4話。同級生の交流模様
ほのぼのとした日常風景
「いや~いい汗かいたわ!」
「……翔子様、なんかおっさんみたいっすよ?」
「あ゛ぁ゛ん゛?」
「顔。それと声。それもヤバイっすって」
「うっさいわねぇ。別に誰も見ていないんだからどんな顔したっていいじゃない」
「誰も見てないって油断していると……ってこともありますよ?」
油断大敵。武家の娘であれば誰もが物心ついた時に教わる言葉だ。
「それもそうね。うん。少し浮かれていたかしら?」
当然、啓太との訓練を終えた後で、ガレージに備え付けられているシャワーを利用してさっぱりしたことでややテンションが上がっていた五十谷翔子にとっても馴染みの深い言葉である。
「えぇ、まぁ、はい。そうですね」
(正直少しどころじゃなかったっすけど)
友人にして付き人である坂崎恵美からの忠告で頭を冷やす翔子。
彼女はどこぞのお坊ちゃんと違い、耳に痛い言葉を言われたからと言って露骨に不機嫌になることはないのである。
顔? 声? 知らない子ですね。
「で、今回の模擬戦はどうだったんすか?」
とにもかくにも、翔子が冷静さを取り戻したと判断した恵美は、彼女のテンションを上げた原因について言及することにした。
翔子から『聞いて聞いてオーラ』が出ていたので、そうしないと話が進まなかったともいうが、それはそれである。
「予想以上の成果だったわ!」
しかして、恵美から質問を受けた翔子は満面の笑みを浮かべて応えた。
「まず草薙型を使ったアイツ相手に圧勝できたのが良いわね! それから量産型と試作機の違いも分かったのは大きいわ! あとはやっぱり一番の収穫は強化外骨格を相手取った市街戦よ! あの強化外骨格はウチでも導入するべきだと思う!」
「テ、テンション高いっすね。そこまでっすか?」
「そりゃそうでしょ!」
「は、はぁ」
恵美は、モニター越しに見ていた自分が想定していたもの以上の収穫があったらしいことだけは理解できたが、同時に何故ここまで翔子のテンションが高いのかを訝しんだ。
(あぁ、もしかしてアレっすか? 恋ってヤツ?)
初対面の際はなにやら諍いがあったらしいが、現在のところ川上啓太と翔子の仲は決して悪くない。それどころか、翔子こそが軍学校内に於いて一番啓太と親しい人物だということがすでに学校中に知れ渡っていると言っても過言ではない。
親しい仲であればこそ、次に待ち受けているのは色恋沙汰である。
(今までは向こうが一般人だったからそういう対象にはなっていなかったっすけど、今では立派な騎士様で正六位の保持者っすからね。そりゃ五十谷家だって交際を認めるっすよ)
五十谷家は従四位の家格を持つ家だが、それは先人たちの努力によって得られたモノだ。そのため自力で正六位の位階を得た上、これからも武功を上げるであろう啓太は交際相手として十分以上に資格がある。
(翔子様だって年頃の女の子っすからね。家が決めた相手との結婚を拒否するようなことはなくても、どうせなら顔を見たこともない相手よりは自分で見つけた相手の方が良いと思っているはずっすよね)
少なくとも恵美自身はそう思っている。よって恵美は、翔子もそうなのだと思っていた。
しかし、その予想は的を外していた。なぜなら現時点では翔子の中に啓太への恋愛感情は存在していないからだ。
「だって一つ一つが重要な情報なのよ? 前回の戦闘では第六師団にも結構な被害が出ているんだし、少しでも再建の足しになれば良いんだけれど……」
「あぁ、そっちっすか」
「そっちも何も、それしかないでしょ?」
御家が第一。翔子は武家の娘として当然の価値観のもと今回の模擬戦で得たものを喜んでいたのだ。これには恋愛感情云々を勘ぐっていた恵美も、自分の先走りに苦笑いするしかない。
「それに今回は無料だったしね!」
「そう言えばそうっすね」
そう、今回の模擬戦は静香からの命令であったため――啓太や最上重工業にとっても実りの有る訓練内容であったので――無料であった。
とはいえ翔子も両親から『彼に関する情報を得るためならばいくら使っても構わない』と言われているし、百万単位であれば十分以上の利益を得ていると確信している。
だが、それでも予算は使わないに越したことはないのである。さらに今回は一方的に負けるだけではなく、しっかりと啓太相手に勝利を収めているのだ。
無料で情報と経験を得られて不機嫌になろうはずもない。
「さて。さっさと帰って情報の見直しと報告よ!」
いい感じのまま帰路に着こうとした翔子であったが、そうは問屋が卸さなかった。
「あぁ。それなんすけど……」
「ん? なによ?」
「……お友達がお待ちっす」
「お友達ぃ?」
「やぁ」
そんなのいないわよ。と呟く翔子を前にした恵美が何とも言えない顔をしながらガレージの入り口付近を指差せば、そこでは一人の女生徒がパタパタと手を振っているではないか。
「あぁ。アンタか」
女生徒の姿を確認した翔子は溜息を交えて軽い挨拶に応じる。
女生徒の名前は橋本夏希。長身と銀髪が特徴的な翔子のクラスメイトである。
「恵美。こいつは友達じゃないわよ。ただのクラスメイト」
「つれないねぇ」
「事実でしょ」
「まぁ、そうだけどさ。今日はいつになく冷たくないかい?」
「疲れてんのよ」
「そりゃ失敬」
「……失敬と思うなら帰ってくれないかしら?」
「それができないってことは君だってわかっているだろう?」
「知らないわよ」
少なくとも翔子の側に彼女と情報交換をしなければならない理由はない。あえて理由を挙げるとすれば、せいぜい『お互いの派閥間の関係を悪くしてはならない』という不文律くらいだろうが、その程度であれば互いが不干渉であればそれで済む話だ。自分が得た情報を拡散する理由としては弱い。
「お金、では意味がないね」
「そうね」
翔子は節約をしようとは思っているが金に困っているわけではない。
第六師団全体で考えれば再建の為に予算が必要なのも確かだが、それは夏希が所属する第五師団とて同じことである。
「情報、と言っても私たちは君たちが欲しがるものを持っていない」
「そうね」
第五師団が持ち他の師団が欲しがる情報と言えば主に遠征先での戦闘記録であるが、それに関しては全師団で共有されているため稀少価値は薄い。
もちろん現地に居なければわからないことも多々あるだろうが、そもそも国防に割り当てられている第六師団に遠征の予定はない。つまり現在第五師団が持つ情報を得たところで、第六師団には使いどころがないのである。
もちろん無意味とは言わないが、それでも価値は低い。少なくとも現在翔子が持つ情報とは文字通り比較にならないと言える。
「さて……どうしたものか」
考え込むふりをする夏希。表情や口調は冷静そのものだが、内心では情報交換に乗り気でない翔子に対し『もう少し歩み寄れよ!』と叫び声を上げていたりする。
夏希が欲しがっている情報、それはもちろん啓太に関するあれこれだ。
基本的に啓太の情報が欲しいのは翔子だけではない。しかし現在第三師団の再建が凍結された武藤沙織や、翔子が所属する第六師団と同じように前回の大攻勢で被害を被った第八師団に所属する田口那奈は各々の事情で忙しいし、翔子経由ではあるものの彼女たちなりに情報を得る伝手はできているので、今更焦って接触する理由はない。
これまで戦闘に参加していなかった第七師団と第九師団はと言えば、次回の大攻勢に備えて援軍を派遣することになっているのでこれまた忙しい。もちろん啓太の情報があればそれに越したことはないが、それ以上に彼らは量産型の性能や大型の魔物に関するデータを優先している最中だ。
残るは第一、第四、第五となるが、第一師団はすでに啓太を抱え込んだ上に担任の静香がいるので特になにかする必要はない。第四師団は遠征中のため優先することが多すぎる。
それで言えば第五師団も遠征中なので多忙を極めているのだが、彼らには啓太を無視できない理由があった。
それは、啓太が極東ロシア大公国との繋がりを作ってしまったことだ。
東北の名士である最上家が極東ロシアと取引をしていたが、基本的に極東ロシアとの繋がりが強いのは北海道を管轄する第五師団とそれを支える地元企業である。
そこに割り込む形で現れたのが啓太だ。
啓太が騎士に叙せられた経緯は理解しているものの、長年付き合いがある自分たちを差し置いて極東ロシアから高く評価されている啓太に向ける第五師団の感情は非常に複雑なものがある。
そのため彼らが他の師団よりも熱心に啓太の情報を得ようとするのは至極当然と言えよう。
――
ちなみに北海道には、その歴史から鎌倉時代だの室町時代だのから続く名家というものが存在しない。だが貴族制政治を行っている大公国では権威や歴史を重視する傾向が強かった。そのため彼らは長年東北に根付いていた最上家――大名家とは別に地元の名家として残っていた――のような名家の名を表に出して商売をしているという事情があるので、最上家の威光を利用して隆文が商売をしたことについては文句を言えないらしい。
――
最上家と第五師団の関係はさておくとして。
加えて、第五師団が目を付けたのは啓太だけではない。啓太が騎士に叙されるに至った経緯、つまり市街戦による功績とそれを成すために必要とされた武具である最上重工業製の強化外骨格の性能にも熱のある視線を向けていた。
というのも、大陸に遠征してることから市街戦も多く経験している第五師団からすれば、市街戦で使えない棺桶砲や八房型よりも強化外骨格の方が使い勝手が良いと思っていたからだ。
ただし既存の強化外骨格では、極々一部の達人を除いて中型の魔物と戦うことができなかった。そのため本格的な導入は控えられていたのだが、この度最初から中型の魔物と戦うことを考慮されて造られたという強化外骨格の存在が日の目を浴びることとなった。
ましてその性能は啓太が極東ロシアに於いて中型10体以上、小型を数100体以上の討伐という結果を出したことで証明されているのだ。
そんなの、欲しいに決まっている。
この新兵器の情報は、市街戦に向いた武器がないために現在進行形で苦労している第五師団にとって見過ごせないものであった。よって彼らは夏希を通じて啓太の情報と強化外骨格の情報を得ようとしているのである。
優先順位は強化外骨格>啓太だが、その両方の情報を持っている人間が身近にいる以上、情報収集を任された夏希が翔子に接触するのは当然のことと言えよう。
……翔子がそれに応えるかどうかはまた別の話だが。
(ん~第五師団からは特に欲しい情報が無いのよねぇ。こうなると一番手っ取り早いのは『直接聞けば?』と言って追っ払うことなんだけど……)
それを言ったが最後、翔子は取次役としての立場を失うことになるし、なにより夏希も啓太に接触する際に『五十谷さんから直接聞けって言われたんだ』と口にするだろう。
(それ自体は別にいいのよ。事実だから。……うん、いい。問題はそのあとよね。もしもこいつがアイツの機嫌を損ねたら、こいつをアイツに回した私まで嫌われるかもしれないじゃない? さすがにそれは困るわ!)
自分が見ていないところで啓太に接触されることを想像した際に、なんとなくモヤっとした感じを覚えた翔子だったが、そこは仕事と割り切ることに成功したようだ。
ただし、仕事だからこそ自分に関係ないところで評価を落とされても困るわけで。
(ん~どうしようかしらねぇ)
もちろん翔子とて夏希が勝手に啓太と接触したところで咎めるつもりはない。
しかし翔子は夏希がそんな手段を取らないことを確信していた。
何故か? 別に夏希が啓太と翔子の関係を慮って遠慮しているわけではない。
単純に夏希や夏希の後ろにいる第五師団の面々が、自分たちが欲しがっている情報は直接啓太と接触しても得られないということを理解しているからだ。
具体的に言えば、軍関係者は以前混合型の動かし方を聞いたときから啓太が特異な存在であると確信しているとともに、啓太から得られる情報が一般的な人間にとって参考にならないと割り切っているのである。
もう少しわかりやすく言うのであれば、彼らは啓太という変態から直接得られる情報よりも、啓太が発信したものを翔子や静香と言った一般人のフィルターを通した後に得られるもの、つまり一般人に理解できない産地直送の情報ではなく、一般人でも理解できるように加工された情報が欲しいのだ。
それを知っているからこそ翔子は自分の優位を疑っていないし、夏希も翔子に譲らなければならないことを理解しているのである。
(情報、情報かぁ。師団間の利害関係はあれど同じ国防軍に属する立場、それも派閥の影響を受け辛い学生という立場を利用しない手はない。今は碌な情報が無くても、今後もそうだと限らない。なら……)
「貸し一つ、ね」
「……なるほど」
夏希からすれば『白紙の小切手をよこせ』と言われたに等しいが、今の自分に払えるものが無いのもまた事実。さらに学生間の貸しである以上、法外なものにはならないだろうという思いもある。
よって翔子の要請に対する夏希の答えはただ一つ。
「わかった。応じよう」
「そ。じゃあ具体的に何の、どんな情報が欲しいのかっていうのは後で纏めて送ってきて頂戴?」
「……あぁ」
取引には応じるものの『必要以上の情報は渡さない』と釘を刺すことを忘れない翔子と、刺された釘の長さと太さを理解して思わず顔を顰めることになった夏希の図であった。
「ふっ」
(おぉ。なんていうか、翔子様も成長したっすねぇ)
なお、このやりとりを見て思わず口をついて出てしまった友人兼付き人である坂崎恵美の心の声は、心なしかやり切った顔をしている翔子には届かなかったそうな。
【悲報】啓太君、軍関係者から変態あつかいされていた【残当】
だから啓太君の情報を持つ一般人こと五十谷さんの評価が高いんですね。
閲覧ありがとうございました。













