状況になっていたはずだ。
そんな絶望の未来を未然に防ぐことに成功しているのだから、彼女らに待機命令を出した静香の判断は正しかったと言えよう。
「それはわかるのよ。でもさぁ」
「不思議ですよねぇ」
そういった諸々の事情を正しく理解していたからこそ、翔子と那奈は現在進行形で魔族と戦っている啓太が映し出されているモニターを見ながら首を捻っていた。
「なんでアイツ、手を抜いてるの?」
「なんででしょう?」
もちろん翔子も那奈も実際に量産型に乗って戦う啓太を見たのはこれが初めてだし、彼女ら自身も魔物や魔族との戦闘など経験したことがないので、静香あたりから『シミュレーターと実戦は違う』と言われれば納得するしかない。
『避けるな!』
『確かにその砲撃は脅威だ! 当たれば俺とてただじゃ済まねぇだろう! だがな、そんな攻撃は鈍重な大型や考えなしの中型にしか通用しねぇ!』
『これならっ』
『機関銃ではなぁ!』
啓太の言動と魔族の言動を見比べれば、啓太はなんとか魔族の攻撃を回避しているようにしか見えないし、その際に出来た隙を突くように行った射撃も魔族によって全ていなされているように見える。
故に、この部分だけ見れば両者の行動に手を抜いている様子はない。
しかし、だ。彼女たちは魔族の能力と思惑は知らずとも、量産型に求められている戦闘方法とそれを操る啓太の性格を知っている。
それに鑑みれば、魔族が棒立ちで会話をしているときにぶち抜かないのはおかしいし、近接戦闘を挑んできた魔族から距離を取り続けようとするのもおかしい。
確かに量産型は中・遠距離攻撃を主体として開発された機体である。当然武装もそれを考慮したものを装備しているのも間違いない。
だが近接戦闘ができないわけではない。
故に攻撃方法が射撃だけというのもありえないし、その射撃でさえも相手が防御できるタイミングでしか放っていないのもおかしい。
機動に至っては明らかに加減しているのが見て取れる。
もちろん啓太が量産型に慣れていないという可能性はある。
だがそれだけでは説明が付かないことが多すぎるのだ。
故に彼女たちが導き出だした結論は『啓太が意図的に手を抜いている』となっていた。しかしながら彼女たちには真剣勝負……ではなく、本当に命を懸けた戦闘に於いて手を抜く理由がわからない。
「魔族を相手に手加減する理由、か。心当たりはある?」
「さて。彼は共生派……ではありませんしねぇ」
「もしそうだとしても、こんなところで妹さんが不利になるようなことはしないでしょ」
「ですよねぇ」
少なくとも彼女らが知る啓太は、迂闊に妹が怪しまれたり虐められたりするような要因を作るような真似はしない人物である。よって、もしも啓太自身が共生派だったり、極東ロシアの共生派になんらかの依頼を受けていたのだとしても、このような衆目が集まる場であからさまに魔族が有利になるようにふるまったりはしない。
むしろ周囲からの信頼を勝ち取るために率先して魔族をぶち抜くくらいのことはするはずだ。
なんとも微妙な信頼ではあるものの、彼女らの想像はなんら間違ってはいない。
もし本当に上記のような状況であれば、啓太は自分たちの生活を護るため、なんの遠慮も呵責もなしに魔族をぶち抜くタイプの人間なのだから。
実際のところは開幕にぶち抜くのは禁じられたからしなかっただけだし、敵に防御や回避をさせるのは敵の性能と性格を確かめるためだし、機動を加減しているのも敵の油断を誘うために力を抑えているだけ。つまり確実に敵を殺す機会を狙っているからなのだが、なんだかんだで常識人である翔子や那奈には『命を懸けた戦闘中にそんなことをする人種がいる』という発想がなかったため、啓太の狙いに気付くことはなかった。
「ただまぁ、余裕があるのはわかったわ」
「そうですねぇ」
「じゃ、私たちは黙って観ていればいい。そういうことよね?」
「ですね。貴重な体験だと思って観ていればよろしいかと」
本気を出すまでもないと考えたのか、ナニカ狙いがあるのかは知らないが、少なくとも啓太には余裕がある。余裕があるままでも魔族と戦えている。つまりは勝てる。
そう確信した翔子と那奈の空気は今まで以上に緩いものとなった。
ただし、そう思えるのは彼女らが啓太の性格や実力の一端を理解しているからだ。
「……そうなのか?」
「私には彼が押されているようにしか見えないんだけどなー」
翔子と那奈が出した結論に疑問を呈してきたのは、いままで彼女たちの横で無言のままモニターを見ていた橋本夏希と綾瀬茉理であった。
――ちなみに男性陣は女性陣とは少し離れたところに設置されているモニターで観戦しているし、試合中に乱入された武藤沙織と藤田一成は、機体に乗ったままハンガーにて待機しているのでこの場にはいない――
(なんか向こうが騒々しいわね。……ま、どうせあのお坊ちゃん気取りが騒いでいるんでしょう。私には関係ないわ)
「そもそも彼は量産型に乗って戦ったことはないのだろう? それであれだけの動きができるというのは驚きだが……」
「逆に言えば、乗り慣れていない機体であれだけ動けている時点で彼が手を抜いているってのはありえないって思うのよ」
夏希も茉理も当然量産型のことは知っている。というか、彼女たちは夏休み中に自分たちの地元で行われた起動テストに参加しているので、量産型の操作性に極めて難があることをしっかりと理解しているのだ。
だからこそ啓太が手を抜いていないと考えているのだが、彼女らと翔子では前提となる情報がまるで違う。
(そういう意味ではこの二人が何を考えていても関係ないんだけど、近くで騒がれるのも面倒だし)
男性陣の方で生じている何やら騒いでいるような気配を無視しつつ、翔子はまだ啓太と対戦を行ったことのない二人に、簡単な解説をしてあげることにした。
「まず、アイツは量産型を動かせるわ。それも、国防軍の誰よりもうまく、ね」
「ですねぇ」
今もって量産型を啓太以上に動かせる人間はいない。つまり現時点で啓太は世界で一番量産型を動かせる機士だ。これは身内びいきでも誇張でもなんでもなく、純然たる事実である。
だが、それが事実だからと言って何が解決するわけでもないわけで。
「それはそうだろう。私だってそのことを疑ってはいないさ」
「……一番上手だった柿崎中尉でさえ二度か三度跳ぶのが精いっぱいだったもんねー。それに比べればああして回避したり、射撃したりできる時点で彼が一番なのはわかるわー」
「だな」
もちろん夏希にも茉理にも国防軍の機士を貶すつもりはない。
単純に事実を事実として受け止めているだけだ。
故に今彼女たちが問題にしているのは、啓太が世界で一番量産型をうまく扱えるかどうかという事実ではない。その啓太が魔族に勝てるかどうかということだ。
(妙に焦っているわね? 一体どうして……って。そうか。すぐそこに魔物どころか魔族がいるんだもんね。そりゃ焦るわ)
翔子とていつかは戦う相手と思ってはいた。しかしながら、それが今このときと思っていたか? と問われれば、答えは当然否である。
にも拘わらずこうして大人しくモニターで観戦できる余裕がある――と言っても、啓太が手を抜いていると確信するまでは翔子も那奈もそれなりに焦っていたが――のは、偏に魔族よりも理不尽な存在を知っているが故のこと。
(それはまぁいいんだけどさ。なんか最近アイツのせいで私まで常識がないって思われている節があるのよね。いい加減おかしいのはアイツであって私じゃないって知ってもらういい機会かも)
自分への評価がアレな感じになっていることを自覚しつつある翔子は、那奈が聞けば「若干どころではないくらいに手遅れですねぇ」と突っ込みを入れそうなことを考えつつ、今も不安そうにモニターを眺めている二人に啓太が魔族に勝てるという根拠――即ち手を抜いていると判断した根拠――を示そうとした。
しかし、その試みは実行されることはなかった。
『なるほど。大体わかった』
それはモニターから聞こえてきた感情を押し殺したような低い声であった。
「……へぇ」
「おや」
『そちらが終わらせるつもりなら丁度いい』
「っ!」
「これは!?」
戦う者であれば、否、そうでなくともわかる明確な違い。
『ナニカに飲まれ、ニンゲンであることを失った元ニンゲンに見せてやろう』
それは戦意を通り越したモノ。
それは純粋な殺意。
「やっと本気ってわけね」
「みたいですねぇ」
『……ニンゲンの狩りを知るがいい』
(明らかに切り替わった! これが本気のアイツ!)
翔子や那奈はもちろんのこと、啓太のことを知らない夏希や茉理も理解した。
これからが啓太の本気だ、と。
同時に確信した。啓太は間違いなく勝つ、と。
『こちら川上。対象、沈黙しました』
そして彼女らが抱いた確信がただの事実にかわったのは、時間にして僅か数分後のことであった。
閲覧ありがとうございました













